第三十話 慣れない鼓動
王城では、いつものように稽古を終えた騎士たちが休憩していた。
ティルズも王城で用意されている別の部屋で、本を読む。すると窓から、ひょこっとクリックが顔だけ出した。そーっと忍び足で来ているということは、また勝手に壁から王城に入ってきたのだろうか。さすがに慣れたが、ティルズは振り返りもせず叱咤する。
「驚く奴も出てくるから早く入れ」
「……そりゃどーも。優しいな」
「俺までとばっちりは御免だからだ。スガタみたいに」
「っぷ、お前ほんと容赦ないな」
クリックは笑いながら器用に部屋に入った。
そして即座にこんなことを言ってくる。
「ようやくルベンダと話せてよかったな」
「見てたのか。悪趣味だな」
たいして驚きもせずそう答えた。
珈琲を飲みながら、目は本の方を向いている。
その冷静きっている様子に、クリックは苦笑した。
「やっぱり気付いてたか?」
「凝視していた四人組ならすぐに分かった。丸見えだったぞ」
クリックは思わず首が縮こまる。
向こうは向こうで話をしていた様子だったので気付かれないと思っていたのだが、外から見れば確かに分かりやすかったかもしれない。もしかしてルベンダも気付いていたのだろうかと思えば「それはない」とはっきり言われたので、どうやら勘の良い親友は分かったまま放置していたようだ。
「で、何か用か」
「用がなきゃ来ちゃだめなのか?」
「お前は何かないと来ない」
はっきりと言い切った。
だが確かにそうだ。今日は聞きたいことがあって来たのだった。
すぐさま話題をそちらに移す。
「シャナンのおかげで二人きりで将来についてもしっかり話し合うことができました。これでめでたしめでたし……のはずなのに、なんでまたすれ違いになってんだ?」
最後は呆れたような口調になる。
「……………………」
無言が長い。
こんなこと少し前にもあった気がするのだが。
だがティルズは小さく呟く。
「知るか」
どうやら今度はルベンダの方がティルズを避けているらしい。
見れば分かることだが、今度は逆の立場になったというわけか。どうにも膨れている様子なのが珍しいが、それはそれで周りからすればまたか、と言いたくなる。
「そういやお前、店で」
と気になったことを言ようとすると、急にドアが開いた。
見ればそこには背の高い男性が。
少し顔が歪んで見えるのは気のせいだろうか。クリックは気を使って声をかける。
「……団長、そこに立ってないで入ったらどうですか?」
「いや、ここでいい」
硬い声で言われる。
団長といういかにも多忙な人が、ある騎士の部屋を訪ねてくるなど聞いたことがない。が、クリックは何の理由で来たのか瞬時に分かった。なぜなら自分が今ティルズに聞きたいと思っていたことだ。
しばし無言が続いていたが、タギーナから口を開く。
「……この前の」
「はい」
「店で、ルベンダと共に外へ出ただろう」
「はい」
「そこで、お前は……」
「話をしました」
するとタギーナの眉が上がる。
クリックも焦ったような顔になった。
確かに話をしていたが、それ以前に言うべきことがあるんじゃないだろうか。後が怖くて、クリックの方が怖気づいてしまう。だがタギーナはどうにか己の中にある感情を抑え込み、そして問いかけた。
「そうじゃない。店に戻ろうとした時だ。あの時、お前はルベンダに何をした?」
「事故で、」
思わず聞いていた二人は唾を飲み込む。
ティルズはゆっくり答えた。
「額に口が当たりました」
「「……は?」」
思わず間抜けな声が出る。
だがタギーナはぐわっと大声で言い返す。
「う、嘘だろう? 私はこの目でっ」
「あの、何か勘違いをなさっていませんか」
盛大に吠えようという場面で、ティルズが困惑気味に口を挟む。
だが相手はふるふる体を動かしながら、聞き返した。
「な、なに?」
「事実、それ以上のことは何もありません。おそらく窓からでは影が重なってそう見えたのでしょう。ですが本当にそれ以上のことはなかったんです。もしあればすぐ責任者に連絡します。よほどのことがない限り、まだ祝福を受けてもないのに、そんなことはできませんから」
そう言われ、これには二人共が唸った。
確かに、完璧にその場面を見たわけではない。
マスターのお店は割と町外れにあるため、光があまりない。それに顔同士が重なったように見えはしたのだが、真正面から見たわけではない。そう言われるとこちらも断言できないし、何より真面目なティルズがそんなことをするわけがないという方が勝った。
「そ、そうか……」
「早く団長が戻らなければ、皆さん困りますよ」
ティルズはここから早く出た方がいいと忠告する。
