第五十話 ふれあい、寄り添う
(ようやく、遊べる。ルダと、遊べる……!)
そう思っていたセルは、いつもより早起きをして、鏡の前で満面の笑みを見せていた。そして何をして遊ぼうか、色々と考えていた。屋敷の中で遊ぶのもいい。でもルベンダにとってこの雪は珍しい。せっかくだから外にしようか。だが確か二番目の兄と外へ出たと聞いたし……。
考えるだけでわくわくしてしまう。
女性でありながら凛々しくかっこよく、一目会った瞬間から気に入った赤髪の少女。セルはにこにこ顔を止めることができなかった。 ――――が、なぜこうなるのか。
目の前で行われている光景に、セルは柔らかい頬をいつも以上に膨らませていた。
「くっ、なかなかやるな!」
「ルベンダ殿に褒められても嬉しくないですね」
「なんだとっ!」
「しきりに手で防御してますが、避けるという選択肢はないのですか? やれやれ、自慢の運動神経も、俺の前では無意味ですね」
「馬鹿言えっ! 頭はまだしも体力はお前に劣ってないっ」
「なんだ、頭の自覚はあるんですね。えらいえらい。成長しましたね」
「子供をあやすような言い方すなっ!!」
しきりに二人が白い塊を投げ合っている。
そう、雪合戦だ。寄宿舎方面の地域は、ここまで雪が積もらない。
体を動かして温まるため、という意味も込めてこの遊びを思いついたのだが……セルは中に入れないでいた。最初は三人で遊ぶよう計画を立てていたのだが、急にティルズがルベンダを挑発したのだ。
『さて、どうしましょうか。ああ、ルベンダ殿はセルと一緒がいいですよね』
『そうだな』
ここまではまだ兄の配慮としておこう。
だがその後がいけなかった。
『どうせ初めてですし、せいぜいセルに守られてください。俺の投げた雪玉に顔が当たるという可能性もありますしね』
久々に見せた嫌味な顔で、ルベンダはぶちっと何か切れてしまったらしい。
『っは! 誰がお前のへっちょこ雪玉なんか当たるかっ!』
『へっちょこ……。相変わらず乏しい言葉の使い方ですね。いい加減学んだらどうですか。俺がそんな弱そうな雪玉投げるとでも? 自分の力量も理解しといた方がいいですよ』
『…………久しぶりの嫌味だな。いいだろう、じゃあ勝負だっ!』
勝手に話が進んでしまい、隣にいたセルは「え」と思わず呟いていた。
だがルベンダは気づかず配置についてしまう。
おろおろして兄を見れば、同じように配置につく。そして口元を緩ませて微笑んでいた。それで分かってしまった。ティルズは楽しいんでいることに。離れている期間はあるものの、姉や兄の性格くらいセルも知っている。だからその笑いの裏には、ルベンダに対する何らかの思いがあるのだろうと読めた。
だが同時に思う。
(……今は、僕の時間、なのに)
優しい兄が、今は優しくない。
気の利く優しい性格のセルは、しばし二人の様子を見ることにした。
長らく勝負は続いたが、一向に二人は止めない。かなり体を動かしたようで、額に汗を浮かべている。最初は遠慮していたセルだが、動かないせいで体からどんどん熱が奪われていく。きゅっと閉じていた唇を開け、感極まって叫んだ。
「ずーるーい――――!!!」
大声に、二人は驚いたように手を止める。
セルはティルズをきっと睨んだ後、ルベンダの腕を取る。
「こっち!」と言って引っ張り、一緒に走り出してしまった。残されたティルズは思わず息を吐く。確かに今日はセルがルベンダとふれあう時間。その時間を奪ってしまって、少し反省した。
「やれやれ、弟をほっておくとか兄として最低だろ」
「今のは二人の時間を楽しんでいたとしか見えないなぁ」
「にしてもルベンダさんの扱いがひどくない? いじめるのは私の特権よ?」
後ろ側から三人の声が聞こえる。
厚着をし、わざわざ遊びに来たのだろう。ティルズは姉や兄たちに顔を見せず、無言を通していた。するとまた勝手なことを言われる。
「セルも可哀相に」
「むしろ末弟がルベンダさんをさらう、というシチュエーションが面白いね」
「今度劇団の作品に使おうかしら。十歳差の恋愛物とかどう?」
金色の髪を揺らしながら、弾んだ声でアレスミが言う。
するとルガナがさも嫌そうな顔をした。
「……姉貴、また恋愛かよ。俺飽きたんだけど」
「いいんじゃないかな? 私は見に行きたいよ。ヒロインはアレスミで、相手役はもちろんトーマス君だろ?」
「ふふっ、さすがお兄様。ルガナと違っていつも紳士ね」
トーマスとはアレスミの夫の名だ。
結婚しても現役で役者を続けている。二人はいつまで経ってもラブラブのようだ。頬を染めるアレスミは、本当に嬉しそうな顔をしていた。
「兄貴はまた別格だろ。男は誰もかれも同じじゃねーぞ」
「うるさいわね彼女もいないくせに」
「今関係ねーだろ! 勝手なこと言うなっ」
「そうだよ。そこで話を聞いている弟がこちらを睨んでいるよ?」
無言で振り返っていたのだが、いつの間にか話題に入れられた。
