19 大人たちの過去②

 学校の屋上の柵の下で、ペルシャは一人蹲っていた。

 昨日、父に言われたことが頭の中を渦巻いていた。あんなおぞましいものが自宅の地下にあるなんて、思いもしなかった。医者の家計で育って、人々を救うことこそが己の使命だと思って生きてきた。

 その考えが根底から覆されようとしている。

「珍しいな。お前がここにいるなんて」

 聞き慣れた声にはっと顔を上げた。怪訝な顔の周蔵がそこにはいた。ペルシャは泣きそうになる。

「なんかあったか?」

 周蔵はぶっきらぼうに尋ねながら、煙草に火を点けた。止めるべきかと思うが、そんな気力は今のペルシャにはなかった。

「……お前が、案じてたとおりだったよ」

 周蔵はペルシャの方を見ないまま、その呟きを聞いている。ペルシャは昨日の出来事を洗いざらい全部話してしまった。

「ごめんな、急にこんな話して。胸糞悪かったよな」

 煙草はとうに吸い終わっていた。周蔵は掌の中で携帯灰皿を弄んでいる。

「いや」

 短く呟かれた言葉に、ペルシャは周蔵を見上げた。その横顔は、赤く染まる空に向けられている。

「うちも似たようなもんだ。色々えげつないことやってきておいて、それを子どもに嬉々として教えるんだ。何が市長としてあるべき姿だよ……」

「もしかして、うちのことも知っていたのか……?」

 含みのある言い方に、疑念が湧いた。知っていたからこそ、プリンシパル・シティを憂いていたのか。

 周蔵は何も言わず、ただ口元を歪ませる。

「……それじゃあ、なにも知らずに笑ってる俺が疎ましかったよな……」

「それは違う! 俺だってできればお前にはこんなこと知ってほしくなかったよ。こんな腐った世界で、お前らが将来の夢を語ることがどんなに糧になってたか知らないだろう?」

 ペルシャは目を丸くした。周蔵がこんなに声を荒げてなにかを語るなんて、今までなかった。いつも斜に構えて退屈そうにしていた友人が、こんなに感情を顕わにすることがあるなんて。

「なんだよ……。友達だって思ってるのは俺の方だけだと思ってたよ」

「はぁ? なんでそうなるんだよ」

 周蔵は本気で意味が分からなさそうな顔だ。無駄に考えすぎていた自分がおかしくて、ペルシャは吹き出してしまった。

「なんだよ。なにがおかしいんだよ」

「いやいや……。なら、やることは一つだな」

 周蔵は口を引き結んだ。

「あぁ。早く自分の地位を確立させて、この町を変える」

 子どもの時分では、どうすることもできない。早く大人になって、市制を動かせる力を持たなければ。

 少年たちは、沈む夕日に誓った。

「まーたこんなところにいたの? 貴方達、好きねぇ」

 顔を覗かせたのは希だった。二人は首だけで振り返り、そして互いに顔を見合わせてにっと笑った。

「それじゃあ女傑殿にも参戦してもらわないとなぁ」

「同意だ周蔵。希、覚悟しておけよ?」

 突然そんなことを言われても訳の分からない希は眉を顰めた。いつも彼らの尻拭いをさせられてきたから、またなにかしでかすのだろうとは予想がつく。

「好きに暴れなさい。後始末は私がしてあげるから」

 ため息混じりにそう言うと、周蔵もペルシャも満足そうに笑みを浮かべた。

 三人ならば無敵だった。どんな困難も乗り越えてこれた。

 閉ざされた町を変えるのに、これほど頼りになる仲間はいないだろう。


 彼女がキティと名前を変え、少年達の道が分かたれるのは、その三年後であった。


   *


 途中、マダムキティは客の見送りで話を数回頓挫させた。日付けが変わろうとしている店内には、もうヒメしか残っていない。

 マダム・キティの話にヒメは言葉を失っていた。

「そんな、ことが……」

 カウンターの上のガラスの灰皿には、吸い殻が溜まっていた。マダム・キティが客の前で煙草を吸うことは滅多にないが、奇しくもそれは、かつて周蔵が吸っていた銘柄と同じものだった。

