第23話 彼女の焼きもち
ニュンフ族の少女達を回収して、俺やイダメアが向かったのは帝都にある魔術の研究所。
そこでは亜人族の特性についても研究が行われているとか。……聞いた途端、人体実験を連想してしまったのは内緒である。
「帝国の料理はお口に合いましたか?」
「ん、美味しかった」
研究所の廊下を歩く俺達は、運び込まれたニュンフ族を忘れているぐらい、弛緩しきった空気の中にいた。
もちろん、本当に彼女達のことを忘れたわけではない。ただ、自分達の空腹だって無視できる事柄ではなかった。
なにせ、今はもう黄昏時。昼飯抜きで行動するには、さすがに限界だった。
「色々な料理があるんだな。思わず目移りしちゃったよ」
「帝国の領地で採れた食材が、すべて流れ込んできますからね。まあお陰で、帝国伝統の料理がなかなか食べれなくなっていたりもするんですが……」
「利点ばかりじゃない、か」
「ですね。……様々な文化を受け入れるのは良いことですが、伝統との境界線を維持するのは難しいものです。人々の興味は、新しいものに惹かれがちですから」
「そんなもんか……」
首を縦に振るイダメアを見て、森の中で聞かされた真実を意識する。
人との関係を極力断ち、自己の存在が日頃から脅かされている少女。
同情というか――自分に出来ることがあるんじゃないか、と様々な考えが去来する。イダメアには人並みに生きて欲しいし、笑顔だって見てみたい。
でも世話を焼くのも勇気がいる。ただでさえ意識している女性なんだ。嫌われたらどうしよう――なんて臆病な意見が、頭の中を占めていた。
「ミコトさん?」
「……」
「ミコトさんっ!」
「う、うん?」
どうもイダメアに呼ばれていたらしい。眉尻を下げている二つの目が、じっとこちらを見上げていた。
「どうかなさいましたか? 考え事をしていたようですが……」
「ああ、だ、大丈夫だよ。そんな大したことじゃないし」
「本当ですか?」
「――」
心苦しそうにしている青い瞳が、後ろめたさを感じさせる。
でもこればかりは、打ち明けることが出来ない。相手がアントニウスや、リナだったら一考の余地はあったのだが。
「じ、自分で解決できることだからさ。……どうしても駄目だったら相談するかもしれないから、そん時はよろしくな?」
「……了解です。確かに女性の私では、限界があるでしょうしね」
「そ、そうだな」
性別というか個人が問題なんだけど、まあバレていなけりゃどちらでもいい。
俺は気分の切り替えて、正面の光景に集中する。
食事が終わり次第、アントニウスからある研究室に来るよう指示を受けていた。超一自我を専門に研究している人がいるらしく、奥さんが亡くなる前から交流があったらしい。
周囲の作りは、地球と似たコンクリートだった。イダメア曰くかなり最近の建物だとか。そのため空き部屋が目立っているものの、利用者自体は決まっているらしい。
「……」
その所為で、と言っていいのかどうか。人とすれ違うことは殆どなかった。
思えば食堂を利用した時もそうで、料理人が若干嫌そうな顔をしたのが記憶に残っている。……まあこれだけ時間がズレていれば、少しは拒否したりするもんだろう。
帝国人の人間らしい面が見れて良かった。あとごめんなさい。
目的の研究室までは、まだ少し距離がある。
ふと隣を見てみると、イダメアの頬にうっすらと赤みが差していた。……反射的に見惚れてしまう愛らしさで、他に人がいないことを土下座してでも感謝したいレベルである。
「そ、そう言えばミコトさん! 図書室で調べていたことなんですけど!?」
「お、おう?」
一周回って混乱気味の金髪美少女。頬の赤みも拡散させて、見ていて可愛い――もといかわいそうになってくる。
「私達が出会った竜王と思わしき存在は、どうも違っていたようなんです! 本物の竜王は更に巨大らしく、あそこにいたのは分身とも思わしき精霊で……」
「ああ、うん」
「……もしかしてご存知でした?」
少しばかりショックを受けているらしい彼女を気遣わず、俺はそのまま頷いてしまった。ヘカテから聞いた、と追い打ちになりかねない言葉も添えて。
「わ、悪いな。せっかく調べてくれたのに……」