ゆっくりと、それでいて低い声で問いかける。
「…………何ですか」
すると三人は顔を見合わせ、にっこり笑った。
「「「別に?」」」
ずんずん進む自分より低い身長の少年に、ルベンダは罪悪感を持つ。
「ご、ごめんな」
すると振り返らず首を振られた。
「ティル兄が、いけない」
「でも、私も乗せられたわけで……」
ぴたっと足が止まる。
そしてこちらを恨めしそうな目で見る。
「ルダも、楽しそう、だったね」
「え?」
「ティル兄のこと、好き?」
「え」
思わず詰まる。
頬が赤いのは、寒さのせいにしてほしい。
「ああ。そうだ」
するときょとんとした顔をされる。
聞いてきたのはそっちなのに、どうやら驚いているようだ。
「あんなに、いじめられてるのに?」
「そ、それは……。でも、あいつにもいいところはある」
「うん、知ってる。アレ姉と、ガナ兄の次に、意地悪なところあるけど」
これには思わず笑ってしまう。
するとセルもにこっと笑う。
青緑の珍しい瞳が、綺麗に輝いていた。
「良かった」
「え?」
「ティル兄を、一番に分かってあげて」
「セル、」
「ティル兄には、誰か傍にいてあげないといけない。強くて、強くて強くてかっこいいけど、どこか、脆かったりもするから」
まだ十一歳だ。
でもこのように大人びた考えができるのは、すごいと思う。
歳の離れた兄弟が傍にいるせいだろう。最初は気に入らなそうな顔をしていたが、もう兄の心配をしている。正直ティルズとは大違いだ。……いや、兄弟そろってお人よしなのかもしれない。アレスミも、ウルフィも、ルガナも、セルも、そしてティルズも。皆それぞれ個性や性格が異なるが、優しく、そして人のことを考えられる人たちだ。そんな人たちと過ごして、色んなことを学んだ気がする。
急にセルが駆けだした。
そしてようやく二人の遊びが開始される。
雪合戦の続きをしたり、雪だるまを作ったり、ちゃんとふれあいの時間が持てた。遊びに入るとセルは無邪気で子供だった。大人っぽい考えを持つものの、やはりまだまだ少年であるようだ。そして時間というのは、あっという間に過ぎてしまう。
すやすやと、自分の膝の上でセルが寝ている。
外から戻った後も、屋敷の中でめいっぱい遊んだ。チェスのやり方も教わった。セルは色んな遊び方を知っており、教えるのも上手かった。そして一緒に本を読んでいる間に、いよいよ限界が来たようだ。疲れたのだろう。気持ちよさそうな顔をしている。一緒の部屋で休んでいたアレスミ、ウルフィ、ルガナも、微笑ましくこちらを見ていた。ティルズの姿はない。自室に戻ったのかもしれない。
いつの間にか日も暮れている。
今日中には帰ろうと思っていたのだが、セルが寝てしまった。このまま起こすのも、かといって寝てる間に帰るのも申し訳ない。すると、ウルフィが思い出したかのように手を叩いた。
「そういえば、屋敷の屋上に行ったことないよね?」
「え? はい」
「今の季節なら流れ星が見られる可能性が高い。行ってみてはどうかな」
「流れ星……」
あまり空を深く見たことはなかった。
なぜなら毎日が忙しく、余裕がないから。だが、せっかくの機会だ。それにここは何もないため、空が広く感じる。流れ星が見えなくても、星は空一面に広がっているだろう。ルベンダは微笑んだ。
「じゃあ、せっかくなので」
「場所は廊下を突っ切った先の階段を使えばいい」
「寒いから、暖かい格好でね」
皆に見送られ、ルベンダは一人で行ってみることにする。
一人なのは自分で望んで、だ。
ずっと誰かと一緒だったため、さすがに一人の時間が欲しいと考えていた。階段はすぐに見つかり、そして屋上に上がる。意外と風は強く、冷たい。一番高い場所だから、というのも関係しているのかもしれない。少し身震いをしたが、誰かの陰が見えた。どうやら先客のようだ。
そっとその人物に近寄れば、相手もこちらを見た。
互いに「あ」と言いながら、しばし見つめあう。
「ティルズ……」
銀髪の髪が大きく揺らぎながら、相手は白い息を吐いている。
しばし二人は、見つめあう形になった。
「「…………」」
最初一緒に勝負事らしきことをしたが、その後はちゃんとセルの時間を取っていた。それ以外は、そこまで絡んでいない。ルベンダは一瞬、中へ戻ろうかと考えた。だが、相手が先手を打つ。
「どうぞ」
自分の隣に来るよう、腰を上げて移動してくれた。
どうしようか迷っている間に、垂らしていた右手を引っ張られる。結局ルベンダは座ってしまった。
屋上といってもそこまで広くない。せいぜい二人、三人が座れるくらいの広さだ。だが場所が狭いことが、空を大きく強調しているようにも思う。早速空を見ようとすると、ティルズが口を開いた。
「星が出てますね」
「え? あ、そうだな」
ふとそう答えれば、ティルズが体を寄せてきた。寒いので、となんだか言い訳のようなことを言われたが、ルベンダは少し笑った。そして同じように体重を相手にかける。
