第四十四話 赤色
「……ここか」
ルベンダが白い息を吐きながら言った。
目の前にあるのは、まだ昼間だというのにどこか暗く見える断崖。
その壁には鬱蒼と蔓が巻き付いており、それを隠すように木々たちが成長している。そして断崖には大きな穴。これがジオの言っていた「漆黒の洞窟」の入り口だろう。しばしその穴を眺めていると、ノスタジアが渋い顔をした。
「こんなものがあったとはな」
どこか吐き捨てるような言い方だった。声色からして、知らなかったのだろうか。ルベンダの表情を読み取ったのか、ノスタジアが肩を寄せるようなジェスチャーをする。
「騎士って言っても国全体の場所を知ってるわけじゃない。こんな風に誰も通らない、しかも知っても意味ない場所なんかどうだっていい。知って誰が得するっていうんだ、こんな不気味な洞窟」
確かにその通りだ。
民、国の役に立ち、そして実力も申し分ない有名な騎士が、わざわざこんな場所を紹介するわけがない。それにルベンダもこの場所のことを知らなかった。ジオは昔から生きている人間なら知っていると言っていたが、果たして父は知っているのだろうか。そして……母も知っていたのだろうか。少し考えていると、別の場所から馬が二頭やってきた。乗っていたのはスガタだ。そしてもう一人はレゲント。きっとここの場所を伝えに呼んだのだろう。
スガタはまだ神妙な顔をしていた。
いつもの笑顔が感じられない。笑っている場合ではないが、それでもスガタのチャームポイントでもあるのに、少し残念な気がした。こんな時にスガタの笑みが見られたら、少しは落ち着ける気がしたのだ。だが相手はこちらを見て、少し目を見開いた。
「……ファントム殿? いつ、お戻りに」
「え? あ、スガタ様。ルベンダです」
「ええっ!?」
完全に叫ばれる。苦笑して理由を話すと、納得するような顔をされた。そしてそれで少しは顔が緩んだ。ルベンダも少しほっとして笑ってみる。
だがレゲントが、急に鼻を動かし始めた。
まるで犬のようなその行為に、数人は首を傾げていたが、ノスタジアは気づいて真面目な顔になる。
「――――何かいるか?」
するとレゲントがにやっと笑う。
その顔はいつもの適当さが見られず、獲物を見つけたような顔になっていた。
「どうやらここ、ビンゴみたいっすよ」
「え?」
ルベンダが聞き返そうとした途端、どこからか無数の足音が聞こえてきた。
そしてそれは一気にこちらと距離を縮める。よく見れば、数えきれないほどの盗賊風の男たち。身なり的に少し薄汚れているのは、ここを縄張りにしているからかもしれない。そしてそれぞれ手には武器を持っている。様子からして……こちらに耳を傾ける気はないらしい。
そして急にどこからか一本のナイフが飛んできた。
「よっ」
レゲントが背中を反って避ける。
わざわざ伝道師のようなことをしなくても、とルベンダはツッコみたかったが、明らかに楽しんでいる様子だった。それを見たノスタジアも鼻で笑う。
「……たまには、暴れるのもいいかもな」
「お? いいっすねぇ。じゃあ副団長」
「ああ」
ノスタジアはすぐに剣を取り出し、そして果敢に前へ出ていく。
俊敏に動く剣は、まるで蛇のように相手を上手く捉えていた。
「ノウス!」
ルベンダが叫ぶと、相手を前を見たまま叫ぶ。
「ここは俺とレントに任せろ。お前たちは中へ入れ!」
「でもっ」
数が尋常じゃない。前の事件の時も敵の数は少なくなかったが、それでもその分騎士の数も多かった。だが今はそんなにいない。ルベンダは少しでも加勢しようと考えた。だがノスタジアがまた叫ぶ。
「ちゃんとフォローは呼んである。お前がシャナン殿を助けるんだろっ!」
「! ……分かった!」
そうしてルベンダはティルズとスガタ、そして数人の騎士と一緒に洞窟の中へ入った。
中は想像以上に暗い。
そしてひんやりしている。一生光が届かない場所だから、ということも関係しているだろう。ティルズたちが携帯ランプを灯してくれたが、こんな中にシャナンが囚われていると思うと、身震いが止まらなかった。なぜなら今の季節は冬。夏なら心地よくても、冬は自殺行為だ。自分の軍服の袖をぎゅっと掴んでいると、急にスガタが声を出した。
