第四章 猫にもなれば虎にもなる
24 いなくなってはじめて
アジトに残されたヒメは、マダム・キティと共に仲間たちの帰りを待っていた。一人でも大丈夫だと言ったのだが、ペルシャとマダム・キティがそれを許さなかったのだ。
風が出てきた。窓の外には暗闇が広がっていて、なにも見えない。揺れるガラスにヒメの心も落ち着かなくなってくる。
「……なにか作ろうかい?」
そんなヒメを気遣ってマダム・キティが声を掛けてくる。ヒメはゆるゆると横に首を振った。食欲などない。
固い表情のヒメを見て、マダム・キティは小さくため息をついた。
「ならなにか飲み物を作ってこようか」
ものを口にする気分ではないのだが、あまり断っても余計に心配させるだけだろう。ヒメは小さく頷いた。
一人になった広間は、風の音が余計に大きく聞こえる。
シャムは無事だろうか。それだけが気になって、なにも手につかない。
窓の外は、ただ暗い闇が広がっている。プリンシパル・シティにいたときは、夜がこんなに暗いものだとは思わなかった。夜は夜として訪れていたが、道には外灯が輝き、暗闇だと認識することもなかった。第一、日が落ちれば暖かい光の溢れるアジトの中にいたのだ。
外に出て、夜を迎えたのは今日が初めてではない。ではなぜ、今日に限って夜がこんなに怖いのか。
「そっか……。シャムがいないんだ」
いつだって彼が近くにいてくれた。危ない目に遭ったときは助けてくれた。
その彼が、今はここにいない。
きっと今、シャムは危険な任務に当たっているのだろう。彼がいつも力になってくれたのに、自分は助けることもできない。
任務のことだけではない。彼の病気を治す手立てだって、今のヒメは持ち合わせていないのだ。
涙が零れそうだった。
しかし誰かが広間に入ってきた気配にはっとした。
「マダ、」
言葉はそこで途切れた。
入り口に立っていたのはマダム・キティではなかった。ここにいるはずのない人物を目にし、ヒメの顔が強張る。
「舞花、さん……?」
そこにいたのは、プリンシパル・シティでのかつての同級生、舞花だった。黒いワンピースに身を包んだ彼女は、固い表情でヒメを見ている。
「どうして、ここに……」
「私の父が誰か、忘れまして? あなたの居場所を探し出すなんて、簡単なことでしたわ」
舞花は薄く笑みを浮かべる。彼女は警視総監の娘だった。それでもヒメの混乱は治まらない。
「いや、でも、一人でいらしたの? そんな、危ないわ……?」
「付き人は外で待たせているの。今日はそんなことを話しに来たんじゃないの。比乃芽さん、あなた」
彼女はこつりこつりとヒールを鳴らして近づいてくる。俯いた彼女の表情はよく見えない。とうとうヒメの前まで来て立ち止まった。
「私、あなたに嘘をついた……。本当は私、結婚なんてしたくないの……。だって私」
そこで舞花は顔を上げた。その表情にヒメは息を呑んだ。こんなに切羽詰った彼女の表情は、初めて見た。
「ずっと心に決めた方がいるの」
婚約者の話をする舞花の姿を思い出した。あの時の彼女は、弾んだ声を上げながらも、どこか沈んだ表情だった。
「幼い頃に別れたきりなんだけど、ずっと病気で死んだと聞かされていたの。……でも本当は違った。彼は家が落ちぶれて、外に出てしまっていた。お金を捻出するために、ある実験施設に行ったって分かったの」
ヒメははっとした。まさか――。
「彼は『猫』に所属している。あなたもよく知っているでしょう?」
ヒメは口元を押さえた。『猫』の中に舞花の想い人がいる。ヒメの顔色が蒼白になる。
舞花が縋りついてきた。彼女の気持ちは痛いほどよく分かる。だってさっきまで同じことを考えていた。
病魔に侵された愛する人を、救いたい。
「実験のせいで、病気なの……。大人になれずに死んじゃうって……。ねぇ比乃芽さん。帰ってきて……? だってあなた」
ヒメの瞳が揺れる。
