第五十四話 感情込めた舞台を

「……へ。あの話って本当だったんですか!?」


 思わず叫ぶように言うと、相手はあっさり頷いた。


「ええ、もちろんよ。あら、もしかして嘘だと思ってた?」

「だ、だって」


 ルベンダは迷ったような素振りを見せた。ここは「癒しの花園」の中。客人としてやってきたアレスミは、すまし顔で紅茶をすすっていた。今日はルベンダに直々に頼みたいことがあって来たらしい。そしてその頼み事とは、以前アレスミが言っていた内容のものだった。


『私の知り合いの脚本家が、あの恋物語を舞台化したいらしくてね。良かったらルベンダさん、やってみない?』


「…………無理です!」

「ええー? どうして?」


 思いきり残念そうな顔をされる。


 だがルベンダは嫌だった。作品自体はとても素敵なものだ。何でも本の内容をそのまま再現するようだから、作品のファンも多いからきっと支持されるだろう。だが、それを舞台化し、そして母親の役を自分がするのはまた別だと思う。何度も首を振った。


「見た目は確かに母親譲りですが、いくらなんでも役になりきるのは無理です! それに性格がまるで違う。あんなふわふわで天然な母になりきれません!」

「あら。ルベンダさんもたまに天然な所があるけどねえ?」


 くすくす笑われる。


 だがそんなことは関係ない。それに、舞台なんてとんでもない。やったこともないし、浮くに決まっている。するとそれを見透かしてか、アレスミは少し真面目な顔になる。


「演技や作品の出来なんて正直そこまで求めてないわ。大事なのはいかに『本物』かどうか」

「本物?」

「あれは実話。ただの物語ではない。だからこそリアルさが欲しいの。リアダさんにそっくりなルベンダさんを使わないわけにはいかない。お願い、協力してほしいの」


 言葉一つ一つがなぜか重く伝わってきた。


 これはただのアレスミのお願い事じゃない。役者、表現者としてのお願い事でもあると理解する。また、舞台化を期待しているファンも多いと言う。確かに見た目だけしたら、これほどの適任者はいないように思える。だが演技はどうしても自信がなかった。


「ルベンダさん、練習すれば誰だって演技者にはなれるわ。いきなりやれなんて言わない。それなりの期間だってちゃんとあるから」


 最後は苦笑して言ってくれた。


 ここまで言われてしないのもどうかと思い、ルベンダは小さく頷いた。まだ不安そうな顔に、アレスミはドアをちらっと見た。するとタイミングよく、亜麻色の髪の騎士が入ってくる。


「そんなに嫌なのかー? むしろ光栄と思えよ」

「フ、ファー? 何でここに……」

「私が呼んだの」


 すっと立ち上がり、ファントムの横に立つ。

 二人ともなぜか自信に満ち溢れた顔をしていた。


「彼には相手役。つまりはタギーナ様をやってもらうわ」

「なんたって息子だからな。髪色だって一緒だし、顔だってそれなりに似てる。兄妹で頑張ろうぜ? ルベンダ」


 思わず唖然とする。


 なぜ兄はやる気なのか。そしていつの間に二人は仲良くなったのか。疑問は湧き起るばかりだが、こうなってはもう逃れられないだろう。あまりにやる気まんまんな様子に、思わずルベンダはがくっとなった。




