第五十三話 気付く
別の場所では、ティルズとビショップが対面していた。
互いに指示された軍服を着て、そして手には剣を持つ。
式典用に作られた剣は、装飾が軍服と同じように派手だ。だがその剣の切れ味も同時に良い。普通の剣よりさらに切りやすいことだろう。
「……準備はいいか」
「はい」
「言っておくが、俺の後輩であれ手加減をするつもりはない」
「はい、もちろんです」
するとビショップはくすっと笑った。
そして途端真面目な顔になる。
傍にいる監視役が手を上げて合図した。
「はじめっ!」
途端一斉に走り出す。
そして光り輝く剣をぶつけ合った。それなりの体格の差もあり、手が痺れる。だがティルズは手を休むことはない。表情だけでも冷静なティルズに、ビショップは感心する。
「さすが、『氷の貴公子』だな」
「すぐに負けるようでは他の方がつまらないと思ったからです」
「そうかもな。でも」
すぐに持っていない手でティルズに殴り掛かる。
「っ!」
どうにかして避けた。
ビショップは少しにやっと笑う。
そんな顔も珍しくて、ティルズは相手が本気であることに気付いた。ただの決闘じゃない。もっと信念があるように見える。案の定、相手は言い始めた。
「俺にはずっと傍にいたい人がいる。だから、どんなことがあろうと、負けたくないと思うようになった」
「……ビショップ殿にとってかけがいのない存在。その方がいらっしゃるから、強くなれるんですね」
「ああ。……ティルズ、お前は基本動作は上手いが、マニュアル通りでは相手に隙を生み出すだけだ」
そう言ってビショップは剣を軽く弾くような動作をした。
その途端ティルズの服に亀裂が入る。服が破れ、傷ができた。
「っ」
さすがは切れ味が良い剣だ。
掠れただけでもう血は溢れ出し、赤い滲みをつくる。
「まだまだだ」
言い終わらないうちに、相手から先制攻撃を受ける。
何度も鈍い痛みを体に感じながら、ティルズはどうにか立っていた。良く見れば、あちこち血が滲んでいる。まだ黒っぽい軍服で助かったが、相手が選んだ場所が悪かった。急所はどこにもないが、すべて血が豊富に含んでいる場所。それだけ血が流れるスピードが速い。その場所が多くあればなおさらだ。痛みよりも、血が流れ過ぎて頭が朦朧としてくる。
見れば床には血の痕跡が多くある。
周りの者も少しざわめいていたが、やはり陛下が許可したからだろうか。そこまで騒ぎにはなっていない。ビショップは冷静にティルズを見た。
「……もうすぐすれば意識も薄れる。ティルズ、お前はそれなりに実力がある。だがまだ若いな。技術はあるんだ。これから多くを体験しろ」
ティルズは少し目が虚ろになりながら薄く笑う。
「最後の、労いの言葉ですか?」
「そうだ」
「じゃあ、俺からも一言」
そう言って最後にティルズは俊敏に手を動かした。
「!」
一瞬何が起こったか分からなかった。
とにかくやってくる剣を避ければ、そのままティルズは床に向かって倒れる。カランッ! と剣が落ちる音が聞こえ、そしてその体も床に転がる。
「……?」
何か切られた気がした。
だが体に異常はない。では一体…………。
「ティルズ!」
急に誰かの声が聞こえた。
見ればこちらに向かって走ってくる踊り子の姿がある。
黄金の輝く姿に呆気に取られたが、すぐに彼女はティルズに近寄る。赤い髪が装飾品で彩られているのを見て、ルベンダであることが分かった。ルベンダはおろおろし、全く動かないティルズに声をかけていいか
迷っている。ビショップはすぐに声をかけた。
「大丈夫、気を失ってるだけだ。すぐに治療すれば問題ない。医療班、こちらへ!」
すぐに指示し、ティルズは連れて行かれる。
ルベンダも一緒について行った。
その後ろ姿を見た後、はらっと何かが落ちる気がした。
(紋章が)
左側に綺麗に刺繍された紋章がはずれていた。
頑丈につけられているのに、服を破くこともなく紋章だけが取られている。先ほど切られたのこのことだったのか。それにしても器用なものだ。それに、床に落ちた紋章を拾ってその意味を考えた。
紋章。それは王族の大事な顔だ。
そして自分はその王族を守る側近。
……その紋章を守れなかったということか。悪意はないだろう。ティルズはそんな人物じゃない。だが、それはまるでビショップがまだ愚かにも弱い、といってるように感じた。そして、実力で自分に敵わないことくらい分かっていたはずだ。最初からティルズはこれを狙っていたのではないか。……そうだとすれば。
(たいしたものだ)
少し顔を歪ませながら思った。
そして、そんなティルズにも大事な存在があったことを知る。きっとその感情も強かったのだろう。ビ
ショップはまだ、床に目を落としていた。
「やるのぉ」
セシアリアはおかしそうに笑った。