「……温かいですね」
安心するような声色だった。
ちらっと見てルベンダは思った。それにしても大人っぽくなったものだ。中身もだが、最近は外見も男らしくなったと思う。少し伸び、馴染んだように輝く銀の髪。目元は一段と凛々しく、睫毛が長い。そして身長もさらに伸びた。だが、もう冬だ。季節は移り変わる。そして一年というのは早い。ティルズも来年で十八、今の自分と同じ歳になるのだ。
そんなことを考えていると、ルベンダは段々ぼうっとしてきた。
温かい、などど言われたが、ティルズの体の方が温かい。
ぬくもりのおかげか、少し眠くなってきた。すると、ティルズが声を上げる。
「ルベンダ殿、上を見てください」
「え? …………わあっ!」
そっと見れば、そこには無数の星たちが輝いていた。
空は藍色よりも濃い色相なのに、白い星がそれを隠すように存在している。ここまで星があるとは想像しておらず、自然と歓喜に満ちた声を上げてしまう。
「綺麗だ」
「俺は星よりもっと綺麗な存在を知っていますけどね」
だが聞く耳持たずのルベンダは、顔を振る。
そして、しきりに星を見て微笑んでいた。声色もどこか心あらず、といった様子だ。
「馬鹿言え。これ以上綺麗なものなんてない」
「星なんて夜しか見えません」
「だから風情があるんじゃないか」
「俺はずっと傍にいる存在の方がいい」
先ほどから否定の言葉ばかりなので、ルベンダは思わずむっとしてしまった。
「現実的だな。つまらない」
「夢は見るものじゃありません。叶えるものです」
夢、という単語が出てきたのは、きっと現実的、と言った単語と比べて出たのだろう。
「そこが現実的って言うんだ。確かに叶えるものかもしれない。だが見るのも素敵だろ?」
「ただの空想みたいなものじゃないですか」
「あのなー…………」
説明不足なのが少し悪かったのかもしれない。
ルベンダは自分なりに考えてから、また口を開いた。
「夢は『一つ』に限らない。自由なんだ。夢を持つのも持たないのも人それぞれ。自分の願い、夢をどうするのかなんて、自分にしか分からない。世間的に夢は『叶える』ものかもしれないが、私は夢を『見たい』」
「じゃあ叶えられなくてもいいということですか?」
「それは違う。叶う、叶わないじゃない。夢を持つこと自体が、大事じゃないか?」
するとティルズは目を丸くした。
珍しい顔をして、少し苦笑する。
「……そうですね」
やがては認めるような発言をしてくれた。
しばらくそのまま二人は空を見上げる。
それから会話もなく黙ってしまったのは、やはり星が綺麗だったからだろう。
「お世話になりました」
「ルベンダ、良ければまた五日ほど……」
「もう結構です」
レインサスに最後まで言わさないよう、きっかり断っておく。
すると笑われ、そして頷かれた。
「ありがとう。楽しかったよ」
「そういえば手助けは」
「紙一枚で十分だ。あれからちゃんと話ができた」
「それは良かった」
一応、当初の約束は果たされたようだ。
そのことに少なからずほっとする。他の兄弟も微笑んでくれていた。
「元気で」
「また遊びに来いよ」
「私はまたそちらの方へお邪魔するわね」
「ルベンダさん、ぜひリアダさんのことを語りましょうね」
さんざん一緒に過ごす時間があったのか、皆短いお別れの言葉だ。
ミヨウは最後の最後までリアダのことだったが。でも言葉だけでない、何か温かいものを感じた。最後にセルが、大きな花束を持ってきてくれる。いつの間にか、用意してくれたようだ。
「はい。ルダ、また来てね」
「セル…………ああ、ありがとう」
握手をして、ティルズと共に馬車に乗る。
姿が見えなくなるまで手を振り続け、そしてルベンダは手元の花束を見て微笑んだ。
「素敵な家族だったな」
「そうですか。俺にとっては個性の強すぎる家族ですよ」
「ふふっ、確かにな」
しばし笑って、この三日間のことを色々と思い出す。
目を閉じれば、脳内に様々なことが浮かんだ。
「…………」
ティルズは隣を凝視する。
どうやら相手は考えすぎてそのまま寝てしまったようだ。
規則正しい寝息が聞こえる。そしてその顔は、とても嬉しそうに見える。ティルズは少し溜息をついた。寝顔を見られたのはいいとしても、無防備すぎる。
だがふと空を見れば、白い星が降るように光っていた。まさかの流星群のようだ。この時期によく見られるものだが、まさかルベンダの寝ている間に降ってくるとは。先ほど言われた言葉を思い出し、ふっと微笑む。そして流れる星に願いをかける。
ルベンダと共に、幸せな人生を歩めますように。
叶うか叶わないかなど、どうでもいいのだろう。
願いがあるから人は強くなれる。ティルズはルベンダの頬を撫で、嬉しそうに微笑んだ。
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