「俺はこっちへ行きます。だから他は右、そしてティルズとルベンダ殿は左へ」
「「了解」」
「え!?」
指示された他の騎士は速やかに、奥へ入っていく。
だがルベンダはきょとんとしてしまった。なぜならその言い方では、スガタは一人でシャナンを捜索することになる。初めて入る場所に、一人というのは危険だ。止めようとスガタの目の前に立とうとしたが、ぐいっと腕を引かれる。振り返ればティルズだ。そういえば、移動中ずっと彼は黙っていた。逆鱗にこれ以上触れたくないのでルベンダも敢えて何も発さなかったのだが、今している行為は、どう見てもスガタの提案に肯定している気がする。そう思っていると、案の定ティルズが頷いた。
「こっちは大丈夫だ。行け」
「ああ。……行ってくる」
そしてスガタも小走りで行ってしまった。
二人きりになってしまったのだが、ルベンダは焦ってティルズに顔を向けた。
「お、おいっ。一人で行かせて良かったのか!?」
「何の心配が?」
「だって危険すぎるだろっ。初めて入った場所で、しかも洞窟なのに……」
すると相手はふっと笑う。
ルベンダは意味が分からない、という風に眉を寄せた。
今の状況で笑える所などない。だがティルズは冷静に告げてきた。
「好意を寄せている方を助けるのに、場所もへったくれもないんですよ。あいつはどう言っても一人で行きます。それに、自分の決めたことは全てやり通す男ですから」
少し呆気に取られる。
ティルズが相手を認めるような発言をするとは、思っていなかったのだ。だがはっとして思い直す。もう一つ、スガタに対して心配事があった。
「で、でも確かスガタ様の体質が……」
「ああ、方向音痴ですね」
「分かってるんだろ! こんな場所で迷ったらどうするんだよ!」
「それなら問題ありません」
「え?」
やけにあっさりと言われた。
どこか自信満々に見えるのは、何か策があってのことか。
「確かにあいつの方向音痴は異常です。故に周りを巻き込んだりします」
「だったら!」
「まだ話は終わってませんよ。あいつは……それを利用するつもりです」
「? どういう意味だ?」
ティルズが腕を組んだ。
そして真っ直ぐこちらを見てくる。
「どの場所に出るか分からない。だからこそ、人のいる場所、または一番重要な場所に出る可能性は高い」
「! つまり、シャナンのいる場所に……?」
「ええ。一番最初にたどり着けるかもしれません」
なんということだろうか、まさかそのように考えるなんて。
だが確かにそれは言える気がする。働いている王城でさえ迷うスガタだ(敷地は広いけれども)。そしてそれを短所ではなく長所に変える……その発想はなかった。さすがは優秀な騎士たち、という所だろうか。思わずくすっと笑ってしまう。なんだかんだ言っても、ティルズとスガタはお互い信頼しきっている。
するとティルズは、変な物でも見るような顔をしてきた。だが、そんなことを言ってしまえばまたティルズに文句を言われるのが目に見えている。だがらルベンダは何も言わないことにした。その様子に相手は少し不服そうだったが、思い出したように別の話題を取り出した。
「そういえば聞きたかったんですが、ルベンダ殿は何か武器を持ってきているのですか?」
「え? …………あ」
シャナンを救うことしか考えていなかったため、そこまで手が回らなかった……というのはただの言い訳になるだろうか。ティルズが半眼でこちらを見ている。
「まさか素手だけで? 相変わらず無謀な方ですね」
「ば、馬鹿にするなっ。一応それなりに鍛えてはいるんだぞっ!」
「まぁ、こうなることは予想できていましたが……。俺から離れないでくださいね」
さらっとそう言われた。
ここで、自分がするから何もするな、と言わないのはティルズの優しさだろうか。結局こうして行くことも許してくれた。危険であることは分かっていただろうに。
だが、ふとパーティーでの出来事を思い出した。
確か前日に守るということを言ってくれたが、結局ワインを浴びてしまった(自分がかかったものの)。あそこは普通、ワインがかからないように助けてくれるものじゃないだろうか。
そう指摘してみれば、ティルズが溜息をついた。
「な、なんだよ、その溜息は……」
