6 『猫』の少年少女たち

 『猫』のメンバーに紹介するからしばらくこの部屋で待つようにと言われたヒメは、大人しくソファにちょこんと座っていた。。ペルシャとロシは準備があるからと出て行ってしまった。

 古びた革張りのソファに座って、ぼんやりと家のことを思い出していた。。

 家はどうなっているだろうか。父も母も心配しているかもしれない。学校の友人たちはどうだろう。

 ――一言くらい、書き置きでも残してくれば良かった……。

 気持ちが沈みかけたその時だった。

「おい!」

 振り返るとドアのところにシャムが立っていた。ヒメになにかを投げて寄こす。

 ヒメが慌ててそれを受け取ると、シャムは眉間に皺を寄せたまま言った。

「そんなビラビラの服じゃ動きにくいだろ」

 パーティ会場からヒメはずっとドレスのままだった。受け取った袋を開けると、麻のシャツに黒のショートパンツ、それからニーハイソックスと編み上げブーツが入っていた。シャムがわざわざ用意してくれたのだろうか?

「あっ、ありがとう!」

 それを聞いてシャムは露骨に嫌そうな顔をする。

「言っとくけど俺はペルシャにそれ持ってくように言われただけだからな。俺はまだ認めたわけじゃねぇ」

 シャムの言葉は辛辣だ。だけど逆の立場だったらヒメも同じように思っただろう。プリンシパル・シティの中で苦労ひとつ知らずに育ってきて、世間を知らない子ども。シャムから見た自分はきっとそうなんだろう。

「……引き返すんなら、今のうちだぞ?」

 その言葉にヒメはばっと顔を上げる。

「だっ、誰が!」

 もう覚悟は決めた。プリズン・シティには戻らない。

 それを見てシャムはふんっと鼻で笑った。

「せいぜい後悔しないこったな」

 それだけ言い残して、シャムは去っていった。


   *


 それからしばらくして、ヒメはペルシャとロシに連れられて中庭に案内されていた。長い髪は後ろの高い位置でひとつに結び、尻尾のようにゆらゆら揺れている。

 渡された衣服はなぜだかぴったりだった。ショートパンツなんて初めて履いたから、ヒメはなんだか落ち着かない。

 ペルシャは開けた場所で足を止めた。

「おいみんな! 集まれ!」

 周りをぐるりと建物が取り囲む中庭。日が辺り一面に差し込み、少年少女がのんびりとくつろいでいる。

 なんだなんだと彼らが降りてきたところで、ペルシャはヒメの肩を押した。視線が集中して、ヒメは顔を強張らせながらもぴんと背筋を伸ばした。

「今日から仲間になったヒメだ。この地区に来たばっかで不慣れなことも多いから、良くしてやってくれ。ヒメ、これが『猫』のメンバーだ」

 ヒメは中庭を見渡した。

 大勢の人がいる。その誰もが年端もいかない少年少女たちだった。十代中頃の者たちが多いだろうか。

 猫の目がヒメを射す。ヒメは少したじろいだ。

「大丈夫だよ。根はいいヤツばっかだから」

 隣に立つロシがそっとヒメに囁いた。ヒメはロシを見上げる。

 ロシはリーダー・ペルシャの左腕だと言っていた。優しそうに見えるが、頼れる人物なのだろう。

 一方、右腕だというシャムはというと、この場にはいなかった。ヒメに衣服を渡してから戻ってきていない。

 やはり自分が『猫』に入るのは反対なんだろう。ヒメは沈んだ気持ちになる。

 解散、とペルシャは声にして、『猫』のメンバーは散り散りになる。何人かはヒメの周りに集まってきた。ヒメの前に、雰囲気のよく似た少年と少女がぴょこっと飛び出る。

「ヒメちゃんって呼んでいい?」

「バッカ、ヒメ姉だろ」

 二人の子どもがそう言ってじゃれ合っている。雰囲気のよく似た二人だ。もしかして双子なのだろうか。

「えぇ、ヒメです。よろしくね」

「僕はアメショー」

「ボクはスコ」

 動作までよく似ている。二人とも、セーラーカラーの白シャツに、濃紺のボトムで一見すると区別がつかない。だがアメショーはハーフパンツ、スコは膝上のスカートだ。そこしか違いがなさそうだ。

