第二十九話 少しずつ、変わる

 立場上こっちが怒るはずであろうが、なんだか逆転している。

 どうしたもんだと思いながらもごもごしていれば、ティルズは自傷ぎみに物を言う。


「……俺はあなたを傷つけたのに。祝福の話だってむしろ断られるべきことをしてしまったのに。なのになんで俺を責めないんですか」

「な、そこまでのことじゃ、」

「そこまでのことでしょう!」


 怒鳴り上げるような声で、思わずびくつく。

 するとティルズははっとし、声のトーンを落とした。


「すみません。俺は謝らないといけない立場なのに。あなたを泣かせてしまったのに」

「は? 泣く? 別に泣いてないが……」


 急に身に覚えがないことを言われてそう返せば、眉を寄せられた。


「クリックが言ってたんです。あなたが泣きそうな顔をしていたと」

「え、あ……」


 少し前の自分のことを思い出し、少しだけ恥ずかしくなった。


 確かに自分でも今までにないくらい落ち込んでいたと思う。すっかりティルズに嫌われてしまったんじゃないかと思っていた。表情は自分で意識していなかったが、傍から見れば泣きそうな顔になっていたかもしれない。だが、今はティルズと話せたことに安堵していたため、すっかり忘れていた。

 

「た、確かにそうかもしれないけど、別に泣くまでのことはしてない。それに、ちょっと落ち込んでただけだし、」

「ちょっとは落ち込んだんじゃないですか」


 結局そうなのか、というような声色で言われた。

 どことなくティルズが落ち込んだように見える。


「いや、その……」


 ルベンダは慌てる。自分はこんなことが言いたいんじゃない。

 少しだけ呼吸を整える。そして、自分の素直な気持ちを伝えた。


「あのな、前にも言ったけど、私は無理強いはしたくないんだ」

「…………」

「私はお前のことを知りたい。でも、本人が知られたくないことまで知りたいとは思わない」


 ルベンダは苦笑した。


「誰だって、知られたくないことの一つや二つくらいあるだろ。それに、ティルズは絶対自分から言ってくれるって私は信じてるんだ。いずれ時が来れば話してくれる、って」

「……なんで、俺を信じられるんですか」


 そんなことを言われて、少し戸惑う。


 だが、信じているという言葉に敏感に反応したティルズからすれば、その理由が知りたいのだろう。どうして無条件に人を信じられるのか、と。ルベンダからすればそれは直感なところが大きいのだが、その回答ではきっと満足してくれないだろうと悟った。だから、自分なりの言葉で伝える。


「信じたいから、かな」

「信じたい?」

「ああ。私が信じたいからだ。だから、ティルズに今回みたいな態度をされても、どこかで信じてた部分はあった。きっと元のような関係に戻れる、って」


 自分なりに考えて言葉に出せば、相手は呟いた。


「…………俺は、時々あなたが分からなくなります」


 見れば困惑している様子が伝わってくる。


「この前の返答だってそうです。俺が考えておいてください、って言ったのに、まさかその場ですぐに返答してしまうなんて。俺にとっては予想外でした」


 これにはルベンダも少し苦い顔になる。

 一般的にしてもそうだろう。


「まさか承諾してくれるなんて思わなかったし、よりあなたが眩しく見えました。一点も曇りなく、子供の頃からそのまま育って……俺と反対です」

「ティルズ……」

「だから怖くなりました。過去に色々あった俺とあなたが、本当にこの先、生涯を共にできるのかと。あなたなら大丈夫だとあの時は言いましたが、それでも怖くなった。少しは変わったと周りに言われても、俺は自分を信じられない。どうせまた過去のような過ちを繰り返すんじゃないかって……」

「ティルズ!!」


 ルベンダは思わず近寄った。

 そして下を向くティルズと顔を無理やり合わせる。


「落ち着け」


 それでも、相手の顔はどこか青白かった。

 思わずぐっと奥歯を噛みしめる。


 ここまでになったティルズの過去とは何だ。

 詳しくはなくても、過去に辛いことがあったのは分かった。口に出すのも勇気がいることだ。なら、言ってくれた分だけ何か自分にできることはないのか。自分だからティルズに伝えられることはないのか。


