9 受け入れられない

 夕暮れ間近の路地裏。シャムと『猫』の一員の少女バーミーズが、町の見回り帰りで並んで歩いていた。

 バーミーズは『猫』の中でも長身の少女だ。シャムと並んでもそこまで差がない。白のタンクトップと迷彩柄のパンツは、その短いピンクブラウンの髪と合っている。

「あの子さぁ、どうなの」

 ふいにバーミーズが切り出した。何のことかとシャムはちらりと彼女に視線をやる。

「新しく来たあの子よ。あの子、あたしらと違うよね?」

 バーミーズの質問に、シャムは答えない。

 ヒメには『猫』の面子と明らかに違う点が一点だけある。どれだけ『猫』に馴染もうとしても、絶対に越えられない壁だ。

 だけどそれをシャムは誰かに言うつもりはなかった。

「そう思うんならそう思っとけばいいだろ」

 ぶっきらぼうにシャムは言う。そんな言葉を求めていた訳ではないバーミーズは、案の定噛みついてきた。

「そういうことじゃなくって! ……シャムは仲間だと思えんの? だって違うじゃん。あたし達は」

「違うっつーんならペルシャもだろ。お前、『猫』抜けたいの?」

「だから違うって言ってんじゃん! なんでそんな話になるの!? ペルシャは行き場のなかったあたし達を救ってくれたんだよ? 先がなくてもあたしは最期までペルシャについて行くよ」

 言葉にしてからバーミーズはため息をついた。これじゃあシャムに結論を出させられたも同じだ。不満があれど、ペルシャの決定に従う。これ以上、文句は言えなかった。

 シャムのそんなところが嫌だ。だけど嫌いになんてなれない。

「シャムは……あの子のこと」

「シャム! ここにいた! ねぇヒメ姉が!」

 そこに飛び込んできたのはスコだった。よほど慌てていたようで、珍しく息が上がっている。

 邪魔が入ってバーミーズは鼻白んだけれど、スコがいてはさっきの話は続けられない。

「どうした」

「またシャルトリューだよ! アメショーがなんとか足止めしてるから急いで!」

 駆け出すスコに、シャムも続こうとする。が、シャツを引っ張られて立ち止まった。

 振り返ろうとしたが、シャムは動きを止めた。後ろからバーミーズに抱きしめられていた。

「バーミーズ……」

「ねぇ行かないでよ……。あの子はあたしらと違うけど、仲間なんでしょ? なら自分の身くらい自分で守れなきゃダメなんじゃないの……?」

 シャムは小さくため息をついた。

 言い分は分からんでもない。シャムだってヒメの前に立ったら、またイライラするのだろう。

 シャムはその理由について、まだ気がついていない。だから、助けに行かねばという気持ちと放っておけという気持ちの狭間で葛藤している。

「ねぇ……今だけは、あたしといて……」

 バーミーズの気持ちには、なんとなく気がついている。だけどシャムはその想いに応えられない。そういう風には見られないのだ。

 スコが呼んでいるから。今はそう言い聞かせて彼女の元へと行く決断をした。

 シャムはするりと彼女の腕から逃れる。そしてバーミーズの頭を軽く撫でた。

「後で、な」

 シャムは踵を返すと、走っていってしまった。

 バーミーズは撫でられたところに触れる。ほんのりと熱を持っているような気がするのは、気のせいだろうか。

 彼女はどうすることもできず、ただ立ち尽くしていた。


   *


 それからもヒメはシャルトリューに絡まれることが続いた。うまく彼をかわせないヒメは、できるだけ一人にならないように気をつけていた。

 なかなか一人にならないヒメにシャルトリューは諦めたのか、話しかけられることは次第になくなっていった。


 事件が起きたのはそんなある日のことだった。

 この町の多くの家がそうであるように、アジトには浴室がない。上下水道設備が完璧には整っていないのだ。近くの銭湯に赴くのが日課になっていたが、この日はスコたちが任務に出払っていてヒメ一人だった。

 そう遠くはない距離だ。ヒメは鼻歌交じりに洗面器を持って、夜道を歩いていた。

 暗い路地から手が伸びる。

 気づいたときには、ヒメは地面に倒れていた。強かに打った背中が痛む。手放した洗面器が遠くでカランカランと鳴った。

 突然のことに悲鳴も上げられないヒメは、ようやく覆い被さる人物の顔を見ることができた。月明かりにその横顔が照らされる。

「シャルトリュー……?」

 彼の手はしっかりとヒメの両手を捕らえている。舌なめずりするシャルトリューに、ヒメの背筋は冷えた。

「やーっと一人になってくれたね……。ねぇ試してんの? 俺がこうやって強引に来てくれるのを待ってたんでしょ?」

 言っている意味を理解できず、ヒメは目を瞬かせた。ようやく理解が追いついて、ヒメはきっとシャルトリューを睨みつけた。

「そんなわけないでしょ。やっと諦めてくれたと思ったのに……」

 ここ数日なりを潜めていたのはふりだったのか。安心しきっていたヒメは、自分の間抜けさに苛立った。

 しかしシャルトリューはにやりとした笑みを深めただけだった。

「またまたぁー。そんな意地を張らなくてもいいんだよ?」

 ヒメはギリっと歯を食いしばった。目の前の男には何を言っても無駄らしい。どうやっても勘違いを解いてくれない。

 ヒメは身を捩った。

「離して!」

 しかしその手の力が緩むことはない。それどころか両手を頭の上でまとめられ、空いた手で乱暴にシャツを引っ張られた。ボタンがいくつか飛んでいき、ヒメの柔肌が露わになった。

「嫌がる子にむりやりやるのも、また一興だよね」

 ヒメの顔がさっと青褪めた。これからなにをされるのか、想像するだけでもおぞましい。

 シャルトリューの顔がゆっくりと近づいてくる。

 逃げられない。ヒメがぎゅっと目を瞑ったときだった。

「その汚ぇ手をどけろ」

 周囲の温度が下がった。そしてヒメを押さえつける力が緩む。

 シャルトリューが吹っ飛ばされたと気づいたのは、彼の姿を見てからだった。

「シャム……」

 拳を握ったシャムが、そこには立っていた。頬を押さえ身を起こしたシャルトリューは、シャムの姿を認めて慌てて逃げていく。

 シャムはそれを見送って、ヒメの方へと向き直った。

「俺は言ったぞ」

 一歩、また一歩とシャムは近付いてくる。

 ヒメの瞳からぽろりと涙が一筋流れた。慌てて拭おうとして、ヒメはその手が震えていることに気付く。

「ここはおまえみたいなヤツがいるところじゃねぇ。どうしてもここにいたいって言うんなら、覚悟しろって」

 空いた手でシャツを掴もうとして、シャルトリューに脱がされかけたことを思い出した。シャムの手前、急いでシャツをかき寄せた。

 相変わらず涙が零れ続けている。それでもきっとシャムを睨み付けた。

「か、覚悟の上よ……」

 シャムがずいっと顔を近付けてきた。ヒメは思わずぎゅっと目を瞑る。

「声が震えてるぞ」

 言われるがどうしようもない。ヒメの体は微かに震えていた。

 シャムはため息をついた。

「バーミーズ!」

 シャムが叫ぶと暗闇でタンっと地に下りる音がした。不機嫌そうな顔をした少女が黙って二人に近付いてくる。

「マダム・キティのとこに連れてけ」

 そう言ってシャムはヒメに背を向ける。バーミーズは口をへの字に結んだまま、ヒメに着ていた上着を投げて寄こした。

「早くしなさい」

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