第四十一話 少年を変えた存在

「私は昔から、あなたのことが好きでした」


 真っ直ぐな目で、そう言われた。

 ティルズは思わず息を呑む。


 その瞳の奥に、嘘の色など見えない。

 真剣に、そして自分の気持ちに偽りなく伝えてくれた。この素直さは子供の頃から変わらない。そしてそんな彼女が羨ましいと、少なからず思っていた。そういう意味では、憧れていた。


「俺は」

「でもきっと伝えても、ティルズ様は私の想いには答えてくれなかったでしょうね」


 答える前に、相手が苦笑しながらそう言ってきた。







 ティルズは自室へ戻ろうとしていた。


 時計を見ればもう昼を過ぎており、夕刻に近い。

 午後には仕事に向かおうと考えたが、少し迷った。仕事に行こうとしたのはこの家に長くいたくなかったからだ。ここにいると、昔の自分を思い出す。何もできず、ただ言われたことだけをしていた自分を。だがもうこんな時間だ。今から行ってもあまり意味はない。ティルズは少し息を吐いた。


 まさかマリアナにあのようなことを言われるとは思わなかった。


 告白まがいなことを言われた経験はあるが、純粋な告白は始めてた。

 しかも相手は自分が信じられると思えた相手。嬉しくない、と言えば嘘になる。だが、彼女が言った通り、あの時想いを伝えられていても、きっと自分は返事ができていなかったと思う。彼女によって自分は変わったが、決定的に変わったわけではなかった。


 ティルズはしばらく黙っていたが、マリアナは嫌な顔一つ見せなかった。


 そしてそっと教えてくれた。この冬に婚約するのだと。

 そして最後にこの思いだけは、ティルズに伝えたかったのだと。


 花が咲き誇るような笑顔を見せながら言われ、ティルズはすぐに祝福の言葉を述べた。すると彼女が照れたように笑う。その顔は、とても幸せそうに見えた。最後に互いに握手をし、また会う約束をする。その際、マリアナは小さい声で懇願してきた。


『式を挙げる時は、必ず呼んでくださいね』


 少し目を丸くしたが、その表情で理解した。

 どうやら気付いていたらしい。


 ティルズは力強く頷いた。


『はい、必ず』




 部屋についてドアノブに手をかけようとした時、急に気配を感じた。

 そして誰もいないであろう廊下に声をかける。


「何か用ですか」

「ははっ、相変わらず勘がいいね」


 影から出てきたのはウルフィだ。


 白い燕尾服がよく似合う。あまりにも白いその色は、少々目に眩しく思った。きっと他の令嬢たちは、至福の溜息でも吐いたのだろうが。ちなみにまだパーティは終わっていない。何かの用事だろうと思っていると、案の定、相手は口を緩ませた。


「父上から伝言を預かってな。様々な骨董を置いている部屋は覚えているか?」

「ええ」

「そこに今から来いと行っていた。行くも行かないもお前の自由。さて、どうする?」

「行きます」


 即答で答えたことに、相手は少し驚いていた。

 だがティルズはしれっとした顔を見せる。


 別に自分は父親に逃げたいわけではない。もちろんできれば関わりたくないが、相手に背中を向けるような行為は自分から願い下げだ。そのままウルフィの横を通り過ぎ、その部屋へと向かおうとする。するとウルフィが背中越しに笑いながらこう言ってきた。


「しっかり返してあげろよ」

「……? ええ」


 眉を寄せながら、ティルズはそう答えた。

 そしてその意味は、部屋に入ってから分かることになる。


 部屋は昔となんら変わらなかった。

 コレクションとして置かれている骨董の数々。配置されている場所も、よく見れば変わっていない。だが埃一つないのは、きっと使用人に掃除をさせているからだろう。本当に抜かりのない父親を持ったものだ。そのまま部屋を見回していたのだが、あきらかに人の姿が見えた。


「…………」


 綺麗なシルクのテーブルクロスがかかっているテーブルに、うつ伏せになっている人が一人。そしてその傍に、一枚の紙が置かれていた。ティルズはそれを手に取って読んでみる。


『ティルズへ 逃げずに来たんだな。さすがは俺の息子だ。さて、見て分かる通りルベンダが寝てしまった。ゆっくりお前の話でも聞かせてもらおうと思ったんだが、疲れてたみたいでな。まぁ寝る直前までずっとお前のことを話していたよ。お前、よっぽど愛されてるな。きっとこれからが大変だろうが、大事にしてやれよ。というわけで、後はよろしく。レインサス』


