第三十五話 可愛い彼女

「少し冷えましたね。珈琲でも飲みたいです」


 唐突にティルズがそう言った。

 確かに日が沈み始めた頃だ。だからだろう。


「珈琲なんて、お前毎日飲んでるだろ」

「毎日飲んでいるからこそ飲みたくなるんですよ。今日はまだ一度も飲んでません」


 思わず黙っていると、また言われた。


「寄宿舎のもいいですが、たまにはお店のを飲みたいんです。ここらでは手に入らない豆を扱っている店もありますから」


 思わず感心してしまう。


 口ぶりからすれば、何度も通っているのだろうか。やたらと詳しい。確かにメイドの入れる珈琲は美味しいが、豆まで本格的にこだわっていない。ティルズは並み以上の珈琲好きだ。さっきからティルズにばかりお金を払わせていたので、ルベンダはすぐ決意する。


「じゃあ私が買ってくる。どんなのがいいんだ?」


 すると露骨に眉を寄せられた。


「大丈夫ですか? あなたに任せると不安なんですが」

「馬鹿言うな、これでもメイドとして働いてるんだぞ? 本格的な所までは分からなくとも、珈琲のことくらい少しは分かる」


 少し自信ありげに言ってみる。

 すると少し息を吐かれたが、すっとお金を渡された。


「じゃあこれで」

「お金くらい私が、」

「いいですから、早く行ってきてください。この道を真っ直ぐ行って一つ目の角を曲がったところに『ラベリアン』という専門店があります。十分以内に戻ってこなければ、お金は倍にして返してもらいますね?」

「ゲ、ゲームかこれは!?」


 一気に内容を説明され、頭が混乱しそうになる。

 せっかく奢ろうと考えたのにそうさせてはくれないようだ。いや、むしろ違う方向へ持っていかれる。すると相手はにやっと笑った。


「ゲームではなくテストですね。さぁ、すでに三十秒は過ぎてますよ」

「くっ!」


 有無を言わさずに思いのまま人を動かす。そしてまんまとその内容に乗っかる自分もどうなんだ、とルベンダは心の中で思った。だが相手に負けることなどしたくない。そう、売られた喧嘩は買う。それが自分のポリシーだ。長いスカートの端を両方の手でつまみ、ルベンダはダッシュで店まで向かった。


 店は近く、そしてこじんまりとしていた。

 中に入り、様々な種類の珈琲を見てみる。正直唖然とした。


(……何種類あるんだ!?)


 そこは各国の珈琲豆を使用していた。


 何百種類以上もあり、さすがのルベンダもあたふたしてしまう。とりあえずティルズが好きそうな苦くて濃いめの珈琲を買ってみた。自分も飲んでみたかったので、二つのカップを持って店内を出る。


 歩き出した途端、急に声が聞こえだした。


「いいじゃん、俺らと回ろうよ」

「さっきからお断りしてるじゃない。さっさと離して!」

「そうよ!」


 どうやら男女二人組が互いに言い合っているようだ。

 このような現場に出くわす可能性は多く、ルベンダも慣れてはいた。だが女性の方は何度も断っているのに、男性の方が鬱陶しい。一人が女性の手を掴んだ時、ルベンダは無意識に体が動いていた。


「なぁ別に……あっちい!」


 男が叫び声を上げた時、ルベンダは女性らの前に立つ。


 持っていたコーヒーを相手の手にぶっかけたため、男は熱そうに顔を歪めていた。少々勿体ないと思ったが、人助けのためなら致し方あるまい。ティルズからの罰を恐れるよりも、今この状況について考える方が適切だと思ったのだ。いきなり現れ、四人ともが驚いたように見ていた。


「な、なんだお前は!?」


 男二人組の内の一人が焦ったように言うと、ルベンダがきりっと相手を睨む。


「相手は嫌がってるんだ。さっさと諦めて退散しろ!」


 いかにも正義のヒーローらしくセリフが決まり、しばしその場が静まる。だがそう言われて固まった男とはまた違う方の片割れが、ルベンダに近づいて帽子を取った。


「あっ!」


 姿がバレないようにと深く被っていたのだが、不意打ちでルベンダの長い髪が露わになる。

 帽子を取った金髪の男は、気付いたように叫んだ。


「お前、もしかしてあの踊り子の!?」

「え、まじかよ」

「本物!?」


 男性だけじゃなく、女性からも声が上がった。

 そしてすぐさま周囲を囲まれてしまう。


「や、ちょ、ちょっと」


 城下でよく声をかけられることはあるが、これは初めてのパターンだ。しかも彼らは違う町から来たのだろう。男女とも遠慮なくルベンダに突っかかってくる。普通なら少し話したら遠慮して解放してくれるのだが。そう思うと、改めて城下の人たちは優しい人が多いのだと分かった。


 そして、ティルズがしきりに帽子を被るように勧めた理由も分かった。

 こうなることが彼は予想できていたのだ。


 珍しい体験に、ルベンダの方が顔が強張る。


(こ、この場合、どうしたらいいんだ!?)