 マダム・キティのグラスがカランと鳴った。

「あんたのお父さんだってプリンシパル・シティを変えようとしてんだ。方向こそ違えてしまったけど、今も二人は同じことをしようとしてんだよ」

「どうして、お父さんとマダム・キティ達は道を違えてしまったんですか……?」

 ヒメのその問いに、マダム・キティは深い笑みを浮かべた。

「最初のうちは違えていた訳じゃなかったんだよ。アタシ達は外から、周蔵は中から。それぞれあの町へアプローチを掛けていこうって話だった。……でも状況が変わった」

 そこでマダム・キティは言い淀む。続きを促すヒメの視線に、諦めたように口を開いた。

「お前さんが生まれたからさ」

 端的に告げられた言葉の意味を、ヒメはすぐには理解できなかった。どうして自分が関係あるのか。自分の政治の道具にしか見られていなかったのに、父を変える要素がヒメ自身にあったとはとても思えない。

「守る者がいるというのは強いね。あの性格だからお前さんは気づかなかっただろうけど、娘ができてから周蔵は確かに変わったよ。『シティを変える』と『大事な者がいるシティを変える』は似ているようで全く違う。だからこそアタシ達の道は分かれてしまったんだが……」

 ずっと娘のことなど見ていないと思っていた父。その父に何も言わずに出て行ってしまったことを、ヒメは今さらながらに後悔した。

「そんな顔、しなさんな」

 静かなバーにマダム・キティの優しい声が響いた。ヒメが顔を上げると、優しい瞳をしたマダム・キティと目が合った。

「私、なにも知らずにペルシャにひどい態度取った……」

「ヤツはなにも言わなかったんだろう? だったら知らずに判断してほしかったということさ。気に病むことじゃない」

 ヒメは涙を拭った。マダム・キティは煙草をふかす。

「決めたのかい」

 ヒメは一つ頷くと、店を後にした。


 明かりを落としたカウンターの内側で、マダム・キティは一人、酒を煽っていた。その手元では一枚の写真を弄んでいる。二人の少年と一人の少女が映っている写真だ。

「どうして、こうなっちまったんだろうね」

 静かな店内にぽつりと呟きが漏れた。

「あんたもあの子達も大事なんだ。……シティ破壊なんてさせないよ」

 その呟きを聞く者はいなかった。


   *


 アジトに戻ったヒメは、ペルシャの部屋へと向かった。窓の外には深い闇が広がっている。みんなはもう寝静まっていることだろう。

 廊下の先の人影に、ヒメは足を止めた。

「ペルシャ」

 ペルシャは窓枠にもたれ掛かって、夜空を見上げていた。ヒメの姿を認めると、吸っていた煙草を灰皿に押しつけた。

「そんなとこでなにしてたの?」

 あぁ、とペルシャはヒメに向き直る。

「こんなに綺麗な星空じゃが、プリズン・シティの連中は本物を見れんのじゃな、と思って」

 人工的に作られた夜空。ドームに覆われたプリンシパル・シティでは、空に限らず風も日の光も人工のものだ。

 少し前までのヒメには、それが当たり前の話だった。ドームの天井に映る星空は、本物と変わりがないものだと思っていた。

 だが今は、違うと分かる。

 風が巻き上げる砂埃も、汗ばむほどの日の光も、愛しい人と見上げる夜空も、どれもが本物。その全てがヒメにはかけがえのないものになっていた。

 開け放たれた窓。吹き込む夜風が、静かにペルシャとヒメの髪を揺らす。

「ペルシャ」

 それは意志のこもった強い声だった。ヒメはまっすぐな瞳でペルシャを見つめる。ペルシャは黙ったまま、続きを待っていた。

「私、決めたよ。私はペルシャに付いていく。あの町は、変わらなきゃいけないんだ」

 ペルシャは眩しそうに目を細めた。高らかに宣言する姿は、あの頃の自分たちに重なった。

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