 ティルズは少し溜息をつき、その紙を手で丸めた。

 そしてそのままゴミ箱の中へ捨てる。


 そしてちらっとルベンダの方を見る。


 見事に寝ており、寝息を立てていた。顔を見れば、うっすら涙の痕がある。一体何があったのか、きっと問いただしても口を割ってはくれないだろう。それは父も同じだ。とりあえずティルズは、ルベンダを抱き上げた。先ほどウルフィが言ったのはこういうことだろう。寝てしまって自室に帰れないから、ティルズがどうにかしろ、という父の命令だ。命令を聞くつもりはないが、この場合は致し方ない。なぜならルベンダのことだから。


 そのまま部屋へと連れていき、そしてベッドへ寝かせる。


 そういえばこのようなことは前にもあった。もうあれから半年は経ったのか。そんなにもルベンダと共に過ごしていたとは信じられなかった。そしてこの少女に会うなんて、昔の自分は想像もしていなかった。




 騎士になりたいと思ったのが十四の時だった。


 そしてその頃には父に反抗していた。それでもまだ子供だったため、やっぱり命令に従っていた。嫌々で、だ。騎士になりたいと言った時は驚かれたが、嬉しそうな顔をされた。自分の意志で決めたことだったからだろうか。そして父はすぐに親友であるタギーナを紹介してくれた。そしてしばらく、タギーナの家で稽古をつけてもらうことになったのだ。その時、息子であるファントムと娘のルベンダに出会った。


 マリアナとはその頃も文通をしていたが、それ以外の少女は毛嫌いするようになった。まず見た目でこちらに好意を寄せ、次に家柄、地位などを目的として近づいてくるばかりの令嬢と付き合ったせいだろう。だがルベンダは、こちらに興味津々の目で見てきた。


 今思えばルベンダのことだ。


 男女誰とでも仲良くなれる方なので、自分とも友達になりたいとでも思っていたのかもしれない。といっても本人に聞いたことはない。今さら聞こうとも思わないが。だがその視線を鬱陶しく思い、ティルズは露骨に顔を歪ませていた。だがルベンダは気にしていないのか、もしくはその顔に気付かなかったのか、笑って手を差し出してきた。


「私の名はルベンダ。お前は?」


 言い方が普通の少女と違ったことに、少し驚いた。


 それは兄がいるせいか、父が騎士団長のせいか。様子を見ても、全く女らしさが伝わってこなかった。見た目は可憐そうで美しいのに、案外さっぱりしている。でもティルズは自分の直感に絶対の信頼を置いていたため、他と同じだと判断した。そしてルベンダとは一言も口を聞かなかった。その代わりと言っては何だが、ファントムやタギーナとはよく話をするようにした。ファントムがすでに王立騎士学校に通っていたからだ。頭が良くて人柄も柔らかく、ティルズは憧れの気持ちで接していた。


 そしてルベンダも稽古を共にすると知った時は、驚いてしまった。話を聞けば別に騎士になる気はないらしい。ただ体を鍛えることが好きだから、という理由には少し呆れた。後で聞けば、タギーナが護衛術の一つでも教えさせて変な男に連れ去られることのないように、という親心故らしいが。実際ルベンダは運動神経が良かった。もし男だったら話くらいしたのに、と考えたこともあったが、やっぱり嫌だと決めつけていた。


 しばらく一緒に稽古をしていたある日、いきなり剣術のテストをするとタギーナが言い始めた。そして最初に、ルベンダがやってみることにした。基本的な動作は上手かったが、それでも細かい部分はできていない。頭で覚えれば簡単な所をミスし、結局不合格と言われてしまった。しゅんと落ち込むルベンダに対し、ティルズは初めて声を発した。


