第十七話 思わぬ客人
ニストは今日も、洗ったばかりのタオルを干そうとしていた。
彼女は常に真面目に仕事をこなす。洗濯・掃除・給仕、どれにしても完璧で評判も良い。だが本人はそうは思っておらず、今日も黙々と働いていた。
見た目が華やかなルベンダやシャナンといった先輩メイドがいる。
ニストは、そんな二人に少し憧れていた。もちろんそれなりに難癖はあるのだが、二人共可愛がってくれる優しい先輩。自分もそんな、人の心にすっと入れるような人物になれたら、と思うのだ。大抵目立たないで作業をしていて、気づかれなかったこともある。自分は地味だから、と少し諦めていた。
多くのタオルを手に持ち、落とさないよう廊下を歩く。
だが突風が急にやってきて、一番上にあったタオルが風で飛ばされる。
「あっ」
それは近くにあった窓の方へ飛ばされ、そして下へと落ちる。
あれではもう落ちてしまっただろう。もう一度洗わなければならない。若いのにニストは溜息をつき、そのまま進もうとした。すると、窓を駆け上がるような音が聞こえ、思わず振り返る。
「これ、君のかな?」
「……あ」
窓の縁の上に、一人の青年がいた。
鮮やかな橙の髪は、長い布のようなもので隠されており、前髪や後髪が少し見える程度だ。そして茶の瞳は、好奇心があるようにニストを見ている。全身的に茶色っぽい、身軽そうな格好。その見覚えのある恰好に、ニストはくすっと笑った。
「ありがとうございます、クリックさん」
以前城下で助けてくれた恩人に対し、ニストは深く頭を下げた。
するとクリックは、苦笑しながら顔を横に振った。
「いやいや、むしろ役に立って良かったよ」
「今日はどうかされたんですか?」
タオルを受け取りながら聞くと、クリックはすんなり答えた。
「講義を聞きに来たんだ」
「癒しの花園」で行われている、生涯のパートナーと幸せな結婚をするための講義。ここでは主にメイドと騎士が勉強するのだが、その講義は一般人でも自由に聞くことができる。女王が定めた教育にのっとって結婚したいと考える人も大勢おり、その人達も規則に守りながら講義を聞いて学ぶのだ。
クリックもそう考えているのだと、初めて知った。
「そういえば、騎士学校時代で学んだんですよね。だからですか?」
「まぁそれもあるけど、やっぱり幸せな家庭を築きたいって思いもあるかな」
それを聞き、ニストは大きく頷く。
同じ考えを持つ人がメイドや騎士以外にもいるのだと分かり、少し嬉しくなる。すると、クリックも笑う。人懐こそうな笑顔が、彼の人柄を表していると思った。
「クリック!! どこにいるんだい!?」
急に下からけたたましい声が聞こえてきた。
するとクリックは、苦笑しながら下を見た。
「やっば、ジオさんのこと忘れてた」
そう言って、ニストにまた笑いかける。
「んじゃあ、またな。ニスト」
「あ、はい」
クリックはさっとその場から降りた。
駆け寄ってみれば、ちゃんと着地に成功している。
さすが城下の番人、というところだろうか。
だが怒鳴られているジオに、苦笑しながら謝っていた。
ニストはしばらく、その姿を見ながら笑ってしまった。
王城にある庭には、テラスのような場所がある。
そこは訓練を終えた騎士たちがのんびり過ごす所だ。
珍しくティルズがそこにあるイスに座っている。いつもテラスを利用する騎士たちが珍しそうに見ていたが、しばらくしてから自分たちの会話へと戻っていた。ティルズは珈琲を飲みながら読書をしている。少し時間が経ってから、情けないような声が遠くから聞こえてきた。
「ティルズ、悪い!」
「遅い」
遠慮のない言い方だったのだが、慣れた様子でスガタが苦笑していた。
「また迷子になって……」
「いい加減覚えろ」
ぴしゃりと言われ、少しうな垂れる。
だがティルズにとって問題はそこじゃなかった。
「で、何だ? 話って」
「祝福のことだよ。ティルズはどう考えてるのかなと思って」
講義を一通り聞いた後、改めて家庭を持ちたいという人は「祝福」という名の「結婚」に向けて準備を進めるようになる。そのためには、相手を見つける必要がある。相手は決められた規則にのっとって選ばれ、見合いのような形で出会う。そしてそこから互いの了承を得て、交流していくのだ。その期間が続く上で、その人と結婚する意志が強くなれば、祝福を受ける、つまり結婚する、といった流れになる。
スガタの真剣な様子を聞きながらも、ティルズは珈琲を飲みながら答えた。
「もうそこまで考えてるのか。早いな」
今はまだ勉強するだけで手いっぱい、という考えの騎士が多い。
実際頭で理解できても、実践するのも難しかったりするのだ。それに結婚に対する意識をもって寄宿舎に入った人も少ない。いずれかは結婚したいと思っても、今は仕事に集中したい、と考える人もいる。
するとスガタは一度目を丸くしてから、また苦笑した。
「年齢のこともあるせいかな。俺はそればっかり考えちゃうんだ」
「いいんじゃないか。それだけ意志が強いってことだろ。決めたら後は祝福に向けて準備すればいい」
あっさりと肯定するような言い方をされ、スガタは呆気に取られた。