「医者になりたかったんでしょう? あなたの頭脳なら、病気を治すこともできるんじゃなくて……?」
すっと叶わぬ夢だと思っていた。市長の娘に生まれた自分は、自分の夢を追いかけることなどしてはいけないと思っていた。
家から離れて自由になったけれども、この町の設備では充分な医療など施せない。助けたい人々が目の前にいるのに、自分はただ無力だった。
プリンシパル・シティに戻ればシャム達を救う手立てがあるかもしれない。
そう考えたのは、一度や二度ではなかった。
「黙って人の家に上がり込むなんて、お嬢様にしちゃあ礼儀がなってないねぇ」
舞花の表情が変わった。いつの間に戻ってきたのか、マダム・キティが舞花を羽交い絞めにしていた。舞花の首元にはアイスピックが突きつけられている。
「マダム! やめて! この人は私の友達なの!」
ヒメの叫びにマダム・キティは逡巡する。やがて舞花を開放した。
「あんた、警視総監のとこのお嬢さんだね。アタシ達を捕まえにでも来たのかい?」
舞花はきっとマダム・キティを睨みつけている。マダム・キティの問いには意地でも答えないようだ。
「マダム・キティ、違うの。舞花さんは私に戻ってこないかって言いに来たの。あの町に戻れば、みんなの病気を治す特効薬を見つけられるかもしれないから……」
マダム・キティは二人の顔を交互に見やった。その言葉に嘘はないようだと確信して、ヒメへと近寄る。
「あんたはどうしたいんだ」
ヒメは目を瞬かせた。
「アタシらはアタシらのやり方で、プリズン・シティをどうにかしたいと思ってやってきたんだ。ヒメも仲間だと思ってるけど、あんたはあの町のこともよく知っている。アタシらにはできないやり方で、どうにかすることもできるんじゃないのかい」
ヒメは目を見張った。
自分の意思で、あの町を出た。転がり込むような形で『猫』に入ったけれど、だからこそ『猫』のやり方で一緒にやらないといけないと思ってやってきた。
それでも、自分のやり方でみんなを守ることができる……?
「離れてたってアタシらは仲間だ。ヒメはそう思ってはくれないのかい?」
見上げたマダム・キティは、慈しむような表情で笑っていた。
まるで母のようだとヒメは思った。実の母とは似ても似つかない。だけど無性にその笑顔を懐かしく感じた。
マダム・キティは舞花に向き直る。
「さぁ、決まりだ。お嬢ちゃんはうちに帰んな。迎えは来てるんだろう?」
そう言われて舞花の目は泳いだ。まだヒメの答えを聞いていない。今夜、ここにヒメ以外の『猫』のメンバーがいないことは知っている。だけど少しでも彼の痕跡を知りたかった。
「大丈夫、舞花さん。私だって救いたい人がいる。あんまりここにいるのは危険だわ。会いたいでしょうけど……」
ヒメの言葉に、なおも舞花は悩んでいる。
「私も『猫』の仲間は大事なの。大丈夫、悪いようにはしない」
そう言って笑うヒメの顔は、舞花が初めて見る表情だった。
窓を叩く音に、ヒメははっと顔を上げた。
窓の向こうに人影はなく、風で揺れただけだと分かって小さくため息をついた。ガタガタと揺れるガラスが余計に不安を煽る。
時計は深夜二時を指していた。みんなはまだ戻らないのだろうか。作戦にどれだけの時間が掛かるのか、聞いていなかったことをヒメは後悔する。
だが自分が行ってなんの役に立つだろうか? 『猫』のみんなと違い、跳ぶことも跳ねることもできないヒメだ。ただの足手まといになるだけだろう。
しかしただ待つしかできないのは、耐え難かった。
暗い窓の外に目を向けたときだった。
ガタン、とドアの向こうで大きな音がした。
「シャム?」
暗い玄関に人影が揺れる。
「ヒメちゃん……」
疲れきった表情のロシが、そこにはいた。そして――
「シャム!!」
血だらけのシャムが、ロシに肩を担がれていた。
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