第二十七話 分からない態度

 深い眠りについている時、ふと誰かが呼ぶ声が聞こえた。


『ルベンダ』


 誰だろう。この優しい呼び方をするのは……。


 目を開けようとしても、開かない。

 ただ優しく、耳元で名を呼ぶ。


『ルベンダ』


 薄っすらと目が開く。


 一瞬映ったのは、綺麗になびく赤い髪と、優しい笑顔をした女性だった。


「母、さん……?」


 思わず呼びかけて目を開ければ、そこには誰もいなかった。

 見渡せば、いつも寝ている自分の部屋。


「……夢か」


 ゆっくり起き上がりながら呟く。


 久しぶりに見た母の夢。一時期よく見ていたのだが、今ではすっかりだった。おそらく、母を思い描くほどの余裕ある生活ではなかったからだろう。最近特にそうだった。新しい騎士たちも来て、メイドたちはそれなりにてんてこまいだったのだ。それに、最近は大仕事にも携わっていた。


 大仕事が終わったのは二日前。


 ルベンダは薬の後遺症が残ったらいけないということで、一日休ませてもらった。いつもより長い睡眠時間が取れ、なんだかありがたいような申し訳ないような。休んでいる間もノスタジアがわざわざ訪ねてきて、事の真相を教えてくれた。


 オークションに関与していた者には、それなりの処分が下されたらしい。品物として売られていた人たちの回収も急いでおり、ルベンダが助けたソープ、リイ、タクミは無事に家に帰れたようだ。感謝の手紙が寄宿舎へ届き、それを知ってほっとした。一時はどうなることかと思ったが、人の役に立てたことが嬉しかった。そのためなら、潜入捜査も悪くないような気がする。ノスタジアの意図もよく伝わったし、クリックも事件が解決して安心したと聞いた。


 いつもより早い時間に目覚めたが、今日も今日とて仕事はある。


 一日ぶりではあるが、今日は皆に会える。

 それに、ティルズにもだ。


 あの時互いに言い合ったことを思い出しながら、ルベンダは少しだけ頬が緩みそうになる。思えば、あの時に話すようなことじゃなかったような気がする。……でも、互いに色々伝え合えた気もする。どんな顔で会えばいいのだろう、これからどうなるのだろう。そう思いながらも、どこか会えることに対して嬉しいと思っている自分がいた。これからのことは、きっと一緒に決めていくのだ。


 ルベンダはメイド服に手を通しながら、笑顔でいた。

 大きな事件も一旦は終わったわけだし、ゆっくりそんなことも考えられるだろう。


 …………が、現実はそう甘くはなかった。







 ずーん、という言葉が一番合うかもしれない。

 それほどまでにルベンダは気分が落ち込んでいた。時折溜息を交えており、いつもの彼女らしくもない。今彼女は庭で箒を動かしているのだが、その仕事ぶりは例え落ち込んでいようとさすがだ。


 が、傍で見ていたシャナンは、痛々しい顔で見ていた。

 隣にいるニストも、眉を八の字にしている。


「ルベンダさん、大丈夫でしょうか……」

「どうしてああなったか、ニストも分かるわよね」

「……はい、さすがに」


 するとシャナンは頷いた。


「…………当たり前だわ。あんな露骨な態度じゃ、この寄宿舎にいる全員が分かるわよ」




 事の発端は、ルベンダが仕事復帰した朝だ。


 いつもより早めに仕事に向かったルベンダは、ティルズと廊下でばったり会った。会いたいと思っていた相手だっただけに、ルベンダは思わず笑顔になった。


「おはよう、ティルズ」


 ティルズはいつも無愛想だが、挨拶はいつも返してくれていた。

 今回もそうだろうと思っていたが、なぜか相手は眉を寄せたまま黙っていた。


 あれ? と思いながら体調を気にしたが、顔色も別に悪くない。

 ルベンダは少しだけ困惑していると、そのまま横を通り過ぎられた。唖然としながら振り返ってみれば、ティルズもこちらをちらっと見る。だが、すぐに前を向いて進みだした。


 当然、ルベンダは何も言えなかった。




「……そんな日が続いて早三日! そりゃあルベンダもあんな状態になるわよね~」


 さすがのシャナンも深刻な顔になる。


 他のメイドを含め、騎士たちにも二人の噂は伝わっていた。

 だからこそ余計に目立つ。いつも大きな声で喧嘩をしており、それをうるさいながらも眺めて楽しんでいた者にとっては残念だからだ。それに、圧倒的に違うのはティルズの表情だった。いつも無表情だが、顔が違った。睨んでいるかのように。まるで「氷の貴公子」のように。


