第九話 幸せとは何か

 軍服の裾を掴んだまま、ものの数秒で背中に体重をかけられる。


 寝息が小さく聞こえることから、寝てしまったのだろう。

 無理もない。踊った後に戦闘を繰り広げ、そして足を捻ってしまうという事態。さすがのルベンダも疲れるだろう。怪我のこともあり、ティルズはスピードを上げて走った。


 そして無事に寄宿舎まで着くと、まだ作業をしていたシャナンが気づいてくれた。ルベンダの姿に少し目を見開いたが、怪我をすぐ把握し、氷を急いで用意する。その間ティルズは、言われた部屋へ向かい、ルベンダをベッドの上に寝かせた。するとルベンダは、気持ちよさそうな表情になる。その様子に、よほど疲れてことが分かった。


 やはり戦闘をさせるべきではなかったか、と思ったが、ルベンダはきっとそんなことでは怒らないだろう。むしろ、「なんで邪魔するんだ!」とそっちの方で怒られる気がした。


 ぼんやり見ていると、ルベンダがふいに動き、こちら側に体を向けた。

 その顔は……微笑んでいた。


 何が楽しいのか分からない。もしかしたら、夢でも見ているのかもしれない。だがあの場で踊っていたときも、楽しそうに笑っていた。リアダの代わりに踊ってる、と聞いたのに、まるで自分から進んで踊っているように見えた。あのときの彼女は光っていた。それが自分には少し眩しく見えた。でも、目が逸らせない。ずっと見ていたい。無意識のうちに、そう感じていたようだ。


「綺麗でした」


 口でそう言っていた。


 無意識に出た言葉に、自分でも驚く。

 でも、自然に思ったのだ。


 するとようやくシャナンが部屋に入ってきた。

 桶の中には、大量の氷が入っている。


 ティルズは入れ替わるように部屋から出ていき、そして少しだけふっと笑った。







 ルベンダは寝ていた。正直体がだるい。動きたくない。それほど体が疲れていたのだ。なのでそのまま寝続けるつもりでいた……のに、先輩メイドはまるで鬼だった。


「うわっ!」


 バッとカーテンが開けれら、そして目に眩しい光がやってくる。そして大声を上げながら飛び起きた。シャナンが呆れた様子でカーテンを紐で縛り、そしてこちらに顔を向ける。


「メイドの分際でぐーぐー寝てるんじゃないわよ」

「何すんだシャナン! まだ早いだろ!?」

「馬鹿言わないでよ。もうお昼の時間なんだけど?」

「…………え」


 ルベンダが焦って窓を見ようと足を動かすと、鈍い痛みがやってきた。よく見れば包帯で固定され、そしてその上に氷を詰めた袋が乗っていた。シャナンが厳しい表情で腰に手を当てる。


「無理に動かしちゃだめよ。ジオさんには許可もらってるから、今日は休みなさい」

「で、でも……」

「怪我を悪化されたらこっちが困るの。ルベンダほど、力仕事を任せられる人はいないんだから」


 そう言ってシャナンは、だいぶ溶けている氷を変えようと袋を掴んだ。傍には氷が入っている桶がある。見たところ、シャナンが色々と世話をしてくれたようだ。いつも何かとおせっかいだったりするが、こういうときにはやはりありがたい。ルベンダは素直に礼を言った。


「……ありがとう、シャナン」


 相手はちらっとこちらを見た後、また作業に戻る。


「別にいいわよ、これくらい」


 素直じゃないのが少し残念だが、それでもルベンダは微笑んだ。

 すると居心地が悪くなったのか、シャナンは「そういえば」と話題を変えた。


「今日から騎士様達は講義が始まるわね」

「講義? あ、あれか」


 ルベンダもすぐに思い出した。


 この「癒しの花園」では規律がいくつかある。それは生涯のパートナーと理想の幸せな結婚をするためである。そして、そのためには何が大切なのかを教える講義があるのだ。これは「癒しの花園」で暮らす騎士とメイド達が必ず受けているものである。講義自体は週に一度行われており、常に正しい知識を得ること、学んだことを実践すること等、次のステップに進むためにあったりする。


 ちなみにルベンダやシャナン、ニストは、メイドになって間もない頃に講義を受けている。だから内容も大体分かっているのだ。そして新人騎士はこの寄宿所に来たばかりなので、その講義を最初から受けることになる。ルベンダはふと、ティルズは講義を聞いてどんな感想を持つのだろうと考えた。


「そういえばティルズ様のことなんだけど」

「え!?」


 急に名前が出てきて驚いた。もしや心を読まれたのかと思えば、シャナンがルベンダの様子に少し眉を寄せながらも言ってくれる。


「ルベンダをここまで運んでくれたんだから、ちゃんとお礼言っときなさいよ?」

「え……あ、ああ」


 そういえば馬に乗ってからの記憶がなかった。

 つまり部屋まで運んでくれたのだろう。それほど疲れていたのか。全く覚えてないことが少しだけ気恥ずかしくなったが、まだその場にシャナンがいてくれたことが救いだった。


(……お礼。お礼、か。……伝えるべきだよな)


