第十三話 華やかな花畑

 春の暖かさも過ぎて少し蒸し暑い季節になった頃。


 王城付近にある騎士専用の稽古場では、今日も騎士達の声が響いていた。


「いけ! そこだ!!」


 騎士達の歓声が上がる中、ある一組の試合が行われていた。

 一人は背丈のある青年。もう一人は銀色の髪を持つ小柄な少年だ。二人共上手く剣を使いながら、相手に切り込んでいく。また時に手や足を器用に使いながら、相手の体制を崩そうとしている。


「ティルズー! がんばれー!!」


 ひときわ大きい声で叫んだのはスガタだ。

 周りは少しぎょっとしていたが、当の本人はむしろ清々しいほどの笑顔でいた。


 名前を呼ばれたティルズは誰にも分からないようにふっと笑った後、勝負を決めることにした。すぐさま相手の横を通り過ぎ……ようとしながら、剣の柄の部分で腹部を狙う。相手が脇を上げていた一瞬の隙を狙ったのだ。相手はそれに気づかず思い切り腹部を当てられ、むせてしまう。


「そこまで! 勝者ティルズ!」


 審判役の上官からそう言われ、さらに歓声が上がる。

 今日もティルズは試合に勝利した。




「いやぁ、今日もすごかったな!」

「スガタも今まで負けなしだろ」

「でも何ていうか、俺よりティルズの方がすごいよ。だってあんなに滑らかに剣を扱えるなんて……!」


 いつまでも称賛してくる仲間に少し苦笑する。

 するとスガタは「あ! それだよそれ!」と声を張り上げた。


「……今度は何だ」


 声の大きさに少しだけ顔を顰める。


「ごめんごめん。いや、最近ティルズの表情も明るくなったなって。騎士学校時代はずっとつんつんしてなかったか?」

「…………気のせいだろ」

「え、今の間なんだ?」

「うるさい静かにしろ」

「え、別にうるさくはしてな」

「うるさい」


 何度も言われたのでスガタは思わずしゅんとなる。

 少し申し訳なさもありながら、ティルズは言われたことを思い返した。


 確かに、前よりも感情が出るようになった気がする。

 おそらく、この前の花便り祭辺りからだ。


 何がきっかけなのかは分からない。

 ただ、あの時は非常に心地よい気持ちでいた。だからかもしれない。


(素直に感情が出るようになったのか)


 何もかもを疎ましく思っていたはずなのに。

 環境が、周りにいる人が変わるだけで、こうまで変わるのか。だが。


(どうせすぐには変われやしない)


 どこか心の奥に根深くある言葉が、自分を捉えて離さなかった。


「? ティルズ……?」

「あ、いたいた、おーい二人共!」


 様子が変わったティルズに対してスガタが声をかけようとすると、ある人物が声をかけてきた。自分達の先輩であるハイムだ。よく見れば手には何やら資料を持っていた。


「どうかされましたか」

「二人にちょっと頼みごとをな。ここより少し山にある花畑に、洋館があるという噂があるんだ」

「洋館?」

「そう。本来そんなものはないはずなんだが、あったりなかったりするんだと。その花畑によく通う人々が、少し気味悪がってな。よければ探ってほしいという依頼だ」

「花畑のところに洋館……確かに不思議な話ですね」


 スガタが顎に手を当てながら首を傾げる。

 するとハイムは何度も頷いた。


「全くだ。とりあえず二人に調べてほしくてな。何か分かったらまた報告書で提出してくれ」

「「分かりました」」







 だいぶ蒸し暑い。太陽が眩しいほどの暑さはないものの、じっとり汗ばむ。山奥を歩いていることも関係しているのだろう。暑い、という言葉を、ルベンダは何度も繰り返していた。


「ルベンダ~?」

「早く早くー!」


 可愛らしい揃いの帽子を被った双子は、ずっと後ろにいるルベンダに声をかける。

 ルベンダは力なく笑い、手を振った。


(……若いな)


 息切れさえしてない双子に、ルベンダは素直な感想が出た。


 自分だってまだ若いのに、なんだか歳の差を感じる。これがまたさらに何年、何十年としたらいやというほど分かってくるのだろうか。ルベンダは思わずぞっとした。


 今三人が向かっているのは、丘にある花畑がある場所だ。

 そこに行くのは、寄宿舎に花を飾るため。なにより、ミラとラミのためだったりする。二人は早くに両親を亡くした。にも関わらず、毎日を楽しそうに笑顔で暮らしている。それでもまだ小さい子供であるため、メイドたちは交代しながら二人の遊び相手になるのだ。毎週行く日は決まっており、今回はルベンダの担当になっていた。


