11 綺麗な色

 やっぱりロシは食えない。

 夜。ヒメのシャツが屋上に干しっぱなしだったから、取りに行ってほしいとロシに言われて来てみれば、そこには先客がいた。嵌められたと気づいてヒメは苦虫を噛んだような顔をする。

「なんだ、お前かよ」

 ロシはきっと、シャムがここにいることを知っていてヒメを寄こした。『猫』のブレインにヒメは頭が痛くなる。

 シャムは片膝を立ててビンを傾けている。透明に見えるそれはきっとお酒だろう。

 ヒメはへの字になってしまった口を、いけない、いけないと引き結んだ。

 つかつかとシャムの元まで歩いていくと、隣にすとんと座り込んだ。

「なんだ」

「少しお話しましょうよ!」

 ヒメはシャムの言葉を遮って言った。勢いに任せないときっと話が進まない。ロシがせっかくセッティングしてくれたのだ。ありがた迷惑でも受け取らない訳にはいかない。

 シャムは黙ってまたビンを傾けた。明らかに嫌がられているのは空気で感じたが、なにも言われないことをいいことに、ヒメはその場に留まることにした。

「……この間は、ありがとう」

 ヒメはシャムに横目でちらりと見られるのを感じた。

「……私だって、客観的に見たらここに相応しくないんじゃないかって思う……。みんなと育ってきた環境が違いすぎるもんね……」

 シャムは顔を正面に向けたまま、それを聞いていた。

「でも……。これは私が初めて自分で選んだことなの。そりゃあシャムに連れ出してもらったけど、あの町で私はなに一つ自分で選んだものなんてなかったのよ。……こんなことを言うとまたシャムは『お嬢様の道楽』って言うわね……」

 シャムは答えない。続きを促しているのだろう。そう感じてヒメは続けた。

「でも私、もっとこの町を見てみたいのよ。もっと知りたい。世界がこんなに広いなんて思わなかった……。だから、ちょっとくらい嫌なことがあっても諦めたくないの」

 ペルシャやロシ、スコにアメショーたちはヒメを歓迎して、仲間だと思っていてくれている。だけどそうじゃない視線も度々感じていた。プリズン・シティから来たお嬢様を快く思っていない輩も多いのだろう。

 それでも、ヒメはこの場所を選んだ。知らなければならないと思った。ドームで覆われた世界の外側、そこになにがあるのかを。

「それに……シャムのその綺麗な髪は、もう少し見ていたいと思うわ」

 その言葉にシャムは目を見開いた。思わずヒメの方を振り向く。

 ヒメは自分の放った言葉が恥ずかしかったのか、コンクリートに視線を落として俯いていた。その頬は少し赤く染まっている。

「お前、めげないのな」

 それは小さな呟きだった。しかし静かな空の下では、しっかりとヒメの耳に届いた。

 ヒメは星空を見上げる。あの町にいたときには見ることができなかった、本物の星空。プリンシパル・シティの人工の星空よりも、綺麗に思える。

 外にはヒメの知らないことがいっぱいあった。

「可能性って、広がるものだと思うのよ」

 ヒメはぽつりと零した。シャムは黙って続きを待っている。

「私、本当にちょっと前まではあの町でずっと生きていくと思っていたのよ。父が選んだ人と結婚して、たぶんその人はあの町で重役だろうから、その人を支えて町を守っていく……。そうして一生を終えると思っていた。夢だってあったけど、どうすることもできなかったの。……だけど、シャムが現れた」

 そう言ってシャムを見つめる。晴れた夜だ。満天の星がヒメを照らして、シャムにはヒメ自身が輝いているように見えた。

「シャムのおかげで私は生まれ変われたの。本当に、ありがとう」

 シャムがそっとフードを外した。白に近い金髪があらわになる。いつかヒメが見た、輝く色。

 風が強く吹いたあの日。窓から見えた姿はきっとシャムだった。任務でプリンシパル・シティに来ていたのだろう。金の色が目に焼きついていた。

 ヒメはあの日からきっと――

「この町は、さ」

 シャムは視線を落としてぽつりと呟いた。

「黒とか茶とか、そんな髪のやつが多いじゃん? この色のせいで俺はずっとからかわれてきたんだ。……親に捨てられたのも、この髪が原因だ」

 思いもよらなかった事実に、ヒメは言葉を失う。

 ヒメが好きになった金の髪。それこそがシャムを孤児にし、『猫』に入る原因になったとは思いもしなかった。

 シャムはどんな思いで今まで生きてきたんだろう。こんな自分じゃ想像もつかないようなことなんだろう。

 シャムはそんなヒメの様子を見て、ふっと笑う。

「この力も原因ではあるんだけどな」

 シャムは右の拳をぎゅっと握る。『猫』たちが持つ異能。それは時に畏怖の対象となる。この町でもヒーロー視されているが、それはつまり人とは違うと思われているということだ。

 ヒメは隣に座るシャムの袖をきゅっと握った。

「……こんな風に言うと、嫌かもしれないけど」

 伏せていた目を、ヒメはシャムへと向けた。二人の目が合って、一瞬の沈黙が生まれる。

「そのおかげで、私はシャムと巡り会えた。……それが、とても嬉しい」

 シャムがそっとヒメの目元に触れる。それでようやくヒメは、自分が泣いていることに気がついた。

「……お前が綺麗な色だって言ってくれて、本当は嬉しかったんだ」

 執拗にフードを外そうとはしなかったシャム。ずっとその髪がコンプレックスだったのだろう。頑なに脱ごうとはしなかった。

 ヒメは袖を掴んでいた手を離し、シャムの金の髪に触れた。そして優しく撫でる。シャムはされるがままになっていた。

「自分のために泣いてくれるやつがいるってのは、こんなに嬉しいもんなんだな」

 出会わなかったらなんて、想像もつかない。出会いが必然だったと思える。

 ヒメは手を下ろした。シャムの柔らかな表情は、初めて見る顔だった。

 シャムの手がヒメの頭に伸びた。

「あんまり無茶なことはしないでくれ」

 そしてシャムの手がヒメの髪をくしゃっと撫ぜて、離れていった。

 ヒメは、触れられたところにほんのりと熱を感じていた。

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