第四十二話 事件の前兆

 ルベンダはふっと、脳裏に何かが浮かんだ。

 それは、珍しくこちらを見て微笑んでいるティルズの顔…………。


(ああ、やっぱりこいつの笑った顔は好きだな)


 そんなことを思い、ふわふわした心地になる。

 そしてそのまま目を開けた。


「…………は?」


 目を開けた。見れば自分の部屋だった。


 正確に言えば、ハギノウ家で用意された部屋だ。

 ルベンダはぱちくりと目を動かす。なぜ自分はここにいるのか、そしていつの間に寝ていたのか? しばし唖然としていたが、ふと窓に目がやった。そして驚く。


「雪!」


 辺り一面、見事な銀色模様と変わっていた。


 この地方は寒いため雪が降りやすいと聞いたが、ここまで雪が積もっているのを見るのは初めてだ。庭も山々も真っ白になっており、何もないようにも見える。感心してその景色を眺めていたが、光の加減を見て気づく。光が雪の上を照らしている。その光はどう見ても……朝日だ。


「あ、朝っ!?」


 またもや声を上げてしまう。


 そして同時に昨日、レインサスと話したことも思い出した。そしてそのまま寝てしまったことも。ルベンダはうな垂れ、自分の額に手を置く。


(う、嘘だろ。私はあれからずっと寝てたのか!?)


 日頃が忙しく睡眠時間が取れない日は確かにある。だがここまで寝てしまうとは、もはや自分でも呆れるレベルだ。とりあえず着替えてから、一旦部屋を出る。


 歩きながらふう、と息を吐く。


 そういえばパーティはどうなったのだろう。自分がいなくて何の支障もないだろうが、ティルズとマリアナのことは少し気になった。まだ残るもやもやを抱えながら歩いていると、当の本人であるティルズとばったり会ってしまった。


「あ」

「おはようございます」

「お、おはよう……」


 顔色を見ると、相手はいつの通りで特に変化はない。


 だがルベンダは見た途端、顔が赤くなるのを感じた。

 なぜなら昨日、レインサスに醜態を見せてしまった気がする。自分でも後半、何を話しているのか分からなくなった。あの時の自分は、感情的だった。しかも仲が悪いといえど親子は親子。昨日のことを何か言われていないか、ルベンダは少し焦り始めた。本人に知られるのはこの上ないほど恥ずかしい。


 互いに無言のままだったが、急にティルズが溜息をついた。

 思わずルベンダはびくっとなる。


 だが相手は半眼でこちらを見ていた。


「なに神妙な顔つきをしているんですか。気味悪いですよ」

「な、なにいっ!」


 思わずむっとすると、相手はふっと微笑んだ。


「怒る方がルベンダ殿らしいです」


 その顔と言葉に、不思議と腹が立たなくなる。

 そして今度は居たたまれなくなって、視線を逸らした。


 するとティルズの方から別の話題を出される。


「そういえば、昨日ルベンダ殿が助けた令嬢のことですが」

「っ!」


 人のことをあまり語らないティルズが、自ら話題に出したことに少なからず驚く。思わず唾を飲み込んで耳を傾けていると、予想外のことを言われた。


「この冬に婚約されるらしいですよ」

「は?」


 思わず間抜けな顔になる。

 そのまま顔を凝視していると、ティルズは気にせずに答えてくれた。


「仕事関係で出会った方らしいです。とてもいい人だと」

「へ、へぇ……」


 そう答えておいたが、じゃあ昨日のは何だったのだろう。

 少し頭で考えていると、またティルズが口を開く。


「そして、式を挙げる時はぜひ呼んでほしいとおっしゃっていました」


 今度は目を丸くしてしまう。

 だがティルズの顔は、どこか嬉しげだった。


 それを見て、ルベンダは「ああ」と自然に微笑んだ。


 マリアナとどのような関係か聞きたいと思ったが、前例がある(アレスミが寄宿舎へ来た時のことだ)。だから余計なことは聞かないことにした。それに、きっとまたティルズが自分で話してくれるだろう。


 しばらく二人で和やかな雰囲気を作っていると、急に廊下を走る音が聞こえた。その音の方向へ顔を向ければ、マーサだ。少し緊迫したような顔をしている。そしてルベンダたちにこう言った。


「お客様がいらっしゃいました。急いでおられる様子です」

「え――――?」


 二人は思わず顔を見合わせた。


 案内された部屋に入ってみると、そこには見覚えがある橙の髪の少女がいた。


「ニスト!?」

「ルベンダさんっ!」


 悲鳴のような声を上げ、そしてルベンダの胸に飛び込んでくる。

 その体は小刻みに震えていた。顔を見れば泣いたのか、鼻が赤くなっている。それにまだ目には涙が溜まっていた。よほどのことが起きたのか、ルベンダは背中をさすってあげながらゆっくり聞いた。


