第四十話 心の乱れ
「お久しぶりですわね」
「ええ」
ティルズと金髪の令嬢は、屋敷のベランダの方へ出ていた。
ルベンダは抜けたが、パーティは通常通り続いている。
先程起こったようなことは、貴族の中でも日常茶飯事。無礼な行為をしたものは容赦なく排除される。だからこそ、皆はあまり驚いたような顔をしなかったのだ。
二人は吹いてきた風に顔を歪めながら、少し間を空ける。
そしてティルズの方から口を開いた。
「まさかまたあなたに会えるとは思いませんでした、マリアナ殿」
するとマリアナ・フォレスト嬢はふっと微笑んだ。
「私も、また会えて嬉しく思いますわ」
「もう四年も前でしょうか」
「確かお互い十三でしたわね。月日が経つのは本当に早いですわ」
くすくすと笑い出す。
その顔は昔から変わらないと、ティルズも少し微笑んだ。
マリアナは特別美人ではないが、明るい色の金髪の先は少しくるっと巻かれており、そして肌の色がとても白い。興奮して血色が良くなると、まるで薔薇のように頬が染まるのだ。
マリアナは丁寧に頭を下げた。
「そういえば先程助けてくれた方が、噂のルベンダさんですわね? あんなに美しくてかっこいい方だったなんて驚きました。本当に素敵でしたわ」
「ええ。俺も他の方も、なぜルベンダ殿が男性として生まれてこなかったのかと、残念に思っている所です。実際女性ですが、女性にも好かれていますから」
「まぁ。でも私も思わず惚れてしまいそうになりましたわ」
そう言ってまた朗らかな顔になる。
しばしそのまま二人で微笑んでいたが、急にマリアナが真面目な顔になった。だがそれは難しい顔というわけではなく、何か考えたような感じだ。
「ティルズ様は、変わられましたね」
「……そう、見えますか?」
「ええ。雰囲気が柔らかくなりましたわ。私は、今のティルズ様の方がいいと思います」
昔のことを知っている人物から言われると、来るものがある。
ティルズは噛みしめながら礼を言った。
「ありがとう、ございます」
「昔のあなたはただ仮面を被ってお父上の言うことを聞いていました。……とてもお優しくて、でも本音を話すことはない、そんな少年でしたわね」
「……随分、お分かりで」
少し居心地悪そうにティルズが言う。
すると彼女は微笑んだ。
「ティルズ様に親しくしていただけて、私は本当に嬉しく思っていました。王立騎士学校に入ってからは、音沙汰もなく心配していましたけど」
「……こちらこそ。マリアナ殿のような方と、あの時出会えて本当に良かったと思っています」
二人が出会ったのはとあるパーティ。
今日のようにレインサスが主催していた時のことだ。
最初のパーティからティルズはレインサスに言われるまま、他の貴族の子供や大人たちと上手く会話をしてきた。それなりに知性もあったため、会話に困ることもなかったのだ。だがそれが少々疲れだした時だった。愛想笑いというのは長く続かない。しかも何時間でも行われる自慢話。そして同じことの繰り返し。ティルズは嫌気が差し、一人でパーテイをこっそり抜け出した。広い庭園で草の茂みに隠れるようにいたのだが、それを見つけたのがマリアナだ。
「マリアナ殿に言われた言葉はまだ印象的で心に残っています。『どうして自分に嘘をつくの?』。…………子供らしい、無邪気な言い方でしたね」
「あ、まだ覚えていたんですの? お恥ずかしい。振り返れば、昔の私は少しお転婆でしたわ」
恥ずかしそうに苦笑する。
だがティルズは、その正直な言葉で我に返った気がしたのだ。
父のため、父の言うことは全て正しいと思い込んでいた。だが違う。自分の意志で、今まで動いてこなかった。親の敷いたレールにただ歩いていただけだったのだ。
「あの言葉のおかげで、俺は嘘をつかないと決めました。そして同時に、今までの俺とは変わりました」
昔の自分は、何も知らないままに父の言葉を信じていた。そして、それなりに父に憧れもした。でも、実際はただの道具。意志を伝えることがないまま、自分はここまで来てしまった。ティルズがレインサスの考えを理解できるようになった十五の時に、家を出たのだ。最も、王立騎士学校に入学する者は、寮生活をしなければならないと決まっていた。
するとマリアナは、少し悲しげな表情をする。
「……ええ、お変わりになられました。優しかったあなたが急に冷たくなり、そして『氷の貴公子』と呼ばれるようにもなりましたわね」
その愛称も知られていたのか。フォレスト家の情報網が広いのか、どこかの馬鹿が勝手に言い出したのか。どちらにせよ、少し寂しそうな、そんな湿っぽい雰囲気が出ていた。ティルズは思わず苦笑する。
「むしろ俺にとってはありがたいことでした。それなりに充実した日常を送ることができましたし、これが本当の俺です」
「……そうですか。でも、ティルズ様がいいとおっしゃるのなら、いいのかもしれませんね。それに、あなたと友になれただけでも、私は感謝しているくらいですわ」
