エピソード2
第六章 港町の巨狼
第34話 新たな少女
「港町、ですか?」
帝都での暮らしにも馴れてきたある日。俺が住んでいる屋敷の主、アントニウスは大きく首を振った。
「帝都から南へ向かうと、ヘリオスという港町がある。そこでは昔から、魔獣の被害が問題視されていてな。……去年までは被害も減少傾向だったのだが、今年になって増加に転じている。このため魔獣の撃破を、ミコト君に頼みたい」
「分かりました」
悩む間もない快諾。大柄な主人は、その胴間声を部屋一杯に響かせる。
感謝の意を込めて肩を叩いてくるアントニウスだが、こっちは嬉しいどころか痛いレベル。身長が縮みそうで怖い。
「そ、それで、魔獣の特徴は?」
「巨狼と聞いている。燃える目を持った、巨大な狼だそうだ。群れは組んでおらず、単独で活動する姿が目撃されている」
「被害の内容は?」
「人が何人か殺されている。まあ少数ながら生存者はいるのだが……基本的には例外だ。生き残った者も、友人が巨狼に喰われている間に――といった場合が大半を占める」
「そうですか……」
やはり、放置できる存在ではなさそうだ。
出来ればもう少し情報が欲しいところだが――それだけ危険な存在なら諦めるしかない。自分で直接見て、いくつかの候補に絞っていく方が正確ではあるだろうし。
「ふむ、せっかくだ。帝都にある古文書、すべて持っていくかね? 正体と弱点を突き止める際、役には立つだろう」
「い、いや、でも無くしたら――」
「安心したまえ、写しだ。本物はさすがに、そう易々と外に出せんよ」
それを聞いて、俺はホッと胸を撫で下ろす。
――にしても巨狼の魔獣とは。さっそく候補は浮かんでくるが、どれも厄介な相手でしかない。殺す、あるいは拘束するのだって一苦労な筈だ。
前回の戦いに比べれば、難しい判断を迫られることになるだろう。……もし想像が的中すれば、神と相打ちするほどの猛獣と戦うわけだし。
「出発はいつですか?」
「いま直ぐだ」
「直ぐ!? 今日中とかではなく!?」
「もちろん。いや、私は君が断ると思っていなくてね。ああ、娘には許可を得ているから問題ないぞ」
「一緒に行くってことですか!?」
「うむ」
驚いてばっかりな気がするが、ここで改めて驚愕した。
何を考えて彼女は同行する気なのだろう……魔獣の被害だって知ってるだろうに。今回は遺跡が関わるわけでもなく、彼女の趣味には合わない筈だ。
――でも、決めてしまった以上は仕方ない。グチグチ言わず、責任を持って守るとしよう。
「では頼んだぞ。私の方でも色々と動いてはみるのでな、機会があれば現地で再会しよう」
「……もう騙すのは勘弁ですよ?」
「はっはっは、それは私の気分しだいだなぁ!」
「――」
呵々大笑するアントニウスに、俺はもう疲れた気分だった。
もちろん抗議は無意味なので、素直に頭を下げてから退出する。港町についての説明もあまりなかったな、と思いながら。
「あ」
「あ?」
廊下に出た途端、今まさに部屋へ入ろうとしていた人物と遭遇する。
長い金髪が特徴的な、目の眩むような美少女だった。珍しいことに眼鏡をかけており、知的なイメージが一層強調されている。
いつも着ている真紅の制服も、これまたいつも通り似合っていた。――貴族の娘に相応しい、凛とした雰囲気を少しも損なっていない。
「イダメア……」
「あ、おはようございます、ミコトさん。――その、父とは話をした後ですか?」
「ああ、見ての通りだよ。……イダメアが同行するって話も聞いた。何で行きたいんだ?」
「えっと、その……ヘリオスにある遺跡には、前々から行こうと思っていたんです、なので良い機会だな、と……」
うん、やっぱりそうだったか。
アントニウスの娘・イダメアは帝都で古代文明についての研究を行っている。それなりに優秀だそうで、遺跡への興味から無茶な行動に出ることも珍しくない。
数日前もそうだった。敵国との国境にある遺跡を、どうしても探索したいと言い出したのだ。
