第五十五話 永遠の愛

「ルベンダさん、大丈夫?」

「え、ど、ど、ど、どどどうしてっ!?」

「……ああ、えーと、少し落ち着いて」


 呂律が回らない様子に、アレスミは苦笑した。


 だがルベンダは驚いて焦るばかりだ。

 あの時も一瞬固まってしまうかと思った。だがこれは舞台であると思い出したため、どうにかセリフも言えたのだ。まだ混乱するルベンダに、アレスミは事情を説明し始める。


「まぁ簡単に言えば、ファントム様が舞台を蹴ったみたいなものよ」

「ええっ!?」


 自分の兄ながら、そんな無責任をするとは思えなかった。

 それに、最初はすごくやる気があるように見えたのに。


「帰ってきたばかりで疲れているのもあるしね。それにどうせなら客人としてこの舞台を見てみたいって。だからティルズに丸投げってわけ」


 だからあんなにも余裕そうだったのか。


 でもでどうしてそこでティルズが出てくるのだろう。

 騎士として忙しいはずだ。するとアレスミはにっこりと笑った。


「私の弟は優秀よ? 一晩あればセリフだって覚えられるもの。仕事に支障は出てないはずだわ」

「…………」


 遠慮なく褒めていたが、確かにそれもそうだと思い黙ってしまう。


 そして改めてこの兄弟はすごいな、とルベンダは思い直した。

 ティルズと少し話したかったのだが、相手は向こう側の袖口にいるため会えない。このまま舞台の上でしか会話できないだろう。もちろん、セリフのみだ。それに、自分は主人公。舞台にほぼ出ている状態だ。相手役が変わったからといって動揺している場合ではない。


 すぐにまたブザーが鳴りだす。

 今度は自分から、舞台に向かって歩いて行った。


 ルベンダが行き、アレスミは袖からゆっくり演技を見る。


 今回自分は監督役のようなもの。

 いつもは舞台女優だが、この作品の成功のためにも自分から監督を立候補した。緊張している面持ちでも演技は一生懸命している様子が伝わる。それが初々しくて可愛くて、アレスミはくすっと笑った。すると後ろからファントムがやってきた。なぜか苦渋の顔をしている。


「あら、客席にいたのでは?」

「俺が悪者みたいな言い方してたな。元々はお前の作戦だろうが」

「こう言った方が、ルベンダさんも信じやすくなるでしょ?」


 思わず舌打ちしたくなる。


 頭が良い女は嫌いではないが、やはりハギノウ家は頭の回転が速すぎて苦手だ。するとその様子が伝わったのか、相手に溜息をつかれる。


「そんな顔しないでくださる? どうせ家族になるのは目に見えてますわよ?」

「それを言うなっ」


 まだそこまでの関係にもなっていないのに止めて欲しい。

 すると勝ち誇ったような笑みを浮かべられた。だがすぐに無表情の顔になる。


「でも、本当に辛いのはルベンダさんね」

「…………」

「こんなにぎりぎりになるまでティルズも言わないなんて」

「それでも、あいつらなら大丈夫なんだろ?」


 視線をファントムに戻す。

 妹の心配ばかりしていたが、どこかすっきりした顔をしていた。そして苦笑し始める。


「俺の妹は図太い。やわじゃないぞ」

「……それは、ティルズも嬉しいでしょうね」


 そうして二人は舞台の方へ眼を向けた。


 演技をしているルベンダもティルズも、どこか晴れ晴れとしたような顔をしている。ティルズはもう気持ちが揺らぐことはないし、ルベンダも、事実を知ってもきっと自分なりの結論を出すだろう。二人ならば、きっと大丈夫だ。そんな思いを並べ、兄弟たちはその場で見守っていた。


 舞台は早くも後半に入る。


 元々一時間程度の軽いものだ。

 ここでは、ようやく二人が結ばれるシーンに入る。


「『リアダは多忙で踊りを見られないタギーナのために、特別に席を用意すると約束しました。それは酒場を貸し切り、リアダがタギーナ一人のために踊るというものでした。だいぶ打ち解けたタギーナは喜んで行くと約束しますが、急に入った仕事で約束時間に遅れてしまいます。しかもその日はあいにくの雨。大雨の中を必死に酒場まで馬を飛ばしてタギーナが行った頃には、既に酒場の電気が消えていました』」


 雨に濡れた、という設定でティルズはびしょびしょの姿でそっとドアを開ける。中は暗く、人の姿はいない。タギーナの役をしているティルズは、悔しそうに下を向いた。


「『俺が、もっと早く着いていれば……』」


 そう呟くと、急にぱっと電気がついた。


 驚いてみれば、酒場にあるステージに一人の踊り子の姿があった。

 リアダの役をしているルベンダは、にこっと笑みを作っている。


「『お待ちしてました、タギーナ様』」

「『リアダ殿……』」


 そっと近づこうとするが、濡れた姿を見て驚いて駆け寄る。


「『どうしたんですか!? すぐタオルを……』」


 思い直してタオルを取りに行こうとするが、手を握られる。いや、そのまま抱きしめられた。はっとするようにして、ルベンダは体を硬直させる。だがティルズは思い直してすぐに体を離した。


