第四十七話 長女と愛の話
「ティル兄ー!」
白い息を吐きながら叫ぶセルの顔は、嬉しそうにきらきらしていた。
その顔を見ながら、ティルズは軽く微笑む。
「あんまりはしゃぐと風邪を引くぞ」
「いいのー!」
そう言って地面に積もった雪に、赤い手袋をはめた手を突っ込む。
柔らかい雪を両手でつかみ、上へ投げた。すると上から白い塊がぼたぼたと落ちる。体が昔から弱く、今も寒くないようセルはかなり厚着していた。そうしないと、すぐ体調を崩すからだ。それでもセルの頬と鼻は赤くなっていた。今日は特に冷え込む。ティルズは弟の両頬に手を添え、少し顔を歪めた。
「冷たい。もう中へ入ろう」
するとセルはむうっと頬を膨らませる。
「やだっ」
短い言葉で反抗され、ティルズは目を丸くした。
セルは滅多にこのように言わない。律儀なのか、両親の育て方によるのか、相手のことをよく考えて動いている。言語能力が劣っているせいで、少し意思疎通ができない場合もあるが、その時は言葉ではなく行動で示してくる。素直で子供ながらに大人っぽい、昔の自分のようにティルズは思っていたが、どうやら今日は違うようだ。
「……セル?」
「なんでルダがいないのっ!」
違う人物の名が出てきて、思わず身を引いた。
だが苦笑してみせる。ルベンダのことを「ルダ」と呼び、しかも会った当初から嬉しそうな顔をしていた。お気に入りの人物に登録されてしまったようだ。確かに男っぽく、しかも子供の相手もルベンダは上手い。誰に対しても仲良くできる業は、そうそうできるものじゃないだろう。
シャナン関係の事件後、ティルズたちはまたここに戻ってきた。
そう、ハギノウ家の屋敷に。
確かに休暇は多めにもらっていた。だがせっかく城の方へ戻ったので、ティルズはそのまま仕事を再開させようとしたのだ。だが、スタジアがそれを許さなかった。
『休暇なんてそう簡単に取れる職じゃないだろう。せっかくだから、家の方へ戻れ』
『しかし、』
そう返すと、少し目線を上にしたり、困ったような表情をされた。どうも何か違うらしい。しばらくその状態が続いていたが、ノスタジアは溜息混じりに説明しだした。
『実はな、ルベンダのことなんだ』
『どうかしましたか?』
『またレインサス殿から、屋敷の方へ来るよう言われたらしい』
思わず絶句する。あの男はまだルベンダに用があるのか。
しつこいことは息子であるため知っていたが、面倒だな、と心の中で舌打ちしておく。そんな様子を分かったのか分かってないのか、ノスタジアは頭を掻きながらこう言ってきた。
『で、あいつも断れなかったらしくてな』
『なぜですか』
ルベンダの強情さなら、断るという選択肢もあったはずだ。
他の人物ならば無理もないだろうが、ルベンダの断れなかった理由を知りたくていらいらしてしまう。できなかったならできなかったなりに、自分がすぐ阻止しておいたのに。相変わらず父親は手が早い。
『そこまでは教えてくれなかったな。でな、まだ続きがあるんだよ』
最後の方は憐れみに近い言い方だった。
ティルズは嫌な予感をしてしまう。そしてその理由は言われずとも分かってしまった。言わないでおこうかと思ったが、願いも込めて自分から言ってしまう。
『……団長ですか』
『さすがティルズ、頭が良い。そ、団長が心配なんだと。あのケダモノについていくのなら、ティルズも一緒につれていけって。じゃないと許可しないってさ。それでレインサス殿も納得したらしい。……まぁ俺からすれば、どのみちルベンダは連れて行かれると思ったけどな』
『…………』
確かにあの男からすれば、容赦なくそうするだろう。
タギーナの要求を受け入れたのは、きっとそうするように仕向けたのだ。それに、常に自分が上の立場にいることを望む。タギーナも、昔から手を焼いていることだろうと思う。そのまま黙っていると、ノスタジアが真面目くさった顔で言った。
『というわけでティルズ、悪いが休暇という名のルベンダの保護を頼む』
『畏まりました』
頭を下げてそう答える。
だがティルズからすれば、そう答えるしか手がなかった。
そんなこんなで今、弟と一緒に雪遊びをしていたわけだ。
ずっと故郷へ帰ってなかったせいで、セルははしゃいで嬉しがってくれた。ティルズ自身も、セルは大事な弟なので、相手ができて良かったと思っている。当初はルベンダも一緒のはずだった。だが急きょ変更になってしまった。というのも、他の兄弟たちがルベンダを欲しがったのだ。