だが侍女は少し険しい顔をしていた。なぜなら紋章が切られたのだ。紋章と服が離れただけだとしても、許せない行為だと思ったのだろう。のんきに笑うセシアリアを睨む。
「陛下! これは許されるべき行為ではないですよ!?」
「よいよい。いいではないか。あの子にそんな気はない」
「ですがっ!」
「ビショップも良い経験になっただろう。やっぱりティルズに頼んで良かった」
くすっと笑い、前に頼んだ仕事について思い返した。
並ではない。そして楽でもない。名誉はあるが、よっぽど酷な仕事。それなのにティルズは動揺一つしていなかった。心のどこかでは、分かっていたのかもしれない。
「楽しみじゃな」
ゆっくり手に頬を乗せ、手すりに体重をかける。
……愛する者と多くの仲間。それを得られたティルズに渡した仕事。一体これからどのように行動するのだろうか。まるで問いかけるように、セシアリアは可笑しそうに微笑んだ。
ふと目が覚めた。
本当にふとだ。
いつの間にか自分は眠っており、そして体は横にされていた。
よく見れば体全体、包帯でぐるぐる巻きにされている。服の上では分かりにくかったが、意外と傷は多く、それなりに深い。だが寝込むほどではない。まだ若いので体力はあり、すぐに起きることはできる。すると影が見え、傍に誰かいることに気付く。その人物は、視線を下にして難しい顔をしていた。
「……ルベンダ殿?」
思わず名を呼ぶと、相手はぱっとこちらを見た。
だが顔色は変わらず、問うてきた。
「容体はどうだ? 痛くないか?」
「なぜ、そんな顔してるんですか」
「私のことよりお前のことだ」
「自分で心配するほど俺は馬鹿じゃないですから」
「…………ふざけるなっ!」
思わず体がびくっとなる。
悲鳴に近い声を聞いたせいだ。顔を見れば、今にも泣きそうだった。ティルズは意味が分からなかった。別に死ぬわけじゃない。それに決闘とはいえ余興だ。手加減をしないと言いつつ、ビショップはビショップなりの力量でこちらの相手をしてくれた。だが何か言えばまだ怒鳴られそうな気がして、ティルズは何も言えなかった。
するとルベンダは顔を背けた。体が、かすかに震えていた。
「……死んだ、かと思った」
「大袈裟な」
「大袈裟じゃないだろ!? お前はいつもそうだ! 自分で分かってるからって相手が全て分かるわけじゃないだろっ! ……どうして、どうしてそう人を心配させるんだ…………!」
ティルズは何も言えなかった。
そこまで心配させてしまったのか。
自分ではそう思わなかったため、少し動揺してしまう。だがルベンダは言葉を続けた。
「洞窟の時だってそうだ。いくら作戦だからって。フローの発明品だからって。お前はこっちを驚かすようなことばかりする」
ティルズばかり分かっていても、こっちは全然分かってない。
確かにティルズの方が頭はいい。それに、自分が知ってどうかなるというわけでもない。でも、それでは全く頼られてないことになる。むしろ、こっちが一方的に頼ってばかりだ。それは、なんだか嫌だった。
「私は、私はお前のこと……」
そこで止め、ルベンダははっとする。
今自分は何を言いかけた? 今更何をいうことがあるのだろう。
そう思いながらも妙な間を空けてしまい、慌ててしまう。
するとぎしっとベッドが動く音が聞こえた。
見ればティルズが上半身だけ起こした。
包帯でほとんど隠されているが、少し血が流れ出ている所もあり、見ていて痛々しい。顔を見ていれば、ティルズはいつになく真剣な顔をしていた。ただそのまま、何も発しなかった。
「「…………」」
互いに何も言わず、時間だけが過ぎる。このままでいいのか。どうすればいいのか。分からずにいると、すっとティルズがこちらに体を向けてきた。そして。
(え)
顔が、近づいて来る。
でもルベンダは動けなかった。
ただ真剣なサファイアの瞳が、こちらを見ている。
そして、瞳に自分の姿が映るほどになった。ティルズは一度動きを止め、再度近づいてきた。すっと綺麗な瞳は閉じられたが、ルベンダは驚きのあまり目を見開けたままだ。そして軽く、唇が触れた。
ガラッ。
いきなり救護室のドアが開けられ、二人は互いに距離を取った。
また、入ってきた人物の姿に目を丸くした。
「…………何、してた?」
「え」
亜麻色の髪色と自分と同じ紫の瞳。
会うのが久々過ぎて、一瞬誰か分からなかった。
だがファントム・ベガリニウスは、思いきり顔をしかめていた。
「自分の兄の顔も忘れたのか? ルベンダ」
「え。え……な、なんで」
「何でってひどいな。やっと任務が終わって帰ってきたんだよ。…………そんなことよりティルズ、久しぶりだな」
「お久しぶりです」
急に話す相手を変えられたが、ティルズは冷静に挨拶ができていた。
ファントムは姿をちらっと見て言う。
「随分ビショップ殿にやられたようだ」
「はい。まだ未熟者ですので」