 遠くでそのティルズの表情を見たルベンダも、珍しく顔を青ざめていた。「あ、あれが氷の貴公子というやつか。あの顔見てようやく分かった気がした……」体が震えていた所を見ると、それほど衝撃的だったようだ。シャナンたちからすれば、ルベンダの前だからその顔は見られなかったんじゃないかと思ったのだが。


「……なぁ。私、なにかしてしまったのかな」

「わ!! びっくりした」


 いきなり話に本人が入っていきて、シャナンは遠慮なく叫ぶ。

 だがルベンダはしゅんと拗ねたような表情になる。


「……せっかくこれから一緒に歩んでいこう、って話したのに。それとも、やっぱり考え直したのかな……」

「え、なにそれ。そんな話聞いてないんだけど」


 いつもの情報収集魂に火が付いたようだ。

 声色が変わったシャナンに、ニストは「シャナンさんっ!」とたしなめるような声を出した。するとすぐに「冗談よ」と冗談とも思えない顔をして、ルベンダに向き直る。


「あんたそんなこと言ってるけど、なにか思い当たるようなことあるわけ?」


 冷静に問いただせば、ルベンダは無言で首を振る。

 シャナンからすれば予想通りだ。何かしてしまったなら、この娘は分かりやすい。本人に自覚がないのに何かやらかしてしまったってことは、ほぼない。


 しばらくルベンダを見つめた後、シャナンの目が光った。


「これはもう、無理やりにでも相手と話すチャンスを作るしかないわね」

「え。ど、どうやってですか?」


 ニストが聞きながら、ルベンダもすがるようにシャナンを見る。

 すると、にやりと笑われた。どうやら先輩には、すでに策があるらしい。







 一方、王城でも騎士二人組がその話になっていた。


「……ティルズ、どうしたんだろう」

「ほんと、何考えてるか分からないっすよねー」


 スガタがしょんぼりとしているのに対し、レゲントは美味しそうにケーキを頬張っていた。


 二人は言わば甘党仲間だ。

 仕事の休憩中、お菓子や甘い物を食べながらその話になる。


 スガタはティルズと会話をすることが多いのだが、余計なことは言わない。言ってしまえば、ティルズに上手くかわされるのだ。誰かに心配されるのは癪なのか、もしくは話題にも出したくないのか、すぐに別の話に持っていかれる。スガタ自身、ティルズには口で勝てないので、どうにもできない。だがこんな時、何か相談というか、言いたいことがあれば言ってくれたらいいのに。……自分が情けなく頼りないことは百も承知だが。


 そんな風に思っていると、城の外側からこちらに入ってきた人物が見えた。今日も楽々とよじ登ってきたのだろう。かなり高さはあるはずだが、城下の番人には朝飯前なのだろうか。涼しい顔をしながら、クリックはこちらに向かって手を振ってきた。


「おーい」

「クリック!」


 実はスガタがここに呼んだのだ。

 もうこれは、自称親友である彼にしか頼めないと思っていた。


 クリックも一応は情報を仕入れるのが得意なので、話は伝わっているらしい。ノスタジアからも事情は聞いている。聞けば副団長はかなり頭を悩ませているようだ。レゲントがある木の下を指差す。そちらを見れば、木にもたれて本を読んでいる少年の姿がある。


 その後ろ姿を見て、クリックが苦笑いをした。


「なんだ? あのいかにも放っている黒いオーラは」

「ここ毎日っすよ。オーラ、全然クリーンにならないんですよね。日に日に黒が増しているような気がするっす」


 レゲントが補足説明をすると、クリックは呆れたように頷く。

 そしてとりあえず近付いて行った。


 残った二人は、その様子をじっと見つめる。


 木の傍まで来ると、クリックは少し考えてそっと忍び寄るようにした。そうでもしないと、まともに行ってもどうせ心を開いてくれないだろう。そんなことを思っていると、急にヒュッと何か飛んできた。


