第8話 魔術学園 Ⅲ
「ミコト君も、あの男には注意してくれ。君や娘を連れ戻そうと働きかけるかもしれん」
「……俺が彼とグルだったりしたら、手遅れじゃないですか?」
「――っ、ははっ! 君はなかなか、面白い冗談を言うな!」
よっぽど壺に入ったのか、アントニウスは腹を抱えて笑っていた。
こっちとしてはごく自然な、帝国側が考えて当たり前のことを言ったつもりだけど――お人好しというのは、彼にも当てはまるらしい。
一通り笑ってから、アントニウスは優しい視線のまま尋ねてきた。
「ミコト君は、我々を裏切るつもりなのかね?」
「い、いえ別に、そんなことは……」
「だったら疑いをかける必要はあるまいよ。そもそも、君は私の娘を救ってくれた。これだけで信じる理由にはなるだろう?」
「で、でも、俺は赤の他人ですよ? もともと王国にいたわけですし――」
「だから信用してはならないと? ……ミコト君、帝国人にその言い訳は通用せんぞ」
「……」
「私達は、私達が君に酬いたいから手を取り合うのだ。その意志を尊重すると決めたから手を取り合うのだ。昔の環境など関係ないさ」
「……危なっかしい人達ですね」
「まったくだ。……ああ、もし君が敵対を選ぶのなら、私達も全力で相手をしよう。認め合った好敵手としてね」
「え、遠慮します」
偏見もなく受け入れてくれる人達を裏切るなど、そんな根性は持っていないし。
でも本当に危なっかしい。それは国の強さ、長所でもあるのだろうが……下手な常識を持っている分、彼らの考えは異質に映る。
アントニウスだって似たような気持ちは持ってるだろう。だからさっき、迷いを口にした。
「……帝国人にとって、敵対とは一つの遊戯だ。倒すに足りる人間でなければ、彼らは相手をしようとしない。裏でコソコソするような真似も、好みでないのだ」
「クリティスさんをそういう存在だって、認めさせるにはどうすれば?」
「物的証拠を出せば一撃であろうな。政府の方からも、正式に抹殺命令が下される。数日を待たずして、奴は死ぬことになる」
「問題はどう煽って、どう誘発させるか、ということですか……」
なけなしの情報を絞って考えてみるが、いい案は当然浮かばない。アントニウスたち大人が苦戦しているんだし、子供の俺に何もできないのは当たり前だけど。
「まあクリティスについては、我々に任せてくれ。君は魔獣の方に専念してほしい。――ああ、それともう一つ頼みごとがある。これは個人的な希望なのだが……」
「はい?」
「娘の婚約者になってくれんか?」
「――」
頭が真っ白になる、とはこのことか。
あるいはハンマーで殴られたような衝撃。アントニウスが真顔で見つめている分、余計にたちが悪い。
「り、理由を聞いてもいいですか?」
「うむ、これも帝国の、貴族の文化なのだが……若い娘はな、二十になるまでに結婚するのが良いとされている。貴族たるもの、帝国人の模範でなければならない、としてな」
「な、なるほど。……でも彼女、相手いないんですか? 凄い美人さんですし、これまで恋人の一人ぐらいは……」
「それがまったくでなあ。何度か言い寄られたことはあるらしいのだが……すべて断っている。縁談も来てはいるのだが――」
「そっちも断っていると?」
「いや、言い出せんのだ。……何せ私は、妻と自由恋愛の末に結婚してね。娘にも出来れば、と思っている」
「? だったら――」
婚約者になって欲しいなんて、急な話は矛盾している。
しかしアントニウスは表情を変えなかった。逆に口端を釣り上げて、自身の中にある確信を切り出そうとしている。
「間違いなく娘は君に好感を持っている。私が言うんだから確実だ!」
「そ、そんな無茶苦茶な……」
「根拠ならあるぞ? イダメアの奴は、君が眠っている間ほとんど部屋を離れなかった。夜も寝ずの番でなー。あれは完全に昼夜逆転しているぞ」
「ええ……」