「『すまない。あなたが濡れてしまう』」


 だが今度はルベンダの方から抱き着いた。


「『リアダ殿、』」

「『かまいません。タギーナ様なら』」


 きゅっと掴む手を強める。


 ちなみにファン的にはここがおいしいシーンらしい。少し緊張しつつもルベンダがその状態でいると、力強く抱きしめられる。そして顔を上げられた。真正面でティルズの顔を見たが、その表情にどきっとしてしまった。少し切ないような、それでいて熱っぽくこちらを見る。


「『……あなたは』」


 掠れたような声。


「『あなたは、本当におかしな人だ』」

「『タギーナ様……?』」

「『いつでも笑顔で皆を癒している。自分が辛い時も必死に押し隠そうとし、相手のために自分を犠牲にする。その精神は人として尊敬したいが、俺は許せない。どうしてもっと自分を大事にしない?』」

「『えっ…………』」


 困惑して首を傾げる。


 当時の母は本当に天然で、というか優しすぎて損をしていた。

 そこがよく分かる場面だ。しばし視線を下にしたが、またルベンダは笑った。


「『皆の幸せそうな顔、それが私の幸せなんです』」


 するとティルズが息を吸う。

 そして慎重に聞いた。


「『……では、俺の幸せもあなたの幸せであると?』」

「『もちろん! タギーナ様は私が一番最初にお慕いした方です。一番に幸せになってほしいです』」


 無邪気に告白交じりなことを言ったが、当の本人は気にしていない。

 一瞬ティルズは目を見開いたが、やがてくすっと笑った。


「『そうか。…………では、リアダ殿。俺の妻になってほしい』」

「『え?』」

「『俺の妻になり、共に支えてくれないか。俺はあなたの笑顔を守りたい。幸せにしたいんだ』」


 すると見る見るうちにルベンダの頬が染まった。

 これは演技であれ少し嬉しかった。一生懸命、言葉で伝えようとするティルズの姿が、きっとタギーナの誠意と被って見えたのだろう。そして母も、すごく嬉しかったに違いない。ルベンダは満面の笑みを浮かべ、大きく頷いた。


「『はい!』」


 そうして二人はまた抱き合った。

 ここで大きな拍手喝采が湧き起る。これで舞台は終了の予定だ。


 二人は手を取り合って礼をする……予定なのだが、ティルズは離れた後もじっとルベンダを見ていた。一方ルベンダはこの状況をどうすればいいか迷い、とりあえずそのままでいた。拍手も止み、し

んとなる。静かになったのを見計らってか、唐突にティルズがしゃべり始めた。


「舞台、終わりましたね」

「ええっ? あ、ああ」


 普通に役なしでもう話してもいいのか? と迷いながらも返事をした。


「俺は明日、ここを去ります」


 急な内容に、驚愕の顔になる。


 それは客席にいるルベンダやティルズの知り合いたちも初耳らしく、動揺の声が聞こえ始めた。ルベンダは観客のことをすっかり忘れ、すぐに問い詰める。


「どういう、ことだよ」

「言葉の通りです。国王陛下直々に命令を受けました。俺は明日旅立ち、数年間ここにいません。そしてどこに行くのかも、いつ帰るのかも、お教えすることはできません」

「…………」


 ルベンダは黙った。


 どうにも動向がおかしい気がはしたが、そういうことだったのか。

 寄宿舎の方へ帰ってこなかったり、少しよそよそしさを感じていた。そして数日前の口づけも、少しおかしかった。また隠しことをされてこんな辛い目に遭わされて、必死に歯を食いしばる。


「っ。私は、お前にとってそれくらいの存在なのか?」

「……どういう意味ですか」

「ずっと一緒にいたのに……。行けよ。もう、どこへでも行けっ!」


 思いきり顔を逸らす。


 それは今にも泣きそうな顔を見られたくなかったのもある。

 すると急にティルズが声を張り上げた。


「人の話を聞いてください!」


 びくっとして振り返れば、少し怒ったような顔をしていた。

 いや、いつもは無表情で恐ろしかったが、今は感情を露わにしている。唖然として、涙をこぼしながらそれを眺めた。すると顔に手が寄り、涙を手で拭われた。そして頬に軽く口づけされる。


「な」


 思いきり離れたが、ティルズは少し微笑んだ。


「俺は、あなたが好きです」

「え……」


 初めて聞いた言葉に、動揺してしまう。

 好き? ティルズが? 自分を?


