18 大人たちの過去①

 KITTY's Barのテーブル席は数人の客で埋まっているが、カウンターにはヒメしかいない。静かなカウンターでヒメは一人グラスを傾けていた。

 あの後のシャムは怖いくらい静かで、しかしその顔からは怒りが滲み出ていた。ヒメはどうしてシャムがあそこまで怒ることがあるのだろうかと思う。

「ねぇ、マダム・キティ」

 マダムキティは乾いた布でグラスを磨いている。

「なんだい?」

 ヒメは少し言いよどんだ。

「マダムは……ペルシャと長い付き合いなんだよね……?」

 マダムキティは手を止めた。そしてヒメの方を見る。

「あぁ、そうさ。若い頃からの付き合いだ。昔のヤツはそりゃあもうヤンチャでねぇ。まぁ今もそれは変わってないか」

「どうしてペルシャは、プリンシパル・シティを狙うようになったの……?」

 マダムキティはグラスを仕舞うと、煙草に火を点けた。

 深く吸い込んで、長く煙を吐き出した。

「長い話になるよ」


   *


 ペルシャというのは親にもらった名前である。

 ペルシャは外の生まれではない。またそれはマダム・キティも一緒で、当時の二人はプリンシパル・シティに住んでいた。

 医者の息子として生まれたペルシャは、生まれたときからその後を継ぐことが決められていた。そのことに疑問を抱いたことはなかった。

 平穏な世界、約束された将来。

 転機が訪れたのは十五のときである。


「またこんなところでサボりやがって……」

 学生服姿のペルシャがドアに手を付いて、深いため息をついた。ペルシャの視線の先、屋上の柵にもたれ掛かっていた少年が振り返る。栗色の髪をした利発そうな少年だ。

「いーじゃんたまには。ちゃんと優等生で通してるんだし」

 少年の指に挟まれたものからは、紫煙が立ち上っている。この町では違法とされているはずのそれ。いったいどこからそれを手に入れたのか、ペルシャがじろりと睨みつけると、少年は観念したかのように胸ポケットから灰皿を取り出して火を消した。

「また外へ行ってきたのか、周蔵」

 朝日屋周蔵は隣に並んできたペルシャには目もくれず、夕焼けに染まる空を薄笑いで見ていた。

「お前、そんなんでどうするんだ? あんまり素行が悪いと市長も難しいんじゃないか?」

「だからちゃんと猫被ってるって。それに俺がどんなことをしたって市長になる未来は変わらないさ」

 自嘲にも似た諦めだった。周蔵の表情に変化はない。真面目な青少年といった面持ちからは、彼をよく知る者でなければその内心は掴めまい。

 高校から一緒になったペルシャだが、不思議と出会ったその日から馬が合った。周蔵の幼馴染だという三宅のぞみと三人でつるむようになった。

 三人でいるときは、周蔵も素の顔を見せた。彼の一族は代々市長を輩出している。優秀でいることは義務付けられたことだったのだ。息抜きをする場も必要だろう。

 違法の煙草というところは許し難いが。

「……なんで、こんな世の中なんだろうなぁ」

 ふいに周蔵が呟いた。珍しく弱気な声に、ペルシャは隣に顔を向ける。周蔵の視線は遠くの空に向けられたままだった。

「煙草盗りに外に行くじゃん? 外の奴らってさ、生きてんだよ。俺らと同じように。あいつらだって同じ人間なんだ。……なんで俺らだけ、こんな環境で生きてんだろうな」

 ペルシャは俯く周蔵になにも言うことができなかった。それはペルシャも感じていたことだ。選ばれた者だけが大気汚染も水質汚濁もない世界で生きている。その格差はどこから生まれた? どうして階級が存在する?

 そう思ったところで変革を望めるはずもなかった。自分らだってその恩恵を受けて生きている。まだ子どもの自分たちには、なんの力もない。

「早く……大人になれたらな」

 幸いにも自分たちの進む道は決められている。大人になれば力が手に入るはずだ。

 そう思って呟いたペルシャを、周蔵はまじまじを見つめた。なにか言いたそうに口が開くが、結局はなにも発することはなかった。

「二人ともまたこんなとこにいたの? もう施錠されるわよ?」

 希が顔を覗かせる。校内一とも称される美貌の少女を前に、二人は張り詰めていた空気が嘘のように顔を綻ばせた。

 穏やかな時間が終わろうとしていた。


 常春のプリンシパル・シティではあるが、暦の上での春が訪れた。ペルシャたちの学年も一つ上がって、高校最後の年である。

 その日、ペルシャは朝から父に呼ばれていた。

「父さん、お呼びですか?」

 踏み入れた父の書斎では、ペルシャの父が固い表情で彼を待ち受けていた。

「お前ももう卒業だな」

「はい。と言われてもあと一年ありますが」

「……一人前の大人として見なされるということだ。私の跡を継ぐからには、知っておかねばならんことがある。ついて来なさい」

 常ならぬ父の様子に戸惑いながらも、ペルシャにはついていくしかなかった。


 父は無言で地下へ地下へと進んでいく。疑問を投げ掛けたいが、その背中はそれを許さない。ペルシャは黙ってついていく。

 やがて一つの扉の前へ辿り着いた。父はカードキーを差し込み、次いで指紋認証を解除して扉を開けた。自宅にこんな厳重に閉ざされた場所があるとは、ペルシャは知らなかった。

 奇妙な部屋だった。左右の棚には本やファイルが溢れ返り雑然としている。奇妙なのはその中央にあるものだった。人一人が入りそうな筒状のガラスケースに、何やら液体が詰まっている。その中にあるのは赤黒い拳状の物体だった。

「父さん、これは……」

 規則正しく脈打つそれ。ペルシャの顔から血の気が引いていった。これはどう見ても……。

「プリンシパル・シティができる前、激変する自然環境に対応できる体を作ろうという実験があった。はたしてその実験は半分成功で、半分失敗だった。身体能力は格段に跳ね上がり、どんな汚染された環境でも生活できるようになる薬ができたのはできたのだが、その薬を飲んだ者は短命になるという致命的な欠陥があったからな。……これはその薬を服用した者の心臓だ」

 ペルシャは思わず口元を押さえた。そんな非人道的な実験があったこと、しかもそれに自分の一族が関わっているなど信じられなかった。吐き気が込み上げてくる。

「投薬された者の大部分は死んだが、この心臓だけは奇跡的に残ったのだ。これでは使い物にならないと研究チームは解散になったが、いずれの時にか必要になるかもしれないと我が一族がこれを保存することになったのだ。……投薬された子らが外にはいる。実験に耐え切ったこの心臓が、いつシティの人々に恩恵をもたらすか分からんのだ。我が一族がそれを守れるとは誇りなんだぞ」

 父は淀みない口調で語る。

 狂っていると思った。そんな実験の産物を、後生大事に守っていくなど。しかもその結果を外に放置しているなど、正気の沙汰ではない。

 まるで神を崇めるかのような瞳でガラスケースを見上げる父を、ペルシャは唇を震わせてただ見ていることしかできなかった。

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