「…………」


 思わず硬直する。


 それはクリックの頬を撫でながら、真っ直ぐ飛んで行った。

 どうやら細長い針のようだ。


「うおおっ!」


 後ろの叫び声を聞けば、スガタたちの所まで飛んだのが分かる。


 素晴らしい実力以前に…………怖い。そっとまた前に目を戻すと、それはそれは「氷の貴公子」と呼ぶに等しい顔がそこにあった。ティルズが声を低くして言う。


「気配を消して近寄るな」

「あー、悪い……」


 これにもクリックは謝ることしかできない。


 だが、すぐ傍に寄って座る。それに関しては何も文句はなかった。ティルズは再度難しそうな本を読んでいる。ページをめくる音を聞きながら、クリックは自然と聞いてみた。


「なぁ、噂がすごいことになってるぞ。どうしたんだよ」

「何が」

「ルベンダとなにかあったんだろ?」

「……………………」


 いつもより長い無言だ。

 それは肯定を意味しているのだろう。


 クリックは頭を振りながら溜息をついた。


「ったく、互いに祝福を受ける予定なんだろう? 喜ばしいことなのに、なんでこんな風になってんだよ」


 するとパンッ、と本を閉じた。

 そして心底嫌そうな顔でクリックを見る。


「なんでお前がそんなこと知ってるんだ」


 祝福関係の話はデリケートなので、内密にされることが多い。公に発表して初めて皆が二人に祝辞を述べるのだ。まだ誰にも知られてない話であるのに。情報通の耳にも届かないよう配慮がなされているはずなのだが。すると相手は得意げな顔になる。


「ノスタジア殿が教えてくれた。まぁ普通は他言無用だし、他の人のことは俺も知らないけどな。今回はお前の自称親友という肩書のおかげで教えてもらったわけだ」

「……自称のくせにその特権おかしくないか?」

「そこは気にすんな」


 片手を見せてストップさせた。

 正論ならティルズに負ける。余計なツッコミはこの際不要だ。


 するとティルズは不服そうな顔になる。

 このままじゃ何があっても口を開いてくれないだろうと、少し考えて言葉を選んでみた。


「とにかくさ、早く元に戻ってくれよ。ルベンダも珍しく元気なかったんだぞ?」


 仕事で寄宿舎に不在な日が重なることはある。

 が、そうでもないのに三日も顔すら合わせないというのは正直きつい。  


「……別に、俺と会わなくてもあの方は大丈夫だろう」

「なっ、お前……!」


 これはいじけているのだろうか。

 一体何に対して。何が原因なのだろう。


 クリックは頭が痛くなりながら言葉を続けた。


「あのルベンダが! あのいつも無駄に元気で明るいルベンダが! 泣きそうな顔してたんだぞ!? お前それでも同じこと言えるのかよっ!」

「っ……」


 これにはティルズも少し顔が歪んだ。

 クリックは追い打ちをかける。


「自分の生涯の相手をそんな顔させるなんて、お前すごい罰当たりだな。そんな態度しか出せないなら、祝福なんてやめちまえ!」


 声を大にして言ったが、ティルズは黙ったままだった。


 それでも、今は少し悩んだような顔をしている。少しは人間らしい表情になったか。そのまま脅しを続けてもいいと思ったが、後は当人の問題だ。クリックは溜息をつき、そして一通のカードのようなものを懐から取り出した。それを見せられ、ティルズは不審な顔になる。


「なんだ」

「招待状。明日の夜、ルベンダが踊ってるお店でお祝い会をするんだってさ」

「は?」

「前の大仕事は言わばお前とルベンダのおかげだろう? だから、無事終わったってことでお祝い」

「何でわざわざそんなことをする。それにそんな話は聞いていない」

「当たり前だろ、さっきシャナンがひらめいたんだよ」

「…………」


 つまり、こっちの意見は無視しての計画か。


 聞いた話では、酒場のマスターから既に許可は下りたらしい。

 マスターは気前がいいため、無茶ぶりも全然平気らしいのだ。そしてティルズと会うついでに団長にも伝えるために、クリックはここへ来たらしい。前回の事件で仕事をした騎士は全員招待するようだ。つまり、自分も確実に行かなければならない。眉を寄せていると、相手は笑った。


「と、いうわけだ。絶対来いよ?」


 何も言わないティルズに背を向け、クリックは歩き出す。

 もはや言い逃げというやつだ。そしてその場から団長の所へ移動する。


 残されたティルズは、もう一度招待状を見る。

 それでいて、大袈裟に息を吐く。


 誰にも言えない、誰にも言いたくない、胸の内。

 だがそのせいでルベンダを傷つけていることは分かってる。


 どうにもできない思いを、拳を作って地面に思い切り叩き付けることしかできなかった。

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