「二人は双子なの?」

「ううん、違うよ」

「生まれたときから一緒だから。ふたり一緒に段ボールに入れられてたのを、ペルシャに拾ってもらったんだー」

 あっけらかんとスコは言ったが、その内容にヒメは言葉を失った。後ろからポンとロシが肩を叩く。

「気にしなくていいよ。ここの連中はそれが当たり前だから」

「でも……」

 家も親も名前も与えられたヒメには、その全てを持っていない『猫』のメンバーに対してどう接したらいいか分からない。学校ではそんなとこを教えてくれなかった。

「ヒメちゃんは跳んだり跳ねたりできるの?」

 アメショーの天真爛漫な声が響いた。突拍子もない質問に、ヒメはぽかんとする。

「え……できない、けど……」

 シャムがヒメを抱えて飛んだことを思い出した。よく考えたらあれは人間離れした動きだ。いろいろありすぎて忘れていたが、どう考えてもおかしい。

「ボクら『猫』は人より身軽な人間なんだ。ヒメちゃんにはできないでしょ? だからおあいこ! ボクらは名前を持ってない、ヒメちゃんは身軽さを持ってない」

「その分、失ったものもあるけど……」

 小さく呟かれたロシのその言葉は、ヒメの耳にも届いた。

「え?」

 しかし聞き返すことは叶わなかった。

 アメショーとスコが、左右からヒメの腕にぎゅっと抱きついてくる。

「ねーヒメちゃん! この町はもう見て回った?」

 と、スコ。

「良かったら案内しよっか?」

 と言うのはアメショー。

 二人とも幼くはあるが、スコの方がやんちゃ、アメショーの方が大人びている印象がある。

「いいの?」

「もちろん!」

 ふたりの声が重なる。ヒメはロシを見上げた。

「いいんじゃない? 俺もついてくよ」

 決まりだった。


   *


 プリンシパル・シティを賑わせていた『猫』だが、普段はそこまで目立った存在ではないらしい。

 というのは町に出てすぐに分かった。


「アメショー! この前言ってたやつ、できるようになったぞー」

「スコ! 遊べー!」

「ロシー、またお店に来てね」


 町行く人々は思い思いに『猫』たちに声を掛けている。プリンシパル・シティとは全然違った様子に、ヒメは少し戸惑った。

 先を歩くロシたちに、ヒメは小走りで駆け寄る。

「みんな、顔が広いのね」

「んー? そうかなー?」

 頭の後ろで手を組んで歩いていたスコは、首を傾げて答えた。

「町の見回りは『猫』の大事な任務だからね」

 アメショーはニコニコと笑いながら言う。

 どうやら『猫』は町の自警団のようなものを兼ねているらしい。無法者が集まるようなイメージだった外の世界だが、ある程度ルールはあるようだ。

 基本的には自分の身は自分で守る。それでも無法者たちが集まるこの町。小競り合いは日々起きる。

 それを仲裁するのが『猫』だ。人並み外れた力を持つ彼らは、町の人々から頼りにされていた。

「プリズン・シティほど綺麗なとこじゃないからね。誰か守る人が必要だ。そんな組織を作ったペルシャはすごいよ」

 ロシは挨拶してきた人たちに手を振りながらそう言った。

「同じ、人の住むところなのに」

 ロシはヒメを見下ろす。ヒメは続けた。

「どうして中と外じゃこんなに違うんだろう……」

 整った道路に澄み切った空気、町行く人々は気品高い。

 だがプリンシパル・シティもここもいるのはただの人だ。そのことに気づかずのうのうと中で暮らしていた自分に、ヒメは無償に腹が立つ。

 俯くヒメの頭を、ロシはぽんぽんと撫でた。

「ドームで囲ったのは、人類の存続のために必要なことだったんだ。ここはプリズン・シティのすぐ傍だからそこまで空気は悪くないけど、もっと離れたところはひどいもんだって聞いてる。ここはいい方だよ」

 外の世界は人間の身体にとって害悪だと聞いて育ったヒメは、今こうして普通に過ごせていることを疑問に思っていた。一歩ドームの外に出れば、そこはもう人の住む世界ではないと思っていた。

 飛び込んで見なければ分からないこともある。知れたことは嬉しい。だが知ったところで現状を変える術をヒメは持っていない。

 断然たる格差に、ヒメは後ろ暗い気持ちになった。

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