「下手くそ」


 言葉が自然に口から出て、それはルベンダだけでなくティルズも目を見開いてしまった。まさか自分からそのような言葉が出てくると思わなかったのだ。


 だがルベンダはきっとこちらを睨んで聞き返した。


「……どういう意味だ。私の何ができてないんだっ!」

「別に。それくらい、自分で考えたらどうだ」

「な、なにいっ!」


 悔しそうに相手は顔を歪める。


 ルベンダはすぐに自分の兄にすがり、できていない所を指導してほしいと頼んでいた。その目は、真剣に

自分の悪いところを直そうとしているようだった。ティルズはそれを見ながら、やはり自分の言動が信じられなかった。相手に対し皮肉や嫌味を言うことがあっても、こうはっきりと言ったことはない。なぜなら直接的な言葉は相手の傷をえぐってしまう。さすがに失礼だと心の中で思っていたからだ。でもなぜか、この赤髪の少女には普通に言えていた。


 それからルベンダに対し、自分の思ったことがすらすらと言えるようになった。自分が言うことに相手はものすごく嫌な顔をして言い返していたが、結局自分には負けていた。それでも諦めずにこちらにつっかかってきた。――――ここまで相手と深く関わったのは、初めてのことだった。


 それからしばらくすると、ルベンダは稽古に来なくなった。

 自分のせいだろうと心で分かってはいても、少し物足りなさを感じた。本音で話せる相手とようやく出会えた気でいたのに、あっさりとルベンダは自分から離れて行ったのだ。


 だが思春期だったティルズは王立騎士団に入ると、すぐに周りの者と馴染んだ。


 そして、自分の意見は真っ直ぐに伝えられるようになった。それはルベンダのおかげなのか、それとも少しは強くなったからか、分からない。だが自分でも思ったのだろう。このままではいけない、と。少しでも変わらなければ何もならない、と。そして主席を取り、最年少で卒業を果たした。


 騎士になってから「癒しの花園」についての話は聞いた。

 そしてタギーナに言われ、自分もそこに住もうと決めたのだ。ルベンダに会うために。


 ――――久々に会った彼女は、何も変わってはいなかった。


 そしてお前も変わってないな、と言われた。だが自分はそうだろうか、と思った。何も変わってない、いや、変わったかもしれない。それが良い方向でなのか、と言われると分からなかった。でも自分に嘘はつかないよう決めていた。それだけは、なんとしてでも避けたかった。マリアナといつか再会した時に変わっていなければ、今まで自分がしてきたことが無意味に思えたからだ。


 そして再会してすぐ、ルベンダには自分の思ったことを正直に言えた。昔出会った頃のように自然と言えるのが不思議に思いつつ、何気に会話を楽しんでいた。そして、ここまで来た。




 ルベンダの寝顔を見つつ、ティルズはその顔をそっと撫でる。


 綺麗だ。初めてルベンダを綺麗と思ったのは、踊り子として見た時だろうか。あの時は目を奪われた。もちろん容姿だけじゃない。最初から自分の意志で何事も動くルベンダは、非常に真っ直ぐで芯が通っている。自分と違って、心も綺麗だ。本当に思うのだが、もしルベンダが男だったら、ティルズは完敗していただろう。知能や技術じゃない。精神面では彼女の方が強い。そして、温かい。常に人を見て、理解しようとしてくれる。


 思わず相手の唇に手を振れる。

 身じろぎされたが、相手は寝たままだった。


 大仕事の時は、柄にもなく焦りそして怒った。

 それなのに相手は全然気にしない様子で、けろっとしていた。それがどうしようもなくティルズをイラつかせた。それでも、無事でいてくれたことに安心した。


 ルベンダが祝福の相手だと知った時も、驚くよりもなぜか安堵感の方があった気がする。ああ、やっぱりこの人なのかと。様々な葛藤や悩み苦しむ時もあったが、お店で話した時も、祭りに行った時も、お互いに考えや思いを伝え合った。今はもう、語らなくても相手のことが分かる。もちろん、まだまだこれからだろうが。それに、自分はルベンダが気になって仕方ないのだ。昔からずっと、気になっていた存在だった。それに今更気付くとは。


 そして今は……ずっと一緒にいたい。傍で笑ってほしい。

 危ない目に遭ってほしくない。それこそ口に出したら恥ずかしいが。


「……ルベンダ殿」


 そっと呟いてみた。相手が起きるはずがないと分かっていたからした行為だ。案の定、ルベンダはすやすやと寝続けている。ティルズはそっとルベンダに顔を近づけた。


「ありがとう」


 自分を本当の意味で変えてくれたのは、ルベンダだ。


 そして、今なら素直に言える。

 ルベンダは自分の一番信じられる人だと。


 ティルズはお礼を込め、そっとルベンダの目に口づけを落とした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る