「何があったんだ?」

「……どうしましょう、私、どうしたら…………」

「落ち着け。私たちがいるんだ。安心して話してくれ」


 するとニストはこくっと頷いた。


 そして一度息を吐くと、事の発端を話し始めた。

 それは昨日の出来事らしい。




 ルベンダがいない間もニストたちメイドは、仕事に明け暮れていた。そんな時、急に寄宿舎へ訪ねてきた人がいたのだ。見るからに大柄で体格もよく、少し髭をたくわえている三十代くらいの男性だった。その時たまたま玄関に出たのはニストで、思わず悪寒が走ったという。


「……その人は私をじろじろと見た後、シャナンさんがいるか聞いてきたんです」

「シャナン?」


 そしてニストは、シャナンを呼ぼうとした。


 だが呼ばない方がいいのでは、と少し考えてしまった。しかもその男性がこの寄宿舎にいるという光景が、なぜだか全く合っていない気がしたのだ。


「見るからに怪しく思って、いないと伝えよう思いました。……でも偶然、そこにシャナンさんが通りかかってしまって……」

「連れ去られたのか!?」

「いえ。話を聞いていると、知り合いみたいな感じでした」


 しばし二人は視線を絡ませ、ニストはただその間でその様子を見ていた。


『……久しぶりだな』


 男の方が嬉しそうに声を出した。

 その声は低く、掠れたような感じだった。


 するとシャナンは鼻で笑い、偉そうに腕を組んだ。


『今さらあたしに何の用? 確か用済みになって、あたしは捨てられた身じゃなかったかしら?』


 いかにも強気なシャナンらしい発言だったが、ニストは気づいていた。

 強がりなようで、実は少し顔が引きつっていたことに。


 だが男の方はそのことに気付いていないのか、はははっ、と愉快そうに笑う。


『そんな昔の話はよせ。仲間も聞いてるぞ?』

『この子に聞かせても、私には何の損もないわ』

『……強気な女王様気質は昔からか。まぁいい、お前と話がある。俺についてこい』


 するとシャナンは拒否した。

 少し体を動かし、帰ろうとする姿勢を相手に見せる。


『お断りするわ。あたしだって仕事がある』


 すると男はにやっと口元を緩まし、先程の笑みより恐ろしい顔をした。

 そして小さく呟く。


『お前の大事な物が無くなってもいいのか?』

『! ……あんた、まさかまた』

『どっちでもいいが、相手の言うことは素直に聞いた方が身のためだぞ』


 するとシャナンは真面目な顔になった。

 そして踵を返し、どこかへ走り出す。


 しばらく待っているとまた現れたが、その姿を見てニストは驚いた。


『シャナンさんっ!?』


 メイド服でない、私服の格好だ。


 寒さを防ぐためにコートを着ており、そして頭にも温かそうな帽子を被っていた。その姿を見れば、出かけるくらい誰だって分かる。ニストは止めようとした。


『待ってください! 行く気ですか!?』


 するとシャナンは苦笑した。


『心配しなくても面識のある男よ。だから気にしないで』

『でもさっき、脅すような言葉を……』

『ああいうのが趣味なの。あいつは私をからかってるだけよ』

『で、でも……』


 いつまでも心配そうな顔をするニストに、シャナンはとびきりの笑顔を見せた。

 そしてきゅっと手を握った。


『今日中には帰るわ。帰らなかったら迎えに来てって、ルベンダにでも伝えといて』

『…………絶対、帰ってきますよね?』

『ええ、約束するわ』


 そうして自分の小指を差し出してきた。

 ニストも同じように差し出し、しっかり指を絡めた。




 しばし部屋にいた三人は無言になる。

 ニストは鼻をすすりながら、また口を開いた。


「……でも、朝になっても、シャナンさんが帰ってこないんです……」

「それで、ここへわざわざ来たのか?」


 ニストが涙を流しながらルベンダを見た。


「ルベンダさんには、絶対伝えようと思ったんです。まだ皆起きていない時間でしたから、誰にも言ってません。大騒ぎしては大変と思って、昨日はどうにか誤魔化しておいたんですけど……まさか、こ、こんなことになる、なんてっ…………」


 また涙がぼろぼろこぼれ始める。

 両手で顔を覆い、下を向いてしまった。


 真面目なニストからしたら、自分のせいだと思っているのかもしれない。ルベンダは少し顔を歪ませたまま、背中をさすって慰めていた。ふとティルズに顔を向けたが、相手は少し考えるような顔になった。


