第五十一話 ある商人の葛藤
シャッ、と何か引かれるような音が聞こえた。
そして眩しい光が目にやってくる。
ルベンダは少し顔を歪めた後、薄らと目を開けた。
すると目の前にいる、鮮やかな桃色の髪が揺れる。
そしてその人物が微笑んできた。
「おそよう」
「…………シャナン!?」
ルベンダはがばっと起きた。
すると相手はくすくすと笑う。
「メイドの分際で、よくもまぁぐうぐうと寝てたわね?」
「シャナン……」
ルベンダはその言葉を聞かず、すぐにシャナンを抱きしめた。
相手は少し驚いたように体を動かしたか、諦めたように身を委ねてくる。久しぶりだ。離れていた間に、ひどい目に遭わされていたのだから。
シャナンはその状態のまま、大袈裟に溜息をついてきた。
「なぁに? 死んだわけじゃないんだから必死な顔しないでよ」
呆れた物言い。そして上から目線な態度。
いつもの彼女だ。変わってない。
それが妙に嬉しくて、ルベンダは体を離した後微笑む。
「ただいま……は、お前のセリフか? おかえり、シャナン」
すると目を丸くされる。
そしてくすっと笑って答えてくれた。
「ええ、ただいま」
昨日の夜、ここにティルズと戻ってきた。
いつの間に自分の部屋に来たのだろう。覚えていないが、とりあえずここに帰ってきたというのは事実だ。ルベンダは変わらずにこにこしたのだが、シャナンは少し片眉を上げた。
「……嬉しいのは分かるけど、あんた仕事はきちんとしなさいよ?」
「え?」
「メイドでしょ? 早起きは基本。しかも昨日帰ってきた時もぐーすか寝ててティルズ様に部屋まで運んでもらうなんて……失礼にも程があるんじゃない?」
「…………ええっ!?」
そんなことを言われ、少し慌てる。
まさかそんなことをしてもらっていたとは、いつの間に。
が、同時に申し訳ない気持ちになる。するとその様子を見たシャナンに笑われた。
「ま、ティルズ様は慣れた様子だったわよ。ルベンダのこと、ちゃんと分かってるわね」
シャナンの笑みに、こちらも救われる思いだ。
ルベンダは自然とお祝いの言葉をかけた。
「そういえば、祝福おめでとう」
急に話題を変えられきょとんとされたが、相手は少し頬が染まる。
髪と同じ桃色に、こちらが微笑ましくなってしまう。
シャンナンは恥ずかしくなったのか、少し顔を背けた。ルベンダはからかわないよう、余計なことは言わないでおく。あまり公にはされたくないのだろう。
しばしシャナンは黙っていたが、ぽつりと呟いた。
「……まさかあたしにあんな素敵な人ができるなんて、夢にも思わなかったわ」
「え?」
「聞いたんだけど、ジオさんが私のいる居場所を突き止めたらしいわね」
「あ! そうだ。何でジオさんはそのことを……」
ずっと疑問には思っていた。
するとシャナンは真面目な顔になる。
「ジオさんは知ってたの。私の過去の出来事を。だから、今回もあの男絡みじゃないかって、気付いてくれてたんだと思う」
「ジオさんには、伝えてたのか?」
すると穏やかな顔をされる。
その顔は、相手を信じ切った顔だ。
「ええ。ほんとは誰にも言う気はなかった。でも……そうね。言わざるを得なかった、とでも言えばいいかしら。私はあの事件から、少し男性不信になってたの。でも仕事をする上では、男女なんて関係ない。どうしようかと私の両親が心配してくれたんだけど、この寄宿舎について知った。そしてジオさんは歓迎してくれたわ。こんなあたしを」
「…………」
「ジオさんには、嘘はつけなかったわね。それにお母さんみたいな存在だもの。私はお母さん子だったから、少し嬉しかったわ。ここで暮らすことも決めていたし、ホームシックになったらどうしようって心配だったから」
メイドたちは皆ここで暮らしている。
シャンナンのように家族が生きている者もいれば、そうじゃない者もいる。だが、大抵皆ここで暮らす。それは自分の自立もあるだろうし、強くなるためにも、といっていい。話を聞いたルベンダは、自分だけ何も知らなくて悔しいと思ったが、同時に誰にでも相談できることじゃない、と少し考え直した。
「そうか……。でも、無事で良かった」
「ええ。ありがとう、ルベンダ」
素直にお礼を言ってくれた。
嬉しかったが、少し気づいてにやけてしまう。
「結局助けたのは私じゃなかったけどな」
「……」
「シャナンにとっては王子みたいだったんじゃないか?」
「…………ルベンダ、何が言いたいの?」
「最後の場面だけ、ティルズと一緒に見てたんだよ。二人が幸せになった瞬間が見れて、私も嬉し……ってあたたたたたっ!!」
最後まで言えなかった。なぜならシャナンが思いきりルベンダの腕をつねったからだ。思わず涙目になって抗議しようとすると、シャナンは顔を真っ赤にしている。
「……ど、どこまで見たわけ?」
「え?」
「最後ってどこからどこよっ!」