「え、わ、私を?」


 するとティルズは呆れるような口調になった。


「……何度も言わせないでください。祝福を受けたのも、生涯を共に過ごしたいと思ったからです。でもそれ以上に、俺はあなたのことが大好きなんですよ、ルベンダ殿」


 思わず視界が緩んでしまう。

 いつの間にか涙が溢れていた。


 そんなことは今まで言われたことがなかった。

 むしろ気にしてもなかった。きっとこれから一緒に歩むのだろうな、頑張るのだろうな、と先のことしか考えてなかった。だが、言われて改めて気付く。どうしてそれに気づかなかったんだろう。これからずっと一緒だということを意識し過ぎていたからだろうか。ルベンダは思わず泣きながら声を出す。


「わ、私も、ティルズのことが、好きだ」


 自分の中であっけなく答えが出た。

 どうしてこんなにも気になるのだろう、知りたくなるのだろう、傍にいたくなるのだろう、愛しいのだろう。それは、ティルズのことが好きだからだ。どうしてこんな大事なことを、こんな時に分かってしまうのだろう。もうすぐいなくなってしまうのに。


 止まらない涙に、ティルズは丁寧に拭いてくれる。

 そしてこっそり耳打ちした。


「本当は、口づけ初めてじゃないんですよ」

「え?」

「薬を落とした時に、俺があなたに飲ませたんです」

「え」


 驚いて涙が止まってしまう。


 そして同時にお店で集まった時のことを思い出した。

 すぐ処置しないといけない立場だった、というのはそういうことだったのか。ルベンダは思わず固まっていたが、どこからか被さった声が聞こえてきた。


「「なにいっ―――――!!」」


 その声は別方向から聞こえてきたが、同時に止めるような声も聞こえてくる。


「この野郎! 俺はお前が健全であることを信じて妹を預けたのにそんなことしてたのかっ!!」

「ちょ、いい大人がみっともないですわよ! 早く、誰か人をっ!」

「ティルズ――――! そんな話は聞いてないぞっ!? この俺を騙したなっ!!」

「だ、団長! この場はとりあえず落ち着いてくださいっ!」

「「誰がルベンダのことで落ち着けるか――――!!」」

「…………」


 ルベンダは本気で恥ずかしくなった。


 自分を溺愛してくれる父と兄の行為は嬉しいが、だからといって公衆の面前では勘弁してほしい。一方ティルズは苦々しい顔をしている。小声で言ったのに二人とも地獄耳だからだろう。それに命を助ける、という意味で行ったことなので、勘違いされていることにも少し困っている様子だ。


 どうにかアレスミと他の騎士たちが止めているが、このままでは埒が明かない。ティルズは諦めたのか、ルベンダの身を引き寄せて言った。


「すみません、お義父さんお兄さん。ルベンダはいただいて行きます」

「へ」

「「なっ。ふざけるなティルズ――――!!」」


 そのまま引っ張られ、ルベンダは連れて行かれた。


 ぎゃあぎゃあ言うファントムとタギーナを、どうにかその場にいた者が止めていた。まるで愛の逃避行のように行ってしまった弟の姿を見て、アレスミは溜息混じりに呟く。


「……ほんと、うちの弟は世界一やってくれる男だわ」







 はぁはぁと互いに息を切らすまで走った。

 ようやく止まったかと思えば、ティルズはにこやかな笑みを浮かべる。


「面白いですね、かけおちみたいで」

「何がかけおちだっ! …………それより、さっきの話は本当か?」


 するときょとんとした顔をされる。


「俺がルベンダ殿のことを好きかということですか?」

「そ、それもあるが仕事の方だっ!」


 すると真面目な顔をされる。


「本当です」

「……そう、か」


 離れる時が来てしまったのだ。

 何も言えず黙っていると、盛大に溜息をつかれた。


「俺と離れるのがそんなに寂しいんですか?」

「んなっ!」

「俺は寂しいです」

「え……」


 顔を見れば、今度はティルズが顔を逸らしていた。

 不意に吹いた風に髪をなびかせながら、ゆっくり言う。


「一緒に歩もうと言ったのに。そして親友……クリックとの仲も深められると思ったのにこの仕事ですよ。騎士としては嬉しいかもしれないですが、普通に人間らしく生きたいと願った俺には少し重荷です」


 そういえばお祭りの時にそんなことを誓っていた。


 確かに前よりも表情が豊かになったし、生き生きしだしたと思う。

 それなのに国の仕事だ。確かに辛いかもしれない。ようやくティルズの弱さが見えた気がしたが、ルベンダはやっぱりそんな姿を見たくはないと思った。そして片方の頬を手でつねる。


「ばーか」

「……ルベンダ殿に馬鹿にされる言われは」

「お前は馬鹿だな。別れが寂しい? そんなの当たり前だ。でも一生の別れじゃないだろ? 心配しなくても私はお前の帰りを待つ。ずーっと待ってやるよ。私はティルズが好きだ。好きな男を待つことくらいはできるぞ」


 すると目を丸くされる。

 余裕ぶって笑ってみせると、相手もふっと微笑んだ。

 そしてその流れのまま言われた。


「ルベンダ殿」

「うん?」

「口づけしたいです」

「…………っ。ば、馬鹿っ!」

「なぜ?」

「こ、こんな時に言うことかっ!」

「こんな時だから言うんじゃないですか」

「うう……」


 最後の最後まで言われっぱなしだったが、ルベンダはゆっくりと頷く。そして、そっと目を閉じながら深い口づけを交わした。手を力強く絡め合い、誰もいない隅で何度も互いに口を合わせる。それは、これから長い年月離れることになっても、互いに愛し合うことを誓うものだった。

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