「み、ミコトさんが謝ることではありません。――しかし、どうしてヘカテさんはあの場で言ってくれなかったんでしょう? 竜の精霊と話をしようともしませんでしたし」
「つまんないから、だってさ。昔からそうなんだよ。人間に対して、高みの見物を決め込んでるっていう感じでさ」
「お嫌いなんですか? ヘカテさんのこと」
「……嫌いって言ったら後が怖いんで言わないけど、好きってわけじゃないかな。あいつ扱いが難しいんだよ。神殿でも口にしてたが、飽きっぽい性格でさ」
過去の苦難を思い出して、深く深く溜め息を零す。
当人が抗議に出てくるのではと周囲を見てみるが、出現はもちろん声だって聞こえない。……やっぱり、こっちが困っているのを見て楽しんでるんだろう。悪女め。
しかし当然ながら、恩義の方が大きいのは事実だ。
「……あの、ミコトさんは精霊にお詳しいんですか?」
「いんやまったく。魔術としての使い方以外、全然知らん」
「――でしたら、私が教えて差し上げましょうか? ヘカテさんはその様子だと、教えてくれなさそうですし?」
「い、いいのか? どうせだったら遺跡の話とかしたいんじゃ……俺、そっちにも興味はあるぞ」
「でしたら両方教えて差し上げます。――ええ、ヘカテさんでは無理そうな分野を」
『あれ? 私邪魔?』
うるさい引っ込んでろ。
何よー! と脳内に返事がやってくるが、これも無視。冷静になったら後悔しそうでも、とにかく今は構っている暇がない。
「では今夜にでも、参考資料をいくつかお持ちしますね。あ、ミコトさんは今日、どちらに宿泊するおつもりですか?」
「あー、良ければこれまで通り? あの屋敷でお願いしたいんだが……」
「かしこまりました。父にも伝えておきますね」
一通り答えて、イダメアは鼻歌を歌いながら先へ先へ。いつもなら一緒に歩いてくれるのに、今回ばかりは違っていた。
俺は何も言わず見つめ続け、ヘカテは感嘆の声を漏らしている。
『いやはや、恋する乙女は攻めてくるわねえ。焼きもちかしら?』
「可愛いなあ……」
『そうねえ、男冥利につきるわよねえ。アンタもきちんと、彼女の気持ちには答えてあげなさいよ? 駄目な時は駄目で、ケジメはつけるように』
「想像したくないんだが……」
『さすがヘタレねえ』
相棒に貶されつつ、俺は早足でイダメアの横に並ぶ。
目的の部屋もいい加減見えてきた。二人きりの時間に水を差されるようで嬉しくはないが、目の前にある危機を無視するわけにもいかない。
何より、彼女に関係することでもある。超一自我について、専門家の意見を聞くのは明らかにプラス要素だ。
「イダメアです。クレビオ先生、いらっしゃいますか?」
『ああ、アントニウスの娘だね。どうぞ』
失礼します、と一言添えてイダメアが中に入っていく。俺も彼女と同じように、最低限の礼儀を告げて室内へ。
中には薬品の匂いと、実験用の機材と思わしき物が配置されていた。
中央には白いベッドがあって、一人の少女が眠っている。――人形のように美しい容貌は、ニュンフ族に共通する特徴だ。
「初めまして。僕はクレビオ、超一自我の研究を行っている。……えっと、イダメア君の後ろにいるのは――」
「ミコトさんです。王国で魔獣殺しとして有名な」
「ああ、君が! お会いできて光栄だよ。今度、魔獣についての話を聞かせてくれ! そっちの研究も行ってるんだ!」
「は、はあ……」
眼鏡をかけた男性医師は、白くて細い手を差し出してくる。女と勘違いしそうなぐらい華奢な指で、アントニウスの友人とは到底思えなかった。
彼は俺の手を両手で握ると、興奮をアピールして激しく上下に振り続ける。
「――さて、さっそく本題に入ろうか。今回ニュンフ族の少女達に起こった異変なんだけど――?」
はっきりした口調で語るクレビオだったが、その注意が余所に向かう。
イダメアだった。俺の隣に立っている彼女は、口を噤んだまま動かない。姿勢も俯き気味で、何かを必死に耐えていると知らせてくれる。
「っ――すみません」
「お、おい!?」
彼女はその場でくず折れる。
表情の切り替わったクレビオだけが、事態を冷静に把握していた。
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