「え、えっと、とりあえず二人の告白までしか見てないぞ。後はティルズに止めとけって言われたから……」
そう言うと、相手は安心するような顔をした。
そして赤い顔からすぐに元の色に戻る。
「なんだ、そう。ならいいわ」
「? 何だ?」
「別に」
「??」
ルベンダは首を傾げる。
だがシャンナンはツンとして答えてくれなかった。
そしてまた別の話題を出してくる。
「そういえばさ、ニストの祝福の相手がクリックだって知ってた?」
「…………えええええっ!?」
「うるさっ」
嫌そうな顔をされたが、ルベンダにとってはそれどころではない。
「な? なんで? どうして……ていうかいつからだ!? しかもシャナン! 何でお前は知ってるんだよ! どうしてそう冷静なんだよ――――!!」
大事な後輩がそんな風に思っていたとは、全く知らなかった。
ルベンダは相手を気にせず胸倉を掴み、ぶんぶんと上下に振る。
「あーそうねー。気付いてなかったのねー。まぁ鈍感なあんたが気付くわけないかー」
シャナンは特に抵抗もせずにそう答える。
実質、上下に振られたせいで「あ~そう……ね。気付いて……ねー。まあ鈍感……………いかー」としか聞こえなかっただろうが。とにかくルベンダには衝撃的だった。
さらに振り回そうとした所で、シャナンは待ったをかける。
「そこまで心配する? クリックはいい人じゃない」
「え、ああ。まあ、そうだけど」
手を止め、冷静に考えてみた。
ティルズをからかい、そしてルベンダをからかい、でもやっぱりしっかりしている。そして行動も的確だったりする。さすがティルズたちと共に騎士学校に通っていただけはある。そういう面では、そこらへんの男よりよっぽどいい。
でも衝撃が強すぎて少し魂が抜ける。
ぼーっとしていると、シャナンはまた爆弾をぶつけてきた。
「ま、クリックは断ったみたいだけど」
「え」
その言葉に、ルベンダはまた手をかけて相手の体を揺らししまう。
「な、なな、なんで!? なんでだよっ。ニスト程可愛くていい子はいないぞっ!?」
ニストはルベンダがおすすめする、そしてとっても可愛がっているメイドだ。しっかりしていて何でもできるし、それなりに人気だってある。なのになぜ……。
するとシャンナンはふう、と溜息をついた。
「考えてもみなさい。クリックは商人よ?」
「…………だから?」
「お店自体は波に乗ってるけど、いつ没落するか分からない。しかも最近始めたならなおさらね。今のクリックは、自分の店のことしか考えられないわ」
そう言われれば、少しは理解できた。
お店経営というのは楽ではない。特に始めたばかりだ。客層も増やさなければならないし、景気はいつも乗るわけじゃない。そういえば、クリックが愚痴をこぼしていたのを昔聞いたことがある。
「……でも、だからって。大事なのはお互いの気持ちじゃないか……?」
「だから、でしょ? クリックの気持ちは分からない。でもとりあえず店を優先させたい。頭のいいニストなら、それくらいは分かると思うわ。でもニストは、断られても諦めないみたいよ」
「え」
「そりゃ祝福で決まった最初の相手で決まることが多いもの。ニストからすれば、ずっとクリックを待つつもりなんじゃない? とりあえず今は、仕事を優先的に頑張りたいらしいわよ。寄宿舎一のメイドになるって」
「じゅ、十分それくらいなのにな」
「まぁね」
話を聞いて、そんなことになっていたとは思いもしなかった。
だが、ニストからすれば前途多難のようなものだ。しかも相手が承諾するまで待つつもりなら、それが一体どれくらいの期間がかかるのか見当もつかない。ルベンダは少し、胸が締め付けられそうになった。
「――で?」
「へ?」
急に声をかけられ、頭の中で考えていたことが吹っ飛ぶ。
顔を見れば、シャンナンは企むような顔をしていた。
「あんたはどうだったわけ? 三日、いや五日間? 後輩を応援、もしくは温かく見守る側としては長すぎる休暇だったわね。どうせ何かあったんでしょ? さぁ、今すぐ吐け」
一気にまくしたてられて、唖然とした。
が、ルベンダは慌てて首を振った。
「え、べ、別に何もないぞ? ティルズの兄弟と親御さんと話しただけで」
「馬鹿言わないで! さんざんあたしの話を聞いたんだから、今度はあんたの番よ! それでも何かあったでしょ!? 早く教えてなさいっ!」
「だから何もなかったって!!」
叫びながらルベンダはその場から走り出した。
足の速さで負けるわけない、と思っているが、どこまでも追いかけられそうなのでとりあえずスピードは緩めない。確かにあったといえばあったかもしれない。でも、別段そんな特別なことはなかった…………ような、あったような…………。考えることでもないと思い直し、ルベンダはすぐにまた足を動かした。
ぼーっと考え事をしている人物が一人。
職は商人であり、気軽に王城へ遊びに行けるような身分ではない。