俺以外にも数名の帝国兵が同行したのだが、いろいろあったのは言うまでもない。……幸い、王国との衝突ではなく魔獣との衝突だったが。
「この前、帝国兵の皆さんに迷惑かけたばっかりなのに、元気だなあ……」
「う、うう、それについては反省しています……で、ですが、今回は絶対に無茶なことは言いません! ご安心ください!」
「……」
信用してやりたい気持ちは山々だが、嫌な記憶ってのは中々離れないもので。
本当、もう少し遺跡のことで冷静になってくれないものだろうか? 普段は無表情で冷徹とさえ思える性格なのに、仕事の話となると途端に駄目になる。
「そ、それにですね、少しでも多くの時間、私達は一緒にいるべきではないでしょうか……?」
「? なんで?」
「……た、建前ですけど、一応は婚約者なわけですから……」
「――」
こっちの本音としては、建前じゃ困るのですが。
イダメアは視線を逸らしたまま動かない。どんな表情をしているかも分からないが、きっと愛らしい顔付きになっていることだろう。
「そ、その、ご迷惑でしたら、今回のヘリオス行きは諦めます。ミコトさんのお仕事を邪魔するわけにはいきませんし」
「……や、その辺りは心配する必要ないぞ。一人で行くのも寂しいし」
「ほ、本当ですか!?」
パッと顔を上げ、眩しいばかりの笑顔で見つめ返してくるイダメア。
容姿こそ大人びている彼女だが、ときおり見せる笑顔は年相応に無邪気なところがある。……きっと滅多に見せない『隙』で、男の独占欲を煽るのには十分な破壊力だ。
「ところで、アントニウスさんに用でも?」
「いえ、ミコトさんを迎えに来ただけです。もう出るんでしょう? ――今からでしたら、到着は明日のお昼ごろになりますね」
「……どういうところなんだ? そのヘリオスって」
「そうですね……特徴を言うのであれば、亜人族の町であることでしょうか。――王国では、彼らが労働力として酷使されていることはご存じで?」
「ああ、リナから聞いた」
彼女はドワーフの少女であり、小さい頃は王国で生活していたらしい。それに限界を感じて帝国へ移住したのだそうだ。
ヘリオスは、そういう事情を抱えた人達の町、らしい。
「あそこは帝都以上に亜人族の数が多いです。……なので時折、種族間の対立も起こっていますね。まあ死人が出るほどではないのですが」
「……魔獣が
「分かりません。父からの話を聞く限り、そこまで影響が出ているようではありませんでしたが――」
断言しかねます、とイダメアは改めて付け加えた。
すべては行ってみてからになるんだろう。……種族間の対立には巻き込まれたくないものだが、さてはてどうなるやら。
アントニウスの部屋から離れていく中、俺達は適当な雑談で時間を潰す。さっき出たリナのこと、遺跡のこと、港町ヘリオスのこと。日常としての会話が、すっかり馴れた空気感で行われた。
「うん?」
屋敷の外に出ようとした、直後。
俺は玄関先に立っている、一人の少女を認めた。黒いローブと羽織った、十代半ばぐらいの少女。眼差しは鋭く、一種の敵意さえ籠っている。
「父にお客様、でしょうか?」
「とてもそうには見えないんだが……」
一方で、謎の少女はまったく動かない。――俺達を見つけて、少し眉根を動かしたぐらいだ。
剣呑というわけでもなく、平穏をというわけでもない雰囲気。状況に変化をもたらしたければ、こっちから話した方がいさそうだ。
しかし俺は居候。客を出迎える仕事は、横の適材に任せた方がいい。
「あの、何かご用でしょうか?」
「……」
空気を読んだイダメアの声にも、少女は反応しなかった。
どこか品定めするような視線。――一向に判明しない目的に、当初あった雰囲気は堅い方向へと転がっていく。
「連れてって」
ようやく口にした、その言葉。
「ヘリオスに連れてって」
「え……」
唖然とするイダメアの横で、俺も首を傾げるしかなかった。
……この後。
アントニウスが笑いながら許可したのは、まあ言うまでもあるまい。
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