 そう思っても、名案はすぐに浮かんでこない。

 普段頭を使う方じゃない。だからこそ、今ティルズが聞いて嬉しいことを言える自信もない。それでも。それでもルベンダは、改めて思ったことがあった。


「……ティルズ、私はお前と祝福を受けたい」


 はっとして顔を上げられる。

 迷っているような表情になっていた。


 だが、ルベンダは笑って見せる。少しでも安心させようと。


「過去は確かに変えられない。でも、未来は作れる。私は正直役には立たないと思うが、それでも支えることはできる。……だからティルズ、支えさせてくれ。私はお前の過去も背負って生きたい」

「そんなこと、」

「できるよ」


 答えられる前に答える。

 するといぶかしげな顔だったが、ルベンダは負けなかった。


「人は一人じゃ生きていけない。支え合うからまた強くなれるんだ」

「…………」

「私がお前を守るよ」


 そう言えば、ふっと笑われた。

 眉は寄せたままだが、それでも口元には穏やかな笑みがあった。


 そして、ティルズはまるで降参したかの口調で言った。


「これほどまでに男らしいことが言えるのは、ルベンダ殿くらいでしょうね」

「だろ?」


 思わず得意げになれば、額にチョップされてしまう。

 軽くではあったが、地味に痛く「いたっ」と言えば、ティルズはふんと鼻で笑う。


「最後は普通男が言うセリフですよ。取らないでください」


 そして改めてルベンダに向き直る。


「……俺がルベンダ殿を守ります。いえ、守れるくらいの男になります。だから、傍で支えて下さい」

「じゃあ、」


 思わず笑顔になって聞けば、相手は顔を逸らす。

 少し耳が赤くなっていた。


「……そこまで言われたら、俺も覚悟を決めます」

「あ、でも無理しなくていいからな? ゆっくりで」

「焦って祝福を受けるつもりはないので安心してください」


 慌ててフォローすれば、ティルズはむっとして言い返した。

 そして付け足す。


「祝福の話は進めましょう。これからは交流期間ということで」


 あまりに事務的な言い方だったが、それでもルベンダは嬉しくなった。

 そして大きく頷く。


「改めて、これからよろしくな。ティルズ」

「はい」


 ティルズもほっとしたような笑みを浮かべた。


 一時はどうなるかと思ったが、ひとまずこれで安心だ。

 もちろん、ティルズの過去のことなど、分からないことは多くあるが、ルベンダは少しずつでいいと思った。今はこれでいい。少しずつ互いのことを知って、支え合えばいい。


 そんなことを思っていると、ティルズは急にこんなことを言い出した。


「それにしても、ルベンダ殿って間抜けですよね」

「え」


 いきなりそんな失礼なことを言われ、思わず聞き返す。今のこの流れからなぜそんなことを言われないといけないのか。だが相手は確信をつく言い方をする。


「だって薬を落としたじゃないですか」


 思わずう、と言葉に詰まった。


 まさかのここでお説教か。その話題に触れていなかったのですっかり忘れていたが、ルベンダは頭が痛くなる。だがティルズはそんなことを気にもせず、そのまま話を続けた。


「あの薬がどういうものか、ちゃんと理解してるんですか?」

「え? 睡眠薬……とかじゃないのか?」


 思い出しながら答える。

 あのせいで確か眠気があって、マギリュイに会ったのだ。


 するとティルズは首を振る。


「フロー殿が調べてくれました。あれは複合薬で、睡眠薬、痺れ薬、そして……無意識に体が動く、言わば夢遊病と似た症状が現れる薬でした」

「そ、そうか」


 今更ながらそんな薬だったのかと知る。

 ……だが、それが何だというのだろう。


「それらの薬の効果は、普通の物より約三倍。すぐにでも処置しなければならない状態だった」


 ティルズは静かにそう言った。


「どうやって生還できたと思います?」

「…………一回人が死んだみたいな言い方だな」

「あながち嘘じゃないですよ。それほど危険な物だったらしいですから」

「うーん……」


 一応考えてみる。


 とりあえず薬で眠って目が覚め、踊ってティルズがやってきて……あれ、やってきてどうだったっけ? その後の記憶が一切ない。頭にハテナを浮かべながらちらっと目線を少し上げれば、光る青の瞳と合わさる。そういえば、今日の衣装も青だ。妙に納得していると、大きな溜息をつかれた。