ティルズがそう答えてくれるとは思わなかったからだ。少し嬉しいと思いながらも、スガタははっとする。ここで自分が一番聞きたいのは、ティルズの考えなのだ。
「で、どうなんだ? ティルズは」
しつこく聞かれ、ティルズは少しだけ眉を寄せる。
そして少しだけ迷いつつ、答えた。
「まだ俺は考えてない」
「…………そっか」
どこか残念そうな声色だった。
思わず「なんだ」と言えば、スガタは首を振る。
「いや、同じ時期に祝福を受けたいとか思っててさ。でも、ティルズにはティルズのペースがあるもんな。急にこんなこと聞いて悪かった。ごめん」
素直に頭を下げられ、こっちが困惑する。
少し溜息をつきながら「別にいい」と返しておいた。
するとどこからともなく、別の声が聞こえてくる。
「なにやってんだよ、二人して」
ティルズは聞いただけで分かった声に、嫌気が差す。
だが相手は気にしないで子供のような笑顔を見せた。
「ひでぇな。親友がわざわざ来たっていうのに、その顔はなんだよ」
「……何しに来た」
「お前がまた会いに来いって言ったんだろ?」
「いつでも会えるのにすぐ会いに来る必要はないだろ」
「ったくお前はほんと可愛げないな」
変わらない憎まれ口に手を焼いていると、スガタも笑顔で声をかける。
「クリック! この前振りだな」
「……今気づいたのかよ、相変わらず天然だなお前は」
スガタののんびりした性格に苦笑してしまう。
すると、周りにいた騎士達も、クリックを見て集まりだした。
「クリックじゃん!」
「いつの間に来たんだよ、懐かしいなぁ」
「元気にしてたかー?」
わらわらと集まる様子を見れば、やはりそれだけ好かれていたことが分かる。
クリックも楽しそうにしばらく皆と談笑していた。
「で、本当に何しに来た」
話が終わったのを見計らって、ティルズが聞く。
「え? さっき言っただろ?」
「お前はそんなことでやすやすと城へは来ない。何か理由があるんだろう」
そう言うと、クリックはにやっと笑った。
「……さっすがティルズ。俺のこと分かってるな」
「要件は」
これ以上突っ込む気力がなかったので、先を促せる。
すると一瞬つまらなそうな顔をされたが、クリックはまた意地悪そうな笑みに戻した。
「俺さ、今日は馬車でここに来たんだよ」
「馬車?」
「珍しいな。いつもは徒歩か馬で来るのに」
よく塀を飛び越えてやってくるのがクリックだ。
普通にやってくればいいものを、わざわざそんなことをしている。
大抵はそう来るせいで城の周りに仕掛けられているトラップの音が聞こえるのだが、なるほど、確かに今日はそんな音が聞こえてこない。真正面から来たからだろう。だが、クリックは馬車を持っているほど裕福ではない。むしろ節約を好きの商人だ。それなのに、今日はなぜ馬車で来たのか。
様々なことを考えた結果、ティルズはある答えを導く。
そして思わず険しい顔になった。
クリックの顔を見れば、くっくと笑われる。
悪者みたいな笑い方だったが、そんなことはどうでも良かった。ティルズはその笑みが正解であることを悟り、すぐさま城を飛び出した。そして馬小屋へと走る。その場にいた騎士たちは皆、驚いたようにティルズの行動を見ていた。唯一分かっているクリックだけは、面白そうにずっと笑っていたが、スガタにはちんぷんかんぷんだ。思わず尋ねる。
「どういうことだ?」
するとクリックは答えた。
「来たんだよ。ティルズの苦手な人がな」
その頃、「癒しの花園」でルベンダたちはいつものようにお菓子作りに励んでいた。今は寄宿舎に騎士がいない時間なので、このように自由に時間を使うことができる。そしてたまにこうして、皆でお菓子を作ったりするのだ。自分で食べるためでもあるが、美味しくできれば騎士達に渡すこともできる。
今回はりんごのタルトを作った。
美味しそうに焼けた匂いがして、メイドたちはわぁっと声を上げる。
そんな中で、チャイムの音が聞こえた。
「誰かしら?」
「私が行ってくるよ」
ルベンダはすぐさま玄関へ行き、ドアを開けた。
すると、一人の女性が立っていた。
黄金のうねる髪に青空のように透き通っている青い瞳。一瞬、人形ではないかと思うほど美しかった。しかも着ているドレスからして、位も高そうな貴族のお嬢様だ。
しばしその姿に見とれていると、鈴のような声で聞かれる。
「赤い髪……。あなたが噂のルベンダさん?」
「はい」
髪の色で赤色は滅多にいない。
そういう意味では、ルベンダが噂になるのも無理はないだろう。
女性はにこりと微笑み、そして自己紹介をした。
「私の名はアレスミ・ザンビアカ。……
「…………え?」
ひやっとした空気が一瞬にして流れた。
アレスミの顔は笑みがあるが、その目は笑っていない。
「今日は泊まらせてもらおうかしら。よろしくね? ルベンダさん」
言い終わらない内に、勝手に中へと入られた。
訳の分からないルベンダは、呆気に取られてその姿を見ることしか出来なかった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます