相沢美姫のメール

誰に宛てればいいのかわからなかったので、とりあえずここに書くことにしました。

巷では私が異物混入の犯人とされているようですが、違います。私じゃありません。それをお伝えするためにこれを書いているんです。

 私は、ある会社で派遣社員として働いていました。

性格は暗く、容姿も並で。特別成績が良いわけでもない私は、昔からいつも一人でした。友達もおらず、頼れるのは親戚だけ。そんな私にも春が来ました。

恋人ができたんです。

 昨年の春。叔母の勧めで結婚相談所に行き、井上さんと言う方に出会いました。彼は私の性格を「静かで落ち着いていて、僕は好きだよ」と言ってくれました。

今思えば、あれは嫌味だったのかもしれません。

 私たちは連絡先を交換し、プライベートで付き会うようになりました。映画に行って、食事をして。定番のデートコースでしたが、私は幸せでした。浮かれていたと言ってもいいかもしれません。

 そんなある日、彼は私にお金を貸すように頼んできました。

最初は五万でしたが、それから十万、二十万と上がっていき、最高額は八百万円を貸すように頼まれました。

その当時、私はおかしいとは微塵も思いませんでした。逆にお金を貸してあげなければ捨てられてしまう。このチャンスを逃したら、私は一生一人だ。そう思ってしまったんです。

 そうして段々と、用事があるからと会えなくなり、携帯も繋がらなくなり、気が付いたら彼のための借金しか残っていませんでした。

ようやくそこで、結婚詐欺にあっていたことに気付いたんです。

 借金は親戚に頭を下げて回り、手の付けられるうちに返しました。

会社のお金は手を付けなかったんですけど、社内で私のうわさが広がり、居心地が悪くなったので辞めてしまいました。

責任を感じた叔母は、養生するようにと自分の持つアパートの一室に無賃で住まわせてくれました。本当に感謝しています。

 最初は部屋に籠りきりでしたが、次第に心の整理もつき、六月頃には社会復帰も考えていました。

ここからが、この事件の真相です。

 ある日気が付くと、郵便受けに封筒が入っていました。中を見ると、透明な袋に入ったクッキーが三つとメッセージカードがあって、「自分が大嫌いで変わりたいあなたへ」と書かれていました。

 この時、私の心は大きく揺れました。

誰が送ってきたのかわからないし、何か入っているとも限らない。食べないほうがいいって、頭では理解できます。

しかし、「変わりたい」という一文が、食べてみたいという衝動を掻きたてるんです。

今の自分と決別したい。これを機会に、変わりたい。その欲に負け、私は一つ食べました。

 クッキーは柔らかく、ボロボロと崩れやすいものでした。変な味がするそれを、私は恐る恐る飲み込みます。直後は何もありませんでしたが、一時間後くらいでしょうか、変化がありました。何もしていないのに楽しくなり、大笑いしたくなってきたんです。私は嬉しくなって、二階の自室を飛び出して叔母のいる家に降りていきました。それから力任せにドアを叩くと、何事かと叔母が驚いた顔で出てきます。それを私はニッコリとした顔で見つめたんです。正直、他人から見たらひどい顔だったのかもしれません。叔母の顔は引きつっているようにも見えました。

「叔母さん。私ね、こんなに明るくなったのよ。だからもう大丈夫」

 そんな旨を言った記憶があります。叔母は「そうかい」と言ってくれましたが、やはりおかしいと思っていたのでしょうね。

 その日の夕方。私はとてつもない吐き気に見舞われました。目の前がふらつき、立つのがやっとという状態。思わずその場にへたり込んでしまいました。

私の部屋は北向きなので、六月の夕方とはいえ日光が入ってきません。部屋の微かな影の中に、「何か」がいるような気がしてきたんです。私は思わず、部屋中の電気をすべてつけてまわりました。