 さすがに何も言わないのは気が引ける。ここまで連れて帰ってもらったのだから。とはいえ気乗りもしない。が、会う時があればちゃんと言おう、とルベンダはとりあえず思った。







「では、最初の講義を始めましょうか。まずは自己紹介をしますね。私の名はノーアム・ベル。元はここのメイドとして働いておりました。よろしくお願いします」


 そう言いながら頭を下げたのは、五十代くらいの朗らかな笑みを浮かべた女性。「癒しの花園」で暮らすことが決定した多くの新人騎士に向けて、理想の結婚について、そして幸せについて説いてくれる人物である。その場にいる騎士達は挨拶の時に拍手をした。その中には、ティルズ、スガタの姿もある。


「では早速なのですが、皆さんにお聞きします。皆さんが『幸せ』を感じる時はいつですか?」


 いきなり質問から始まって少しだけどよめきが生まれたが、騎士達はそれぞれ口に出す。稽古をしている時、自分の好きなことをしている時、この寄宿舎に入れたことはが嬉しい、寝てる時が幸せに感じる、なんてものもあった。その答えに対し、ノーアムは微笑みながら頷く。


「確かに皆さんが答えた内容も、幸せに感じることですね。ですが、こう問うとどう思うでしょうか。……『幸せ』は一人でも感じるものですか?」


 すると騎士のほとんどが「?」と頭を傾げた。

 それは自然なことだっただろう。なぜなら意味がよく分からなかったからである。


 するとそんな様子を予想していたのか、ノーアムは口を開いた。


「先に結論を述べると、一人では幸せを感じることはできません。ですが、誰かと共に幸せを感じることは出来ます。例えば先程稽古をしている時に幸せを感じる騎士がいましたね。一人で稽古をしている時も楽しいと感じるのでしょう。ですが、そこに仲間がいたらどうでしょうか。仲間と共に切磋琢磨、一緒に楽しく、時には競い合って稽古を行うことにも幸せを感じたりはしませんか?」


 するとそう答えた騎士は小さく「確かに……」と思い起こしながら答えていた。ノーアムは言葉を続ける。


「例えば街に出かける時もありますよね。街には大道芸がいたり、珍しいものが売られていたり、美味しいものがあったりしますよね。一人でゆっくり回るのもいいでしょう。ですが、そこで親しい友人と共に行くとどうでしょう。一緒に楽しみを共有することができます。そしてそこに『幸せ』を感じたりはしませんか?」


 これには大半の騎士が頷きながら聞いていた。

 ノーアムはさらに笑みを深くした。


「このように、幸せは誰かと共にいる時に感じるものなのです。それは家族、友人、仲間、そして大切な人。特に生涯のパートナーと過ごす時間は、誰よりも長い。だからこそ幸せは家庭にあると考えています。幸せは結婚にあると、ここでは説いているのです。一緒にいるからこそぶつかる時もあれば、それだけ支え合うことができます。それだけ幸せを感じることができます。あなたたちは、結婚する意志を持ってここに来ました。今日伝えたことはとても基本的なことですが、意識しないと分からないことでもあったりします。『幸せ』とは何か、どうか今日学んだことを忘れないで下さいね」




 講義が終わった後、聞き終わった騎士の大半は納得したような顔をしている者が多かった。そしてさらに結婚について強い意志を示しているように感じた。現にティルズの隣にいるスガタも、目を輝かせて熱弁してくる。


「確かにその通りだよな……! だって一人のご飯じゃ味気ないし、何かあっても一人でいるより誰かに慰めてもらった時の方がすぐに傷が癒えたりするし」

「不幸体質に嘆いてはいたんだな」


 思いのほか本音が漏れたのでつっこめば、スガタが「あ」と言いながらその後頭を掻きながら笑った。言動共に分かりやすい男である。


「ノーアム殿もここで出会った騎士と結婚したらしい。俺もいつか結婚するのかなぁ」

「だからここにいるんだろ」

「ま、まぁそうだけどさ……でもティルズがここに来るって知った時は少し意外だった。あんまり興味がないように感じたから」

「そうだな」


 ティルズ自身、結婚を強く望んで来たわけではなかった。

 もちろんいつかはするのだろう、という思いはしたが。


「ティルズは講義を聞いてどう思った?」


 そう聞かれ、先程の講義を思い出す。

 だが考えても答えは出ない。だから正直に答えた。


「分からない」

「え?」

「幸せを感じたことがないから、分からない」


 これに対しスガタは絶句した。

 そんな表情を見て、ティルズは皮肉気味に鼻で笑う。


 これは嘘ではなかった。何でもそつなくこなせるせいか、特に苦労した思い出もない。そして騎士学校時代も成績が良く表彰されたりしたが、それに関しても特に喜びも感じなかった。友人と出かけたことすらほぼない。学校、そして家のこと、それらに振り回される日々が続いていたこともあるのだろう。


 するとそう答えたティルズに対しスガタはどう思ったのか、真正面を向いて肩を掴んでくる。そして「ティルズ!」と大声で名前を呼んでからこう言ってきた。


「俺と遊ぼう!!」

「……は?」


 一瞬本気でよく分からない、という顔で聞き返したが、スガタは大真面目な顔のままだった。

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