「ルベンダ殿の鈍さに、俺は何度溜息をついていいのやら」
「なにいっ!」
ルベンダがぎゃあぎゃあ文句を言い出す。
だがティルズはそれを完璧スルーしていた。
――――なぜなら、本当に守ってはいたからだ。
ただルベンダが気が付いていなかっただけで。
彼女がパーティに来ることを、父はきっと知らせていたのだろう。
令嬢の他に、貴族の子息も多く来ていた。数は男女五分五分だったが、それでもルベンダを見る目の色は違っていた。こちらから見てもはっきり分かるくらいである。だが当の本人は気づいていない。そこがまたツボだったらしい。完全にルベンダにしかない多くの目を見て、ティルズは自然に、そして残酷までに冷たい顔をしてその場に立っていた。そして静かに防御していたのだ。場の雰囲気で近寄らせないよう。
「――――おい! 聞いてるのか!?」
「聞いてますよ」
耳で何を言ってきたのかは聞こえている。
全てそれはティルズに関する罵詈雑言だが。だから対して覚える必要もないが。
「大体、……!」
急にティルズに手で口を押えられる。
驚いて体が硬直したが、すぐに異変に気が付いた。
誰かの足音が聞こえる。そっと見れば先程の男たちと似たような身なりだった。数も少ないが、それでも軽く八人はいる。にやにやと笑いながら話しており、何とも気味が悪い。顔を歪ませたルベンダを見ながら、ティルズは少し考えていた。
ちらっと見れば体格は人それぞれ。
だがそこまで強いわけでも、弱いわけでもない。問題は数だ。
ルベンダをできるだけ巻き込みたくはなかった。だが彼女はやる気まんまんだろう。でも、取り返しのつかないことはしたくない。なぜならルベンダは女性。あのように飢えている男どもにとっては、かっこうの餌でしかないのだ。少し迷ったが、ふっと目を閉じる。そして決めた。
ティルズは手を離し、ルベンダの耳元に呟いた。
「ここで待っててください」
「? なんでだ?」
「お願いします」
ゆるぎない瞳で見られ、ルベンダは無意識のうちに頷いていた。
ティルズはすぐその場から走り出し、男たちの目の前に飛び出す。
相手は虚を突かれたような様子だったが、すぐさま攻撃を開始する。どうやら慣れている様子だ。やはり、ただの盗賊だろうか。それとも、指名手配中の男と何か関係があるのだろうか。次々来る男に、ティルズの剣が綺麗に舞う。ルベンダはその様子をじっと見るとしかできなかった。
まるで自分が舞うかのように優雅な動き。騎士だが、男性の踊り子でやってみても通用するのではないかと考えてしまう。そうしてティルズは一人、二人、三人……五人程の相手を床にたたきつけていた。だが後数人、という所でまたさらに別の男たちがやってくる。やはり、隠れていたようだ。
ティルズはふっと息を吐き、そして意を決した。
その瞬間――――胸辺りから、赤い液体が噴き出した。
ルベンダは、驚愕の表情でそれを見る。
何が起きたのか、一瞬分からなかった。
銀髪を揺らす少年の背中しか見えなくて、そして急に胸辺りから赤い物が飛び散って……。相手の男も驚いていたが、自分が一番驚いていたと思う。だって信じられない。信じたく、なかった。だってあいつは強くて、頭が良くて、失態なんて、絶対ない。だからきっとこれも…………。
ティルズは力なくその場に崩れ落ちそうになっている。ルベンダはすぐに駆け込んだ。そして落ちる前に、その体を抱きかかえる。体全体に無数に広がる……血は、軍服に吸収される。どこからかできていた雪の固まりに、その鮮やかな赤い血が、色を見せた。それを見た途端、ティルズに言われた言葉を思い出す。
『白い景色に赤い髪は、さぞ綺麗に映えるんでしょうね』
知らず知らずのうち、自分の体が震えていた。白い雪に赤い血。
残酷なほど、綺麗に映えている。だがルベンダはぎゅっと目をつぶり、そして何度も頭を振る。
(……違う。赤い色はこの色じゃない。赤は……赤は……私の色、なのに……!)
溢れるばかりの思いが、一気にやってきた。
そしてそれは、ルベンダの頬を濡らす。
「いやああああっ!!」
暗闇の中、ルベンダの悲痛の声だけが、大きく響いた。
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