第四十八話 長男と彼の話
「こうして面と向かって話すのは初めてかな?」
「はい」
ルベンダに微笑みかけるのは、今日も笑顔で眩しい光を放っているウルフィだ。アレスミとの会話が終わり、そしてすぐに呼ばれた。場所は応接間。机の上にはクッキーの入ったお皿。きっとマーサが用意してくれたのだろう。いい香りがする。
ウルフィが珈琲を一口飲み、思い出したように口を開いた。
「そういえば父上にここに来るよう言われたんだよね。僕ら兄弟にしては嬉しかったけど、断れなかったんだって?」
「え。……ははは、まぁ」
ルベンダは顔をひきつらせながら答える。
そう。寄宿舎の方へ無事に帰り、そしてルベンダも仕事を再開させようとした。だが丁度いいタイミングで、レインサスから手紙が届いたのだ。もう少しこちらに滞在してほしい、というものだった。確かに約束はしていたし、ルベンダは後三日くらいなら行こうと考えていた。だが事件が終わってすぐのことだ。シャナンが心配だった。だが手紙の最後の文に、驚くべきことが書かれていた。
『P.S 君が来ないというのなら、事件に参加していたことをタギーナに報告しようかな』
見透かされている、というのはこのことだろうか。
レインサスがそれなりに何をしでかすか分からないことはティルズによって分かった。ノスタジアや他の騎士には口止めしてもらっているが、レインサスが報告するとなると、後が怖い。しかもそれは事実。ルベンダに誤魔化せるようなスキルはなかった。なのですぐさまこちらに来たのだ。
アレスミを含む他の兄弟は喜んでくれたものの、心情は少し複雑だ。やはりハギノウ家の当主は色々と強い。ウルフィは少し首を傾げていたが、細かいことは聞かないでまた微笑んだ。
「せっかくこうして二人きりだ。何を話そうかな」
「そうですね」
「ああ、そうだ。ティルズのことがいいかな。どう? あいつは寄宿舎ではどんな感じ?」
「え。ええと……」
すぐに答えようとしたのだが、なぜか言葉が出てこない。
というのも、ティルズの雰囲気が前と変わったからだ。
前はただ嫌味を言うだけだったが、今では優しい所もある。
それもまとめて伝えたらいいのだろうかと思っていると、ウルフィは意外な発言をした。
「私はね、ティルズのことが嫌いだったよ」
「…………え!?」
下を向いて考えていたのだが、顔を上げてしまう。
だが相手は変わらず笑みを持っていた。
「私は最初から当主になるべく育てられた。アレスミやルガナが生まれても、それは変わらなかった。兄弟で当主の争いもないし、最初からそのように育てられたせいで、私もすぐ納得していたんだ。でも、ティルズが生まれてしまった」
ルベンダは一度、唾を飲み込む。
ずっと目を線にして笑っていたのだが、ウルフィは目を開け、綺麗な緑の瞳をこちらに向ける。
「あいつは恐ろしい奴だよ。かなり頭が切れる。小さい頃からね。得体のしれない何かを持って生まれてきたと思った」
「何かって……」
「さぁ。とにかく普通と違う。だから私は恐れていた。むしろ関わりたくもなかったね。あいつが生まれたせいで当主の座を奪われるんじゃないかって、怖がる日々だよ」
口元は微笑んでいたが、口調が強くなっている。
しばしそのまま静かになる時間が続いた。
相手は笑いながら怖い表情をしていたが、また元の穏やかな笑みに戻る。
「まぁ今じゃそれはないけどね。当主を継ぐ気はないらしいし、父上を嫌悪してかなり反発していたし。しかも正直者で正論を口にする。やっぱり普通じゃないけど、観察する側としてはこれ以上面白い人物はいない」
最後は喉の奥で笑いながら話していた。
ルベンダは少し唖然とする。
笑っている姿は父に似ているが、実の弟であるティルズにそのような思いを持っていたとは。何を考え
いるのか他の人より分からないと思っていたが、ウルフィはウルフィなりに色々と考える所はあったようだ。クッキーを自分の口に運び、相手は嬉しそうな顔をする。