「頼んでごめんなさいね」


 ルベンダがいなくなった部屋で、アレスミが小さい声で謝った。

 ちらっとそれを見て、ファントムは無表情で言う。


「いえ、別に」

「本当は嫌だったでしょう?」

「……まぁ、ほんとは」


 するとアレスミがくすくすと笑う。


「シスコンもほどほどにしといた方が身のためですわよ?」

「そっちこそブラコンみたいなものでしょ」

「まぁ、否定はしないけどね。でもしょうがないわ。ティルズはもうすぐいなくなるもの」


 最後は消え入るような寂しい声だった。

 だがファントムの表情は変わらない。不機嫌そうに言った。


「…………そんなこと、俺には関係ない」

「あら?」

「四年ぶりに帰ってきて久しぶりに会えたのに、大事な妹に男の影なんて冗談じゃない」

「数年間はファントム様の傍にルベンダさんがいることになるわ。立場が逆になるだけでしょ? いいじゃない」

「違う」


 少し強い口調になる。

 その言葉にアレスミは少し目を丸くする。


 実は昔、面識のある二人だ。

 ほんの少しだけだが、歳も同じだし下に兄弟がいるという意味では似た者同士。不思議と馬が合った。


 ファントムは少し顔を歪めた。


「あいつがいなくなって……ルベンダが悲しそうな顔になるのが我慢ならない」


 思わずふう、とアレスミは溜息をつく。


「なんだ、分かっているんじゃない」

「何?」

「むしろそれでいいと私は思うわ。困難がある方が絆は深くなる」

「…………」

「それでは、よろしくお願いいたしますわね。ファントム様」


 返事を待たず、アレスミは颯爽と出ていく。

 少し納得いかず、ファントムは歯を食いしばった。







 カラン。


 グラスの音が聞こえる。


 久しぶりに来たマスターがいるお店。本当は定休日らしいが、わざわざ自分のために開けてくれた。飲み物を飲みつつ、相手が来るのを待つ。しばらくして、控えめにドアを開けた人物がいた。


「お待たせしました」

「遅かったな、ティルズ」

「色々、準備をしていましたので」

「他国に行く準備か」

「…………」


 それ以上のことは言わず、ティルズはイスに座った。


 すかさずマスターが何か飲み物を置く。いつものようににこにこして、そして空気のようにその場からいなくなった。ファントムは険しい顔を隠さない。


「陛下直々の命令だな? どうせ知人や家族には、数年いなくなるとしか言ってないんだろ。重要なことは誰であっても言ってはならない。それも命令のうちだからな」

「さすがですね」

「当たり前だ。四年前の俺に下された命令と一緒だろ。お前は他国に視察がてら行く。そして内容、詳細、誰であれ全て極秘。お前は試練を与えられたんだ。名誉と共に」

「……」


 ティルズはただ黙った。


 全くの図星だ。それを数日前に与えられた。

 そして確実に出発する日が近づいている。そしてルベンダにだけ何も言えていない。いや、もう言わずにいなくなろうかとも考えた。


 ファントムはまた酒を飲みつつ、軽く聞いてきた。


「なぁ、お前ルベンダのことをどう思ってるんだ」

「愛しています」

「ぶふっ!」


 思いきり吹き出してしまった。


 こうもはっきり、そして即答だとは思わなかったのだ。

 もっと誤魔化すだのはぐらかすだのするかと思えば、あっさりと気持ちを暴露してきた。いらいらする気持ちを抑えて、ファントムは聞く。


「で? 言ったのか、いなくなること」

「言ってません」

「言わないまま行くつもりじゃないだろうな」


 すると無邪気そうな瞳がこちらを見た。

 青い瞳は、こちらから見ても綺麗だ。


「言わないといけないんですか?」

「は?」

「むしろ言わない方が彼女のためではないですか」

「……お前、馬鹿か?」

「その怒り方、ルベンダ殿とそっくりですね」

「ふざけるなっ!」


 ファントムはティルズの胸倉を掴んだ。


 それでもティルズは何も言い返さず、じっとこちらを見ている。その冷静な顔に、こちらは高ぶっていた気持ちが少し落ち着く。だが、このままで終わらせるつもりではない。


「男なら、けじめつけてから行けよ」

「…………反対、しないんですか?」

「は?」

「俺に対してあまりいい印象を持ってないように思っていました」

「お前は真面目で優秀だ。ルベンダのことが好きだと言ったが、邪な気持ちは持ってないと俺は信じてる。それに妹に関係ない面で言えば、俺は尊敬すらしてるぞ」


 思わず目を見開くと、相手は苦笑した。


「昔から剣の筋も良かった。いい騎士になれると思ってたが、実際そうなったようだ。ティルズ、大きくなったな」


 まるで弟みたいに、頭を撫でる。


 いい歳してこの図は少し恥ずかしくもあったが、同時に嬉しくもあった。やっぱり昔から憧れている騎士に違いはない。ルベンダのことを抜きにすれば、よい関係は今後も築けるだろう。かなりのシスコンと聞いたし、まだまだ大変そうだがこれも定めだ。


「で、お前の姉から頼み事があってな」

「はい?」

「最後の思い出づくりだ。そして、ルベンダにちゃんと想いを伝えろ」

「…………もう、祝福関係ですが」

「馬鹿言え。どうせお前らのことだ、お互い好きとは言ってないんだろ?」


 すると思わず苦笑してしまう。


 確かにそうだ。面と向かって言葉で伝えてない。当たり前のように祝福関係になったが、それでも互いにそれを言ったことがなかった。今更だが、ルベンダは自分のことを好きと言ってくれるのだろうか。ただ流れのまま、祝福を受けてるんじゃないだろうか。そんなことを思ったこともあった。


