第四十六話 素直の先には

「…………スガタ、様」


 どこかの穴から登場したことで、少し呆気に取られてしまった。

 だが、そうこうしているうちに抱きしめられる。冷えた体に、その体温が心地いい。


「良かった。大丈夫ですか?」

「え、ええ」


 すぐに体が離れたが、スガタはすぐに気付いてシャナンの体に素早くシーツを当てた。そして見えていた肌の部分を隠す。だがシャナンは、まだ実感が湧かなかった。ぼんやりと、スガタを見ている。


「でも、どうして……?」


 するとスガタは、いつもの柔らかい表情を見せた。


「なんとなくです。きっとシャナン殿がいるだろうと信じて前に進んでいたら、ここに着きました。会えて良かった」

「…………か、帰って」

「え?」


 目を見開かれる。


 それはそうだろう。助けを求めていたのに、帰れ、という人がどこにいるだろうか。自分でも矛盾していると思いつつ、シャナンはその言葉を続けた。


「なんで、ここに来たの。早く、帰って!」

「どうして」

「あたしは、優しくされる資格なんてないっ!」

「シャナン殿、何を言ってるんですか」

「あたしはあなたと違って穢れてるっ。関わらないで!」


 穢れてるのは事実だ。


 だから触れてはいけない。関わってはいけない。こんなにもいい人なのに、自分と関わることで、不幸になってしまう。スガタには、そうなってほしくない。そして、自分の穢れた部分を知ってほしくない。だから、そのようなことを口に出してしまった。今までもそうだった。自分からあまり深い所は突っ込まれないようにと、常に気を張っていた。拒絶されても、もう今なら平気だ。だから……。


 だがスガタは、予想外な行動に出た。


「いやですっ!」


 そう言ってシャナンをまた抱きしめた。


 力を込められ、少し痛い。

 スガタは、少し泣きそうになりながら言葉を続けた。


「あなたは、一体いつになったら素直になってくれるんですかっ! …………俺は、こんなにも、あなたを愛してるのにっ……」


 今度はシャナンが目を瞠る番だ。

 だがすぐに反論した。


「き、気休めはよして。……あたしを好きになる人なんかいない」


 だがスガタは、その声を遮るようにして叫んだ。


「悲観的にならないでくださいっ。俺は本気です!」

「……嘘よっ!」

「なんで!」

「だって、だって…………」


 思わずシャナンの目に涙が溜まる。

 震えるのを必死で抑えて、声を押し出した。


「今まであたしを好きになってくれた人は、全員容姿目当てばかりだったもの」


 スガタがそうだ、とは言わない。


 でも、ほとんどそうだった。本当の、「シャナン」を見てくれる人には出会えなかったのだ。だから、信じられない。分からない。こんな場合どうすればいいのか、解決策も浮かばない。するとスガタが、小さい声で、シャナンの耳元で呟いた。


「……俺は、あなたのそのひねくれた性格ですら好きです」


 思わず体がびくついてしまう。

 だが相手はまだ言葉を続けた。


「頑固だったり、素直じゃなかったり。でも、ちゃんと相手のことを考えて、見守る姿は……すごく、綺麗です。だから」

「やめて。違う、あたしは……」


 何度も首を振っていたが、急に頬に手が触れられた。

 そして、涙が伝う頬を、スガタは優しく手で拭ってくれた。


 スガタはもう何も言わず、ただ優しく微笑んでくれた。

 その表情は、シャナンの全てを分かってくれているみたいだった。




「――――何してんだ?」


 はっとして互いの身を離せば、ザオが鬼の形相でこちらを睨んでいた。


 ザオの顔は笑っていた。いや、口角だけ上がっていた。

 そして目だけは、こちらを激しく睨みつけている。


 スガタはすぐさま、シャナンを自分の背中側へ引っ張った。そのおかげで、シャナンは広い背に隠れるようになる。相手は低く掠れた声を出した。


「お前、俺の女になに手ぇ出してんだ?」

「……女?」

「だから、いつあんたの女になったのよ!」


 眉を寄せたスガタに、シャナンはすぐさま抗議をする。

 だがザオは気にせず、スガタだけを目に映していた。


「帰れ」


 短い言葉には棘があるように聞こえた。

 自分に向けられた言葉ではないのに、シャナンは思わずスガタの軍服を掴んでしまう。それに気付いたからか、スガタは相手の一歩前に出た。そして同じように睨みつける。


「それはできない」

「なに?」


 ザオは露骨に嫌な顔をした。

 だがそれに怯むことなく、スガタは声を高くして口を開いた。


「彼女は俺のものだ!」


 ぼっと、シャナンの顔が火照った。


 それどころではないということは自分が一番分かっているのだが、顔の熱は言うことを聞いてくれない。いや、むしろ素直だ。そしてシャナンは困惑してしまう。どうしてこうもスガタははっきり答えるのだろう。手が触れた程度でへっぴり腰になって逃げていた癖に、自分からだと平気なのか。