「……そしてうちの妹を散々誑かしたってわけか」
「なっ! そんなことっ」
「ルベンダ、来い」
「!? ファー!」
いきなり手を取られ、ルベンダは連れて行かれる。そしてティルズは一人きりになった。部屋から出る際ファントムに睨まれた気がしたが、気付かないふりをしておいた。
「ちょっ。手が痛いぞっ」
抗議すると手を離され、急に抱きしめられる。
その仕方が少し切なそうで、ルベンダは何も言えなくなる。
「ルベンダ、会いたかった」
「…………ああ。私も」
同じように抱きしめ返した。
二人が会うのは約四年ぶりだ。ルベンダが十五の時、ファントムは二十歳だった。その頃に国王命令で、極秘の任務を行っていた。簡単に言えば他国の視察だ。その仕事に抜擢されたファントムは、嫌な顔をせず黙々とこなした。家族とも仲間とも会ったり連絡が取れない状況であったが、それでも耐え、ようやく帰ってこれた。
「いつ到着したんだ?」
「今日の朝だ。ちゃんとルベンダの踊りも見たぞ」
「ほんとか?」
「前よりもっと上手くなったな。それに綺麗になった」
「ファーは絶対お世辞を言わないからな。素直に嬉しいよ」
「ほんと、妹なのが惜しい」
本気で言われた言葉に、思わず苦笑してしまう。
「その発言、ノウスに聞かれたらまたシスコンって言われるぞ」
「実際事実だからなぁ。父さんより俺の方がルベンダのこと好きだぞ?」
「ったくもう。はいはい、私もファーが好きだよ。父さんと同じくらい」
すると少し不満そうな顔をされる。
だがくすくすと笑っておいた。ファントムは体を離し、少し眉を下げる。
「……それより、さっき何してたんだ?」
「え?」
「なんかあったろ。ティルズと」
「な、何もない」
「…………」
「ほ、本当だよっ!」
「……ふ――――ん?」
いかにも怪しげにこちらを見られる。
ルベンダはとにかくそっぽを向いて、抗議しておいた。
するとファントムは慌てて別の話題を出し、他国の話を始めた。たくさんの国を訪れ、そして思い出なども語ってくれる。それにルベンダは機嫌を直して、熱心に頷きながら話を聞いた。
…………でも実際は、全く話が耳に入ってこなかった。
先ほどのは何だったんだろう。
確かに祝福を受ける者同士だ。口づけをするくらい、おかしくないだろう。でもティルズのことだ。特別な時にすると思っていた。今までだって、触れたことはあっても口づけはしたことがなかった。それにさっきの様子も少しおかしかった。どこか思いを込めていたような、とにかくらしくなかった。それでも優しい感じで、少しどきっとしてしまったのも事実だ。初めての口づけは、思った以上に甘いものだった。
「ティルズ、大丈夫か!」
怪我したことを知ったクリックが、急いだ様子でドアを開けた。
するとそこに本人がいた。だがそれはクリックの知るティルズではなかった。ベッドに座り、なぜか頭を下げている。まるで考える人だ。ちょっと意外に思ったが、そこまで怪我がひどくないのには安心した。そっと傍に寄れば、相手はゆっくり顔を上げる。その表情に、クリックは少し眉を寄せた。
「……お前、少し顔赤くないか?」
「別に」
即答で帰ってきた。
だがやはり少し恥ずかしげな顔をしていた。顔を歪ませている。
無表情ばかりだが、たまに感情を顔に出すと分かりやすい。親友だから、余計に分かってしまった。
「何かあったのか?」
「何もない」
「一応俺ら親友だろー?」
「俺のことより自分のことだろ。早くニスト殿のことなんとかしろ」
「っな、」
不意打ちで痛い所を言われ、クリックはその先が言えない。
まさか気付かれていたなんて。
思わず黙っていると、名前を呼ばれた。
「…………クリック」
「ん?」
「俺に命令が下った」
「! じゃあ」
「ああ」
命令、という単語だけで既に予想がついてしまう。
クリックは慎重に聞いた。
「…………いつ?」
「さぁ。詳しくは聞いてない。でも、もうすぐだろ」
「他の奴らに、ちゃんと言うんだよな?」
「そのうちな」
「そのうちなって……。特にルベンダには早く言えよ?」
「そのうち言う」
「おい、後々の方が面倒だぞ。…………ティルズ? おい、聞いてるのか」
クリックが説得交じりなことを言っていたが、耳に入らない。
少し、自分の行動に動揺していた。
いつもは考えて行動しているのに、今回は違った。完全に無意識だ。
ティルズは目を閉じた。
自分は選んだ。後悔はしていない。
それならいい、この道で。どんなに困難であろうと。
「ティルズっ! 人の助言は真面目に聞いとけよ!」
「お前こそニスト殿のこと解決しろ」
「……くうっ!!」
言ったら言い返す、似た者同士の二人であった。
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