第十四話 洋館の香り、香水の香り

 中は暗いからか、ぼんやりとしか分からない。

 ただ外がまだ明るいため、赤い絨毯が床に敷かれているのは分かった。


 そのまま中央まで歩いて辺りを見回していると、シャナンが怪訝そうな顔になる。


「……ねえ、何か甘い香りしない?」

「シャナンもそう思うか?」


 ルベンダも同意した。


 そう、甘い香りが洋館中に充満している。しかも香水のようなものじゃなく、まるでチョコレートをどろどろに溶かしたような香りだ。正直、長時間嗅いでいると酔いそうになる。


「なんだか……変ね」

「ああ」


 古い、しかも人気のない洋館の中で甘い香りがするなど聞いたことがない。

 しかもお菓子の香りだ。そんなポップな印象がこの洋館にはどうにも合わなかった。すると急に、ギイッと年期の入った音が聞こえた。ドアが閉まったようだ。


「風か?」

「……ほんと、心臓に悪い場所だわ」


 シャナンはげんなりとした表情になる。

 対してルベンダは苦笑した。


「だから大丈夫だって。私に任せとけ」

「実体のないものに、あんた勝てるの?」

「え?」


 きょとんとした顔をされたので、シャナンはもうそれから黙ってしまった。

 しばらくすると、目が慣れてくる。中は広く、ところどころにドアがあった。しかもその数が尋常じゃない。五つは余裕にある。まるで壁がないかのようだ。二階へと続く、らせん階段などもあった。その場所や形がなんともいびつで、なんだか気味が悪い。


「いやだ。なんなのよここは」


 シャナンは完全に怯えきっている声音だ。

 その様子に、ルベンダは少し心配になった。


 いつもは強気な発言が多い彼女だが、なんだか様子がおかしい。

 よく見れば体が震えており、それは手を通して伝わってきた。おそらく、暗闇が駄目なのだろう。


 ルベンダは少し低めの声で問いかける。


「どうして、言わなかったんだ? 嫌なら私一人で」

「あんな小さな双子を置いて、あたしだけ逃げるわけにはいかないでしょ……!」


 シャナンは下を向いたまま叫ぶ。

 自分よりも周りのことばかり考えるシャナンらしい答えだった。ルベンダは思わず握っている手に力を込めようとした。が、急に地面が揺れるような音が響く。


「!?」

「なんだっ!」


 床が動きだし、ルベンダは後ろへ引っ張られるような形になった。一方のシャナンは、違う方向へと引っ張られている。慌てたせいかお互いの手が離れ、二人の距離は一瞬で遠くなった。


「シャナン!」

「ルベンダ!」


 名前を呼び合ったが、互いに姿が見えなくなってしまった。







「……うん? 今、何か聞こえなかったか?」

「何が」

「女性の……声」

「怖いのか」

「いや、そうじゃなくて」

「なら早く出口を見つけろ。お前の方向音痴で俺までとばっちりを受けるのはごめんだ」

「うっ。そうはっきり言わないでくれよ、ティルズ~」


 スガタはとほほ、とでも言いたげに眉を下げる。

 しかしティルズは先ほどから険しい表情のままだった。


「どうすればこうなるのか。……お前の体質は本当に面倒だ」

「仕方ないだろ。俺だって別になりたくてなったわけじゃ」

「早く出口を見つけろ」

「……はい」


 花畑がある場所まで行けば、確かにその傍には洋館があった。

 そのまま進んでいくうちに景色がどんどんと変わり、そして気が付けばこの暗闇の中。運よく携帯ランプを持っていたため光には困っていないが、ティルズからすれば苛立ちの種が増えたようなものだ。

 

 なぜ忘れていたのだろう。スガタについて行けば必ず間違った方向に行くことを。自分から進めばこんなことにはならなかったのに。しかもさっきから甘ったるい香りがして正直気分が悪い。甘党のスガタがこの時だけは羨ましく思った。

 

 そうこうしているうちに、分かれ道が出現する。

 すかさずスガタが右の方に指を向けた。


「あ、こっちの道じゃないか?」

「さっき通った」

「え?」

「目印をつけておいた」


 よく見れば、壁には赤い丸印のようなものがある。

 ティルズがペンを使って書いたものだ。スガタは苦笑しながら頭を掻く。


「なんだかさっきから、同じところをぐるぐる回ってるよな」

「ああ」

「……ティルズ? 大丈夫か?」

「何が」

「顔色……悪いぞ?」


 ティルズは少し歪んだ顔をしていた。

 額に汗も掻き、苦しそうな表情はスガタでも分かった。


「地顔だ。気にするな」


 心配させないよう、思わず微笑みながら答える。

 その顔に、スガタは驚いた。そして、そんな顔をした自分も驚いた。いつの間にこんな表情までできるようになったのだろう。


 だが正直、胸がむかむかする。気持ち悪い。この場から出たい。

 さっきからずっとそのことを考えていた。


 するとスガタが慌てたようにバタバタし始めた。


「ま、待ってろ、今ハンカチを濡らしてくるから!」

「え」


 と言ったときには時すでに遅し。

 スガタは猛ダッシュでその場から走り出した。


「…………」


 取り残されたティルズは思わず壁によりかかり、そして手を顔で覆う。


(……あの馬鹿)


 離れたらそれだけで面倒くさくなることが、単純なスガタの頭ではきっと理解できないことだろう。しかも水がどこにあるかも分かってないだろうに。ティルズは遠慮なく溜息をつく。


