4 外の世界で

 プリンシパル・シティに入ることを許されなかった者たちがいる。中に住まうことができたのは、富裕層のみだ。では資産を持たない者はどうしたのか。

 ドームの敷地は有限だ。面積にしておよそ二千平方キロ。その地に住まえるだけの財産を持たなかった者たちは、ドームの外で暮らすことになった。

 汚染された外界。当然だがそこで暮らす人の方が多い。

 世界が二分されてから、外界はあっという間に荒廃した。当初こそプリンシパル・シティに直訴しようとゲートに人々が押し寄せたが、その強固なセキュリティに成す術もなかった。

 まとめる者などいない外だ。盗み、恐喝、詐欺が蔓延り、無秩序な町が築かれることになった。

 ドームに程近い町に根城を立てたのが『猫』。

 シティの敵である彼らは、この町では英雄だった。


 雑多な街中を、比乃芽と少年は歩いていた。すたすた先を歩く少年を、比乃芽は小走りで追いかけるかたちになっている。

 比乃芽にとっては初めての外だ。周りをよく見ていきたいが、そうしていたら少年とはぐれてしまいそうだ。

「そういやお前、名前はなんていうんだ?」

 少年は速度を緩めずに、首だけ振り向いて聞いた。

「私はあさ……ヒノメ。あなたは?」

 もう『朝日屋』の姓は捨てた。名前だけで身元が分かることはないかもしれないが、彼だけならば大丈夫だろうと比乃芽は本名を名乗る。

「……シャム」

 比乃芽はぽつりと呟いたシャムの背中を見つめた。

「……本名?」

「そうだようるせぇなぁ! 外のやつらがお前らみたいに親から名前もらってると思うなよ!」

 シャムはぴたりと立ち止まると、勢いよく振り返った。半ば怒鳴りつけるようにそう言うと、シャムはまた前を向いて歩く速度を上げた。

 浴びせられた言葉に、比乃芽は呆然としていた。名前をもらえない人がいる。その事実を恵まれた環境下にあった比乃芽は、理解することができなかったのだ。

「……どういうこと?」

 その問いにシャムはむすっとしている。それでも歩く速度は緩めてくれた。

「全部言わなきゃ分かんねーのかよてめーは。……いいか、ここ『猫』の連中は全員親無しだ。捨てられたやつ、売られたやつ、事情は様々だが、名前もつけられずに親と離れ離れになった連中ばっかだ。親に愛されるなんて中のやつだけだからな」

 初めて知る事実に比乃芽は何も言うことができなかった。自分がどれだけ狭い世界で生きてきたかを思い知らされた。

「同情すんなよ? これが俺らの普通だ。プリズン・シティの基準で考えんな」

 シャムは同情されるのが心底嫌なようで、吐き捨てるようにそう言った。

 中と外でこうも違うのは理解しているつもりだった。だけど分かっていなかった。

「ねぇ、さっきも言ってたけど『プリズン・シティ』ってなに?」

 シャムは「はぁ?」と眉を吊り上げた。

「お前らが住んでたところじゃねーか」

「あそこは『プリンシパル・シティ』よ?」

 シャムはハッと馬鹿にしたような表情を浮かべる。

「どこが『特別プリンシパル』だよ。『監獄プリズン』で充分だ」

 鈍感な比乃芽ではない。外の住人から自分たちの町がどう思われていたか、このときようやく理解した。そうだ、自分も籠の鳥ではなかったか。

「そうね……闇を隠して光る町よ……」

 含みのある言い方に、シャムは立ち止まって振り返った。比乃芽はなにやら思案しているのか、それに気づく様子がない。

「お前……」

「シャム!」

 それを遮って駆け寄ってくる少年がいた。

 シャムより頭半分背の高いその少年は、変な柄のシャツを着ていて、比乃芽は思わず凝視してしまう。小豆色と桃色の千鳥格子なんて比乃芽は初めて見た。しかしその変な柄を見事に着こなしている。スタイルがいいせいだろうか。

「戻ってこねーからヘマしたかと思ったぞ。なにやってたんだよ」

「わりぃわりぃ。ちょっと想定外のことがあってな」

 とシャムは後ろを指差した。指を射された比乃芽はぱちぱちと目を瞬かせる。変な服の少年は、口をパクパクさせた。

「な……にを考えてんだよお前は!」

 シャムにすごい剣幕で迫ってくる。シャムは耳を塞いでしかめっ面を浮かべた。

「だぁーってしょうがねーだろ? コイツが連れてかないなら人を呼ぶとか言うし」

 シャムはしれっとした顔で答えた。少年は、はぁーっと深い溜め息をつく。

「ペルシャが黙ってねーぞ?」

 比乃芽だけが二人の会話についていけずにいた。

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