23 追い詰められた猫は

 浅い呼吸音が響いていた。

 シャムとロシが鋭い視線で学園長を睨みつけている。互いが互いの出方を伺っている。

 シャムの額から流れ出た汗が、ぽたりと床に落ちた。

「まったく……。学園長なんかやめて武術教師にでもなったがいいんじゃねぇか?」

 息子の言葉に学園長はふっと笑う。

「上で人を操ってこそ、面白いってもんじゃないか。あぁ、そうだな」

 そこで言葉を切ると、学園長は意味深な目を向けた。

「市長の娘なんかな、自分の立場を夢との間で葛藤する姿はそそられたよ」

 その言葉にかっとなった。

「てめぇ!」

「シャム!」

 ロシの静止も空しく、シャムは地面を蹴っていた。

 学園長がシャムとヒメの関係を知っているかは知らない。だけどヒメが苦しむ姿をずっと傍で見てきた。

 導く立場の教師が、ヒメをそんな目で見ていたことが許せなかった。

 逆上したシャムの拳など、学園長は軽々と止めていく。

「おやおや、どこに怒る要素があったと言うんだい? 僕が君の親であること? 僕が学園長であること? それとも」

 学園長の蹴りがシャムにヒットした。

「比乃芽君のいろんなことを、僕が知っていることかい?」

 吹っ飛ばされたシャムの目は、まるで獣のようだった。

「シャム! 一旦落ち着け!」

 ロシが叫ぶがシャムは止まらない。瞳孔が開きっ放しになっている。身を翻し、また学園長へと突っ込んでいった。

「まったくねぇ、あの子はいい生徒だった。市長の娘という立場と自分の夢との間で葛藤していたようでねぇ。ちょっと相談に乗ってやったらころっと信頼してくるんだ。ガキに興味はないが、あれほどの美人なら構わないかな」

