10 自信がないから
定休日だったKITTY's Barの店内には、最低限の小さな明かりだけが灯されていた。
マダム・キティは湯気の立つマグカップを、コトリとヒメの前に置いた。
「まったく……。しょうもないヤツだねぇ、シャルトリューは」
ヒメは俯いたままマダム・キティの言葉を聞いていた。
油断していたのは自分の落ち度だ。マダム・キティはそう言うが、ヒメには返す言葉もない。ショックは大きかった。
「あんたがバカだったのよ。いいかげん、お家に帰んなさい。ママが待ってんでしょ」
すげなく言うのはバーミーズだ。悪態をつきながらも、KITTY's Barにヒメを連れてきてくれた。
それでもヒメに向ける鋭い目は変わらない。
「バーミーズ」
マダム・キティが嗜めるような口振りで名前を呼ぶ。
「だってそうでしょう!? いつまでもお嬢様のお遊び気分でいられちゃたまったもんじゃないわ!!」
その言葉にヒメは顔を強張らせた。
影でそう言われているのは薄々感じていた。気づかない振りをしてきたけれど、真正面から言われると胸が痛む。
お前は自分達と違うのだ。
よくしてくれる人もいるけれど、いつもどこかでそう言われている気がしていた。
「バーミーズ、あんたもわかってんだろう? ここにいる連中はみんな訳有りだ」
「どこがよ。こんな恵まれた環境で育ってきたお嬢様、ここにいる必要ないじゃない」
「わ、私は……」
ヒメがなんとか言葉を返そうとするけれど、それを遮るようにバーミーズは立ち上がった。ドアを開けてヒメを振り返る。
「シャムがどう思おうとも、あたしはあんたを認めないからね」
そう言い捨てて、バーミーズは乱暴にドアを閉めて去っていった。店内に静寂が落ちる。
「気にしなさんな。あの子はシャムに気に入られてるあんたが気に食わないだけだ」
ヒメはマグカップを手に取った。マグカップにはホットミルクが入れられていて、じんわりとヒメの指先を暖めていく。
「私、シャムに気に入られてなんかいません……」
むしろ嫌われているんじゃないだろうか。今までの態度を見れば、そうとしか思えない。
マダム・キティはその様子を見て、小さなため息とともに笑みを零した。
「口は悪いけどね。あの子はあの子なりにあんたを気遣ってるんだよ」
*
あの夜のことは、シャムもシャルトリューも、バーミーズでさえも、誰にも言わなかったらしい。ただ、翌日ちらっと見たシャルトリューは包帯ぐるぐる巻きになっていた。一瞬彼と目が合ったが、すぐに逸らされて去っていってしまった。
言えるはずもないだろう。ヒメに手を出そうとして、シャムにボコボコにされたなど。シャルトリューの面目丸潰れだ。
ヒメはマダム・キティの『シャムに気に入られている』という言葉を思い出していた。もしかすると、シャルトリューはシャムにやられたのかもしれない。その後、シャルトリューが目も合わせてくれなくなったから、確かめようがなかったけれど。
「元気ないね」
そう言ってロシは、ヒメの向かいにどんぶりを置いて座った。
町にいくつかある大衆食堂の一つ。今日の任務がないロシは、ヒメを昼食に誘った。
今日のロシも一風変わった格好をしていた。アロハシャツに迷彩パンツなど、着こなせるのはロシくらいだろう。
経済面においてカツカツな『猫』で、ロシの豊富な衣服量は謎だ。実のところ、町の女の子達からのプレゼントなのだが、ヒメはそれを知らない。それ以上に謎なのは、ロシの服飾センスなのだが。
ヒメは箸を置いた。
「考えることいっぱいだよ……。いつまでもお手伝いじゃダメだろうし……」
『猫』に入ってからというもの、ヒメはアジトの掃除やみんなの服の洗濯をして過ごしていた。しかし生活するためには金がいる。貨幣制度など崩壊したかに思われた外だったけれど、まだまだ生きている。仕事がない訳ではない。みんななにかしら仕事をして稼いでいる。
「別に今のままでも助かってるのに」
「でも、ここもロシが払ってくれたし」
ヒメはほかほかと湯気を上げるどんぶりを見つめた。ロシは苦笑を浮かべる。
「まぁ適材適所ってもんがあるから、そっちはおいおい探していけばいいよ。俺が言ってるのはストーカーのこと」
言われてヒメは、一つの顔が浮かぶ。
「ストーカーって……」
「似たようなもんじゃない。今はナリを潜めてるけど」
ロシはしれっとした顔で箸を進める。
気づいていながらなにもしてくれなかったのだろうか。ヒメは内心、『猫』で怒らせたら一番怖いのはこの人なんじゃないだろうかと考えていた。
「あいつは一回痛い目見た方が良かったんだよ。まぁそれをヒメちゃんに任せたのは申し訳なかったけど」
やっぱりこの人は食えない。若干顔を引きつらせながら、ヒメはうどんに手をつけた。
食べ終わって席を立つ直前、ロシがぽつりと言った。
「シャムと話をしてやってよ。あいつは口は悪いけど、本当は誰よりもヒメちゃんのことを心配している」
ヒメは言葉に詰まる。あの日から、避けているのは自分か相手か。
どちらにしても、あんなに冷ややかな視線を寄こすシャムが、自分を心配しているとは到底思えない。
「……そんなこと、ないよ……」
ヒメはそれだけ言うのが精一杯だった。ロシは頬杖を付いて小さなため息を漏らした。
「分からない?」
ヒメは何も答えることができなかった。
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