第30話 ファウスティナ孤児院 Ⅱ

「……もしかしてイダメア様かい? まあまあ、大きくなって」


「ど、どこかで会いましたか……? あ、あと、少し音量を抑えて頂けます? 少々事情がありまして……」


「おやおや、そうだったのかい。――まさか駆け落ちとか?」


「い、いえいえいえ! 別にそういうわけでは……!」


 狼狽しているイダメアの声が一番大きいんだが、大丈夫だろうか?


 案の定、老婆は人差し指を立てて知らせてくれる。自ら過ちを犯したイダメアは、両手で咄嗟に口を塞いでいた。


「とりあえず用があるんだろう? 子供たちがうるさいかもしれないけど、歓迎するよ?」


「い、いえ、少し聞きたいことがあるだけですので、ここで……」


「あー、悪いけど、あたしゃ腰が悪くてねえ。立ち話は苦手なんだよ。――だからさ、中にお入り。ね?」


「……わ、分かりました。ご迷惑をおかけするわけにはいきませんから」


 渋々、が似合う歩き方で、イダメアは孤児院へと近付いていく。


 ちなみに老婆の方だが、とても腰が悪いようには見えない。真っ直ぐ背筋を伸ばしており、若いながらに見習いたくなってくる。


 気付けイダメア、完全に騙されているぞ。というかちょっとでも観察すれば分かるだろうに。

 まあ向こうに悪意がない分、可愛らしいといえば可愛らしいのかもしれないが。


「――」


 こちらの予想を見抜いたようで、老婆は再び人差し指を立てる。静かに、という意味とは少し別。悪戯を黙ってくれということだろう。


「あ、アイタタタ。急に腰が痛くなってきたよ」


「だ、大丈夫ですか? よければ私の腕を掴んで下さい」


「おお、ありがたいねえ。――うくく」


 迫真の演技であった。


 作戦に嵌まりながら、イダメアは疑う気配もなく孤児院へ入っていく。……こっちも突っ立っているわけにはいかない。さっさと同行しよう。


 中は、案外と静かなものだった。

 人の気配は二階に集中している。偶然なのか、それともこれから寝る時間なのか。誰かが向かに来ることはなく、俺達は順調に奥へと進む。


「さて、この辺りで良いよ。ありがとうね、イダメア様」


「他に何か手伝う必要はありませんか? 家事全般なら問題なく――」


「ああ、別に大丈夫だよ」


 明るく答えながら、彼女は居間の入り口を潜っていった。


 イダメアはその場で待機していたが、手招きする老婆に従って歩を進める。……さすがに断られはしないだろうし、俺も一緒に入らせてもらおう。


「いやあ、ちょうど良かったよ。夕食にスープを作ったんだけど、作り過ぎちゃってねえ。……そこの兄さん、男なんだし腹は常に減ってるだろ? 処分しとくれ」


「しょ、処分って……」


 自分が作った料理に対する台詞とは思えない。

 しかし老婆は訂正することもなく、台所で火を扱い始めた。――もっとも、実際に使っているのは鍋一つ。たぶん魔導具だろう。


 実際、鍋の縁には複雑な模様が刻まれていた。魔術工房でドワーフ達が刻んでいた呪文と似ている。


「で、イダメア様は何の用事だい? こんな年寄りに出来ることなんてたかが知れてると思うけど……」


「その、こちらの孤児院にクリティスという方がいたと思うんですが……彼について、何か知っていることはありませんか?」


「――ああ、あの子についてか。また懐かしいねえ……あいつ、今なにやってるんだい? 知らせがないのは元気な証拠、とは言うけどさ」


「ご存じ、無いのですか?」


「音沙汰なしだからねえ。で、どうなんだい? 頭の堅いやつだ、人との接触を軸にした仕事なんて出来っこないだろうし――」


「魔術学園で教師をしています」


 硬直する老婆。

 忘れないでくれとばかりに、鍋は少しだけ蓋を揺らしている。


「とんでもない話があったもんだね! 孤児院にいた頃から、黒い噂で一杯だったってのに!」


「そ、そうなんですか?」


「ああ。孤児院を始めたファウスティナ様も、随分と頭を悩ませててねえ。何度も止めるように言ったんだけど……」


「聞き入れなかったと?」


「それだけじゃないよ。ファウスティナ様のためだー、って言ってね。貴方は私のことだけ信じてください、とか臭いことまで口にしてたよ」


「……」


 特別な感情を向けていた、ということか。

 復讐を口にしている動機は、案外と単純なものなのかもしれない。――徐々に濃くなるスープの匂いに鼻を動かしながら、何の変哲もない感想を抱く。


 もっとも、一番肝心なイダメアは納得していないらしかった。


「彼は母の復讐を果たすと言っていたそうです。――その、何か心当たりはありますか?」


 親の死を仄めかす言葉に、イダメアは俺を一瞥した。

 黙って聞き届けるしかない。もう知ってる、なんて返事は無礼な気もするし、一方で嘘をつくこともにも迷いがある。


 老婆の方はファウスティアの死を知っているんだろう。短いが、悔恨の念で目を伏せていた。


「――悔しがってたみたいだよ。私の研究がもっと進んでいれば、助けることが出来たのに、ってね」


「超一自我から、ということですか?」


「じゃないかねえ。色々と関連する文献を漁ってたみたいだよ。王国との繋がりも、そういった情報収集の一環みたいだね」


「では彼は、母を超一自我から救おうと?」


「――」


 答える前に、老婆は鍋の中を覗いた。……それなりに湯気は出ているが、まだ十分に温まってはいないらしい。

 蓋を閉じ、彼女は首を縦に振る。


「本気でそうするつもりだったみたいだよ。もしかしたら、今もやってるんじゃないかい?」


「……ミコトさん、心当たりはありますか?」


「ああ。――ほら、さっきまで俺、遺跡に行ってって話したろう? 目的はナンタラって薬草の回収でさ。……時間はあったし、たぶん手に入れたと思う」


「なるほど。……でしたら彼は、実験を行うつもりなのかもしれませんね。薬草を使い、超一自我に干渉できるのかどうかを」


「……辻褄は会うだろうけど、それがどうして騎動殻の奪取とかに繋がるんだ?」


「単純に戦いを仕掛ける予定もあるのではないでしょうか? 復讐の相手が父や私であれば、問題はない筈です」


 自分の所為で、母は死んだのだと。

 イダメアはそう仄めかしている。……さすがに今のは聞き捨てられない。仮に恨むべき対象があるとすれば、超一自我という種族の宿命だ。


「――今の言い方、良くないと思うぞ。まるでイダメアが殺したみたいだ」


「……そう、ですね。少々言葉が過ぎました。不快な思いをさせて、申し訳ありません。母は母なりの考えがあって――自ら命を断ったのです」


 心の底で、何か変化でもあったのか。

 イダメアは清々しい表情で、台所に立っている老婆へ語りかける。


「院長先生、ありがとう御座いました。私、彼に直接会って話してみようと思います」


「……大丈夫なのかい? それは。イダメア様たちの話を聞く限りじゃ、アイツは反乱でも起こそうとしてるみたいじゃないか」


「その通りですよ、実際。ですがご安心ください。隣にいる彼が、私を守ってくださいますから」


 ね? とイダメアは更に一言添えてくる。

 信頼が籠った女神の笑みに、俺は頷くこと以外を忘れていた。


「はは、そうかいそうかい。だったらほら、景気づけに飲んでいきなよ。これでも得意料理――」


 直後だった。

 夜の静寂を打ち破る、轟音が轟いたのは。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る