凄く申し訳ない。これじゃあ婚約の話、断れないじゃないか。
でもだから、彼女は竜車の中で大あくびをかましていたんだろう。慌てて隠そうとしたのも、こちらに後ろめたさを感じさせないために違いない。
いやはや、可愛いらしいもんだ。
「もちろんミコト君が嫌だと言うのなら、私も無理強いはしない。きちんと順序を踏みたいのであれば、それも尊重しよう。……ただ後者の場合、少なくとも形だけで――」
「こ、校長っ!」
噂をすれば何とやら。鞘に収まった長剣を持って、イダメアが戻ってきていた。
話の内容もバッチリ聞こえていたらしく、驚きと羞恥心が混ざった複雑な表情をしている。
「か、彼に一体何を頼んでいるのですか!? 何を話しているのですか!? 私が勝手にやったことなのですから、彼の罪悪感を刺激するような真似は控えてくださいっ!」
「美談ではないかー。命を助けてくれた吾人に尽くす少女……典型的だが、故に物語りとして需要がありそうだぞ?」
「あ・り・ま・せんっ! ……み、ミコトさんも、今の話は忘れてください! この馬鹿な父親が勝手に言ったことですから!」
「い、いや、でもその――」
「返事はハイだけですっ!」
「は、はい!」
これまでからは想像できない慌てっぷりで、イダメアは男達の鎮圧に成功した。
彼女は呼吸を乱しながら、持ってきた剣を机の上に置く。もとい、放り投げる。アントニウスに対する非難の意味も込めているんだろう。
しかし、彼にはまったく通用していない。娘が余計に可愛く見えるようで、ニヤケ顔を崩そうとしなかった。
「返事はいつでも構わんからな、ミコト君」
「は、はい」
「……娘の言いつけを守る必要はないぞ?」
「あ、はい」
仕方ない。普通に返事をすれば使う言葉だし。
アントニウスは壁にかかっている時計を一瞥すると、少し急いで腰を上げた。座っていた段階でも分かる体格の良さが、ここで全貌を露わにする。
身長は二メートルを超えているぐらい。平均的な身長の俺からすれば、巨人を見上げている感覚しかなかった。
「この剣、君にやろう。帝国でも二つとない神器だ」
「じ、神器?」
「数年前に遺跡で発掘された、古代文明の遺産でな。魔導具の一種なのだが――すまん、ここから先はイダメアに聞いてくれ。あと工房の見学許可も取っておくのでな、学校見物が終わり次第、向かうといい」
「え、あの――」
返答する暇もなく、アントニウスは校長室を後にした。
……残された俺達の間には、どこか気まずい空気が広がっている。これだけの美少女と婚約なんて、夢物語に期待しているのもあるんだろう。
顔に熱があるのを感じながら、俺は自分から話を切り出した。
「えっと、この後はどうするんだ? 工房がどうとかって言ってたけど……」
「魔術工房のことですね。興味があるのでしたら、向かってみては如何でしょうか? この機会を逃したら、いつ許可が出るか分かりませんし」
「……分かった、じゃあ言ってみよう。この、神器だっけ? それにも関係のある場所なんだろ?」
「ええ。といっても、作られているのは模造品に近いのですが」
「ふうん……」
方針が決まったところで、イダメアは校長室の扉を開ける。自分から先に出ようとはせず、こちらを待っているのは明らかだった。
好意へ素直に甘えて――俺は、何とも言い難い廊下へと戻ってくる。
「……」
それにしてもアントニウスの妻、イダメアの母とはどういう人物なんだろう? 娘と同様に美しい女性なのは分かるが、肖像画では性格は読みとれない。
まあ近いうちに会うことは出来るだろう。楽しみはその時まで取っておくか。
「ではミコトさん、こちらに」
「おう」
案内のため先頭に立った直後、絵の中にいる母を一瞥するイダメア。
優しく微笑んでいるのが、何だか印象的だった。
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