 思わず視線を下げていると、どこか呆れたようなザオの声が聞こえた。


「…………お前、男いたのか?」

「っ!? い、いたわよっ!」


 一瞬否定しそうになったが、どうにか留める。

 というか肯定してしまった。


 だが少なくともこの男よりましだ。それに、別に嘘じゃない。少なくともこれからは。お互いの気持ち

が通じ合ったなら、もう、そのような関係になることは決定だろう、という想像だ。スガタの本心は、まだ分からないが。まだシャナン自身ももやもやしているのだが、ここはあっさりと認めた方が、潔いだろう。


 だがザオはそう簡単に、納得などするはずがなかった。

 そして思いきり舌打ちをする。


「……冗談じゃねぇぞ。散々他の女は試したんだ。お前はメインとして取っておいたのに」

「なんですって!?」


 今の発言は問題だ。


 どのように、などと考えたくもない。

 だがザオは薄く笑ってきた。


「本当さ。皆、傷つけてやった。今までは全て遊びだ。そいつらのはなむけのためにも、俺の女になるしかないんだよ、シャナン」

「…………あんた、最低だわ」


 多くの女性が「傷」つけられた事件のことは、シャナンの耳にも届いていた。そしてその元凶がこの男。なんとなしに予想はしていたが、改めて本人の口から聞くとヘドが出る。そんな最悪な人物が、自分を欲

しているのだ。嬉しいなどと思うはずがない。だがザオはどこか冷めたような目つきをしていた。まるで、自分のしたことは悪くない、というように。


「どうとでも言え。俺はお前を探してたんだ」

「……どうして。どうしてそこまで、あたしを欲しがるの」

「お前は最高の『女』だ。見た目だけじゃない、中身もな。お前には俺と同じ傷がある。……だからか、お前とは分かり合える気がするんだ。探してた。俺にはお前が必要だ。こっちへ来いよ」


 最後は少し寂しそうな表情だった。


 傷は確かにある。だが同じ傷だなんて思いたくない。

 つけたのはザオだ。好きでついたわけじゃない。それに、他の人にひどいことをしたのに違いはない。そして自分の人生を、めちゃくちゃにしたのはこの男だ。だから、同情なんてしない。シャナンは真面目な顔でザオを見た。その顔は、どう見ても冷たかっただろう。少しは、あの氷の貴公子であるティルズになりきれているだろうか。


「……嫌よ。あんたなんかの言いなりになんてならない」


 そう言った瞬間、ジオは少し顔を歪めた。


 そしてここでスガタが剣を抜く。腕を動かし始めると、ザオも顔色を変えた。そして持っていた武器を取り出す。だがその戦闘は、意外と長く続かなかった。地面に向かって落ちていく彼の姿は、ひどくゆっくりに見えた。口から血を吐いても、シャナンの表情は変わらない。ザオはその顔を見ながら、少し笑った気がした。そして呟く。


「やっぱり、闇に落ちるのは、お……れだけ、か。シャナン…………お前は、」


 そこで意識が遠のいたのか、息をする音が消えた。

 そして薄らと目が閉じられる。


「…………」


 シャナンはそれをじっと見つめていた。


 女性からするとあまり見たい光景ではないが、なぜか、この男の最期だけは、見ておかなければならない気がしたのだ。その思いがなんなのかは、分からない。やはり同情なのか、それとも、これまでの仕打ちをしたこの男に対する怒りなのか。


 しばらくしてスガタが呟いた。


「相手の急所を狙っただけですから、まだ死んではいません。この男には、ちゃんと罪を償ってもらわないといけないですから」

「ええ……」


 そうだろう。罪を償わずに死ねるわけがない。

 ちゃんと自らの手で清算してほしい。


 しばらくした後、シャナンはスガタに向き直った。


 いつの間にか、こちらをじっと見つめている。その目が真剣で、どこか熱っぽく、少し気恥ずかしい。シャナンは思わず、視線を逸らしてしまう。だがスガタは、すぐにその反応に気付いた。


