第八話 舞姫の憂鬱

 冷ややかな声のおかげか、その時のルベンダの感情は怒りが勝っていた。ティルズを思いきり睨む。


「人の後を追いかけてきたくせによく言う」

「違います」

「嘘だっ! 屋敷に入ったと見せかけて追いかけてきたんだろっ!」


 だが目の前の人物は常に冷静だった。

 悪びれることもなく、淡々と答える。


「団長に頼まれたんです」

「…………なに?」

「ルベンダ殿が毎週、ここの店で踊り子として踊っていることを聞かされました。リアダさんを良く知る方々のために、自分が代わりに踊りを披露していたと」

「…………」


 踊りが好きだったリアダは、メイドでありながら、この店で踊り子としても働いていた。リアダの美しい「天女の舞」を見ようと、店には人が溢れ、騒がれるまでになった。だがリアダが亡くなってからは、まるで生気がなくなったように皆が嘆き悲しんでいた。そして同時に、その踊りが見られなくなったことを残念がっていた。


 ルベンダは少々性格は男っぽいが、ありがたいことに器用だった。

 なので昔見たリアダの踊りをすぐに覚え、そして自分が代わりにここで踊ることにしたのだ。ルベンダが踊るようになり、この酒場は活気が戻るようになった。そして毎週、お客さんたちは楽しみにしてくれている。そしてリアダが毎日心がけていたように、お客さんには常に笑顔で接している。


 ルベンダはしばらく黙っていたが、思い出して尋ねる。


「……何を、頼まれたんだ?」

「ルベンダ殿の護衛です」

「はっ?」

「行き帰りを共にしてほしいと頼まれました。最近は物騒らしいので、心配だと」


 それはなんだか、今さらみたいな頼みごとのように思えた。

 ありがたい申し出だが、丁重にルベンダは断る。


「もう何度もここで踊ってるんだ。危ない目にもあったことはあるが、余計な心配などいらない。自分の身くらいは自分で守れる」

「…………」


 ティルズは急にルベンダの細い腕を引っ張り、壁に押し付けた。

 「いたっ」と言われたが、両手でルベンダの腕を握り、逃げられなくする。


 ルベンダは睨んでしばらくしてから口を開いた。


「離せ」

「ルベンダ殿なら、これくらい楽に逃げられるでは?」


 嫌味な言い方が、今日一番、憎たらしく聞こえる。

 言われなくても逃げようとした。なのに、手は離れない。ティルズはそんなに力を使っているように見えないのに、それがまたルベンダをどうしようもなく腹を立たせる。


 これが男と女の差というのか。


 四年前はそれでも互角だったのに、今何もできない状態なのが悔しい。どうしようか考えていると、急に自分の名を呼ぶ声が聞こえてきた。


「ルベンダ~?」


 それが踊り子仲間の声と分かり、ルベンダは必死に来てほしいと祈る。するとそれが通じたのか、ガチャッと裏口が開き、数人がこちらを見た。思わずルベンダは笑顔になったが、彼女らは一瞬こちらの状況を見て顔を赤くし、また扉を閉めてしまった。そうしてきゃーと叫ぶような声が聞こえる。


「きゃあっ! ルベンダの恋人、すごく美形!」

「お、お邪魔だったかな……?」

「遂にルベンダも結婚か~」


 好き勝手な言葉はもろ二人の耳にも届いており、ルベンダは怒りで顔が歪む。そして突っ込みたい。さっきの女将さんはまだいいとしても、これは突っ込まずにはいられない。


(まず恋人じゃない! しかも邪魔でもない! ていうかむしろ助けてくれ! そんでもって結婚まで持っていくな――――!!)


 しかし今は夜。大声を上げては迷惑になるため、ぐっとどうにか堪える。

 そしてまったく手を離さないティルズに顔を向けた。むしろ手を掴まれて壁に背中をつけられたから、こんな風に勘違いされたのだ。


「おい! 完璧に勘違いされたじゃないかっ!」

「そのことについては謝ります」


 すんなりとそう答えられる。 

 どうやらティルズとしても意外だったらしい。


「じゃあ今すぐ弁解してくれよ!」

「逆に誤解されますよ。特に女性は噂を広げやすいですから。このまま放っておくほうがまだましです」

「なっ!」


 確かに正論だが、それでもルベンダとしてはこの後が面倒くさそうで少し気が重くなった。ちなみにジオにはルベンダの護衛をするという件を伝えているらしい。それを聞いて少しだけほっとした。ジオにまで雷を落とされるようなことをしたくない。


「で、いい加減離してくれないか」

「では、護衛をしてもいいんですね?」

「…………」


 拘束が緩むと、ルベンダは手を払いのける。

 そしてティルズを放って、乗ってきた馬の所まで一人で向かった。




 早足で進んで途中ちらっと振り返ったが、ティルズはすぐに追ってくる様子がなかった。しかも姿も見えない。少しだけ拍子抜けした。


「……なんだよあいつ」


 結局来ないのか、と思っている自分にはっとし、すぐにその思考を消す。

 むしろ好機だ。このまま帰ってしまおう。


 そう思いながら途中細い道を歩いていると、数人の若者が出てきた。

 どうやらいつの間に待機していたようだ。少し柄が悪そうで、ルベンダを一目見てにやっと笑った。なんせ踊り子の衣装のままだ。しかも元が良いので、十分狙われる可能性がある。