 と、どこかの壁から、ドサッと何かが落ちてきた。

 音からすると、ティルズの目の前の少し先だ。


「いったたた……。なんだこれ? 隠し扉か?」

「…………」


 聞いたことのある声色に、ティルズは思わず半眼になる。


「早くシャナンを探さないと……ってうわっ! ゴム切れてる!」


 髪ゴムが切れたせいか、ルベンダの髪がさらっと背中を流れる。

 いつまで経ってもこちらに気付かないようなので、ティルズはゆっくり近づきながら声をかけた。


「何をしてらっしゃるんですか」

「へ?」


 ぽかんとこちらを見た瞬間、ルベンダは目を見開いた。

 いつもの軍服に、左手には小さいランプ。暗闇の中でも銀髪は良く目立つ。顔が少し青白く見えたのだが、それは光の具合からか、それとも元々肌が白いことが関係しているのか。


「ティルズ!? お前、なんでここにっ」

「……それはこちらのセリフです」

「あ、そんなことより、シャナン見てないか?」

「シャナン殿? 見てませんが」


 するとルベンダが焦ったような顔になる。

 表情とさっきの言葉からして、きっと一緒にいてはぐれてしまったのだろう。


「俺も先ほどスガタとはぐれました。もしかしたら、今頃二人で会っているのかもしれませんね。ちょうどこんな風に」

「そ、そうか。そうだな……」


 はぐれたといってもほんとについさっきだが。


 それに方向音痴のスガタがシャナンを見つけられるかも分からない。なんせ不幸体質だからだ。だが、ここははったりでもかけておかないと、ルベンダの表情が優れない。こんなときに余計な心配をしていると、物事上手くはいかない。それは身を持って学んでいる。ここは少し冷静になるのが大切なのだ。それでもルベンダは、まだ憂いな表情をしていた。


 だが同時に、ティルズの体にも限界が来た。


「っ……」

「ティルズ?」


 ふらっと倒れ、ルベンダは思わず体を受け止めようとする。ティルズは触れないよう、壁に寄りかかり、口で呼吸を繰り返していた。よく見れば、冷や汗をたくさん掻いている。


「どうしたんだ!?」

「……大丈夫です」

「大丈夫って顔じゃないだろ! どこか水……」


 ルベンダが必死に首を動かして辺りを見渡す。

 その度ごとに髪が揺れ、ふわっと何か香りがした。ティルズは思わず口で呟いていた。


「……いい香りですね」

「え?」

「香水、はルベンダ殿しませんよね。じゃあ何の香りですか」

「一応……香水だ。といってもシャナンが勝手に……」

「そうですか。少しはましです」


 爽やかな柑橘の香りのおかげで、少しは気が紛れる。

 ティルズがそう言うと、ルベンダはあることを思いついた。


「じゃあ、私がティルズの前を歩く。ティルズは後ろを歩きながら、どっちに行けばいいのか指示してくれないか?」

「……ルベンダ殿にしては、頭を使いましたね」

「やかましい」


 今日のティルズは覇気が感じられない。

 ルベンダもいつもより抑えめにツッコミを入れた。そしてきっぱり伝える。


「今は早く出るのが先決だろ」


 そう言いながら前に進みだした。

 ティルズは少し思うことがあったものの、無言でその後を追った。







(……怖い。怖い)


 シャナンはしきりにその言葉を使う。

 今は暗闇の中。ルベンダと別れ、今のシャナンは一人きりだ。


「いや…………」


 思わず呟く。だが、そうしたところで状況など変わらない。

 シャナンが暗闇を嫌うのには理由があった。昔のことを思い出すからだ。




『いや! 止めて! 妹を連れて行かないで!』


 幼き頃のこと。大切にしていた妹を奪われた。

 ひどい雨と雷があった日の夜。目の前で薄気味笑う男が、シャナンを見てこう提案する。


『ならばお前が代わりになればいい』

『……え?』

『妹を助けたいのだろう? さあどうする。お前が身代わりになるか、それともこのまま妹が行くか』


 シャナンに選択の余地などない。もちろん自分が代わりになった。馬車に乗せられ、どこかへ連れて行かれる。その間目隠しをされ、目の前は真っ暗になる。そして到着すると、どこかの部屋へ入れられた。ガチャガチャッと音がしたのに気付き、急いで目隠しを外せば、閉じ込められたことを知る。


『何をするの!?』


 するとせせら笑う声がドアの向こう側から聞こえた。


『暗闇の中で囚われの身。お前はただそこにいればいい』


 そして足音が遠ざかっていく。

 シャナンは目を見開き、ドアを懸命に叩く。


『お願い、ここから出して!』


 暗闇の中で、自分の声だけが聞こえた。




「大丈夫、大丈夫」


 今の自分は、もうあの頃とは違う。


 いつまでも怯える生活なんてしてられない。強くならなければならない。それを生きる上でも教訓とし、シャナンはここまでくることができた。家族も元気にしている。今は素敵な仲間と共にいる。


(いつまでも、このままじゃだめだわ)


 シャナンは顔を上げた。

 だが、頬に伝うものがあった。涙だ。


 いつの間に泣いていたのだろう。

 シャナンはすぐに拭う。誰かに涙を見られるのは屈辱であり、プライドが許さない。


 ふらっと立ち上がり、周りを見渡す。どこまでもが闇だ。光がないため、よく見えない。シャナンはそれでも、何か壁はないかと手さぐりで探し始めた。


 すると、何か触れた。

 細いような、少し、温もりがあるような。


「誰かいるんですか?」


 急に声が聞こえ、シャナンはびくつく。


 相手はギイッ、ドタッ、カラン、と色んな音を立てながら「あ、これだ」と言って何かのボタンのようなものを押した。急に視界が眩しくなり、シャナンは目を塞ぐ。すると、相手が声を上げた。


「シャナン殿!?」

「え?」


 よく見れば、そこにはスガタがいた。

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