第三十七話 寒い日に届いた便り

 お祭りの余興はすぐに消え、そして季節というのは嫌でも巡ってくる。

 ルベンダは部屋の外を見ながら、自分の息が白くなるの見て身震いした。


「寒い」


 すぐさま窓を閉める。


 お祭りが終わって、早くも数か月。「誓いの儀式」で異例のプロポーズをして見事上手くいき、そして城下の皆から祝福されたハイムとクリルは、来年に挙式を上げるつもりらしい。もちろん場所は寄宿舎だ。早いような、ルベンダは不思議な心地でいた。


(ようやく幸せになれたんだなぁ)


 そんなことをしみじみと思う。


 だがそう感想述べれば、シャナンに何か言われそうだ。

 「年下に先越されてどうするのっ!」ぐらいの一言はあるかもしれない。だがティルズも、自分のことを誓ってくれた。まだ先のことと考えているだろうけど。


(本当に誓ってくれたんだな……)


 冗談とばかり思っていたが、本気で自分のことを考えてくれたのだろう。

 そう思うと急に、自分の胸が高鳴り出した。


 それには気づかないふりをして、机の上に置かれていた手紙に目をやる。今朝届いたものだ。宛先は自分の名になっている。だが相手の名がない。真っ白な封筒が、まるでこれから降るであろう雪の白さを想像させる。こんな手紙をもらったことがないため、ルベンダは少し迷っていた。だがやはり、封を切ってそっと手紙を開いてみる。するとそこには、予想外なことが書かれていた。







「はい、到着だよ」

「ありがとう、おじさん」


 馬車で運んでくれた中年の男性に礼を言い、そしてお金を渡す。


 瞬く間に馬車は元来た道を戻り始め、ルベンダはふうと息を吐いた。やはり今朝思った通り、今日は寒い。だがそれは、この地域が冷える場所だからという理由もある。そう、ルベンダが今いるのは、温かな地域で人の多い寄宿舎がある所ではない。そこよりも数十キロ先にあるまた違う地域だ。なぜそんなところにいるのかというと…………届いていた手紙に理由があった。


 ルベンダは懐から手紙を取り出し、もう一度見てみる。


 そして目の前にある大きな屋敷、というより宮殿のような建物と見比べてみる。


「ここか……」


 白い息と共に声が漏れた。


 ルベンダの顔は少し険しい。

 なぜなら手紙に、こう書かれていたからだ。


『拝啓 ルベンダ・ベガリニウス殿

 この手紙をお読みになりましたら、すぐにここへ来ていただきたい』


 そして文章の下には、この屋敷の住所が書かれていたというわけだ。


 詳しい説明などなく、そしていきなりここへ来いという命令のような内容。

 ルベンダは心の中で叫んだ。


(…………これじゃ『果たし状』じゃないか!)


 手紙を見ず知らずの人に送る場合、それなりの礼儀はいる。

 そんなことくらいはルベンダでも分かる。だが相手から敬意が見て取られない。これはもはや喧嘩を売っているようなものだ。ここに来ようか少し迷ったのだが、やはり売られた喧嘩は買う主義だ。これだけは譲れない。というわけで、ルベンダは気合を込めてここへ来た。本当は仕事があるのだが、なぜかジオは許してくれたのだ。気前が良いように思ったが、ありがたくここまで来ることができた。


 大きな屋敷は、それなりに豪勢な造りになっていた。


 門も大きく、そこから見える庭はかなり広い。

 いかにも貴族の屋敷ではないだろうか。貴族の中には、人が良さそうに見えないタイプもいる。何せこっちはただのメイド。からかうためにあんな手紙を寄越したのか、それともそれ相応の理由があるのか、はっきりさせなければこちらも気が治まらない。


 そっと門に手をかけようとした所、急にそれが開きだした。

 思わずびくっとしてしまう。


 そしていつの間にか、女性が立っていた。

 服装的にここの使用人のようだ。にこっと微笑み、ゆっくりと口を開く。


「……ルベンダ様でいらっしゃいますか?」

「え。は、はい」

「ようこそいらっしゃいました。旦那様がお待ちでございます」


 そう言ってついてくるように指示される。


 そのまま進むが、少し引っかかった。旦那様。つまりはどこかの貴族が自分を呼んだということだろうか。貴族の友達といえば騎士くらいしかいないが、こんな面倒なことはしないだろう。一体誰が……と考えていたところで、屋敷の中へ入った。とその時、ダンッ! と何かが落ちたような音が聞こえた。思わず前を向けば、相手も同じように驚愕の目でこちらを見ている。


 金の髪は肩くらいまであり、美しい青緑の瞳を持つ女性は、落ちた物も気にかけずこちらに走ってくた。


「リアダさんっ!」

「へ」


 走った勢いのまま、その女性から抱きしめられた。


 母親の名前を言われそしてこの状況に、ルベンダは呆気に取られることしかできない。だがその女性は強くルベンダを抱きしめ、嬉しそうな声を上げた。


「ああ、会えてよかった。私はずっと、あなたにお会いしたかったの」


 そう言って一度体を離し、視線を合わせてくれる。


 よく見れば意外に歳がいっていた。自分の母親と同じくらいだろうか。それでも美しく、若々しい。そしてほんのりと鈴蘭の香りがした。優しい香りだ。ぼうっと女性の顔を見ていると、別の方向から驚いたような声が聞こえた。


