第二十四話 脱走作戦

 一人で会場を歩き回っていると、お酒やお菓子を勧められる。


 やんわり断るが、断りきれなくなるととりあえずグラスを持つことにした。飲むふりをしながら、辺りを見渡す。お酒は飲もうと思えば飲めるが、寄宿舎の規則で禁止となっている。ティルズもよほど何かが起こらない限り、決して手をつけようなどと思わない。


 ……それにしても。


 ティルズは相手に分からないくらいちらっと横目で観察した。

 見ただけで怪しい貴族が何人もいる。やはり、裏側の世界であることを予期させるものだ。


 しかも皆、二、三人以上のグループになっている。こぞって互いに身に着けているものを褒めているが、一番は自分を褒めてほしいと思っているのだろう。その魂胆が見え見えだ。誰よりも一番になりたい。そのような傲慢な思いを持っている貴族は多い。自身が貴族であるからこそ、よく知っている。


「あら、お若いのねぇ。良かったら乾杯でもいかがかしら」


 ある貴婦人に話しかけられ、グラスを互いに合わせる。


「あなたは何を出品したのかしら」

「……人形を」

「まぁ。もちろん、生きているのでしょうねぇ」


 酒で酔っているのか、大笑いをしながらそのように言われる。


 敢えて人形、という表現を使ってみたのだが、相手は皮肉で返してきた。身体が大きいことも関係しているのだろう、笑うと身体全体が揺れ動く。普段、皮肉で返すのは自分だ。だからこそ、貴婦人の言い方が少し気に食わなかった。が、ここで問題を起こしてはいけないので、黙っておく。


「でも噂になっているらしいわね。美しき舞姫がいるって。会場の女性が熱心に説明してくれたわ。今回の最高額かもしれないんですって? 私もこの手で愛でてみたいわねぇ」

「……」

「あなたが出品者なら、もう愛でちゃったのかしら」

「いいえ」


 即刻答えた。

 その言葉は嘘じゃない。


「まあそう。でも、楽しみにしているわ」


 貴婦人はまた大きな高笑いをした後、行ってしまった。


 思わず溜息をつく。

 こういう場は慣れていたつもりだが、やはり空気が悪い。


 と、ある足音が自分の方に向かってきた。


「少しよろしいでしょうか」


 見れば先程ルベンダを連れていった女性だった。


「何か」

「実はこのようなものを見つけまして」


 手に小さくて白い錠剤のようなものを載せていた。


 思わずティルズは目を見張る。

 どこかで見たことがあるものだった。


「品物の傍で落ちていたものなのですが、心当たりは?」

「……ええ」


 とりあえず返事をすることしかできなかった。また、女性の言葉で確信した。この薬は、もしものためにとノスタジアがルベンダに手渡していたものだ。


『こんなもの、使わないだろ』


 ルベンダは怪訝そうな顔をしていたが、ノスタジアは真面目に言っていた。


『何が起こるのが分からないのが、大仕事の厄介なところだ。本当は使わないのが正しい。だが、持っていて損はない』


 まさか落とすとは。


 その場で再度溜息をつきたくなったが、かろうじて堪えた。

 だが心の中ではふつふつと怒りが燃え上がっている。結局何かやらかしてしまうのが彼女だ。だから念を押して伝えておいたのに、意味はなかったのか。


 ティルズはここで初めて、自分が冷静な性格で良かったと思った。これが逆にルベンダならば、怒りのあまり叫んでいるのかもしれない。とりあえず、こうなっては仕方ない。この薬がルベンダの手に渡るようにするのが先決だ。理由などいくらでも考えられる。


 だがティルズが何か言い出す前に、女性は気にせずこう答えた。


「そうですか。しかし大丈夫です。先程睡眠薬が入った水を飲んでいただいたので、問題ありません」

「……問題がない、とは?」


 語尾が上がらないよう気をつける。

 だがティルズにしては少し焦っていた。


 すると女性は少し首を傾げた。ティルズが言っている意味が分からない、といった具合だ。いつもなら相手の様子を見るためにここでも黙っておくのだが、事が事だ。ティルズは素早く説明した。