「……ニスト殿。その男の外見に、何か特徴などはありませんでしたか?」

「え? ………あ、左目の下から真っ直ぐ切れたような傷がありました」


 するとティルズは顔色を変えた。

 そしてすぐに部屋へと飛び出す。


 ルベンダはニストを宥めた後、その後を追った。ティルズは紙にペンを走らせ、すぐに指を口に当てて音を鳴らす。すると遠くから鳩がやってきた。


「な、何してるんだ?」


 ルベンダは首を傾げながら聞くと、ティルズは鳩の足にそれを括り付けた。

 そのまま説明する。


「今の話を騎士団に伝えます。……おそらく、俺たちが追っている事件の犯人です」

「なにいっ!?」


 最近世間を賑わせている凶悪な事件。


 罪のない若い女性が狙われ、大きな傷跡を残されて返されるらしい。その傷は人それぞれ。それでも決して許せない行為だ。ティルズは歯を食いしばった。


「ニスト殿の話と合致しているんです。顔に傷があり、やたらと体格がいい。しゃべり方も、被害に遭った方に聞いたのと同じです」

「じゃ、じゃあ、シャナンが……」

「迷ってる時間はありません」

「そ、そうだな。私たちも戻らないと」


 するとティルズの動きが止まり、急にこちらを見た。


「どうした?」

「…………いえ。そうですね」


 少しためらったようにした後、同意を口にした。

 ルベンダも帰る準備をするため、その場から離れる。


 ティルズは手を動かしながら、その後ろ姿を見ていた。シャナンのみならず他の女性も被害に遭っている。ルベンダも例外ではないと思うが、きっと心配していることなど当の本人は気づいてくれないだろう。つくづく変わった人を好きになったものだと、ティルズは少し溜息をついた。







 ルベンダたちは急いで寄宿舎の方へ帰った。


 するとノスタジアや多くの騎士たちが、深刻な顔をして待っていた。きっとティルズの伝書鳩のおかげだろう。大体の内容は知っている様子だ。


「それで、今はどういう状況なんだ?」


 ルベンダが聞くと、ノスタジアがある封筒を持ってくる。

 その傍には、少し痛々しいそうな顔をしているスガタがいた。


「スガタの部屋にこんな物が届いたらしい」


 受け取って中身を見てみる。

 そこには複数の書類が入っていた。


「……え、これって」

「その通り。祝福の相手と交流する際に出す書類だ」


 ノスタジアは冷静に答えた。


 祝福の相手が決まり、交流が始まると正式に書類を提出しなければならない。それには自分自身のサインのみならず、家族の同意もいる。ルベンダとティルズも最近この書類を書いて提出したばかりだ。


 それを聞いて、ルベンダはぽかんとする。

 なぜこんなものがここにあるのか。むしろなぜシャナンがこんなものをスガタに送るのか。訳が分からず首を傾げていると、ティルズが代わりのように答えてくれた。


「つまり、スガタとシャナン殿は祝福の相手同士というわけですね」

「え。え、え――――!?」

「ああ。……ルーベ、少し静かにしろ」


 うるさそうに耳栓をされ、慌てて口を塞ぐ。


 だがまさかそうだったとは。シャナンが祝福の話をすることなどほとんどないため、知らなかった。もちろん、祝福関係のことは正式に決まらないと公にはできないが、それでもシャナンは祝福を受けるつもりはない、と言っていたはずだ。心境の変化でもあったのだろうか。


 すると、スガタがぽつりと言った。


「……最初シャナン殿は、祝福を受けるつもりはないと、断ってきました。それでも俺は……諦められなくて、ずっと待ち続ける選択肢を取ったんです。それで、書類を書いて渡していました。……ずっと送られてなかったものですが、今朝見ると届いていて」


 見れば綺麗な字でシャナンの名が書かれている。

 つまり、祝福を承諾した、ということだ。


 喜ばしいはずなのに、そんな時に当人が事件に巻き込まれるだなんて。

 やるせない思いに、ルベンダも苦い顔をして黙っていた。


「とりあえず、連れ去られた場所がまだ特定できていない。それらしい所を重点的に探すぞ」


 ノスタジアはそう言って皆に指示を出し始めた。

 言われた騎士たちは大きく返事をし、その場から立ち去って行った。


 そして数人の騎士と共に、ノスタジアもそこから動きだす。

 ルベンダは思わず名を呼んだ。


「ま、待てノウス!」

「? どうした」

「私も行く!」


 するとティルズが思いきり顔をしかめた。


 なぜならルベンダの言葉は予想できたからだ。

 しかも仕事でもプライベートでもそれなりに仲良くしているシャナン絡みのこと。彼女は頑として行く姿勢を見せるだろう。ノスタジアは厄介だな、と思いながら口を挟んだ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る