 だが考えていいアイデアが浮かぶはずもなく、とりあえずルベンダは苦笑交じりに微笑んでみた。身近にいるシャナンの営業スマイルを真似てみたのだ。ちょっと困っているんですけど、ということを伝えようと思った。すると四人に目を丸くされた。


(間違えた!?)


 ルベンダはものすごく焦った。

 だがその場にいた四人はさらにルベンダに近づき、問い詰めてきたのだ。


「なぁ一緒に祭り回らないか!?」

「あの物語の続きをぜひっ!」

「私たちと一緒にお茶でも!」


(うわあああっ!)


 ルベンダは俄然パニックになる。


 自分の行動がいけなかったのか、頭で考えても分からない。

 ならばもう逃げるしかないと半歩下がろうとしたとき、背中側から鋭い声が聞こえた。


「俺の連れに何か」


 すると声の主の姿を見て、また四人が唖然とする。


 ちょうど光の具合がティルズに向かっていたため、こちらから見ると神々しく光っているのだ。予想通り見た目の美しさに女性らは黄色い歓声を上げ、男性らはルベンダとティルズ、つまりは美男美女の姿にどきまぎしていた。だが勇気ある一人の男性が聞いてくる。


「え、ふ、二人は…………どういう関係で?」

「関係?」


 ティルズが眉をひそめた。


 一つ一つの行動だけで相手を怯ませるとはさすがだな、とルベンダは半眼になりながら思った。ティルズはしばし考える素振りを見せたが、あっさりと答えた。


「婚約者です」

「ちょっとまていっ」

「なんですか」


 驚いて何も言えなかった他の代わりに、思わずツッコむ。


 すると顔色を変えずにティルズが聞いてきた。

 ルベンダは顔が真っ赤になる。


「わざわざ人様の前で言うことかっ!?」

「事実じゃないですか」

「で、でもまだ先の話だし、」

「今更なに恥ずかしくなってるんですか。いずれは」

「わ――――!! 頼むから今は黙ってくれ!」


 ルベンダはティルズの手を取り、その場から逃げ出す。


 その姿を、四人はぽかんとして見ていた。

 展開が早すぎて、もはや何も言えないような状態だったようだ。







 しばし走ったところで慌てて手を離す。


 顔を見られず、ルベンダは背中を見せたままにする。だがそんな時でも、人は大事なことを忘れないものなのか。いや、こんな状況だからこそ思い出したのか、はっとして叫ぶ。


「そういえば珈琲!」

「別にいいですよ。一部始終は見てましたから。あなたと先程の方が無事で良かったです」


 優しいことを言われたが、ルベンダからすればちょっと悔しかった。やっと役に立てると思ったのに。だが、いつものティルズなら、絶対ここで何か嫌味を言うはずだ。ちらっと見れば、目が合う。ティルズは小さく口元を緩ませた。


「珈琲はまた次にしましょう。いつでも飲めますから」


 そう言いながらまた歩き出す。

 だがルベンダは、立ち止まったままだった。


 どうして今日に限ってそんなに優しいのだろう。

 この前のことも気にしていないし、自分の方こそひどいことをしてしまったのに。


 思わず自分の胸ぐらを掴む。


 うじうじ悩むのが馬鹿馬鹿しい。自分は考えるよりも先に動く方だ。今こうして二人きりのチャンスだってもらった。今ならちゃんと、相手に言えるんじゃないだろうか。


 一度深い呼吸をし、きゅっと唇と閉じる。

 そして叫んだ。


「ティルズ!」

「どう……。!?」


 振り返る前に抱き着いた。


 その勢いのまま、ティルズは後ろに倒れこんでしまう。勢いが強すぎたのか、「いたた……」という声が聞こえたが、ルベンダはこの勢いのまま、早口に言い出した。


「あの、あのな、この前は悪かった。勝手に逃げたりして。その、びっくりしたんだ。あと、なんだか、恥ずかしくなったんだ。急に心臓がどきどきして、ティルズの顔が見られなくなって。だから、別に嫌ったわけとかじゃなくて、その、時間がほしくなって。もっと、ちゃんとティルズのことを考えたくなったというか、その」

「あれ、ルベンダさんー?」


 急に聞き慣れた声が聞こえ、思わずがくっとなる。

 だがそうっと見てみれば、その声はクリルのものだった。


「……お前ら、なにしてんだ?」


 しかも傍にはハイムの姿もある。

 どことなく引いたような顔をしていた。


「こんな人が多いところで人目もはばからず……」

「な、ち、違う! これには理由があって」

「そんな状況にならないといけない理由ってなんだよむしろ」


 慌てて弁解すれば、ものすごく冷静に返されてしまった。

 が、クリルは空気を読まず別の話題を出してくれる。


「それにしてもすごい偶然! さっきニストにも会ったんですよー」

「え、ニストも?」


 確か仕事のはずだろうになぜだろうと思っていると、クリルがはっとした。どうやら秘密だったらしく、「本人には言わないであげてください」と困り顔で頼んでくる。はっきり言葉に出す癖は彼女らしい。


