第四章 彼の企み

第24話 任務開始

「イダメア!」


 娘の異変を聞きつけて、アントニウスは直ぐにやってきた。

 話の中心にいる彼女は今、ベッドの上で静かに眠っている。超一自我とやらの悪影響もこの段階では見られない。


 しかしクレビオは、悲痛な面持ちのままだった。


「これまで 超一自我を抑えるのに使ってきた薬だけど、あまり効果が見られない。これまでの服用で耐性が出来てしまった可能性がある」


「他に薬はないのか?」


「残念だけど、今のところは。……他のニュンフ族のこともあるし、角度を変えて治療に当たってみるよ。諦めるわけにはいかない」


「そうか……すまんが、頼むぞ」


「ああ」


 快諾するクレビオを残し、アントニウスは憔悴した様子で外へ。俺も医者に一言告げてから彼を追う。


「あの、アントニウスさん」


「うん? 何かね?」


「俺に何か、出来ることありませんか? 珍しい薬草を取ってくるとか、何でも構いません。――待ってるだけっていうのは、どうにも我慢できなさそうで」


「……」


 彼は口を閉ざして動かない。それが罪悪感から来る行動なのか、喜びから来る感情なのかも分からなかった。


 俺の頭にはやはり一つ、拒まれたらどうしよう、という不安がある。

 避けたければ誠実に接するしかない。貴方の娘を本気で助けたいのだと。悲劇を止めたいと、視線だけで訴える。


「ああっ、こちらにおいででしたか!」


「――」


 振り向けば、やや大袈裟に狼狽する一人の男が。


 クリティスだ。ここまで本当に急いで来たのかどうか不明だが――彼は息を乱したまま、体力の消耗(仮)で膝に手をついている。


「イダメアさんが、超一自我で倒れたと、聞きまして。……何か、私にお手伝い出来ることはありませんでしょうか?」


「……」


 面の皮が厚い危険分子を前に、俺もアントニウスも無言を選んだ。

 彼と協力するなど、リスクを大きくするだけの失策でしかない。博打にすらなりはしない。丁重に断ってしまうのが最善だ。


「……分かった。ミコト君と共に、解決方法を模索せよ」


「はい」


「!?」


 俺達の対照的な反応のあと、命令を出した彼は足早に施設の奥へと向かっていく。


 一体何を考えているのか。残された俺は何とも言えない雰囲気の中、クリティスに猜疑の目を向けるしかない。


 しかし彼は怪訝そうな目を返すだけ。自身の正体については、まったく気付かれていない自信があるんだろう。


 あるいは、本当に違うのか。アントニウスが俺を――


「改めて自己紹介と行きましょうか。私はクリティス。魔術学校にて、生徒達に歴史を教えています。どうかお見知りおきを」


「……ミコトです。これといった役職は、今のところないです」


「ええ、存じていますよ。今日お目覚めになったばかりなのでしょう? いやはや、災難ですねえ。もしや、不幸な星の下に生まれたのでは?」


「――」


 ニンマリと破顔する彼は、冗談を言っている雰囲気でもない。相手が罠にかかった瞬間を見てほくそ笑む、悪辣な詐欺師のよう。


 アントニウスを疑った俺が馬鹿だった。もちろん本意については分からないが……彼は彼なりの理由があって、クリティスとの行動を命じたんだそう。うん、そういうことにしておこう。


「しかし私は運が良い。魔獣殺しとして有名な貴方と、行動を共に出来るのですからな。貴方がいれば、校長も安心できるでしょう。……英雄には、不可能などないでしょうからね」


「……」


 今まさに不可能っぽい難題に遭遇しているんだが、こいつ分かって言ってるのか?


「――で、クリティスさんには何か、考えが?」


「王国方面にある平原に、どんな病をも治す薬草があると聞いたことがあります。王国の魔術師と遭遇する可能性はありますが、行ってみる価値はあると思いますよ」


 要するに罠か。


 ここまで露骨だと、逆に同情すらしたくなる。……まあ彼を炙り出すという意味では、逆に乗るのも悪くない。後方の憂いを断てば、アントニウスはイダメアのことに集中できるだろうし。