「ああ、なんだかすっきりしたよ。こんなこと、家族に言えることでもないしね。ルベンダさんに聞いてもらってよかった」
「い、いえ」
ルベンダの方も、意外な事実を聞けて少し新鮮だった。
ジェントルマンなイメージを持っていたが、ウルフィもまだ二十四だ。若いからこそ、悩むことはあるだろう。するとウルフィはおもむろに立ち上がり、一枚の紙を持ってきた。
「これ、父上からのお願いごと」
「え?」
「時間がある時に書いて、私に渡してもらっていいかな」
「は、はい」
受け取るとウルフィは笑った。
「これで話はおしまい。アレスミとかなり話し込んでいたね。私は君と少し話しただけで十分だよ。それに本来の目的はこれ。父上に渡すよう頼まれていたから」
「そ、そうでしたか」
案外あっさりと終わってしまった。
そのままウルフィは応接間から出ようとする。掛けていたコートに手を伸ばしたところを見ると、どこか出かけるつもりだろうか。ルベンダは、思わず声をかけた。
「あ、あの!」
「うん?」
「…………今は、ティルズのこと嫌いじゃないんですよね」
少しきょとんとされる。
だがすぐに、温かい微笑みを返してくれた。
「もちろん。あいつはいい奴だよ」
「はい」
ほっとしてそう返す。
ウルフィはそのままドアノブに手をかけ、こちらにある言葉を残した。
「早く二人の晴れ姿が見たいものだね。結婚の日取りが決まったら、早めに教えてくれ」
「…………え」
ひらひらと、背中越しに手を振ってくれる。
だがルベンダは、唖然として固まってしまった。
セルがぺたぺたと、雪の塊を叩いている。
雪だるまを作っているのだ。
ティルズはそれを見ながら、真っ白で分かりにくくなったベンチに腰を下ろしていた。そんな中、ピンクのマフラーをしたある人物が小走りでやってくる。ティルズがそれに気づき、思わず目を見開いた。
「母上?」
「ああ、ティルズ。セルは?」
「あそこにいますよ」
「まぁまぁ。可愛らしい雪兎ね」
「母上、雪兎にしては大きさが違います。あれは雪だるまですよ」
「あら、まぁ。間違えちゃったわ」
おかしそうにほほっ、とミヨウが笑う。
相変わらず天然のようだ。性格が少し、ルベンダの母であるリアダにも似ているらしい。昔、父が話しているのを聞いた。じゃあ初恋の人と似ているから結婚したのか、と聞くと、それは違うと答えた。
『本当の自分の運命の相手に出会ったんだよ』
その時は少し阿呆らしく思っていた。
運命だ何だ、という前に相手を好きになって結婚したのではないだろうか。そんな現実的なことを、自分は幼い頃から考えていたものだ。だが、今ではその意味が分かるかもしれない。あの髪に触れ、あの肌に触れ、その姿を目に焼き付けるだけでも心がいっぱいになる。そして同時に、会えてよかったと、心から感じてしまう時がある。これを運命と呼ばずしてなんと呼ぶだろう。でも、それを認めると父まで認めることになりそうで嫌悪感を持ってしまう。
ティルズは巻いていた白いマフラーを、自分の口まで持って行った。
寒さが異常だ。少し体を動かしたのでマシだが、それでもここは寒い。ミヨウがセルの元へ行こうとした時、思い出したように言ってきた。
「そういえば明日、お父様が二人でお話ししたいそうよ」
「…………分かりました」
来たか、と思った。
ここに自分を呼んだのは、話がしたいというのも関係していることくらい気づいていた。一体今さら自分と何を話すのだろう。逃げ出したい気持ちもあったが、ルベンダは今この屋敷にいる。自分だけ帰るわけにはいかない。ならば真っ向勝負か。ふう、と白い息を吐く。そして目を閉じる。冷気のせいか、目がひんやりとしていた。
ルベンダはぼおっとしながら部屋へと戻る。
そんなにも早く先のことまで考えていなかった。
だが、確かにその通りだ。
いつかは結婚して一緒になる。
少し溜息を吐いていると、誰かの走る音が聞こえた。
「ルダっ!」
「!?」
どんっとぶつかるように来たのはセルだ。
厚着の服装が可愛らしい。そしてかなり冷たい。
外で遊んだことを悟り、ルベンダは微笑んだ。
