第5話 彼女の隙 

「うお……」


 屋敷の外に出て、まず見せつけられたのは町の規模。


 朱色で染められた屋根が視界いっぱいに広がっている。建物自体が溢れんばかりに詰め込まれているのもあり、一枚の巨大な板に見えてくるほどだ。


「ここが帝都です。住人が増えすぎて窮屈ではありますが、いい町ですよ。貴族が住んでいる場所の付近は、きちんとスペースが確保されていますし」


「……」


 確かに、都市の大半を占める住宅街と比べれば、お隣さんとはある程度の距離があった。


 上京したばかりな田舎者の気分を味わいつつ、俺は正面で待っている馬車へ近付いて――いや、馬車じゃない。見た目は同じなのだが、牽引役の生き物が違う。


 トカゲだった。二本足で立つ、人型に近いトカゲ。恐竜とでも言った方が適切かもしれない。


「……なんだ? この生き物」


「ナーガ、あるいは竜人と呼ばれる亜人族です。見た目はなかなかに凶悪ですが、温厚な性格ですし安心して下さい」


「――」


 彼女の説明通り、並んだ二頭のナーガはこちらに礼をしてくる。俺も慌てて会釈した。

 一方でイダメアは、彼らが引く馬車の扉を開けている。


「ではミコトさん、こちらに。帝都や魔術学校については、移動しながらお話いたしますので」


「了解」


 二頭のナーガに見送られながら、俺は馬車ならぬ竜車へと乗り込んだ。


 イダメアは後から乗り込むと、魔術学園まで、と一言。応じるように聞こえた短い咆哮は、間違いなくナーガのものだろう。


 竜車は静かに、ゆっくりと速度を上げていった。


「――」


 俺は魔術学園とやらのことも忘れて、窓の外を覗き込む。


 貴族の住宅地は丘の上にでもあるんだろう。町の様子を観察するには十分で、目を凝らせば人々の動きも見ることが出来た。


 ……なんだか、無性に感動する。王国での日常が軟禁状態だったのもあるんだろう。解放的に動いている人間を見るだけで、涙が零れてしまいそうだ。


 まあ女性の前で泣くなんて、なけなしのプライドが許さないんだけど。


「――ま、魔術学園の前に、帝国について質問してもいいか?」


「もちろんです。なんでもお答えしますよ? 帝国の歴史、帝国人の気質、王国との関係まで、私の知っている範囲で」


「……」


 そう言われると、今出された内容から聞き返したくなる。


 方針が崩れてる――なんてツッコミは、やはりご法度だろう。矛盾していようと、彼女の親切心から出た台詞なのは間違いないんだから。


「――っと、その前に一つ、見せるものがありました」


「?」


「これを。帝国政府から、貴方の衣食住、身の安全や自由を保障擦る旨を記した書類です。……心配は無用かと思いますが、万が一の際にはこれを提示して下さい」


 彼女が手渡してきたのは数枚の紙だった。いずれも文字がぎっしり羅列しており、一番下にはサインが記されている。話の流れからすると、帝国議会のものだろう。


 といっても、渡されるに当たって重大な問題が一つ。



「……ミコトさん、帝国の言葉は読めますか?」


「いんや」


 誤魔化すまでもなく、首を横に振った。


 普通の会話ならまだしも、俺はこの世界で使用されている文字をまったく読めない。王国でだってそうだった。


「ふむ、生活する上では不便ですね……良ければ私が教授いたしましょうか? これでも学者ですので、人に教えるのは得意です」


「学者? イダメアって、学生じゃないのか?」


「ばい。といっても、そこまで優秀な学者ではありません。配属されている部署も、人手不足で私を雇ったようなものですし」


「仕事の内容は?」


「遺跡の調査ですね。帝国や王国が栄える前、存在していた古代文明の調査を行っています。――興味があるのでしたら、父と話した後にでもご案内しましょうか?」


「そうだな……まあ、少し興味はある」


「ではお任せください。……ふふ、この前もですね、面白い発見があったんですよ。七代目の皇帝が発行したと思われる、魔術学園に関する書物が! これで帝国中期の歴史が更に解明されることでしょう。この他にもですね――」


 俺のことは置いてけぼりで、イダメアは自分だけの世界へと入っていく。


 聞こえるのは訳の分からない用語ばかりだ。かといって質問するような空気でもなく、彼女の一人語りが延々と続いていく。


 ……他人との接触を好んでいない節がある子だが、実際にはそうでもないらしい。むしろ正反対じゃないか?