 寄宿舎からはそう遠くない場所にあり、二人は専ら花畑が気に入っている。どこに行きたいかと聞けば、必ずこの場所をリクエストするのだ。理由を聞くと、昔住んでいた場所と似ているかららしい。


「着いたー!」


 先に到着したようで、二人は両手を上げる。

 ルベンダも遅れながらに到着した。


 たくさん咲いている色とりどりの花の中へダイブしている双子を見ると、思わず微笑ましくなってしまう。一面に広がる花畑は、やはり規模が違う。自然の力で育ったものなのだが、その広く美しい花々は、どれも力強く咲いているように思えた。


 と、ふと見れば、その花の中にぽつんと人がいた。

 あの見覚えのある桃色の髪は……。


「シャナン?」


 呼ぶと相手は振り返った。


 さすがは美人だ。花々に囲まれた背景がよく似合っている。だがそんなことを本人に言ったら、きっと高笑いされるに違いない。なのでそれは言わないでおいた。


「あらルベンダ。そういえば、今日が担当だったわね」

「ああ。でも、何でシャナンがここにいるんだ?」


 すると手元を見せられる。


 摘んであった花と共に、何やら透明の液体が入ったビーカーに、空のビンが置かれてあった。でもそれを見せられてもよく分からない。そんな顔をしていたからか、相手は答えてくれた。


「香水を作ってるのよ」

「香水? なんで? 城下にも売られてるじゃないか」


 すると相手に苦笑された。

 そしてシャナンはそのまま香水作りを再開し始める。ルベンダは大人しく見ることにした。


「数人のメイドに頼まれたの。確かに売られてるけど、私たちの給料で買うなら、人工物がやっとって感じね。でもそんな安っぽいのよりは、天然物の方がいいでしょ? でも高いし、香水なんかどうしても後回しになっちゃうのよ。他の実用的なものを買う方が効率もいいし」

「はぁ……。でも、香水なんか作れるものなのか?」


 そんなおしゃれなものにまったく興味がないため、正直ピンとこなかった。

 するとシャナンは笑う。いつもの少しいたずらっぽい笑いだ。


「無水エタノールとエッセンシャルオイルがあれば意外とできるのよ。でも私はオイルの代わりに、花とか果実を使うわ。オイルが一番重要なんだけど……私達には、頼りになる科学者がいるでしょう?」

「え? あ、フローか」


 ルベンダはフロー・メインクンの顔を思い浮かべた。


 常によれよれの白衣を身にまとい、蜂蜜色の髪はいつもぐちゃぐちゃで爆発したようになっている。若干まだ十六歳の少女なのに、天才的な頭に全ての運を持っていかれたかのような容姿だ。いつもへにゃっと笑い、その顔からしても天然な性格なのが分かる。だがその腕前は確かで、なんと機械いじりも好きらしい。口癖は「秘密主義ですから!」だ。その言葉通り、何か開発してもその細かな詳細を決して明かさない。


 現在彼女は、「癒しの花園」にて暮らしている。一種の専属科学者だ。

 何か困ったことがあると、メイド達はフローに頼ることが多い。


「で? フローに何か頼んだのか?」

「ええ。上手く調合して香水ができるような薬品を開発してほしいって頼んだの」


 そして出来上がったものが、さっきビーカーに入っていた透明な液体なのだという。

 実際シャナンがやって見せてくれた。


 空のビンの中に、花から取ったエキスを入れる。そして無水エタノールを加え、最後に透明の液体だ。入れた瞬間、何か炭酸のように泡が立ち、しばらく置いておくと綺麗な黄色の液体が出来上がっていた。


「今回は椿にしたわ。椿のエキスは黄色だから、この色になったのよ」


 椿は冬から春にかけて咲く花なので今の時期そこまで見かけないのだが、シャナンはもしものために取っておいたのだという。そして保存する際も、フローに頼んで枯れない薬品を開発してもらったらしい。