「お前がヒメを語るな!」

 激昂したシャムが振るう拳は、学園長には当たらない。ひらりとかわされてしまう。

「ヒメ? あぁそうか、今は君達の組織にいたな。まぁ今頃はうちの者が行っているだろうからな。戻ってきたら存分に可愛がってやろう」

 その言葉に二人は顔色を変えた。アジトには今、ヒメ一人しかいない。

 シャムはようやく冷静さを取り戻した。今やるべきは焦って打ち込むことじゃない。落ち着いて状況を判断せねば。

「それはできないよね」

「あぁ、俺らがここでお前をぶちのめすからな」

 シャムとロシは隣に並ぶ。右腕と左腕。最強のコンビが腕を鳴らした。

 立ち塞がる『猫』に、それでも学園長は不敵な笑みを浮かべている。

「さて、果たして間に合うのかな?」

「ったりめーだ。行くぞ、ロシ!」

「合点!」

 突っ込んでくる少年達に、学園長はポケットに手を突っ込んだ。

「ちょっと分が悪いかなぁ。でも二対一だから卑怯とか言ってられないよね」

 手を出した学園長の手に握られていたのは、黒光りする銃だった。シャムとロシの顔が少し険しくなる。

 銃口はまずシャムに向けられた。すかさずシャムは横っ飛びに避ける。『猫』でなければ避けられなかっただろう。

 ロシが落ちていたコンクリート片を投げつけた。しかし学園長は難なくそれを避けてしまう。

「トップの人間なんて、ウスノロばっかだと思ってたけどねぇ」

「いやいやそれじゃあ俺らのトップはどうなるんだよ」

「あれは別格でしょ」

 二人は軽口を叩きながらも、額に冷や汗を浮かべていた。学園長の腕は確かだ。このままではジリ貧だろう。

 シャムはちらりとロシに視線をやった。ロシは小さく頷く。それだけで通じるのは、さすがツーカーの仲だ。

 ロシが学園長の方へ駆け出した。一直線に突っ込んでくるロシに、学園長は銃を構える。トリガーが引かれた瞬間、ロシは素早くそれを避けた。

 それを見越していたのか、学園長は冷静に銃を構え直した。

「こっちだよ」

 死角からシャムが飛び出した。学園町のすぐ傍にシャムが迫っていた。振り出した拳は学園長の横っ面を打ち抜くかと思われた。

 だがシャムの体が傾ぐ。

「シャム!」

 至近距離から撃たれた弾丸が、シャムのこめかみを掠っていた。倒れそうになるところを、すんでのところで踏み止まった。

 シャムの頬を一筋の血が流れた。痛みに息が上がる。睨み合いが続く。

 その間に学園長は弾を詰めなおした。

「やれやれ。意外としぶといなぁ。さて、これが最後の弾だよ。そろそろ降参してくれないかなぁ?」

「誰が」

「むしろそっちがお帰りくださいっていうか?」

 虚勢を張るが、すでに二人は満身創痍だ。やはり飛び道具に徒手では分が悪い。

 それでも、負けられない理由がある。

 勝って彼女のシティを守らなければ。

 彼女の元へと帰らなければ。

 その思いだけがシャムを突き動かせる。痛みなど感じている場合ではない。

「ロシ」

 シャムは短く呟いた。その意味するところを察して、ロシは険しい顔で頷く。

 同時に突っ込め。

 銃は一つ。どちらかを捨て駒にして敵を倒せとその目は言っている。失敗すれば、どちらかは大怪我を負うかもしれない。最悪の場合、命を落とす。

 それでもやつをぶちのめせるのは確実だ。

「行くぞ!」

「おう!」

 二人は地面を蹴った。学園長は銃を構える。

 鋭い発砲音が響いた。


 場に静寂が落ちた。

 先程まで死闘が繰り広げられていたフロアには、人影が一つ立っていた。倒れている人影は、まだ若い少年が二つ。

 だがその均衡はすぐに崩れた。最後まで立っていたスーツ姿の男がぐらりと傾いだのだ。

 倒れた学園長は、そのまま動かなくなった。胸は上下しているから死んだ訳ではないのだろう。

 シャムがごろりとそちらを向いて、大きくため息をつく。

「頑丈すぎだろ、このオヤジ」

「さすが誰かさんの父親だけあるね」

 ロシの軽口に、シャムはじろりとした視線を向けた。

「やめろ、俺の親父はペルシャだけだ」

「え、シャムってペルシャのことそう思ってたの?」

「~~言葉の文だよ! みんなそう思ってるだろ!?」

 家族も兄弟もなく、寄せ集めの集団の『猫』の仲間。仲間であると同時に、家族だった。

 いつも棘があるシャムがそんな風に思っていたことが、ロシは嬉しかった。

 最後に学園長が狙ったのはシャムだった。実の息子に銃を向けたことに、ロシは胸糞悪くなっていた。それとも、慈悲を与えたつもりだったのか。

 ロシは立ち上がって首を振った。シャムの家族は自分達だけだ。あれは敵。それ以上でもそれ以下でもない。

 殴られた腹が痛む。だけどシャムよりかは軽症だ。ロシは学園長の胸ポケットを探ると、カードキーを取り出した。

「こんなのが教育者だなんてな」

 ロシは学園長を見下ろして、足蹴にした。シャムはそれを黙って見ている。

「どうすんの? ヒメちゃんをこんなとこに戻す訳にはいかなくない?」

 ずっと考えていたことだった。ヒメは外で暮らすべきではない。彼女には彼女の世界がある。

 でもそれは住む世界が違うということではなく、仲間だと思うからこそ、立つ世界が違ってもそれは変わらないと思った。

 それこそペルシャと市長のように。

「いざとなったらペルシャがなんとかするだろ。あいつは実の家族を大事にするべきだ。俺らと同じ道を歩ませたくねぇ」

 至極真面目な顔でそう言うが、本音五割、建前五割といったところだろう。ヒメも含めて仲間だ。離れ難く思っているのはロシだけではない。

「素直じゃないねぇ」

「うるせぇ」

 シャムは顔を背ける。もう隠しようがなかった。シャムがあれほど怒ったのは、明らかに惚れた女のためだ。

「『俺、帰ったら彼女となんたらかんたら』って、大昔に使われた常套句だよねぇ」

「だからうるせぇよ!」

 思わず起き上がりかけたシャムだったが、視界がくらりと揺らいだ。

 これはまずいかもしれない。倒れていて気づかなかったが、尋常ではないほどの血が流れ出ていた。

「窮鼠猫を噛む、ってか」

「どちらかと言うと『窮猫鼠を噛む』でしょ」

「ははっ! そう、だ……」

 シャムの言葉が切れ切れになる。ロシの顔色が変わる。

「ますい、な……あいつが、危ないのに……」

「シャム!」

 ロシの慌てた声が響いた。

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