「――やはりですね、私は初代皇帝の調査を先に進めるべきだと思うんです。王国の邪魔が入りますから、政府の方も許可を出しにくいのは分かりますが……」


「じゃ、邪魔? あの王国が?」


 珍しく俺でも分かりそうな話題だったので、ついつい飛びついてしまった。

 生徒から質問が出て嬉しいそうで、教師イダメアは更に喜々として話していく。


「そうなんです。……ひどいんですよ、あの連中は! 貴重な遺産を次々に破壊しているんです! ……古代文明の調査では魔術的な収穫も多いですから、それが理由かと考えられますが」


「止めてもらうわけにはいかないのか?」


「もちろん――とまあ、私が言うのも変な話ですけどね。しかし帝国は王国と同じで、魔術師を主な戦力として扱っています。他の理由を考える方が難しいでしょう」


「だったら別に、壊す必要はないんじゃないか? 王国も王国で調べた方が……」


「それを出来ない理由があるんです。――ミコトさんはご存じないと思われますが、エルアーク王国は宗教国家でもありまして。遺跡で発見される古い魔術は神の権利を犯しているとして、一切の調査を認めていないんです」


「はー、なるほど」


 改めて怒りを感じているのか、イダメアは鼻息を荒くして腕を組む。……豊かに成長した胸が押し上げられて、こっちとしては目の毒だった。


 注意を逸らすため外に視線を向ければ、人々の賑わいが直ぐそこにある。


 誰もが笑顔で、生き生きとしていた。人間が抱えている暗い部分なんて微塵もなし。見窄らしい格好の帝国人でも、今この瞬間を楽しそうに過ごしている。


「……この国の人達は、どういう人達なんだ?」


「前向きで大胆、かつ傲慢な方が多いですね。帝国人の気質、とでも申しましょうか。一人一人が、人間そのものを極めようと生きているのです」


「内乱とか、大変じゃないのか?」


「そうでもありませんよ? 大抵は代表者同士、一対一の決闘でケリをつけますから。……社会的地位が低い奴隷の場合は、殺しになる場合もありますけど」


「……」


 酷使されている人々を示唆する単語に、自然と言葉を失った。

 そんな俺の葛藤を余所に、景色はまた少し変化していく。大きな門を潜り、傾斜を上り始めたのだ。


「ここが魔術学校か? イダメ――」


「くぁ……」


 彼女は大きな欠伸をしていた。


 真面目そうな少女の見せた隙に、俺は何の反応も出来ない。そりゃあ生き物としてごく自然な動きなんだけど、イメージになかったというか。


 俺の視線に気付いた彼女は、仰天の二文字が相応しいぐらいに目を丸くしている。


「な、ななな、何でもありませんっ。眠気に襲われたなど、断じてありませんのでっ!」


「いやでも、欠伸……」


「してません!」


 なかなか厳しい証言だった。


 イダメアは耳まで真っ赤になりながら、わざとらしく外の様子を確認する。一応、先ほどの質問は聞こえていたらしい。


 それでも切り替えは早かった。咳払いを一つした後、これまで通りの鉄面皮に戻っている。


「と、到着ですね。――校長室までは、その、少々距離がありますので。注意して下さい」


「……えっと、偉い人なんだよな?」


「それなりに。まあ本人はただのオッサンです、ご心配なく」


 イダメアは最後に溜め息をして、竜車の外へ下りる。

 俺は彼女に続いて、土の感触を踏み締めるのだった。

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