12 地上40m

 その日、ヒメとシャムはペルシャの部屋に呼び出されていた。

 何を言われるのだろうとヒメはそわそわしている。シャムはなんとなく嫌な予感がして、しかめっ面を浮かべていた。

「次の任務だが」

 ペルシャはちらりとヒメの方を見た。シャムの眉間の皺がますます深くなる。

「シャムとヒメに行ってもらう」

「却下」

 即答だった。ヒメは瞬きをして声の方を見やる。

 シャムが腕を組んで目を伏せていた。

「こいつになにができるんだ? 足手まといになるだけだろ」

 ペルシャがニヤニヤとした目をシャムに向ける。

「素直に心配だと言えんのか?」

「うるせぇ」

 シャムは小さく舌打ちする。

「心配せんでもヒメにできそうな任務じゃよ。それこそお前さんがちゃんとフォローさえすれば、な」

 試すようにシャムを見るペルシャが気に食わない。選択肢はないじゃないか、とシャムはため息をつく。

「で、詳細は?」

 してやったり、というような顔でペルシャはばさりと紙を机に置いた。


   *


 半月の輝く晩。

 ヒメはいつもの麻のシャツとショーパンの上に、黒いライダースジャケットを着ていた。初の任務に興奮しているのか、しきりに自分の格好を気にしている。

「変じゃない?」

 シャムはヒメにちらりと視線をやると、すぐに逸らしてしまった。

「黒けりゃ目立たねーだろ」

「それはそうだけどー!」

 シャムが心の底ではヒメが任務に就くことを納得していないことがありありと見て取れる。

「もー、いい加減腹括ってよね。ここまで来たんだから」

 ヒメは腰に手を当てて、頬を膨らませた。

 プリンシパル・シティに程近い高層ビル。すでに打ち捨てられた場所だが、時折シティのものが捨てられることがある。今回の狙いはそれだった。

 どこから仕入れてきた情報なのか、ペルシャは今日、ビルに端末が大量に捨てられる予定だから、それを取ってこいと指令を下した。

 この時間ならば、もうプリンシパル・シティのやつらは帰っているはずだ。二人は他の外のやつらが来る前に端末を回収しなければならなかった。

 シャムが盛大にため息をついた。

「……行くか」

「うん!」

 ヒメは満面の笑みで頷いた。

 日の落ちたビル内は、プリンシパル・シティから漏れる灯りで所々光に照らされている部分がある。

 端末を盗むまでは順調だった。明かりの消えたビルには二人以外の人の気配がなく、時折ネズミが逃げていく音が聞こえた。

「これで全部?」

「あぁ」

 端末を詰め込んだ鞄をシャムは背負った。無事に任務を遂行できたことに、ヒメは満足気に笑みを浮かべた。

 そんなヒメに苦笑しつつ、シャムがドアを開けたときだった。

「誰だ!?」

 暗い廊下の先から、鋭い声と光が届いた。

 ヒメが光の方を見たとき、シャムはもうヒメの手を取って走り出していた。


「いたか!?」

「いやこっちにはいない! あっちを探せ!」

 バタバタを足音が遠ざかっていく。シャムはドアをそっと開けて、廊下の様子を伺った。そこにはしんと暗闇が広がっている。

「行った?」

「あぁ。行くぞ」

 プリンシパル・シティの人間なのか、それともここに廃棄されるものを狙った外の人間なのかは分からない。だが今はそれを確かめている余裕はないだろう。

「……プリンシパル・シティの人かな」

 ヒメはぽつりと呟いた。先を行くシャムは、ヒメを振り返らずに答える。

「さぁな。恋しいのか?」

「誰が……!」

「しっ!」

 大声を上げかけたヒメを、シャムは素早く制す。

「こっちで声がしたぞ!」

 階段の踊り場で身を固くした二人は、はっとした。バタバタと階下から足音が聞こえてくる。

「こっちだ」

 シャムは小さく舌打ちをして、階段を上りだした。


 二人はビルの屋上に出た。よく晴れた夜だ。星が燦然と輝いている。

 しかしのんびり天体観測している場合ではない。追っ手がもうすぐそこまで迫っていた。

「しゃあねーな。こっから降りるしかないか」

 シャムががしがしとフードの後ろをかいて言う。青褪めたのはヒメだ。シャムの視線の先は、ビルの朽ち掛けたフェンスの向こうだ。

 ここは十五階。まさかこの高さを飛び降りるというのか。

「え……ウソでしょ……?」

 シャムはヒメを抱えた。

「おら、しっかり歯食いしばってねえと舌噛んで死ぬぞ」

 そのままずかずかと隅へと歩いていく。

「え、ちょ……と待って……心の準備があぁぁぁ!!」

 ヒメの言葉を最後まで聞かずにシャムは飛び降りていた。

 十五階建てのビル、およそ四十メートルからの急降下である。ヒメの悲鳴も途中で途切れた。

 『猫』のシャムだ。身体能力は並ではない。その高さからでも音もなく着地した。腕の中のヒメを見下ろす。ヒメは両手で顔を覆って完全に固まってしまっていた。

「おい、もう着いたけど」

 その声にがばっと顔を上げる。風圧でシャムのフードは脱げてしまっていた。金の色に、ヒメは一瞬見惚れる。しかしすぐに我に返る。

「もうちょっと心の準備をさせてよ! 死ぬかと思った!」

 あまりの剣幕にシャムは目を瞬かせた。そしてふっと口の端を上げる。

「それだけ元気がありゃあ大丈夫だな」

 ここまで来れば追いつけまい。シャムは脱げたフードをそのままに、ヒメを抱えたまま走り出した。

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