少しくらい話す時間が欲しいだの、言いたいことがあるだの、ルベンダを巡る兄弟喧嘩まで勃発しそうな勢いだった。だがここはやはり年長者優先ということになり、アレスミ、ウルフィ、ルガナ、そしてセル、と決まった。年齢的にはウルフィが最初のはずだったが、レディファーストらしい。そこはさすがというか、ただ単にアレスミの権力が強いせいではないか、と思った。
一応そのように決まりはしたが、セルはそれを聞いてひどく落ち込み、そしてこのようにぐれている。滞在期間は三日。セルは一番最後。すぐに会えない、遊べないことに、不満を顔に出している。
ティルズは少し宥めるように言った。
「三日はいるんだ。全く会えないわけじゃないだろ。それに最終日がセルの日だ。最後までいっぱい遊んでもらえる」
「…………ティル兄も一緒?」
「一緒がいいのか? ああ、一緒に遊ぼう」
するとすぐに笑顔に戻る。
「うん!」
セルはまた一人でどこかへ向かって走り始める。
ここは屋敷に近い野原だ。今や雪原になっているが、土地が広い。なので思いきり遊べる。真っ白な世界に、ティルズはぼんやりとその景色を見ていた。あの赤い髪がここでなびいたら、どんなに綺麗に映るだろうか。
「ティル兄、早くー!」
「ああ、今行く」
不意に呼ばれ、軽く返事をする。ちらっと屋敷の方へ視線を移した。
そしてまた弟の方を向き、雪を踏む音と共に歩き出した。
「寒いわね」
「はい」
アレスミの部屋で一緒に紅茶を楽しむ。種類はアールグレイのようだ。とても香りがいい。そのまま互いに香りを楽しんだのち、アレスミの方から口を開いた。
「それにしても良かったわ、シャナンさん」
「……はい。本当に」
あの事件が、もう何年も前のように感じてしまう。それほど現実味がなかったからかもしれない。無事寄宿舎の方へ帰ると、そこで待っていたメイドたちが一斉にシャナンに抱き着いた。感極まって泣いていた子もいたが、シャナンは笑って皆を宥めていた。一番辛い目に遭ったのは彼女なのに、平然とした態度だったのがすごい。ルベンダは素直に感心し、やはり年長者であることを悟った。
「それに、スガタさんとも上手くいったようね」
「ええ」
二人は晴れて祝福を受けることになった。
それを皆で祝福したが、やはり中には残念がる人もいた。なんせ美貌が自慢のメイドだ。騎士の中には大勢のファンがいたらしい。だがようやくシャナンも幸せになれた。今まで皆の幸せばかりを考えていた。ようやく自分の幸せを見つけられたのだ。シャナンは自分の姉のような存在だった。これからは二人で、幸せになってほしい。そう願って紅茶に口をつける。
するとアレスミが別の話題を出した。
「で、ルベンダさんはどうなの?」
「はい?」
「ティルズとのことよ」
「ぶふっ!」
どうにか紅茶はこぼさずに済んだが、あからさまに慌てた。
するとアレスミはにやにやしだす。
「あれからどうなったのかなーって、心配してたのよ? 何も連絡してくれないんですもの」
アレスミが言ったのはお祭りのことだろう。
確かにあの時はティルズに対して余計に心臓がどきどきしてしんどい思いをするとは思わなかった。が、今ではあれも少なくなった。むしろ、慣れたといっていいだろうか。
「お、おかげさまで……今はもう大丈夫です」
「そう。じゃあ、仲も進展したのかしら」
「進展……? それは分からないですが、前より仲良くなったとは思います」
ルベンダは少し笑いながら答えた。
お祭りの時以来、互いに思ってることはそれなりに理解できるようになった。事件も無事に解決したし、それなりに絆も深まったと思う。そう答えると、アレスミはどこか微妙な顔つきをする。なぜだろうとそれを見つめれば、相手は分かりやすいように大きい溜息をついた。
「なんてこと…………ルベンダさん、あなた思った以上に鈍感なのね」
「え」
「まぁそれがあなたらしいというか……でも見守る側としては少しつまらないわ」
「え、そ、そう言われても……」
そう言われてもよく分からない。
だから返答のしようがなかった。
が、あることに気付く。
アレスミはすでに結婚をしている身だ。
「あの、じゃあアレスミ様は、どんな風に結婚したんですか?」
あの時はなんとなくでしか思っていなかったが、今では少し聞きたいと思っている。今後の参考、みたいなものだろうか。するとアレスミはふふっと笑った。
