第31話 傀儡 Ⅰ

 食い物の恨みは恐ろしい。


 そんな格言だか諺だか分からない台詞を胸にして、俺は帝都西部の城壁に立つ。

 正面に広がっているのは、例の遺跡がある山岳地帯、その足元にまで伸びる原野。――冴え渡った月の光が、それらを幻想的な光景に染め上げている。


 しかし中には、自然界に存在しない異物が一つ。

 騎動殻・ケオロースだ。城壁に攻撃を行おうとしている彼は、閉じられた門に向かってその巨体を走らせる。


「アントニウスさんは!?」


「い、いえ、父はまだ動いていない筈です! 恐らくクリティスさんは、こちらの動きを察知して……」


「っ――」


 どちらにせよ、これ以上の破壊を行わせるわけにはいかない。


 不安は残るが、ヘカテの力によって加速する。……本当、今日一日は彼女を酷使しっぱなしだ。時間が取れたらきちんと餌を与えよう。


 城壁が揺れる。内側から門を抑えている作業用の騎動殻が、兵士たちが叫んでいる。耐えろ、とただそれだけ。

 一方でパニックに陥っている者もいた。これ以上は耐えられません、と。


「――」


 後者の意見を記憶に留める必要はあるまい。

 次の機会を与えなければ、問題のないことだ。


「ふ……!」


「っ!?」


 突っ走ったケオロースに、文字通りの横やりを刺す。

 機体はよろめいたものの、傷自体は与えられていない。やはり呪縛結界によって防がれている。


 ――ともあれ攻撃の阻止には成功した。

 あとは、俺の分野だ。


「くっ、また君ですか……!」


 ケオロースの肩で、苦虫を噛み殺したようにクリティスは言った。


「まさか私を罠に嵌めるとは……! やはり帝国人は信用ならない! こんなことだから、あの人も――」


「ファウスティナさんのことか!? イダメアの母親の!」


「っ……ええそうですよ! 彼女の命は救えた筈だった! 私が手に入れた薬草と、私の知識さえあれば――」


「本当ですか!? それは!」


 城壁の上。可能な限り身を乗り出して、イダメアが問いかけていた。


 クリティスは硬直して動かない。いや、何かに感動しているようですらある。……親子なのだし、亡きファウスティナと重ねているのかもしれない。


「貴方の言う薬草は、帝国国内に存在する物ではありません! 王国方面で生息している物です!」


「な……ば、馬鹿な! 王国の使者は、絵と一緒に私へ――」


「それが本物である理由がどこにあるというのです!? 貴方は自分で勝手に信じ、勝手に決めただけではないのですか!? 帝国国内の資料から調べましたか!?」


「ぐ……」


 反論は止まる。イダメアに向けていた羨望から一転、表情には憎悪だけが取り残された。


 ……しかし何と、哀れな話があったものだろう。彼は元から帝国人を信用していなかったようだし、仕方のないことではあるかもしれないが。


「――は」


 ご丁寧に、クリティスはこちらの想像を裏付けてくれた。


「嘘をつくな帝国人! お前達は人を尊重しながら、私の愛した人を救わなかった、見殺しにしたのです! あの人は、救われたいと願っていた筈なのに――」


「……母のことでしたら、それは違います」


 淀みのない口調。

 城壁にいる彼女の顔は分からないが、凛とした雰囲気を纏っている感じがした。母の死に罪悪感ではなく、覚悟を持って向き合おうとする気高さと一緒に。


 それを聞いたクリティスは、嘲笑を零すだけだった。


「ばかげた話をしないでくださいよ! 貴方の話が正しければ、彼女は死を――」


「ええ、望んでいました。本人から直接聞かされています」


「――」


 告白は、誰にとって一番残酷なのか。

 受け止めるだけの強さを手に入れた少女は、刃のような真実を語っていく。


「ニュンフ族として生き、そして死ぬ。母の望みはそれだけです。……救済されたところで私には意味など残っていないと、彼女は言っていました」


「……分かりません、貴方の言葉は分からない……!」


「母はすべてを父と、周囲の人間に託したのです。――どの道、彼女は不治の病に犯されていました。超一自我を克服したところで、あと数日の命だったでしょう」


「な――」


 生き詰まった命。故に彼女は、自ら命を断つことを躊躇わなかった。


 ……真相は本当に重荷だったんだろう。当時のイダメアは、十歳にも満たない子供だった。

 しかし今、彼女は面と向かって事実を口にしている。


 ファウスティナが思い描いた強い女性へと、イダメアは成長したんだろう。


「母はこうも言っていました。私の成したこと、残したことに誤りはない。すべてが希望で満ちているから、私は後悔などない、と」


「う、嘘だ、嘘だ……」


「そもそも母は、ニュンフ族であることに誇りを持っていた。超一自我との決別も、恐らく望んではいなかったでしょう。……近いうちに死ぬことが分かっていたから、あの人はいつも全力でした」


 それを、と。前置きを作ったイダメアには、確かな怒りが乗っている。


「貴方は否定するのですね。母が何年も培いってきた覚悟を、誇りを、決意を。その人がその人であるところのモノを踏みにじって、貴方は幸せなんですね?」


「……て、帝国人の癖にあの人を語るな! そんな嘘で騙されると――」


「貴方が何と言おうと、私が見聞きした真実は変わりません。……それと、母は帝国生まれ、帝国育ちの帝国人です。貶めるようなことは言わないでください」


「くっそおおおぉぉぉおおお!!」


 クリティスは矛先を変えた。門を打ち破るのではなく、力ずくで城壁を崩そうと拳を構える。

 もちろん、許すつもりなんて毛頭ない。


「てめえの相手はこっちだ……!」


 横から再び、サモン・ディアナによる一撃を叩き込む。


 しかし損傷は軽微。呪縛結界による装甲が未完成なのだろう、一瞬だけ姿勢を崩せるぐらい。……残念ながら、仕留めることに直結するレベルではなかった。


 となれば解決策は一つ。呪縛結界の解除だけだ。

 騎動殻の名はケオロース。――丁度、それに近い名前の魔獣を知っている。


「角だ……!」


 これ見よがしに立っている、一本の角。

 彼もスパルトイと同じく、ギリシャ神話の出身だ。ある英雄と決闘した際には激闘の末に敗北、角を折られたそうだ。


 なら同じことをすればいい。幸い、角自体の位置は分かっている。そこに到達するだけの脚力もある。

 ただ必然の勝利を、手に入れる……!

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る