確かに団長であるタギーナの仕事は今も山積みだ。こんなところで油を売っている暇はない。しばし茫然としていたが、徐々にいつもの笑みを取り戻していった。そのまま薄笑いをする。
「……そうだな、何せティルズだ。お前は本当のことしか言わない。…………いや、私も何を焦っていたのだか。はっはっは、すまない。勘違いしてしまったようだ」
「誤解が解けたのなら、良かったです」
ティルズも苦笑いをする。
本人からしても、事故とはいえ居心地が悪かったのだろう。
「ああ。それでは私は戻る。……ティルズ、うちの娘と祝福を受けてくれるんだってな。またルベンダに話を聞くが、これからも娘を頼むぞ」
「…………はい」
返事をすれば、上機嫌にタギーナは戻っていった。
すぐさま嵐が過ぎ去り、クリックははぁ、と息を吐く。
そしてちらっと隣を見た。
「なるほどね」
「なんだ」
「いや、まぁ団長に認めてもらってよかったなって話と……もしかして、それがあったからルベンダの様子がおかしいのかなって」
ティルズが何か言おうとすると、再度ドアが開く。
驚いてみればタギーナだった。なぜか苦笑している。なんでも、さっき別の騎士からルベンダとティルズの噂を聞いたらしい。その上で、伝えることがあった、と戻ってきてくれたようだ。
「うちの娘は色恋沙汰に免疫がない。父と兄、それと騎士団の仲間たちと共に育ったからな。だから……まぁその、頑張れ」
言い切ると同時にすぐドアを閉められる。
クリックが思った通りだと思ってちらっと見れば、ティルズは下を向いている。そして手を組んで深い溜息をついているのを見ると、どうやら落ち込んだらしいことは分かった。
今日もメイドの仕事をこなしていたシャナンは、思いきり顔をしかめた。
隣にいたニストは、おろおろしている。
「…………何よあれ」
「シャ、シャナンさん。少し落ち着いて……」
すると思いきり睨まれた。
綺麗な顔のため、余計凄みが増す。
「はぁ? 冗談じゃないわよ、あの子は一体何してるわけ!?」
シャナンが怒るのも無理はなかった。
今三人は窓ふきをしている。ルベンダもいつもと変わらず仕事をしている……はずなのだが、なぜか雑巾から溢れるばかりの水が出ている。そう、よく絞っていないままで窓を拭いているのだ。よって、窓も床も水浸し状態。余計に仕事が増えたことになる。これに対してシャナンはいらいらしていた。普段のルベンダがこんな間抜けなことをするはずがない。それなりに仕事に誇りを持っているからだ。
だが今のルベンダには何を言っても無駄だと分かっていた。
なぜなら柄にもなく、彼女はぼーっとしているのだ。
『さっさと休憩に行ってきなさいっ!』
半ば脅されて休憩をもらい、ルベンダは一人木陰で涼んだ。
いつもは怒られたらそれなりに落ち込むのだが、今日はそんなことがなかった。なぜなら、仕事のことよりも考えることが他にあるからだ。自分で作った紅茶を飲みながら、ぼんやり周りの景色を見る。
あの日以来、自分は変だ。
ティルズの姿を見るとすぐに逃げてしまう。
というか会いたくない。ティルズのことを考えるだけで、顔が真っ赤になる。心臓の音が速くなる。これは、何なのだろう。思い出しただけで、顔から火が出る。なるべく気にしないよう、別のことを考えても、目を閉じれば、銀色に光る髪、綺麗な青の瞳、近い距離で感じた匂い、それらが一気に思い出される。ルベンダは思わず叫びたくなるのを必死で止めた。いくら恥ずかしくなって叫びたくなっても、ほんとに叫んでしまったら周りに迷惑だ。
……それに、会いたくないのに会いたいと思っている気持ちもある。挨拶程度は別にできるので、会えない日が続いているわけじゃない。挨拶をしてそれを返してくれるだけで、もう嬉しいと思っていたりする。……今はその返しの挨拶も聞かずに逃げていたりするが。
「はああああ……」
思わず横になる。
これは一体何なのだろう。
心臓がずっと鳴っていて苦しい。しんどい。
仕事にも支障が出るし、ずっとこのままじゃいられない。
今まで誰に対しても感じたことのないものだ。
なぜティルズには感じてしまうのだろう。
「……私に分かるわけないだろ」
思わず呟いた。
分かる人がいるなら教えてほしい。
これは何なのか。
急に茂みの中を誰かが歩くような音が聞こえ、はっとする。
だがその姿を見て、目を丸くした。
「ハイム」
同い年ということもあって話が弾むこともしょっちゅうだが、この時のハイムはいつも以上に真剣な表情をしていた。これはただ事ではないと思い、慎重に聞いてみる。
「……どうか、したか?」
すると相手は、ゆっくり頷いた。
少し緊張した様子だったが、ばっと頭を下げた。
「ルベンダ頼む! 協力してくれっ!」
「…………は?」