「これは彼女の持病の薬です。発作が出ないように持たせていたのですが、落としてしまったようで。今すぐ彼女に届けてほしいのですが」


 本当は解毒剤だが、もちろん本当のことは伏せる。

 元々錠剤の形をしているため、一見して何の薬か誰も分からないだろう。


 説明すれば、ようやく相手は理解したようだ。

 そして再度、「問題ありません」と答えた。


「この薬は特注品のものを扱っております。飲んだ瞬間、他の病原体が体の中に入らないような構造になっているのです。ですので、持病の薬であろうと、飲んでもらう必要はありません。その発作もおそらく出ないでしょう」


 目が見開くのは、無意識の行動で止められなかった。

 だがティルズは冷静に頭を使い、すぐさま質問する。


「睡眠薬、とおっしゃいましたが、どういった効果があるんでしょうか」

「ある一定の時間になりますと、眠った状態になります。そして…………我々の手の上で転がされる、ということでしょうか?」


 女性はくすっと笑っていた。なぜか楽しそうだ。

 それがものすごく不気味に見える。


 女性はそれ以上は何も言わず、すぐさま錠剤を返しどこかへ行ってしまった。


 しばしの間、呆然としてしまう。


 詳しいことを聞いていない。いや、上手くはぐらかされたようなものだ。

 あの水を飲むと、最悪どうなってしまうのか。……間に合うか。時間的にも余裕はない。


 ティルズは薬を持っている手を、強く握り締めた。







「ルベンダさん、本当に大丈夫?」


 三人に心配されながらも、ルベンダは大丈夫大丈夫、を連呼していた。


 なったものはしょうがない。今考えるべきことは、一刻も早くここから逃げ出すことだ。実際この薬が何の薬か分からない以上、どうすることもできなかった。ルベンダは頭をフル回転させる。


 一応まだコップは回収されていない。

 外鍵しかないため、回収に来たときが逃げ出すチャンスだ。ただ。


「まずここが、どこにつながってるかって話だよな……」


 ルベンダの言葉に、皆で悩む。


 部屋を見ても、殺風景で何もない。

 窓もないため、息苦しいのが続いている。


「私達は、確かドアから見て左側から連れられてきたわ」

「うん。それに一方通行だったよね。幅も狭かったし」

「どこか窓がなかったっけ」


 三人が色々思い出してくれており、ルベンダも必死に頭を動かした。


 ……だが、こういうのはどうも苦手だ。このままでは頭がパンクしてしまう。絶対ティルズの方が得意だろう。そう思うと、あながちノスタジアが行きに言ってきた意味が分かる気がした。


 そんな時、ガチャッとドアが開く。


「回収に来ました」


 そう言って入ってきた女性に焦ったが、ルベンダは迷わず動いた。


「うっ……」


 腹部に拳が入り、女性は気を失う。


 三人が驚いたような顔をするが、ルベンダはすぐに振り返った。

 そして苦笑して見せる。


「私は考えるのが苦手だ。だったらその場で動くのみ! 行こう!」


 皆がその言葉に頷き、すぐさま部屋を抜け出した。







 ティルズが頭で色々考えていると、急に舞台の裏側から何やら声が聞こえ出した。


 広い部屋の奥にはオペラと思わせる高いステージのようなものがある。おそらく、そこで品物を並べるのだろう。騒ぎに耳を傾けると、数人が裏側から出てきた。


「大変だっ! 品物が逃げた!」


 その言葉に、ティルズは確信した。


(ルベンダ殿)