「まさかルベンダさんとそんな話ができるなんてね」
「あ、う、そうですね……」
柄じゃない、と自分でも思った。
だがアレスミは違う、とでも言うように顔を振る。
「それでいいのよ。女性は美の対象だもの。愛する相手のために綺麗になるものだからね」
悪戯っぽく笑ったアレスミの方が、より綺麗に見えた。
そして大人だな、と思う。自分はまだまだ思考が子供だ。頭関係でよくティルズに馬鹿にされたりするが、当たっているなと少し落ち込んでしまう。その様子に、訳を知らないアレスミが慌てて慰めてくれた。そして自分の話をしてくれた。
「彼は私が行っている劇団の団員でね、私が入る前からそこにいたの」
最初はただの劇団仲間としか認識していなかったらしい。
だが急に意識し始めたのは、その人の演技を見てからだ。
「人が変わったようにその人物を演じきっていて、私はただただ圧倒されたわ。そして同時に思ったの。自分も負けたくないって」
後から劇団に入ったものの、アレスミは負けず嫌いだった。
日々努力を重ねる内にヒロインなどの役をもらえ出し、その相手もライバルとして見てくれたという。そしてある舞台で、恋人同士役になった。
「お互いライバルだったから、賭けをしていたわ。どちらがよりリアルで共感してもらえる演技ができるか。私は勝負に負けたことがない。そして必死に練習した。だから負けない自信があったの」
そして当日。
二人は片思いから両想いになるシーンまで、一歩も譲らず素晴らしい演技力を見せつけ合った。それはお客さんにすればリアルで、良い評価をもらえたらしい。他の部員たちは皆、互角で引き分けになるだろうと事前では言っていたらしい。ところが、最後のシーンで思いもよらないことが起きたという。
「最後は二人で微笑んで終わり、のはずだったんだけど。彼、いきなりセリフを言い始めたの。『一目会った時から、僕は君に魅せられていた』って」
そんなセリフの予定はないので慌てたらしいが、余裕ぶってアレスミは言った。
まぁ嬉しい、と。すると相手は顔を歪めたらしい。「それは君の本心じゃない。君の本当の気持ちを聞かせてくれ」その顔と声色で、すぐ舞台のことじゃないと、アレスミは分かった。分かっただけでもすごいとルベンダは思ったが、その時は焦ったという。
「だってこんな時に言うことじゃないでしょ? 舞台が失敗しないか考えて何も言わないでいると、『今は僕のことだけ考えてほしい』って言うのよ? 無茶苦茶だったわ。でも、その前から私は彼に惹かれていた。頭がいっぱいいっぱいになって、思わず叫んだわ。『好き』って。そしたら彼は微笑んでくれた。『やっぱり君の勝負運は強いね。完敗だ』そう言って抱きしめてくれたの。それを見たお客さんからは微笑みの拍手、団員たちからはおめでとうの言葉。意味が分からなかったんだけど、仕組まれていたらしいわ。私に告白するための舞台だったの」
ルベンダは絶句する。
全てはアレスミのための舞台だったのだ。
そこまでスケールが大きいと何も言えないが、アレスミは嬉しそうに笑った。
「私は目立ちたがり屋だから、正直嬉しかったわ。皆に祝福されて、そして彼の傍にいられるようになって。同じ団員で、一緒にいることが当たり前になってたけど、そうじゃないってことが分かった。これからもずっと一緒にいたいって思ったわ」
「幸せそうですね」
「ええ、幸せだわ」
アレスミの様子を見ながらふと思う。
自分も、こんな風になれるだろうか。
「ルベンダさん、あなたもたまにはティルズに甘えてみたらどうかしら?」
「あ、甘える……?」
未知の世界な言葉に、目を白黒させてしまう。
アレスミがおかしそうに頷く。
「男の人って、頼られるのが好きらしいわ」
「甘える……難しそうですね」
自分で何でもするタチなので、相手に頼るようなことは極力していない。
難しい要求だと頭を悩ませていると、アレスミはルベンダの背中を押した。
「ティルズも憎まれ口はたたくかもしれないけど、本心では嬉しいはずよ。良かったら試してみてね」
「はい」
上手くいくか分からないが、こうも助言してくれたならやらないわけにもいかないだろう。ハギノウ家の長女、アレスミとたくさんのガールズトークをして、ルベンダは愛する人と結ばれることががより一層素敵なものであることを学んだ。
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