影ができないように。「何か」を追い払うように。

その夜は影に怯え、震えながら朝が来るのを待ちました。

 しかし人間とは、なんて学習しない生き物なんでしょうね。

翌日になってクッキーは捨ててしまったんですが、数日後、また郵便受けにクッキーの入った封筒が届いたんです

私は欲に負け、またクッキーを口にしました。

この前はまだ慣れてなかったから体がびっくりしたんだ。今回は大丈夫、と言い訳をして。

そのうちに習慣になってしまい、一日に一枚は食べないと落ち着かない体になってしまいました。その量は段々と増え、その度に自分に言い訳をしていました。副作用はこんなものだ。今やめたらまた逆戻りだ、と。そうしてまた食べ、部屋で、悪くすると外で暴れるようになりました。

 そんなある日のこと。効果が切れて部屋の中で怯えていると、頭の中で声が聞こえました。その声は深みのある男の人のもので、聞いていると怖いのが段々薄らいでいくような、安らかな気持ちになりました。

 その声は、自分は光の神であると言い、自分を崇めよといってきました。そうすれば私の望みを叶え、幸せにしてやると言うのです。

私はその声に従い、「光進教」に入信したのです。と言っても、信者は私しかいないのですが。

 具体的には、毎晩光進さまがいらっしゃる私の部屋の明かりを全部つけて、光進さまの名前を呼び、礼拝をすることでした。

それが真夜中で、しかも毎夜です。隣には赤ちゃんがいるご夫婦が住んでいました。さすがに苦情が来たんでしょうね。叔母が私のところを訪ねてきました。病院へ連れていこうとしたんです。おそらく精神科を受診させたかったのでしょう。しかし私は、どこも異常はないし、元気だからと断ってしまいました。叔母も強引に連れていこうとしたんですが、私は何となく身の危険を感じて、勢いよくドアを閉めてしまったんです。

 七月の半ばくらいでしょうか。突然、光進教を布教するようにお告げがあったんです。私はどうしたらいいのかわからなくなって、取りあえずアパートの前で演説をすることにしたんです。

おかしいですね。自分でさえ、光進教が何なのかわからないのに。

 その時は昼間で、クッキーを食べていたこともあって、何の考えもなしに外に出たんです。運が悪いことに、人通りが多い時間帯に。もしかしたら、無意識にその時間を選んでいたのかもしれません。

 私は道路の真ん中に立ち、大声で、光進教を崇めよと叫びました。

道を行く人たちは、好奇の目と、蔑みの目で私を見ていました。中には、私を指さす子供を必死でやめさせる母親もいたような気がします。

しかし、全員が私を見るのに、誰一人止まる人はいませんでした。

それに私は焦れったさを感じ、次第に歩いている人へ自らアプローチをかけることにしたんです。

 最初は、大人しそうな女の人だったような気がします。その人の肩を掴み、持論を述べ、入信するように説得をしました。いや、あれはもはや脅迫に近かったように思います。もちろん女の人は私の手を振り払い、逃げるように歩いて行きました。すると次へ、というように。

 三人目を捕まえたぐらいでしょうか。私は突然腕を掴まれました。

見ると叔母さんがいて、どんどんと叔母夫婦の部屋に引きずっていきます。その間、夫である叔父が周りの住民や通行人に頭を下げているのが見えました。

 部屋に着くと、ドアを閉めるなり大声で怒鳴られました。

何考えてるの、とか。もう恥ずかしくて外に出られない、とか。

たしか、そんなようなことを言われた気がします。

最後に病院へ行くと言ったとき、それだけは嫌だと反抗しました。

自分は使命を全うしているだけであって、病院へ行く必要はないと。

そう言うと、どこの宗教に嵌ったの、とまた怒鳴られました。

 クッキーのせいで気が大きくなっていたんでしょうね。段々と叔母の説教が鬱陶しくなり、おもむろに玄関に向かったんです。それを叔母は止めようと私の腕を掴んだんですが、私は力任せに振り払いました。そのせいで叔母は勢いよく床に転んでしまって。

私は近くにあったスノードームを、叔母に向かって投げつけました。命中はしませんでしたが、ガラスの破片が散らばってしまって。

叔母の責める目を無視して、その日は部屋に帰りました。

 

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