「へぇー……。なんかこういう時、科学ってすごいと思うな」


 感心したように言うと、シャナンは口を開けて笑った。


「まあ科学がどうこうっていうよりは、フローの実力のすごさよね。頼んだもの何でも作れるもの。それに、こっちの方が作るのも楽だわ」

「そうなのか?」

「実際は、無水エタノールとエッセンシャルオイルをよく混ぜないといけないの。その後熟成させないといけないし、その間も時々混ぜないといけないのよ」

「うわっ、面倒だな」


 シャナンは片づけを始める。そしてエプロンのポケットから、別の香水を取り出した。それを空中でさっと霧状で出したかと思うと、頭から被る。


「……何してるんだ?」

「見りゃ分かるでしょ? 香水をつけたの」


 嗅いで見れば、確かにほのかな甘い香りがした。


 それがまたべたつかず、すっきりとした匂いだ。聞けば、これは百合の花の香水らしい。可憐な花とシャナンの相性は良いように思う。……これも言わないでおくが。


「こうも暑いと、汗の匂いが気になったりするでしょ? そりゃあ香水なんて香りが強いものだから、つけるときに用心しないといけないけどね。あんまり匂いが強いと周りの人に迷惑だし、こうやって頭から被った方がちょうどいい香りになるのよ」

「へー……」


 またしても平淡な声音で相づちを打つ。やっぱり分からない世界だからだ。するとシャナンが少しむっとし、そしてもう一方のポケットに入れていた香水をルベンダの顔にぶっかけた。


「ぶっ!」

「ほら、ルベンダもお揃い~」


 馬鹿にしたように甘い言い方で言われ、ルベンダは少しむせそうになった。


「なにすんだっ!」

「まあまあ。ちゃんとルベンダにぴったりな香水にしといたから」

「だからって! ……ん? これ、レモンか?」

「まあね。正確に言うと、レモン、オレンジ、グレープフルーツの柑橘系をブレンドしたものよ」


 匂いを嗅げば、かなり爽やかでいい香りだ。さっきのシャナンの香りも悪くないが、なるほど、確かにこっちの方が自分に合っているような気がした。


 その様子を見て、シャナンは少し嬉しそうに微笑む。


「柑橘系は大抵の人が好む香りよ。良かったわね、これならティルズ様にも馬鹿にされないでしょ?」


 思わず動きが固まった。だがすぐさま眉間の皺を寄せる。


「……なんでここであいつの名前が出てくるんだ」

「あら、何でかしら」


 とぼけたように視線をずらし、シャナンは腕を組んだ。

 ルベンダはそれ以上何も言えなくなり、思わずむう、と唸った。シャナンはその顔が面白かったのかけらけら笑った後、あることに気づいた。そして思わず辺りを見回した。


「……ねえ。ミラとラミは?」

「え?」


 言われてルベンダも花畑の方に目を向ける。――――いない。

 いつもは二人で満足するまで遊ぶと、こちらの方へとやってくる。随分シャナンと話していたのだが、今回も大丈夫だろうと腹をくくっていた。


「嘘だろ?」


 ルベンダはすぐに花畑の中へ入り、細かいところまで探し始めた。

 二人で手分けして探してみるが、双子の姿は見つからない。花畑は一面に広がっているが、厳重な囲いはあるため、いくらミラとラミでも外へ出ることはできない。奥には一本道もあるが、そこは確か立ち入り禁止で、実際何もない場所だ。そんなところにわざわざ二人が行くとも限らない。


 だがシャナンがその道を見て、少し眉を顰めた。


「……ルベンダ、あれ」


 そちらの方を見て、ルベンダも目を見開く。何もないはずの一本道の先には、古い洋館のようなものがあった。遠い花畑からでも見えるほどの高さで、かなり立派だ。


「あの洋館、見たことないわよね?」

「ああ。そうでなくてもかなり大きい。今まで気づかなかった方がおかしい」


 一本道は普段と変わらず、そのままあった。だがその洋館は、確かに存在していた。建物自体はデザイン性に優れていいものだ。ただかなり年期が入っており、古い。


「……ここに、二人がいるかもしれないの?」

「分からない。でも、他に場所はないからな。私達は確かに話していたが、出口に近い場所にいた。二人を見失うことはないはずだ」

「そうね。じゃあやっぱり……」


 入ることに少しためらいを見せたシャナンだったが、その手をルベンダが握った。

 シャナンがはっとしてルベンダの方を見れば、にこっと笑われる。


「大丈夫だ。私が守るから」

「…………」


 シャナンは微妙な顔をしながら、わざとらしく溜息をついた。


「そのセリフ、ルベンダが言っちゃだめでしょ」

「え。わ、悪かったなっ」


 それでも二人はしっかりと手を握り、そして洋館の中へと入っていった。

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