第29話 ファウスティナ孤児院 Ⅰ

 研究所の食堂は、さすがに店仕舞いをした後だった。


 残っているのは俺とイダメア、クレビオの三名。食堂を無断で使用するわけにもいかず、夕食は抜きという方針が決定する。

 と、思いきや。


「いやあ、悪いね。こういう物しかなくて」


「そんな、すごく嬉しいですよ。……すごく堅いですけど」


 夕食にと差し出されたのは、岩同然に堅くなってしまったパンだった。


 あんまりにも顎が疲れるので、ヘカテの力を使いながら噛み砕いている。新鮮ね! とこめかみに青筋を走らせている彼女も、残念ながら記憶に刻まれた。


 イダメアは既に食事を済ませているようで、同情の籠った目で俺を見ている。


「……ミコトさん、ジャムならあります。遠慮せずにどうぞ」


「助かる。――でさ、ミコトはクリティスについて何か知ってないか? 二階のあの部屋、お母さんのだろ?」


「ええ、ミコトさんの話を聞く限りでは。……しかし、私は母の一人娘です。隠し子がいた、なんて噂も聞きませんし、あの仲睦ましい夫婦には考えられません」


「だとしたら――」


「孤児院」


 勿体ぶらず、クレビオが正解を口にする。


「イダメア君のお母さんは、自分と同じ名前の孤児院を持っていた。彼女はよくそこを訪れていたし、話の青年は孤児院の出身じゃないかな?」


「……ミコトさんも、そう思いますか?」


「ああ」


 だって他に当て嵌まるものがない。イダメアは複雑そうだが、今のところはこれを信じるしかないのが現状だ。

 そして、復讐。


「孤児院って、今も残ってるのか?」


「はい、父が運営費を出しています。身寄りのない子供達はすべて受け入れるように、との理念を今も守っているかと。――王国出身の子供でも、孤児院では引き取ります」


「……クリティスはやっぱり、王国出身なのか?」


「恐らく。そもそも黒髪は東方の、王国の人達に多いです。彼も最低限、その血が流れていると思われます」


「なんか、動機と関係ありそうだけど……」


 さっぱり想像がつかない。やはり、本人に話しを聞くしかないんだろうか?

 イダメアは口元に手を当てて、何やら思案の真っ最終。俺は隙を見て、普通なら食べれないパンを砕いていく。


「――かなり昔ですが、母がよく口にしていました。王国への忠誠を主張して、孤立している子供がいると」


「……クリティスのこと、なのか?」


「分かりませんが、可能性はあると思います。確か……その子は両親と共に、王国から亡命してきたそうです。が、王国風の暮らしに馴染み切っていたご両親は、帝国での生活に順応できず、亡くなったと」


「で、そこを孤児院に」


「ええ。――母は随分とその少年を気遣っていたようです。故に彼は、母と呼ぶようになったのでしょう。復讐と口にしたのは、恐らく……」


 饒舌だったイダメアだが、途端に口籠ってしまった。


 理由については察するまでもない。――しかし青い瞳は力強く、決意を秘めて自分の手元を睨んでいる。

 俺もクレビオも、口を結んでイダメアの言葉を待ち続けた。


「ミコトさん、もし彼と会う機会がありましたら、私も連れて行ってもらえますか? ……一度、話をしてみたいんです」


「構わんけど……その状況を作れるかどうかの保証は出来ないぞ? アントニウスさんはもう、詰めに動いているんだろうし」


「その場合はそれで問題ありません。……可能なら、と思っている程度ですから」


「――そっか」


 パンを完全に砕いて、俺は彼女の決意を歓迎した。


 部屋にある時計は九時を差そうとしている。……地球にいた頃はまだまだ起きている時間だが、果たして帝国はどうなのか。


 イダメアもクレビオも就寝する気配はない。ならまだ起きているんだろうが――さてはて、俺の方はどう過ごしたものか。


「……ミコトさん、今から孤児院に行きませんか? 帝都の中にありますし、ここからそう遠くはありませんよ」


「い、いいのか? ベッドに寝てないと……」


「この時間帯でしたら、目撃される可能性は低いと思われます。――それに、私のもっとも重要な役割は終わりました。ですからせめて、クリティスさんのことを少し探りたいのです」


「……分かった」


 敵を知れば百戦危うからず、とも言う。情報をすべて明らかにしておくのは、決して無駄な行為ではない。

 彼女は難なくベッドから降り、クレビオに挨拶してから部屋を出る。


 廊下は屋敷と似て暗い。角度の問題で月明かりは差し込まず、目を凝らしながら移動することになった。


「部屋は明るかったのにな……」


「仕方ありません。マナ・プレートを使った明かりは、無尽蔵に使えるものではありませんから。町の方だって日を跨ぐ頃には完全に消えるんですよ?」


「……クリティスがその間に攻撃してきたら、厄介だな。そもそも今、どこにいるのかも分からないし」


「いえ、潜伏先は分かっています」


「そ、そうなのか?」


 完全に外へ出て、視界に入ってきた光にホッとする。


 俺はイダメアの半歩後ろを歩いていた。何度か移動したことで帝都の街並みも少しは分かっているが、今回向かうのは未知の場所。案内人の存在は尊重しなければならない。


「私達の探索した遺跡が、彼が持つ拠点の一つです。あの白い竜も、クリティスさんと契約している精霊だそうで」


「やっぱりか……明日戦うとなれば、簡単には行かなさそうだな。騎動殻もあるし」


「ええ。あちらについては未完成ですから、そこまで注意する必要もないでしょうけど――いえ、戦闘に関して門外漢の私が言うことではありませんね」


「あ、相変わらずだなあ……」


 性格ですから、と前を向いたままイダメアは答える。


 微笑しながら見ていると、不意に彼女は視線を上げた。その先には、貴族の屋敷ほどではないが大きめの一軒家が。正面には看板も立てられている。


「ここですね、ファウスティナ孤児院」


「……もしかして、イダメアは来るの初めてか?」


「はい、場所と話だけは伺っていたのですが……その、私が行っていいのか分からなくて。創設者の娘、というだけですし」


「……ていうか、こんな夜遅くに大丈夫なのかね?」


「その辺りはきちんと謝罪するしかありません。恐らく問題ないとは思いますが――」


「おや?」


 声が聞こえてしまったのか、孤児院の影から出てくる老婆が一人。


 俺とイダメアは、老婆と目を合わせるなり頭を下げた。といっても彼女の方は棒立ちしているだけで、夜の来訪を迷惑に考えているわけではないらしい。

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