「学校に通い始めてからは、連絡もしていませんでした。……それでも俺を友と呼んでくれるのですか?」
するとふふっと笑われる。そしてマリアナは遠くの景色を見つめ、自分の髪を押さえた。やはり今日は風が強い。まだ昼間だが、夜ならばきっと冷え込むくらいだろう。
「確かかなり厳しかったのですよね。家族や友人への連絡も禁じられていたのでは?」
「その通りです。よく御存じですね」
「あの頃の私は、ティルズ様に夢中でしたから」
楽しそうに答えられる。
あっさりと言われた言葉を、どう解釈すればいいのだろう。
これは反応すべきなのだろうか。だがティルズは何の感情も出さないまま、ただ「そうですか」とだけ答えた。するとマリアナが目を細める。
「嬉しかったですわ。ティルズ様に、『信じられる』と言われた時は」
「……あの時、ですか。でも俺は、本当のことしか言ってません」
戸惑いながらも、ティルズは答えた。
そう、マリアナは信じるに値する人柄だった。
ティルズにとって衝撃な言葉を投げかけ、そして他の貴族の人間……父と違って素直にのびのびと育った令嬢だった。きっと両親が大切に育てた箱入り娘だからだろう。だから信じられた。信じたいと思った。実際友になりたいということを互いに言ってはいないが、それとなくそんな仲になったのだ。
「私は、今でも少し考えてしまいます」
急に声のトーンが下がったので、ティルズは聞き返す。
「何がですか?」
「もし子供の頃にティルズ様に自分の気持ちを伝えていたら、今の関係は変わっていたのではないか、と」
ティルズは何も答えなかった。
むしろ、答えられなかった。衝撃で口は開くが、声は出ない。
だがマリアナは、微笑んだ。
「ティルズ様。私は昔から、あなたのことが好きでした」
(……………え?)
そう心の中で呟いたのはルベンダだ。
浴槽に浸かった後、すぐにパーティ会場へと戻ってきたのだ。
どうしても、二人のことが気になった。聞いた話では過去に面識があり、そして友と呼べる存在らしい。十三と言えば、ルベンダより前に会っている。それなりに絆も深そうだ。それに、「信じられる」相手だと言っていた。自分が言った時は、どうして信じられるのか、と説いた本人が。それだけ、彼女には信頼を寄せていたということだ。だがそれよりも、マリアナがいきなり告白をしたことで、ルベンダの頭の中は真っ白になった。
「俺は」
ティルズの声が聞こえる。
ルベンダは思わず耳を塞ぎ、その場から駆け出す。
返答など、聞きたくなかった。
しばらくしてから速度を落とし、そしてルベンダは立ち止まる。
(……聞かなきゃ、よかったな)
大体盗み聞きなど良くない。それを承知で話を聞いていたが、その罰でも当たってしまったのか。ルベンダは顔を歪ませていた。すると足音が聞こえ、下げていた視線を上げる。
レインサスがなぜか目の前におり、ばちっと視線が合った。相手は笑う。
「ちょうど良かった。さっきのお詫びに、一緒に飲もうと思ってね」
そう言って何やら二本、果実入りのジュースビンを見せられる。
お詫びというのは、赤ワインをかけられた(正確に言えば自分からかかっていった)ことだろうか。だがルベンダは素直に頷いた。自分でも、子供みたいな頷き方になった。
とある一室で二人でグラスを合わせる。
チリンッと音が鳴り、そして黄金色の飲み物を飲んだ。
「! 美味しいっ」
「はは、そうだろ? スペシャルブレンドだ。マスターが送ってくれてな。昔からタギーナとお店に行ってて、今も律儀に美味しい果汁ジュースを送ってくれるんだよ」
甘くてフルーツの旨味をよく引き出している。それに甘い。
久しぶりに飲むマスターのジュースは、なんだか懐かしい気持ちにさせた。そして、落ち込んでいた気持ちを安らかにしてくれた。感謝しないといけない。ルベンダは美味しさのあまり、何度も喉を鳴らした。
その様子を見て、レインサスは笑う。
「飲みっぷりがいいなぁ。少し親父くさいのはタギーナのせいか?」
「余計なお世話ですよ。これくらいしないと、飲んだ気がしないし」
「ぷぷっ。性格はリアダと似てないな」
おかしそうに笑われたが、少しうっとなる。
誰だって綺麗で大人しくて女性らしい人を好むだろう。
……例えばさっきのマリアナのように。思わずルベンダは呟いていた。
「ん? マリアナ嬢か? あそこのお嬢さんにはお世話になったな。特にティルズが」
どきっとしてしまう。
さっきの現場を見てしまっただけに、何やら刺さる。
だがレインサスは気にせずに話を続けた。
「とてもできたお嬢さんだよ。貴族の世界なんて色んな黒い野望が渦巻いてたりするのに、あの子は全然そんなものに屈しない。むしろ自分の正しいことしか信じないからな。ティルズも救われたことだろう。父親がこんなんだしな」
自嘲気味に話しているのを聞きながら、ルベンダは無意識に言い返していた。
