第16話 白き竜 Ⅰ

『じゃ、私は寝てるから。明日になるまで絶対起こさないように』


「……見殺しは勘弁してくれよ?」


『はあ? どうしてよ?』


「えっ」


 冗談じゃ済まされない返事を残しながら、ヘカテはゆっくりと姿を消した。


 イダメアはその様子を唖然としながら眺めている。……そういえば逃亡中、彼女に見せたことは一度も無かった。いつ襲われるか分からないため、常時憑依状態にさせていたし。


「……とまあ、今のが俺の精霊だ。仲好くしてやってくれ」


「こちらの方こそ、よろしくお願いします。――しかし不思議な存在ですね。三つの姿を持っている……んでしたっけ?」


「ああ。それぞれ担当する能力が決まってる。基本、必要に応じてヘカテが変身する感じかな」


「変身。ですか。こう言っては何ですが、魔獣のようですね……」


「かもなあ」


 実際、王国では精霊と魔獣に何かしらの繋がりがあると目されている。故に、精霊使いは使用者が少ない。俺のような例外しか、王国は使用を認めていなかった。


 ……推測の話ではあるが。あのまま残っていたら、俺は国内の魔獣が少なくなった頃に殺されていただろう。


 イダメアとの出会いに、つくづく運命めいた要素を感じる。……彼女がいなければ、逃げ出す勇気は湧いてこなかった。

 救いの女神という表現は、自分にとって大袈裟じゃない。


「――さ、さて、早く調べよう」


「? はい」


 内心の好意を隠しながら、広間の最奥へと歩いていく。

 俺達の正面には、開かずの間と称すべき扉があるだけ。


 ……順当に考えれば、竜王に関する部屋があるのだろう。本人が通れる規模ではない以上、重要な魔導具でも安置されているんだろうか?


「ふむ……」


 触って叩いて、蹴ってみる。

 予想通り変化はない。強いて上げるなら、俺の手足に当然の反動が帰ってきたことぐらい。とても虚しくなってくる。


「――扉に刻まれてる模様、竜王を示してるのか?」


 無数の頭を持つ、どちらかというと蛇に近い生き物。


 分厚そうな岩戸の一面に、そんな模様が刻まれている。縁の部分には人々の姿。中央に向かって手を伸ばしている様は、彼らの守護神に対する信仰を示していた。


「恐らく。なので以前、帝国が保管している竜燐を掲げてみたりもしたんですけど……」


「成果はなし、と。……他に何か、試してないことは?」


「思いつく限りのことはすべて試しました。――もちろん、エルアーク王国に関わっている方法は試してませんけど」


「じゃあ精霊術でも叩き込んでみるか。サモン――」


 その瞬間。

 重く閉ざされていた扉が、軋みを上げながら動き始めた。


「……お約束って言っちゃあその通りだけど、実際に起こると緊張するな」


「で、ですね」


 一歩後ろに下がって、俺達は奥の景色が顔を覗かせるのを待つ。


 ……しばらく経ってから現われたのは、階段だった。地下に下りるための階段。当然ながら人間が通ることを前提とした作りである。


 ゴールは見えない。ずっと奥まで続いているものの、途中から完全な暗闇となっている。照明が無いからだ。


「……何か、明かりになる物ってないか? 魔導具とかでもいいんだけど」


「でしたら――」


 イダメアはポケットから、小さい謎の板を取りだした。

 マナ・プレートだろう。彼女はそれを握ったまま、目を閉じて意識を集中させる。


「お、光り始めた」


「少しの間ですが、これで代用できる筈です。急ぎましょう」


「了解」


 外のドワーフに知らせることも忘れ、俺達は駆け足で未知の領域へと踏み込んでいく。


 暗闇で見えなくなっていた場所までは直ぐだった。といっても出口の方は未だに見えず、ペースを緩めず降りていく。


「……なんか、殺風景だな」


 左右には何の意匠も凝らされていない。真っ平らな壁が続くだけで、ここが神殿かどうかも忘れそうになる。


 加えて空気は重くなる一方。奥から冷たい空気が流れてくることもあり、本能的な恐怖感が煽られる。

 本当に、禁断の領域へ踏み込んでしまったのではないかと――


「ミコトさん、光です」


「お」


 緩やかなカーブを抜けた先。天然の光ではなさそうだが、マナ・プレートに負けじと放たれている光がある。


 イダメアはプレートをポケットに戻し、息を弾ませて降りていった。


「……でも、まともな光景が待ってる気はしないな」


 まあ遺跡なので、当然のことかもしれないけど。


 イダメアはとっくに照明のあった部屋へと入っている。が、直ぐに立ち止まってそのまま。歓喜に震えるわけでも、恐怖で逃げ出すわけでもない。


 一体何があったのか――期待と不安でゴチャゴチャになりながら、俺はイダメアを静止させている正体と対面した。


「――大物だな、こりゃ」


「竜王……」


 眠ってはいるものの、特徴は例の模様と一致する。

 身体から伸びた七つの首。鱗の色は、外で拾った物と同じく白だ。……可愛らしいことに、いびきのオマケつきである。


「……」


 去るべきか立ち止まるべきか。見たところ熟睡しているし、大人しく帰るのが正しい判断に思えるが――


『……む?』


 無数にある首の一つが、突然目を開く。


 ソレは俺達を捉えると、しばらく瞬きを繰り返していた。まるで、人の来訪が非現実的な出来事だと言わんばかりに。


 幸いにして拒絶するような意思は感じなかった。――人語らしき言葉を口にしたのもあり、俺とイダメアは彼の反応を待ち続ける。


『――ふむ、我が眠りについてから五百年か。こうも早く人の子がやってくるとは……王国と帝国の停戦はどのように成立した?』


「は?」


「……私たち帝国は、今も王国と争っていますが?」


『な、何?』


 嘘偽りのない真実へ、竜王はらしくなく困惑している。


『ではどうやって封印を解除した? アレは精霊使いが来なければ――』


「私の隣にいる少年は精霊使いです。つい先日、帝国に亡命してきた方で」


『なるほど、これまでとは違った出来事が起こっているわけか。……しかし珍しいものよ。我が知っている王国民は、すっかり洗脳された者達だったのだがなあ』


 カカ、と竜王は枯れた声で笑っている。

 もちろん七つすべて。見事な連携ぶりで、音が何倍にも大きくなっている感覚さえある。


『さて人の子よ、何故この部屋を訪れた? 単なる好奇心か?』


「は、はい。地上で遺跡の調査を行っていまして……」


『ほほう、我らに興味があるということだな? これは良い。ジジイに出来るのは、過去を今生きる者達に語ることのみよ。――まあ、あまり覚えていないのだが』


 威厳のある、しかし親しみが持てそうな口調で竜王は語った。


 事実を聞いてショックを受けたのは、当然ながらイダメアである。怜悧な面持ちを、理不尽な現実によって歪めていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る