「俺の気持ち、分かってもらえましたか」


 シャナンは、少し間を空ける。


「……あんな状態で告白なんて、ずるい」

「ああでもしないと、俺は言えないと思ったんです。俺は…………こういうことに関しては、疎かったりしますから。でも、気持ちに偽りはありません」


 はっきりと答えてくれたが、シャナンはどうにか気持ちを落ち着かせる。

 まだ、だめだ。すぐにこの人の胸に飛び込めるほど、自分は気弱で繊細ではない。


「私は、まだ迷ってます」


 こちらも、はっきりとそう伝える。


 大人になると、素直になるのは難しい。代わりに嘘をつくのは簡単だ。本当の気持ちなんて伝えられない。世の中はそう、甘くない。シャナンは下を向いていた。


 だがスガタは、迷わずこう言ってきた。


「嘘だ」

「…………なんですって?」


 思わず顔を見てしまう。

 するとひどく真剣な顔で、見つめ返してくる。


「シャナン殿は誤魔化す時、必ずそうやって視線を逸らします。それにあなたは優しい人だ。本気で迷っているなら、そんな言い方はしない」


 その言葉に、ひどく動揺してしまう。


「あ、あたしの何を知って、」

「知ってますよ」


 息が詰まる。


 今度は微笑んできたからだ。

 優しい笑みを、自分だけに向けてくれる。


「あなたを知りたいから、ずっと見てました。……シャナン殿、いい加減、俺を見てくれませんか? 書類を送ってくれたのだって、俺を信用してくれたからでしょう?」


 ……自分でもずっと迷っていた。

 そしてこのままではいけないと思っていた。


 それでも、彼はずっと待ってくれた。信じてくれた。

 ただひたすらに、愛してくれた。




 ――――もう、偽る必要なんて、ないんだ。


 シャナンは、そっとスガタに寄り添った。

 そして聞こえるかも分からない声で、相手に呟く。


「……った」

「シャナン殿?」

「あたしを本当に分かってくれる人が、欲しかった」


 袖を掴む手が震える。このような時、どうすればいいか分からないのだ。初めてなことで、どうすればいいか、誰かに聞きたい。すると固まったシャナンを労わるように、スガタの方が行動してくれた。ふわっと優しくシャナンを抱きしめ、耳元で呟いてくれる。


「俺がいますよ」

「……うん」

「俺が、ずっと傍にいますから」

「…………うん」


 子供のように、頷くことしかできない。


「シャナン殿、好きです」

「あたしも……好き」


 もう一度してくれた告白に、今度こそシャナンも答えた。


 そして急に噛みつかれるように口が塞がれる。


「っ!」


 呼吸するのを一瞬忘れる。


 しかしそれは止むことなく、角度を変えながら強く押し付けられた。力が抜けていく。しかも相手は慣れていないのだろう。唇に力は入りすぎている。だがシャナンは、相手を受け入れるように身を任せた。


 が、ずれて互いの歯が当たった時はさすがに離れた。

 口に手を当てながら眉を寄せる。


「……痛い」

「す、すみません……」


 スガタも反省したのか、少し落ち込む。

 だがシャナンはその様子にくすっと笑った。


 強引な口づけは少し痛くて強くて、それでいて優しくて……どこか甘い気がした。今日は男らしくてかっこいいところばかり見せられてる。シャナンは勢いよくまたスガタに抱き着いた。すると相手もそのまま優しく抱きしめてくれる。まるで暗くて寒いその洞窟で、お互いの体温を分け与えているかのようだった。







「…………完全に出遅れたパターンか?」

「せっかくですから、出ないであげましょう」


 陰で二人を見ていたルベンダとティルズは、また隠れる。


 その傍には、二人でノックアウトした大勢の男たちの姿があった。

 やはり階段の先も見張りがいたのだが、協力しあった結果がこれだ。まさにファインプレー。


 シャンナンのことは心配だったが、まさかこのような展開になっていたとは。スガタは素直だと思ったが、シャナンは最後まで意固地だった。大人は余計なことまで考えてしまうのかもしれない。


 そんなことを思っていると、ティルズがふっと笑う。


「でも、良かったですね」

「ああ」


 本当に、良かった。やっとシャナンにも幸せが来たのだ。

 しかもあんなにも素直で素敵な人と。本当に、幸せになってほしい。


 ちらっと見れば、どことなくティルズの顔も嬉しそうだった。

 スガタのことを心配していたからだろう。思わず自分も頬が緩んでしまう。


 そんな二人だが、実はずっと手を繋いだままでいた。







 無事にシャナンは寄宿舎に帰ることができた。

 軽傷で命にも別状はない。帰ってすぐにニストやジオに泣きながら抱き着かれた時は苦笑していたが、どこか晴れ晴れとした顔をしていた。


 ……それから何日もしないうちに、「癒しの花園」であるニュースが届く。


 この度、シャナンが正式に祝福を受けることになったのだ。

 もちろん相手が誰かは、言うまでもないだろう。

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