 ルベンダも苦笑気味に頷いておいた。


「お前たちも祭りか?」

「はい」

「そうだったんですね。それにしても、仲良しさんで安心しました。ハイム様、ずっと心配してたんですよ」

「ばっ、クリルっ」

「へぇーそれはそれは。人のこと言えないくせにな」


 チャンスとばかりに嫌味を言えば、思った通り怯まれる。

 だが心配してくれたことは感謝すべきだろう。「ありがとう」と小声で伝えれば、ハイムも小声で「こちらこそ」と返してくれた。クリルはその様子ににこにこしながら、楽しそうに言う。


「もうすぐ『誓いの儀式』ですね。ふふふ。私、ハイム様が何を誓うのか楽しみです」

「お、おい。難易度上げてもらったら俺が困る!」

「ふふっ」


 何やらいい雰囲気のようだ。


 このままでもじゅうぶん大丈夫そうだと思ったが、ハイムからすれば腕の見せ所だろう。そう言えばきっと嫌な顔をするだろうと思うので黙っておくが、どうか成功することを祈るばかりだ。


「じゃあ、私たちはもう行きますね」

「またな」

「はい」

「ああ、また」


 そう言って互いに別れる。


 変わらず腕を組んで歩きだした二人を微笑ましく見ていると、隣から溜息が聞こえた。ぎょっと見れば、なにやら言いたそうな横目でじろっと見られる。


「周りの目も気にせずあんな風に言われるとは思いませんでした」

「あ……その、すまん」


 ルベンダは素直に謝った。


 自分のことに必死で、周りのことまで見えていなかった。 

 あそこでクリルとハイムに出会えてよかったかもしれない。が、自分としては言いたいことが半分しか言えなかったような気もするのだが。それでもあれ以上ここで言えるわけもなく、少しだけしゅんとしてしまう。するとティルズが頭を軽く撫でてきた。


 見上げれば、少し目線を逸らされる。


「謝るのはこっちの方です。それに」

「……それに?」


 聞き返すが、ティルズはどこか言いにくそうな顔をしていた。

 ルベンダはその顔をした意味を分からず見つめ続ける。するとその表情を見たティルズはぎょっとした後、また溜息をついて目を逸らした。


「…………あなたは、本当に真っ直ぐというか考えなしというか」

「え。な、なんだよその言い方」

「こっちは身が持ちませんよ。もう少し自覚してください」

「だ、だからなにが」


 すると思いきり息を吐かれる。

 そして目線を合わせてくれた。


「言いません」


 きっぱりと言われてしまった。


「え」

「あなたは自分の発言に責任を持つべきです」

「え、ええ!? 私は別に、思ったことを言っただけで、」

「それがいけないんですよ。なんでもかんでも言葉に出さない!」

「な、な――――!?」


 思わず何か切れたのか、ルベンダはその後も言い返してしまう。

 が、ティルズももちろん引かなかった。


 周りからすれば、先程までのいい雰囲気が一転。

 大喧嘩しているカップルのように見えたことだろう。 


 埒のない会話に、しばらくしてから二人とも疲れたような顔になる。


 昔から言い合いはしているが、半日以上続くとなかなか肉体的にも身体的にも来るものがあるようだ。ティルズでさえ、やつれたような顔になっている。とりあえず言い合いがいい具合に終わり、ティルズはルベンダに手を出した。


「行きましょう」

「え」

「もうすぐ『誓いの儀式』が始まります。俺も行かないといけませんから」

「あ、ああ……」


 言われて手を重ねる。


 見ればもう暗い。そろそろ時間であることが分かる。少し冷えた手を感じながら、ルベンダはティルズが何を誓うのか考えた。考えても仕方ないが、気になるものは気になる。


 するとティルズはぼそっと言った。


「さっきのですが、」

「?」

「ルベンダ殿が言いたかったことは、伝わりましたら」

「……本当、か?」

「ええ。だから、もう気にしないでください。俺も気にしないことにします」


 さっきのあれで本当に伝わったのだろうか。

 でもなぜか、ティルズの言葉なら信じられると思った。嘘はつかない男だ。それ以前に、信じたい人だから、というのがやはりある。ティルズに言ったことを思い出しながら、思わず笑ってしまった。


 ティルズは少しだけ落ち着かない様子だったが、あまり気にしないようにした。


 色んなことがありながら、今はこうして一緒にいる。そして自分の祝福の相手は、あまりに素直で真っ直ぐで、誰よりも可愛らしいところがある人だと、少し困ってしまう。それが彼女のいいところだとは思ったが、やっぱり自分の身が持つかは、時間の問題だ。

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