「ルベンダさんっ!?」


 振り返れば、なぜかアレスミがいる。


「あら、ルベンダさん? ルベンダ……じゃあ、あなたがリアダさんの娘さん?」


 今頃気づいたのか、女性が呆気に取られていた。

 そしてしばらくしてから笑い始める。


「私ってば、間違えてしまったわ。だってリアダさんと瓜二つだもの。あははっ!」

「……お母様、笑い過ぎですよ」

「お、お母様!?」


 今度はルベンダが驚く番だ。


 お母様ということは、つまり…………。女性は笑い過ぎて涙が出ていたが、丁寧にハンカチでふき取ってからお辞儀をしてきた。そしてこちらに向かって微笑む。


「アレスミとティルズの母親である、ミヨウと申します」


 よく見れば、確かにどことなく顔のパーツが似ている。

 この人がティルズの母親なのだと知って、少し唖然としてしまった。というか、かなり愉快そうな人だ。そこはアレスミの方が似たのだろうか。だがアレスミは、少し釈然としないような顔をしていた。


「お母様。ルベンダさんを呼んだわけって……」

「ああ、お父様から言われたの。ここにしばらく滞在してもらいたいって」

「へ。た、滞在?」


 ルベンダもアレスミも目を見開く。


 そんな話は全く聞いていない。そしてそれはアレスミもか、自分の母親に向かってきっと睨んだ。


「お母様! 何お父様の話に乗っかっているんですか!」

「ええ? 私はただルベンダさんと会いたかったから賛成してしまったのだけど……」

「お父様の考えることは大抵裏があります! すぐにでもルベンダさんにはお帰りになってもらいますわ」

「そ、そんな。せっかく来てくださったのに……」


 話が見えないが、元凶はきっとティルズの父親なのだろう。


 ルベンダは全然ついていけなかったので、とりあえず混乱しながら二人の話を聞いていた。するとどこからか階段を下りる靴の音が聞こえ、低い声が部屋に響き渡る。


「――――勝手なことをしてくれるな、アレスミ」


 顔をあげれば、タギーナと同じくらいの歳の男性だ。


 だがアレスミはものすごく嫌そうな顔になる。

 ルベンダの前に立ち、守るような体制になっていた。


「お父様、勝手なことというのはどちらです?」

「前にも言っただろ? それがこの結果だ」


 ティルズの父という男性は、これまた何とも美男子だった。


 少し長めの銀髪に灰色っぽい瞳が珍しい。

 娘の言い分にもにやっと笑って答える様子は、ティルズとよく似ている。やはり血は争えないらしい。だが、展開が早すぎてルベンダはついていけない。しばらく黙っていたのだが、男性はこちらの方を見て笑った。


「……やぁ、君がルベンダだね?」

「え、はい」

「私の名はレインサス。ハギノウ侯爵家の当主だ」


 丁寧に自己紹介をし、ルベンダに握手を求めてくる。

 手を返すと、ものすごく嬉しそうにこちらの顔を見て来た。


「いっや~! やっぱりリアダにそっくりだなぁ! 何ともべっぴんさん! はっはっは、タギーナが羨ましい限りだ」

「え、父のことを知ってるんですか?」


 急にくだけた言い方になったことに親しみを感じたのか、ルベンダは自然にそう聞き返していた。すると相手は一瞬きょとんとし、そして渋い顔になる。そしてぶつぶつと、「タギーナの奴、俺のこと何も言ってなかったのか……」と文句を言っていた。だが苦笑するように答えてくれる。


「昔からの親友だ。腐れ縁というやつかな。さっきミヨウから聞いたと思うが、君にはしばらく滞在してほしいと思ってね」

「そんな、急には無理です。私にも仕事があります」


 いくら身分の高い貴族からのお願いであろうと、ルベンダはすぐに断りを入れた。


 アレスミの話が本当ならば、ここに長くいない方が良さそうだ。

 それに寄宿舎の方へ連絡していない。今から許可をもらうのに時間がかかるだろうし、父親にもそのことは伝えた方がいいと思った。だがレインサスはあっさりと言い放つ。


「ああ、タギーナや君の上司の……ジオさんかな。すでに二人には連絡を入れ、許可をもらってある」

「へ」

「事は早い方がいいからね。君に迷惑をかけるわけにもいかないし」


 いや、むしろこの状態の方が迷惑だ、と言いたいがさすがに言えない。

 なんでも正直に口に出す方だが、さすがに今回ばかりは無理だ。しかもあのティルズとアレスミを育てた両親なのだ。それなりに侮れないだろう。


 ルベンダはとりあえず頷いたが、ふと気になったことを聞いてみた。


「あの、なぜ私をここへ?」


 すると意味深な様子で笑われる。


「そうだな、君に会いたいと言う理由はあったよ。だがもう一つ、ティルズのことだ」


 名前が出てどきっとする。


 実はあの祭りが終わってから、ティルズとは一度も会っていない。

 なんでも凶悪な事件が起こったらしく、そっちの方へ行ってしまったのだ。よって寄宿舎の方へも戻っていない。きっと城にある部屋かどこかで泊まり込みをしているのだろう。


 前回事件の手伝いをしたので今回も自分にできることはないかと聞いたのだが、むしろ何もするなと言われてしまった。あのノスタジアでさえ、今回は危ないから大丈夫だ、と答えたのだ。