 若者の一人が思わずルベンダの腕を捕まえようとしたが、気配で柄が悪いと分かっていたルベンダはすぐさま回し蹴りをした。か弱い少女に見えたのか、不意打ちでそんなことをされてもろに腰に当たる。他の若者も捕まえようと近づいてきたが、武術のいくつかの技を披露してすぐにノックアウト。


 そのまま無事にまた走り出そうとしたところ、どこからか急に足を掴まれた。


「!?」

「ふっざけんなよ、この女……」


 倒れた一人が、そのままルベンダの足を掴んだようだ。

 相手は殴られたせいで鼻血が出たのか、顔中真っ赤だった。


「っ!」


 思い切り引っ張られたせいで、ルベンダはそのまま地面に転んでしまう。しかも力任せに掴まれたせいで、変な方向に足を捻ってしまった。鈍い痛みで顔を顰めるが、相手の男を睨む。すると相手は歯を見せてにたっと笑った。


「どうなるか分かってるんだろうなぁ?」

「……それはこっちのセリフだ」

「なにっ?」


 ルベンダは足を庇いながらすぐさま立ち上がり、そして瞬間的に移動して男の顎を殴る。これはかなり痛いはずだ。そしてその男は地面に倒れてしまった。


 しばらく見ても反応しないことから、ルベンダはほっとした。安心したせいか腰が抜け、その場にへたり込んでしまう。そしてそっと足を見た。


 見事に赤く腫れ、触れば熱を放っていた。少し冷や汗が流れる。

 ……無事に帰れるか、少し危うい。


 するとどこからか、パチパチと手を叩く音が聞こえた。


「お見事ですね」


 ティルズは嫌味なほど笑みを浮かべていた。

 思わずいらっとする。


「……見てないで手伝えよ」

「ルベンダ殿が護衛をいらないと言ったんです。迷惑になるかと思ったので」


 ある意味的を得てる答え方に、言った後で少し後悔した。

 だが、これで証明されたのだ。ルベンダは鼻で笑う。


「これで分かっただろ? 私に護衛なんていらない。お前も早く帰れ」


 だがティルズはその場から立ち去らない。

 足の痛みで立ち上がれないルベンダは、上から見下ろされているようで嫌だった。


 だがさっきと違って、静かに悟るような口調で言われる。


「……相手はルベンダ殿の弱みに気付かなかっただけです。足を捻ったことに気付けば、そこだけを狙って激痛を与えることができたはず」

「!」


 怪我をしたことまで分かられていたとは。隙を与えないようになんでもないふりをしていたのだが、ティルズは瞬時に気付いたようだ。そのまま黙っていると、ティルズはルベンダに近づき、そして立たせようとした。が、左足が痛くて支えてもらうような形になる。顔を歪ませていると、急に体が浮く。


「わっ」

「この体勢の方が楽ですから」


 居心地の悪い姫抱っこをされる羽目になり、ルベンダは顔を背けた。

 

 結局このままでは馬に乗れない、ということで、ルベンダはティルズの馬に乗って帰ることになった。マスターに事情を説明し、馬を預かってもらう。歩けないので抱っこされたままだったのだが、「若いものはいいねぇ」と、マスターまでもが恋人と勘違いしていた。


 ルベンダはどっと疲れ、あまり突っ込まないで、店を後にした。

 馬に乗せてもらい、ルベンダの前にティルズが乗る。そしてそのまま帰ろうとしたが、なぜか馬を走らせない。怪訝な顔で顔を見ると、ティルズも少し怪訝そうな顔をしていた。


「早く掴まってもらえますか」

「……え。あ、別にいい。このままで」


 すると呆れたような表情をされる。


「真っ逆さまに落ちて、怪我を悪化させてもいいのですか?」

「……縁起でもないこと言うな」

「早くしてください」


 掴まらなければ、進む気がないらしい。

 ルベンダは諦め、ティルズの軍服の端を掴んだ。


 そしてふと見れば、ティルズの背中は思ったよりも広いことが分かった。四年前では、背も体格もこんなに違いは出ていなかったのに。やっぱり男の成長は早い。そう思いながらも、性格だけ変わってないことだけが非常に残念だった。


「では行きます」


 そう言って緩やかなペースで進み始める。

 ちらっと横顔を見ても、最後の最後まで何も表情は変わっていない。


(…………やっぱりこんなやつ最悪だ)


 真っ先にお礼を言わなければならないのだろう。

 だが、どうしても素直に言うことができない。


 ルベンダはただ黙って、軍服を強く握りしめた。

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