 するとファトムは穏やかに笑う。

 ティルズはその顔に対し、頷いた。







「ルベンダさん、大丈夫?」

「…………全然大丈夫じゃないです」


 ルベンダは何度も「人」という字を書いて飲んでいた。


 舞台当日。来場者数はかなりのもので、正気でいられる方がすごい。みっちりアレスミから稽古を受けて練習したものの、正直かなり不安だった。でもセリフは覚えたし、感情を込める練習もしっかりした。自分のことのように考えたら、自然と演技はできるようだ。


 一方、ファントムは全然練習していない様子に見えた。

 会ってもどこか余裕そうで、こちらの演技を見たりしていた。ちょっと不安に思ったが、自分より兄の方が頭が良いためどこか安心していたりした。


 緊張の面持ちをしているルベンダに、アレスミは笑う。


「あんなに練習したのよ? 自分らしさを大切にね」

「あ、はい……」

「あなたは今からリアダさんよ。リアダさんを誰よりもわかるあなたなら、きっと大丈夫」


 柔らかな笑みをしてくれる様子に、少し嬉しくなる。


 確かにそうだ。自分は娘であり、母のことは何でも分かっているはず。それに、大事な物語なのだ。二人の歴史であると共に、多くのファンも抱えている。期待を裏切るような行為を、娘がするわけにはいかない。ルベンダはきゅっと口をつむり、真面目な顔になる。


 ブーブー。

 開演を知らせるブザーだ。


「頑張ってね!」

「はいっ」


 背中を押され、ルベンダは笑って見せた。




「『……王女によって建てられた大きな騎士たちの寄宿舎。そこで働くメイドの中に、ひときわ美しい容姿を持つ少女がいました。彼女の名はリアダ。動くたびに揺れる長い赤い髪。見るだけで人の心を覗いてしまうほど魅力的な紫の瞳。その顔にはいつも笑みがこぼれ、人々を魅了していました。そしてそんな彼女が得意なのは歌を歌い、踊ること。その歌声はまるで小鳥がさえずっているよう。そしてその踊りは、天女が舞を舞っているように見えると評判を呼びました』」


 滑らかなナレーションが終わり、ルベンダがそっと舞台の上を歩いていく。

 その足取りはまるで、自由奔放なリアダのままだった。


「『ああ、今日もいい天気だわ。草が花が木々が……楽しそうに踊っている』」


 軽くステップを踏んだかと思うと、一回転をしたりしてルベンダは踊り出す。

 どんな時でも踊り、そして歌っていた。母は本当にのびのび生きていたのだと、ルベンダは演じながら思った。そして大道具として作られた大きな木に近づいた。そこで鳥の雛の鳴き声が聞こえてくる。実際には、笛を用いてそう聞こえるようにしているだけだが。


「『まぁ、あんな所にいるの? 素敵な声ね。私も一緒にお話ししたいわ』」


 そう言ってルベンダはすっと木に手をかけ、そして登り始めた。


 観客の中には感心する者もいたが、ルベンダはリアダよりも木登りが慣れている。それでも演技としてぎこちなく手足を動かし、そしてもうすぐ巣の方に行けると思った瞬間、体が真っ逆さまに落ちていく。いくら演技といえど、これは本番一発勝負。少し怖い、という思いを持ちながら目を閉じると、ドスッと体が当たった。なんとか着地できたのだろうと目を恐る恐る開けると、端整な顔が近くにあった。


 思わずルベンダは目を見開いてしまう。


「『悪いが、退いてもらえないか?』」


 はっとして、慌ててルベンダは体から離れる。

 そしてセリフを思い出しながら言った。


「『ご、ごめんなさい。私……』」

「『いやいい。でも妙齢の女性が木登りなどするものじゃない。気をつけなさい』」


 そう言ってタギーナ、の役をしているティルズがその場から立ち去った。

 立ち去った後でも、やはりルベンダは唖然としてしまった。


(な、何であいつが? 確かファーが相手役だったんじゃ……)


 混乱するルベンダの顔は本当にリアルで、観客からすれば好評だったようだ。恋に落ちた瞬間を、見事再現できていたと。本音を言えば、相手役が違い過ぎて驚いただけなのだが。ルベンダはアレスミから戻って来るよう合図をもらうほど、後ろ姿を目に焼けつけてしまった。


 ――――まだまだ舞台は、始まったばかり。

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