「そんなことない!」
「……ルベンダ?」
「昔のことは私には分からないが、大事なのは今だと思う。まだ少ししか話してないけど、あなたはいい人だ。それに、ティルズと仲直りがしたいんだろう? それはなんとなく分かった。誰も見ていない時にティルズを見つめている眼差しは、子供のことを思っている親の目だ」
レインサスは思わずぽかんとした顔になる。
そしてくっくっく、と笑い出した。
「な、なんだよ」
「いやぁ、まさか子供に説教されるなんてなぁ」
「え。べ、別に説教とかじゃ」
「ああ、分かってる。俺のことを思って言ってくれたんだよな。ありがとう」
すぐにふっと笑って、頭を撫でてくれた。
父親の顔になったレインサスに、ルベンダは呆れながら笑う。やっぱり、ティルズが思っているような人じゃない。それは過去であって、今も同じとは限らない。おそらく、レインサスも清算したいのだ。元の親子関係に戻って、普通の親子になりたいのだ。それができずにここまで来てしまったから、修復するのに時間がかかっているだけだろう。
レインサスはグラスを口につけながら、また笑い出す。
「そういうとこは、リアダと似てるな」
「え?」
「リアダは見た目も中身も可憐だったけど、誰よりも強かった。そりゃ力は全然だが、そうだな。心が強いんだ。相手を信じ、そして尽くす。それがリアダの一番の良さじゃないかと思う」
「母さんが……」
心が強い。そんな表現をした人は今までいなかったので、聞き入ってしまう。
レインサスは続けながらルベンダのことを言いだした。
「さっきだって、マリアナ嬢を助けただろう? 相手のために誠意を尽くしてる。扱いが一番難しい俺の息子――――ティルズの相手ができてるだけでもすごいと思うぞ?」
褒めてくれたのだろうが、少し胸がうずいた。
そう言われても、今はそれを素直に受け取れない。
さっきの二人が目に焼き付いているからだ。
「ティルズの相手ができる人なんて、たくさんいる。クリックやスガタ殿、他の騎士の皆や、それに、マリアナさんだって」
「……どうしたんだルベンダ。お前がそんな風に言うとは思わなかったな」
「わ、私だってこう言いたい時くらいあるっ!」
ルベンダはダンッとグラスをテーブルに叩きつけるように置いた。
音が机に響き、レインサスにも震動が伝わってきた。少し呆気に取られたような顔をしていた。
だが大人だから、すぐに苦笑した。
「そうか。さっきのこと気にしてるんだな? 心配しなくてもあの二人は」
「違う、そういうことじゃない。嬉しいんだ、ティルズにそんな人がいたなんて。でも……悔しいところもある。もっと早く、ティルズのことを支えてやれなかったのかって」
「……ルベンダ」
「もっと、支えられたら、」
「ルベンダ」
「もっと……守りたい、のに」
深い眠りがすぐそこまでやってきて、ルベンダはいつの間にか目を閉じた。
しばらくして、ルベンダの寝息が聞こえてくる。よく見れば一筋の涙をこぼしていた。
レインサスは苦笑交じりに頭を掻き、そしてテーブルの上の物を片づけ始めた。
(……この子にはまだ早かったかな。ま、結果オーライか)
実はグラスの中に睡眠薬を仕込んでいた。
それは、自分を信頼しきっているルベンダに対する警告だった。
自分は子供も道具のように扱っていた時がある。それほど残酷な親の一面もあったのだと。だからこそ、そんなに信用するようではだめなのだと。ルベンダのようになんでも素直に信じてくれる人は、狙われやすいし、この先誰かに騙されないように注意する必要がある。それを示すためにも、誘ったのだ。誘いにまんまと乗ってくれたのは、きっとルベンダ自身、元気がなかったことも関係しているだろうが。
だが今のルベンダに睡眠薬を仕込んでよかったのかもしれない。
きっと今日のことを気にして、寝られなかったかもしれないだろうから。
レインサスは楽しそうにくくっと笑い出した。
思った以上にこの娘は自分の息子を愛してくれているらしい。
あんなにもはっきりと自分の気持ちが言えるのはいいことだ。実に若い。
それと同時に、きっとルベンダは自分の発言の意味を理解していない。
これは今後ともティルズが苦労する点だろう。何はともあれ、素直なのは一番だ。
だが同時に、自分の過去の汚点を思い出し、苦々しく感じてしまう。
久しく純粋な子と話すと、自分の汚さがより見えるものだ。が、それも直していきたい。そのためにここに呼んだ。ティルズのことも知れるし、ルベンダにとっても、良い機会だと思っている。
レインサスは不意に部屋の窓を開ける。
空を見上げ、そしていることを信じ、呟く。
「リアダ、お前の娘はいい子だな」
まるで返答するように風が舞う。
そして窓から見える庭園の茂みが、ゆっくりと揺れた。
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