「タイムリミットです」

「え」

「さぁ、そろそろ戻りましょう。皆さんをお待たせしてしまってますし」

「えっ、こ、答えは!?」


 するとティルズはくすっと笑う。

 お店に戻りながら、人差し指を口に当てた。


「今は秘密にしときます」

「え、なんだよ自分から振っておいて!」

「おや、無理強いはしないんじゃなかったんですか?」

「! ティルズ~…………!!」


 ルベンダは唸るような声を上げる。

 それに対しティルズは、気にせず背を向けて歩き出した。


 こんな時でさえからかうようなことを言ってしまう。

 だがそれは、ルベンダのせいだと言いたくても言えない。なぜなら、あんなにも真っ直ぐに殺し文句を言われて、平常心を保つ方が難しいのだ。からかうくらい、許してほしい。


 だが今回ばかりはルベンダも気に食わないのか、大股でティルズを追う。


「おいちょっと待っ……わっ!」


 着ている衣装の裾が長かったからか、それに引っかかって前のめりになる。ティルズはすぐにそれに気付き、すぐに両腕を差し出した。ルベンダは勢いよく、ティルズの胸に飛び込むような形になる。


 そして、不意に顔が重なった。




「なっ」

「にぃ……」

「ぬふっ!」

「ね?」


 いつの間にかギャラリーは増えていたため、そんな綺麗に揃ったのだった。


 驚いた様子のノスタジア、吐き切った様子のレゲント、飲んでいたイチゴオ・レを吹き出してしまったスガタ、場を読んで言葉を続けたクリック。ここまで来ればもう一人……と思っていると、ガタッと椅子が倒れる音が聞こえた。四人が振り返ると、ある人物がわなわなと体を震わせていた。


 そして両手で自分の頬を挟み、盛大に叫んだ。


「の、のおおおおおおっ!?」


 それはお店にいた者全員が呆気に取られるほどだった。

 叫んだ本人はすぐにふらっと後ろに倒れる。あちこちで「団長!」と叫ぶ声が聞こえた。周りは焦ったような声を上げたが、窓の近くにいた数人はそちらに目を向けない。まさにガン見だ。


 唯一マスターだけ、ははは、と柔らかい笑みを浮かべる。

 そしてピカピカに磨き上げられたコップを見て、満足そうに頷いた。







「「………………」」


 二人はしばし黙っていた。


 だがゆっくりと互いに離れる。

 ティルズから先に口を開いた。


「すみません」


 心で謝罪してくれてるのは分かった。

 だがルベンダは、顔が上げられなかった。


 不意に額に柔らかいものが触れ、今でもその温かさが残ってる。しかも腕だけでない、鍛えられたそれは女子とは比べものにならないくらい硬く、差を感じてしまう。以前腕を掴まれた時よりも、手ももっとごつごつしている。こんなにも力強い腕をしてしていただろうか。


 ルベンダはなぜか、心臓がうるさく鳴っているのに気付く。

 そんなに動いてないはずなのに、なぜだろう。


「大丈夫で……顔が」

「え?」


 神妙な顔されて聞き返す。


「顔が、赤いですが」


 そう言われて、さらに頬が熱くなるのを感じた。


 見られたくない。


 咄嗟に顔を隠し、ルベンダはその場から駆け出した。


「ルベンダ殿!」


 名前を呼ばれたが、振り返らなかった。


 なぜだろう。なぜか逃げ出したい。

 この顔を見られたくない。


 走りながら、楽屋に戻る。


 はぁはぁと呼吸を繰り返しながら、その場にへたり込んだ。

 なんでこんなにも恥ずかしいのだろう。なぜ逃げ出してしまったんだろう。


「ちょ、ルベンダ大丈夫!?」

「どしたのー!?」


 カーナとミーナがそこにいたらしい。

 ルベンダは思わず二人にしがみ付いた。


 二人は心配そうに声をかけてくれたが、ルベンダはそれどころじゃない。しがみ付いたまま、思わず目をぎゅっとつぶった。どうにか抑えようとしても、ずっとどきどきしている。これは一体なんだろう。早く治ってほしいと思うのに、身体はいうことを聞いてくれなかった。

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