「なんだセルか。外にいたんだな」
「うん! 母様とティル兄も一緒!」
そしてセルの後ろから、二人の人物が歩いてきた。
ミヨウがこちらに気付き、嬉しそうに手を振ってくれる。
傍にいたティルズは、巻いていたマフラーを外そうとしていた。外は風でも吹いていたのだろうか。少し髪が乱れている。ミヨウは、気軽に話しかけてくれた。
「あらあらルベンダさん。お話は終わったの?」
「あ、はい」
「今度は一緒に話しましょうね。今回は子供たちのために譲ったけれど、私もルベンダさんとリアダさんの話がしたいわ」
「はい、ぜひ」
笑って答えると、相手も笑い返してくれた。
そしていつの間にか来ていたセルが、こちらに手を差し出す。
「ルダっ! 遊ぼー!」
「駄目だ」
ぴしゃりと言い放ったのはティルズだった。
あまりに厳しい言い方に、ルベンダの方が言い返してしまう。
「おい、そんな言い方はないだろう?」
だがルベンダを無視し、弟に叱咤する。
「セル、約束は守れ」
その短い一言でも、セルにはかなり利いたらしい。
無言で頷き、ルベンダに素直に謝ってきた。
「我儘言って、ごめんなさい」
「え。いや……」
「母様、行こう」
そうしてミヨウの手を引っ張って、そそくさと行ってしまった。
ルベンダは思わず顔を歪めてしまう。
「言い方、きつかったんじゃないか?」
「人として守るべきことは守らないといけないでしょう」
正論なのでむう、と唸る。言い返せない自分が悔しい所だ。
だがそんなルベンダに、ティルズは知らず知らずのうちに、ぼそっと呟いていた。
「ただでさえ、ここではあなたといる時間が少ないのに」
「え?」
「いえ。俺も部屋へ戻ります」
半ばやけになったのか、ティルズはルベンダの横を通り過ぎようとした。
だがぱしっと、手を取られる。見ればルベンダがまじまじと自分の手を見ていた。
「手、大丈夫か?」
少し心配するような表情だった。
見れば赤く、しかも所々切れている。あかぎれのようだ。
「別に、平気ですよ」
「でも冷たい」
そのままルベンダは両手で手を握り、自分の口に近づけた。
そしてはぁ、っと温かい息をかけてくれる。妙に心地よく感じた。
ルベンダはそれを繰り返し、そしてなぜか微笑む。
「人の体温ほど、手は温まるに限るぞ。たまには甘えろ」
「…………」
ティルズが何も言わないので、ルベンダは首を傾げた。
アレスミに言われたことを試そうとしたのだが……はっとした。
たまにはティルズに「甘えろ」と言った。だが今言った意味では、ティルズがルベンダに甘えることになる。間違えた、と思っても後も戻りはできないだろう。しばし相手は視線をこちらに向けていたが、ふと呆れたように笑う。
「そのセリフ、普通男から言いませんか?」
「う、うるさいな。いいんだよ私は男っぽいから!」
そう言い返すことしかできなかった。
するとティルズは苦笑する。そしてしばらくしてから、ぽつりと言った。
「……明日、父と話すことになりました」
「! そうか」
遂に親子で話すことになるのか。
どうなるか心配だったが、先程ウルフィに頼まれたものを思い出す。きっとあれが少しでも役に立つだろう。親子の会話に自分がいなくて大丈夫なのだろうかと思ったが、それは頼まれていない。きっと二人でしっかり話し合うはずだ。
ティルズは少しだけ神妙そうな顔をしていた。
それに対しルベンダは、軽く握っている手を叩いた。
「大丈夫だ。もう言われっぱなしのティルズじゃないんだろ?」
「当然です」
さも当たり前のように言われた。
そういうところは可愛くない。が、ルベンダは笑う。
「きっと大丈夫だ。しっかり話し合えよ」
「ええ。手、ありがとうございます。だいぶ温まりました」
「それなら良かった」
「では」
そのままティルズはその場から歩き出す。
ルベンダはそれを眺めながら、どうか上手くいくようこっそりと祈った。
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