「今忙しいみたいだが…………この時期は皆、家に帰る頃だからね」


 その言葉に少し納得した。


 騎士に休みなどはない。常に城にいる王族、そして民を守るために日々勤しんでいる。だが働き過ぎではもちろん過労死してしまう。そこでこの時期になると、交代制で皆が実家の方へ帰るよう決まっているのだ。もちろん今回のように事件が起こる場合はあるので、皆決められた日に家へ帰り、体を休める。だからティルズもいくら忙しいと言えど、ここへ戻ってくるだろう。


 レインサスは少し苦笑しだした。


「私とティルズはあまり仲が良くなくてね。君に仲裁役になってほしいんだ」

「仲裁?」

「君は日頃のティルズを見ているだろう? だから色々教えて欲しい。ティルズも君がいれば、私と話しをしてくれそうだし」

「ああ……」


 ティルズは負けん気が強い。そしてそれはレインサスもだろう。

 どっちも折れることがないならば、誰かがその間に入った方が大事にはならない。すでに職場にも家族にも連絡を入れられては、ルベンダも何も言えなかった。とりあえず承諾しておく。


「分かりました。私にできることがあったら、何でもします」

「それは心強い! 私もリアダの友人だ。ゆっくり、君のお母さんの話でもしようと考えていたんだよ」


 それを聞いて、ルベンダは少し嬉しくなった。


 母との思い出は少ない。なぜなら小さい頃に亡くなってしまったから。父から話も聞くが、他者から見て母がどう映っていたのか知りたかったのだ。するとミヨウも目を細めている。


「あなたのお母さんはほんとに素敵な人で、私の憧れだったの」


 そう言われルベンダは、自分の母親が誇らしく思えた。


 そと、そこで玄関のチャイムの音が鳴る。皆が振り返ろうとしたとき、さっきの使用人の女性が、こちらに向かって言った。


「ああ、ティルズ様が帰られたようです」


 どうやら小窓から見えるらしい。

 ルベンダも近づいて見てみれば、門を開けてこちらに向かうティルズの姿が見えた。


「良かったらルベンダさん、迎えに行ってくれるかい?」

「はいっ」


 聞き終わらないうちにルベンダは駆けていた。

 無意識の行動だ。


 何も上を羽織らず外へ出たせいで、少し寒い。だがティルズはすぐそこまでいた。だから気にしなかった。ティルズはこちらの姿を見て一瞬驚いたが、すぐに元の表情に戻った。


「…………父上の策略ですか」

「えっと、その、招待されたんだ。決して騙されてここに来たわけじゃあないぞ」


 少しは視線を外さずに言えただろうか。


 父親との仲は良くないらしい。だからといって、ルベンダが来たことで険悪になるのも申し訳ない。むしろ騙された(?)のは自分なのだ。するとルベンダの表情をどう思ったのか、少し溜息をつかれた。


「別にいいです」


 素っ気ない様子で答えられたが、どうやら大丈夫なようだ。

 ほっとしたが、すぐに気になったことを聞く。


「そういや、事件があったって……」

「はい。今だ犯人は見つかってません。俺も明日から公休ですが、場合によっては仕事に向かいます」

「……無理、するなよ」


 顔が少しやつれているように思う。


 どれほどの事件なのかまでは聞けないが、体を壊しては元も子もない。だからルベンダは素直に心配した。するとティルズがこちらをちらっと見る。そして呆れたような口調で言った。


「その言葉、この寒いのに上に何も羽織ってない人に言われたくないですよ」

「う。そ、それは。だって距離的に近い……は、はっくしゅんっ!」


 ちゃんと理由を述べようとした時に、タイミング悪くくしゃみをしてしまった。

 恥ずかしさで顔を下に向けると、ふわっと温かい物が肩に乗る。見ればティルズが羽織っていたコートだ。慌ててルベンダは脱ごうとした。


「い、いいよ!」

「ここの寒さを馬鹿にしないでください。かなり冷えます。俺は先程まで走ってましたから」


 確かにコートは温かく、それなりに熱があった。

 感謝して着ていると、不意にティルズがルベンダの髪に触れてきた。


「髪」

「え? なんだ?」


 ふっと笑われた。


「ここは雪もよく降ります。白い景色に赤い髪は、さぞ綺麗に映えるんでしょうね」

「……ほ、褒めても何もないぞ」

「別にいいですよ。思ったことを言っただけです。さ、早く入りましょう」


 促すように前に進む。


 ルベンダは小さい子供のように頷き、一緒にドアを開けて中へ入っていった。いつの間にか握られていた手は、コートよりも温かかった。そして先程見せてくれた笑みも同じくらい、温かいものだった。

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