そんな頼みごとが来るとも思わず、ルベンダは遠慮なく素の声を上げた。だがハイムはまた顔を上げ、すがるような視線を向けてくる。どうやら嘘ではないようだ。しばらく無言の後、ルベンダは困惑しながら名前を呼んだ。
「……ハイム」
「何だ」
「…………頼む相手を間違えてないか?」
ルベンダは真面目にそう聞いた。
なぜならそのような頼みごとは専門ではない。
シャナンに頼む方が妥当だ。情報通だし頭も切れる。騎士の中でもシャナンに協力を頼んでいる姿も見たことがある。だがハイムは首をぶんぶんと振り回し、一気に喋った。
「シャナン殿なんてとんでもない! あの人は女子には優しいけど男子にはとんで厳しい! 大体、噂話にして周囲にバラされるのがオチだ! その点ルベンダ、お前だからこう頼んでる!」
「……いや、まぁシャナンのことだからそれもあながち間違いじゃないと思うが、何で私なんだ?」
自分を選んだ意味が分からずにいると、ハイムがこほんと咳払いをした。
「まずお前は、騎士団の騎士たちと仲がいいだろ?」
「ああ、まあ皆友達みたいなもんだな」
「そしてメイドさんたちとも仲がいいだろ?」
「まぁ、そうだな」
「だからだよ!」
「は?」
さっぱり分からない顔をすると、眉を寄せられる。
わざわざ言うのがじれったいとでも言うように。
「だから、お前は騎士ともメイドさんとも仲がいいから上手く取り持ってくれると思ったんだよ!」
「あー、なるほど」
あっさり納得した。
両者とも仲がいいことを利用しようということか。納得はしたが、具体的にお手伝いというのは何をすればいいのだろう。なのでルベンダはストレートに聞いた。
「で、何を協力したらいいんだ?」
「え」
なぜかそこで言葉が止まった。
首を傾げれば、見る見るうちにハイムの顔が赤くなった。
それを見てルベンダは思わずピンと来た。
「……もしかして、クリルのことか?」
「っ、お前、こういう点に関しては頭良く働くな……」
ティルズばりに失礼なことを言われたが、それでもルベンダは頷きながらクリル・ソダーの顔を思い浮かべた。くるっとした内側に巻かれている茶色の髪を持つ、元気で可愛らしい後輩だ。性格がルベンダと同じくあっさりしているのだが、それでもレース編みが好きという女らしさもちゃんと持っている。大きな声ではきはきしており、そして笑顔がとてもよく似合う。
思わずハイムの顔をじろじろ見ると、赤い顔のまま叫ばれた。
「な、何だよっ!」
「いや? クリルはいい子だし…………っていうか、お前の祝福の相手じゃなかったか?」
すると相手は返答に詰まった。
祝福を受ける相手が決まり、無事に交流期間となれば、責任者にその旨を伝えた上で交流が開始される。そして一緒に過ごすうち、祝福を向かって準備を進めていく。
ハイムも交流期間としてクリルとお付き合いをしているはずだ。交流を初めてもう半年は経っているだろうか。だからこそ、ルベンダは疑問に思った。互いに思い合ってるはずなのに、なぜ協力を必要とするのだろう。するとハイムは、少し間を開けてからこう言った。
「……確かにそうだけど、彼女は俺のこと、何とも思ってないみたいで」
「そんなはずないだろ。けっこう神聖な制度なんだぞ? それにクリルだってしっかりしてる。真面目にお前とのことは考えてるはずだ」
「でも、最初の頃と一向に態度が変わらないんだ」
「? どういう意味だ?」
「意識させられてるのはこっちばっかりで、もしかしたら、周りに言われて仕方なく……」
「まさかっ! クリルはそんな奴じゃない!」
「じゃあ彼女はどう考えてるんだよ!」
「叫ばれても私が分かるもんかー!」
互いにぎゃあぎゃあ言った後、疲れて荒い呼吸を繰り返す。
しばらくして、ハイムは唾を飲み込んで言った。
「じゃあルベンダ! 彼女に聞いてきてくれよ! 俺のことどう思っているのか!」
もはやお願いことではなく命令口調だったが、ルベンダも負けん気が強かった。
「ああ、聞いてやるよ! でも、後悔はするなよ!」
「はぁ?」
「クリルがどう思ってるのか、正直にお前に伝えるからな!」
「……っ。あ、ああ! それでいいよ!」
何でか喧嘩越しになったが、ルベンダはすぐさまクリルの元へ行こうとした。
するとハイムから呼ばれた。
「ルベンダ!」
「何だ」
もう後悔したのかと振り返ると、さっきとは違う顔になっていた。
少し心配しているような感じだ。
「お前こそ、ティルズとどうなんだ」
まさか名前が出るとは思わず、一瞬にして顔が火照る。
そして少し慌てた。
「じゃ、じゃあな! ちゃんと聞いておくからな!」
ルベンダは一目散にその場から逃げた。
背後でハイムに何か叫ばれたのだが、気にせず走った。
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