 考えるよりは行動派のルベンダのことだ。

 見事な武術と共に、暴れまくっているのだろう。


 だが、飲んだ薬のことを思うと少し不安になる。いつでも動けるよう準備しておかなければならない。ティルズはサファイア色の瞳を光らせた。




「ぐほっ」

「うわあっ!」


 様々な声を上げながら、オークションの人間がぶっ飛ぶ。

 ティルズの予想通り、ルベンダは腕を振るっていた。


 振るうといっても相手は数人がかりでやってくるので、上手く隙をついてかわしたり、物を使って足止めしたり、軽く体術を使ってる程度だ。狭い通路に一気に何人も来るので、逆に相手がやりにくそうで、こちらはルベンダが幅を上手く使いながら対応していた。


 ものの見事に引っかかってくれる様子を見れば、日頃の稽古が実を結んだなとしみじみ感じる。もっとも、品物とされた人間は無抵抗で力の弱い人が多かったはずだ。オークション側の人間からすれば、ルベンダのように腕っぷしが強い者が来るなんて予想していなかっただろう。


「お姉ちゃん、ほんとに強かったんだ」

「すげえ」


 懸命についてくる二人が素直に感想を言う。

 ソープは唯一声が発せない状態だったが、笑顔だった。


「まあな」


 得意そうに答えて進むうち、階段が見え、急いで駆け上がる。


 最上階まで行ってドアを開けると、真っ暗な空に星が無数に見えた。夜はまだ始まったばかりで、光など通さないくらいの闇が広がっている。ルベンダが急いで暗い中を奥まで進み、下を覗きこむ。


 なかなかの高さだが、ここならいけるだろう。


(まさか私が合図を出すなんてな)


 少し思ったが、すぐさま手を唇に当て、音を鳴らす。


 ピイッピ――――…………。


 少し甲高い音で、長く広い空に響く。


「きれい」


 そう言ってもらえた。


 しばらくして、数人の足音と紐の擦る音が同時に聞こえた。


「おっ、大丈夫っすか?」

「レゲント! よく来てくれたな」


 ノスタジアの部下でもある、レゲント・コンセナーがへにゃっと笑った。

 錆色のつんつんした髪に、屈託のない瞳が燃えているように見える。こんな状況でも笑みがあるとは、さすがはあのノスタジアの直属の部下だ。ノスタジアも日頃は温厚だが、容赦ない副団長と言われている。


 レゲントがほっとするように言った。


「良かったっす、ちゃんと無事で。副団長、心配していらいらしてたんすよー。まったく、なだめるこっちも大変ってやつです」


 愚痴をこぼす辺りがこの男らしいが、ルベンダはすぐさま言った。


「三人いる。二人子供で、一人は女性だ。頼めるか?」

「合点承知っす。一気に運びますから、ルベンダ殿は少し待っててください」

「ああ、私は大丈夫だ」

「では後ほど」


 レゲントは一気に三人を抱え、上ってきた紐を使って華麗に滑り下りた。

 ようやく安堵する。


(これで仕事は成功だ……)


 気が緩んだせいか、ルベンダはふと深い眠りがすぐそこまで来ているのを悟った。体から力は抜け、すぐさま後ろに倒れそうになる。だが地面に付きそうになる前に、誰かに支えられた。その人物はルベンダを支えたまま、壁に引っかかっている紐を見る。そして、持っているナイフで思いきり切った。


「うおっ!?」


 三人を抱えたままのレゲントは、紐が切れたことで体制を崩し、地面に向かって急降下した。


「きゃあああ!」

「うわあああ!」


 それぞれの叫び声を聞きながら、レゲント慎重に背中についている別の紐を引っ張る。その瞬間、ぱっとパラシュートが開き、ゆっくりと地面に降りることが出来た。三人の姿を見れば、どうやら怪我はないようだ。それだけでも安心した。


「レント! 無事か!?」


 すぐさま駆けつけたノスタジアの言葉に、苦笑する。

 その後ろでは、控えている騎士たちが大勢いた。


「はあ、なんとか。三人も無事です」

「そうか」


 ほっと笑みを漏らしたが、すぐさまはっとした。


「ルーベは?」

「あっ……」


 皆が一斉に顔を上げたが、姿はまったく分からない。

 さっきの合図で気付いた時には、赤く燃える髪がよく見えていたのに。

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