「分かりました、行きましょう。……でも、時間はどうします? そろそろ日が暮れますけど」


「明日の朝を待つのが順当でしょうね。……しかし、それまでに容体が悪化しないとも限りません。敵に襲われる可能性を考えて、何人か護衛を――」


「お兄さーん!」


 こっちの中にある暗さとは正反対の、陽気な叫び。

 肩越しに振り返ると、やっぱりリナの姿があった。イダメアの代わりにするつもりか、以前のようにタックルをかましてくる。


 わりと加減のない突進で、受け止めるのもやっとだった。


「ねえねえ、お姉ちゃん大丈夫!?」


「あ、ああ、今は眠ってるよ。つっても、安心できる状況でもないけどな」


「そ、そっかー。お父さんが胡散臭いぐらいに慌ててたからさ、てっきり大変なことになったのかと……」


 話を進めるのに合わせて、リナは少しずつ暗い表情になっていく。……いつも通りの口調だからって、心の中まで同じとは限らない。


 最悪の事態に至っていない安心からか、少女は薄っすらと涙を浮かせていた。


「……じゃあ今日は帰るね。あ、お兄さんも送っていこうか? 騎動殻で来たからさー」


「な、何!?」


「? 驚くこと? 帝都の主な通りはね、騎動殻で通れるようになってるんだよ? そりゃあ目立つけど、背に腹は変えられないし!」


「いや、それまずいんじゃ……」


「そう?」


 いまいち分かっていない少女がいる一方、俺の予感は直ぐに的中した。微かにだが、人々の騒つく声が聞こえてくる。


 いずれも誰かを心配しているような声。やはりニュンフ族の少女達や、イダメアがいることを知っての動きだろう。


 喜ぶべきか否か。アントニウスからは一言も希望がなかったため、どう反応すればいいのか分からない。


「まあまあお兄さん、目立つのは良いことだよ! みんな心配してくれてるんだから!」


「そりゃそうかもしれんが……ゆっくり治療に専念できないんじゃないか?」


「あはは、さすがにそこは弁えると思うよ? もしかしたら、騎動殻を見に来ただけかも――」


「それです」


 会話からはじき出されていたクリティスが、人差し指を軽く立てて言う。


「平原で薬草を回収するに辺り、騎動殻を使いましょう。移動速度も優れていますし、数名の魔術師が相手なら圧倒することも出来る筈です」


「……お兄さん、このおかしな先生は何を言ってるの?」


「っ」


 すべての配慮が欠けた指摘に、クリティスはしかめっ面を浮かべている。

 具体的にどこがおかしいのか、俺としては教えてほしいぐらいだ。あるいは第六感でも働いたのか。


 無邪気なリナに妙な感心を覚えて、あのな、と一言挟む。


「これからイダメアの治療に使えそうな薬草を採りに行く、って話をしてたんだよ。でも移動まで時間かかるし、暗くなってからじゃ面倒だろ?」


「だから騎動殻を使いたいって? ――うん、いいよ! 一緒にいこ!」


「はあ!?」


 もう少し深く考えろと言いたい。

 しかし心の声を無視して、リナは早く行こうとせがんできた。クリティスの方については言わずもがな、既に同意を示している。


 もしや彼の本懐を知らないのか――不安に駆られて、リナに掴まれた手を振りほどく。


「――大丈夫だよ、お兄さん」


「な、なに?」


「あの先生については聞いてる。うちの方でもね、作業用の騎動殻がいくつか盗まれててさ。先生が犯人らしいし、ここで本性をさらけ出してもらおうよ!」


「だ、だったら同行するのは止めろ! 危ないだろ?」


「でも向こうは良い感じに油断してくれるんじゃない? それに危なくなったら、お兄さんが守ってくれるでしょ?」


「……それは卑怯な言い方だ」


 しかしリナは余裕を崩さない。俺が絶対に断らないと、たかを括っているようだ。

 ――なら仕方ない、やってやろう。ここ数年、戦闘そのものについては自信を持てている。王国で何度も経験させてもらったお陰だ。


 あそこは嫌な国だったが、唯一その点は感謝しなければなるまい。


「ほらお兄さん、急ごうよ! せっかく新型機で来たんだし、早く乗って乗って!」


「……守るつもりではあるけど、少しぐらいは警戒心もってくれよ?」


「分かってるよー」


「――」


 とてもじゃないが、真面目に聞いているとは思えなかった。


 一方で止めるだけの文句も思い浮かばず、誘導されるままに外へと向かう。施設の入り口からは、集まっている大勢の観衆が見えていた。


 黄昏色に染まる、右の一本角が特徴的な赤い騎動殻。

 ふとクリティスを一瞥すれば、彼はこれまでと同じ仮面のままだった。

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