第3話 救いの手 Ⅱ
あと少しで反逆者を殺せた彼らは、突然の変化に立ち止まっていた。どうも俺が仲間を呼んだと勘違いしているらしい。
否定しようと首を動かしてみるが、彼らは誰一人こちらを見ていなかった。
「っ、く……」
懸命に肘をつき、残された力を総動員して立ち上がる。
同時に聞こえたのは木々がへし折れる音。敵が面白いぐらいに怯えている声も聞こえていた。恐らく、割り込んできた謎の存在が姿を現したんだろう。
『問おう』
「――やっぱりか」
俺を含め、集まった者たちを見下ろす女の顔。
だがやつは人間などではなかった、確かに美しい女性の顔をしているが、それ以外は一つも人間らしい部分がない。
胴体は獅子で、背中には鳥の翼が生えていた。
「ま、魔獣だと……!?」
さっきまで威勢の良かったアニュトスは、完全に混乱している。
人間と獅子と鳥。三つの生き物を混ぜた化物は、冷徹な眼差しのままこういった。
『朝は四本、昼は二本、夜は三本の足を持つ生き物。これは何だ?』
「……」
誰ひとり答えない。俺を殴っていた男も、その部下達も互いに顔を見合わせている。
魔獣は頬まで裂けるような笑顔を浮かべ、おぞましくも笑い出した。
『無知なる者と断定する。汝らに死を』
「っ――獣が! ふざけるなっ! おいお前達! 今すぐこいつを――」
命令のため、魔獣から視線を逸らしたその一瞬。
弱い犬は、その身体を爪で引き裂かれていた。
「あ? ああ、ぎゃあああぁぁぁあああ!!」
「た、隊長!」
健気な一人の部下が、彼を救おうと怪物に火の魔術を叩き込む。
しかし結果には結び付かなかった。毛の一本を燃やすこともなく、その場で四散してしまったのだ。
魔獣の眼光が彼を睨む。
「あ、あ……」
伸びてくる、爪。
「うわあああぁぁぁあああ!」
逃げようとした彼の背中は、一瞬で鮮血に染められた。
あとの展開は見応えのあるものではない。恐怖が伝播した彼らは悲鳴を上げ、一目散に逃げていく。アニュトスへ横目を向けることだってしない。
「おい、待て! 待ってくれ……!」
助けを求める声も、空しいだけだ。
あえて反応する者がいるとすれば、殺意を持っている側だろうし。
『堕落者よ、もう一度問う。朝に――』
「し、知るかっ! そ、それよりも早く、もう一つの男を殺せ! そうすれば王国から褒美が出るぞ! 獣の分際で私に手を上げたこと、許し――」
戯言はそこまで。
生々しい水音と一緒に、男の半分が消えてしまった。
残ったのは下半身と、喰い損ねた腕の一部ぐらい。命を繋ぎ止めている脳も心臓も、今まさに魔獣が咀嚼している。
「――」
今度は俺の番。
血の口紅を塗った女は、これまでと同じように問いかけた。
『朝は四本足、昼は二本足、夜は三本足。この生き物は何か?』
「……はっ」
俺は笑うしかない。
だってこんなの、ボーナス問題じゃないか。
「答えは人間だ。朝は赤ん坊で四つん這い、昼は成長して二本の足で、夜は歳をとって杖をついて歩く」
『――』
魔獣――スフィンクスとでも呼ぶべき獣は、正解も外れも告げない。
ただ、
『アアァァアア!』
森全体を震わせる勢いで絶叫する。
途端、彼女から光が溢れ始めた。暗闇に馴れた目には眩し過ぎて、俺は思わず目蓋を降ろす。
光が強くなるのに応じて叫びは弱くなっていった。特定の条件を満たしたため、魔獣の存在が消滅しようとしているのだ。
「……ふう」
暗闇が戻ってきたところで、俺はようやく目を開ける。
追手の気配は完全に途絶えていた。記憶が正しければ数十名が来ていた筈だが、スフィンクスの出現で全員が逃げたらしい。……下手に抵抗するよりは、ずっと賢い判断だろう。
俺は改めて、土の上に寝転がる。
「どうすっかね、これから……」
「――私達のところに来るのはどうですか? 歓迎しますよ?」
「は?」
新しい気配は複数で、追手が来たのとは逆の方向からだった。
倒れた俺を覗き込んでくるのは、提案をしたと思われるイダメアの姿。
「――」
相変わらずの、美しさに息を飲む。
腰まで伸びた長い金髪と、空を連想させる蒼い瞳。整い過ぎた美貌は人形のようでもあった。やや無表情なのもあって、余計にそう感じられる。
どちらにせよ、絶世の美少女と言っても構わないぐらい。
「……」
何もかも忘れて、俺は彼女に魅入っていた。持ち出された提案もすっかり頭の外。彼女を見ながら死ねるなら本望だと、呼吸も忘れて見つめ続ける。
「だ、大丈夫ですか?」
「へ? ――あ、ああ、大丈夫だ。まだ生きてるよ」
「なら良かったです。……しかし、また怪我が増えていますね。このまま私達の国――セプテム帝国の帝都で、治療を行っても構いませんか?」
「……頼む」
「はい」
イダメアは快諾したあと、近くにいる仲間と思わしき人物に声をかける。動かない俺を担がせるためだろう。
「では、これから帝都までご案内します。道中荒い道ですので、舌を噛まないよう注意してください」
「りょーかい」
……とは答えたものの、尽きかけた体力では意識できることでもなく。
俺はあっさりと、夢の世界に旅立った。
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