だがお咎めもなしにここにいられるのは、王立騎士学校に通っていたことも関係しているだろう。そして、周囲の配慮などもあると思う。
クリックはそのまま外に設置されている机に屈服した。
すると頭の上に痛すぎる物が落ちてきた。
「ったー……」
地味に、いやかなり痛い所に当てられ、一瞬死ぬかと思った。
星が浮かび、目には涙が自然と出てくる。本の角を落としてきた人物を見て、思わず抗議の声を上げる。
「な……にすんだよティルズ!」
「仕事もせずにお前こそ何してる」
あまりにも冷静な言い返しに、こちらは何も言えなくなる。
約三日ほど不在だったが、帰ってきたようだ。久々の再会は嬉しくも思うが、こうも冷酷非情だと逆にこっちは気が滅入る。そして今ならなおさらだ。
ティルズは傍の椅子に座り、そして上乗せするかのように問いをした。
「で、何があった。お前は何かないと来ないだろう」
こういう時は察しがいい。
というか、親友で良かったなどと思ってしまう。
……だが、今の悩みをティルズに相談するとなるとちょっと違う。他の相談なら遠慮せずするのだが、今回はまた違うことなのだ。クリックが黙ったままでいると、向こう側から別の人物が走ってきた。
「クリックー! そしてティルズー! 久しぶりー!」
語尾を伸ばして、頭に花を乗っけているような言い方には思わず笑ってしまう。スガタまで揃い、余計にクリックは言いづらいと思ってしまった。だがそんなことは知らないスガタは、早速ティルズと話し始めた。幸せそうな姿に、ちょっと羨ましく思ってしまう。
「ティルズが休暇って珍しいな。元気そうでよかった」
「それよりスガタ、おめでとう」
「へ?」
「シャナン殿と祝福だろう。喜ばしいことだ」
「あ……。へへ、ありがとう」
少し恥ずかしそうに頭を掻いていた。
その会話を見て、クリックは少し意外に思った。
もちろんティルズは友達思いではあるが、あんまり表面上に出さない。影で心配するくらいだ。だが、今は穏やかな表情で祝っている。もしかすると、故郷へ戻って何かあったのかもしれない。そして今なら、自分の悩みも聞いてもらえるんじゃないか、と思った。勇気を振り絞り、クリックが口を開こうをした時、また別の方向から声が聞こえた。
「――――ティルズ・ハギノウ?」
三人が顔を向ければ、一人の青年騎士が立っていた。
だがその意外過ぎる騎士に、驚きを隠せなかった。
輝く金茶色の髪が揺れている。前髪を分けて、凛々しい眉がこちらから見えた。そして、朱色の瞳がこちらを凝視していた。しばらく動けなかったが、ティルズだけいつも通り冷静に対処していた。
「学生時代以来ですね。ビショップ殿」
「嬉しいな。他ならぬティルズに名を覚えてもらえるなんて」
「女王陛下の側近でいらっしゃるあなたの名を、知らない者はどこにもいません」
すると相手は嬉しそうに笑った。
ビショップ・ザーラは御年二十四。若くそれなりの年齢である彼は、側近へ抜擢された。王立騎士学校の時も圧倒的な存在感と実力、そして多くの騎士から好かれる人物だ。側近になったことで王族と共にいることが多く、滅多に普通の騎士たちの目にはかかれない。だからこそ会えるのがレアだったりする。しかも憧れている者も多い。本人に会えたら、その日一日はラッキーではないか、と言われるくらいだ。
「ティルズにお願い事があるんだ」
「何でしょう」
「女王陛下直々に、部屋へ来て欲しいらしい。いいかな」
「畏まりました」
そう言ってすぐに二人は行ってしまう。
残されたスガタやクリックは、その様子を唖然と見てしまった。
二人の姿が見えなくなってから、スガタが慌てたような声を上げた。
「え、え。陛下がティルズに!?」
「……あいつもそこまでいったか」
最初から何か素質があり、そしてやってくれる人物だとは思っていた。
だが、まさか王族と直々に会うということまでになるとは。国や民を守るため、そして王族を守るために騎士はいるが、実際王族と会うというのは珍しい。
「…………」
スガタはまだ何やら言っていたが、クリックは黙ってしまった。
自分の悩みが、少しちっぽけに思えてしまったのだ。
(ニスト)
祝福の件で断ったことを、クリックは思い出してしまった。
だが彼女はこう言った。
『じゃあせめて、何かお手伝いをさせてください。役に立つことが、メイドにとっては嬉しいんですよ』
いつものように、笑ってくれた。
でも、その顔が少し歪んでいたのに、気づいた。
今ではただ淡々と、まるで仲間のように接してくれている。それが少し気にかかり、そして、悔しい、と思っているのだ。胸が、詰まる。なぜか、苦しい。
――――この気持ちは何なのか。誰か、教えて欲しい。
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