第二話 久々の再開
事件現場は思っていたより近かった。
屋敷のすぐ隣に植えられている、樹齢百年を超える大きな木の傍だ。
「どうした! ニスト!」
ルベンダが名を呼ぶと、メイド仲間であるニスト・ガトーが振り返った。
茶の肩まである髪をなびかせながら、橙色の瞳には不安そうな影が見える。
彼女はメイドの中でも女性らしくて可愛いいと評判で、お茶を注ぐのも一番上手い。ルベンダのお気に入りでもあり、大事な後輩メイドだ。いつもは柔らかな笑みを浮かべているはずなのだが、今はその笑顔さえ見当たらない。
「ルベンダさん、実は……」
ニストが口を開こうとした瞬間、ルベンダの腰辺りに、鈍い衝撃が走った。
振り返れば、金髪碧眼の少女が無邪気な顔でこちらを見ている。
「ルベンダ! ぼーし!」
そう言ってきたのは、ミラ・シンシアという名の少女だ。
若干まだ九歳なのだが、両親が急死したことによりここに来た。身長が低く幼いこともあり、雑用をこなすことは難しいが、可愛らしい容姿だけで皆を癒してしまってる。くるくる巻きの髪に、ぱちぱちと動く瞳。動かなければ人形と間違えられるほどで、将来が楽しみだと鼻を伸ばして言った人もいた。
ミラが突進してきて少し痛い目にあったが、指を差した方向を見てルベンダは納得した。なるほど、木のてっぺんに白い帽子が引っかかっている。そしてその横に視線を動かすと、ぎょっとした。
「なっ、ラミ!?」
双子の妹であるラミが、木の枝に座っているのだ。
よく見ればミラは帽子を被っているが、ラミは被っていない。
するとニストは、落ち込んだ声で事情を説明した。
「今日は暑いので、二人に帽子を被せたんです。ミラのはちゃんと紐がついていたので、風に飛ばされなかったのですが、ラミのはなかったみたいで……。梯子か何かを持ってこようとしてる間にラミがいつの間にか木の上にいて、」
「降りられなくなったってことか」
いかにもありそうなことなので、ルベンダは苦笑しておいた。
まだ幼い少女らからすれば、無邪気に木登りするのもお手の物だろう。
「ルーベーンーダー! ミラー! ニストー!」
暗い声のニストをよそに、なぜかラミは嬉しそうに名前を呼んでくる。
しかも手まで振ってくれた。降りる気があるのかどうかも怪しい。
とりあえずラミがいるのは太い枝の様で、すぐに落ちるという心配はなさそうだ。ルベンダがそれを見ながら手を振り返していると、ニストは深々と頭を下げ続けていた。
「本当に、すみません」
普段から真面目なので、自分の責任だと思ったのだろう。
ルベンダは優しくニストの頭を撫でた。
「気にするな。それにこの木なら登り慣れてる。私が取ってくるよ」
ルベンダはすぐにスカートの裾を、邪魔にならないように結び始める。
そして袖もまくり、ニストに笑って見せた。
「わーい! ルベンダさすがー!」
「さすがー!」
上と下で、双子はきゃっきゃと騒ぎ出した。
ルベンダはおうっ、と男勝りな返事をした後、木を登り始めた。ひょいひょいと登る姿を見れば、確かに慣れているのだろう。
とはいえニストははらはらしながら見守っていると、双子は呑気にこう言った。
「なんだかお猿さんみたーい」
「ねー、ルベンダ猿~」
その言葉には、ニストも面白くて吹きだしてしまった。
ルベンダが聞いたらどう思うだろう。でもきっと悪い顔はしない。双子に合わせて、猿のモノマネでもしてくれるだろう。ニストは双子のおかげで、少しだけ気持ちを和らぐことができた。
待っている三人が急に笑い始めたので、ルベンダは何かあったのかと頭の上に「?」を浮かべた。しかし対して問題ないことは分かったので、気にせず木の枝を掴んで登っていく。
木登りは得意だ。昔、兄と一緒によく外で遊んでいた。
父は、兄であるファントムを騎士にするつもりで稽古をさせていた。そしてついでに、ルベンダにもさせることにしたのだ。父からすれば、妻に似て美人な娘に悪い虫がつかないよう、護衛術を教えるためでもあったらしいが。そうとは知らなかったルベンダは、ファントムと一緒に色々な武術を身につけた。今ではほぼなんでもできる。そのおかげで、運動神経が良くなったと思う。
「よし。ラミ、こっち来れるか?」
「うん」
てっぺんより少し下の位置で、ラミに近づいてもらう。
そして下に向かって大声を上げた。
「ハイムー! いいかー!」
「ああ、いつでもいいぞー!」
いつの間にかついてきていたハイムが、返事をする。
ルベンダはラミとハイムのタイミングや準備を見計らい、合図の声を出した。ラミはルベンダに体を持ち上げられた後、そのまま一気に下に向かう。普通の少女なら怖がるだろうが、なんでも楽しんでしまうラミは、笑いながら急降下した。そして下で待っていたハイムが、ラミをキャッチする。どうやら上手くいったみたいだ。ほっとしながら、ルベンダもてっぺんにある帽子を取った後、降り始めた。
(そういえば……)
ルベンダはあることを思い出し、その拍子に動きも止まった。
止まったことで、下で見ていた四人も少し首を傾げる。
と、急にルベンダが掴んでいた木の枝が軋み始めた。
はっとしたときにはもう遅く、ふわっと体が浮いてから、背中越しから落下していく。だが、思っていより緊張はせず、違うことが頭に浮かんだ。
(母さんもこの木で……父さんに会ったんだよな)
ジオにもらった本の中身は、リアダの生涯を描いたものだ。
そこには、初めて二人がこの木の下で出会ったことが書かれていた。しかも木登りをした母が足を滑らせたのを、父が受け止めたのだ。
今まさに、自分は母と同じ状況でいた。木に登った理由は違うが。
(運命の出会い、か)
一人の赤髪のメイドと一人の騎士の純愛により、この寄宿舎は今まで見ない活気になった。現在では、噂を聞きつけたメイドと騎士が結婚する話題が持ちきりである。
そう、その純愛の主人公こそが、ルベンダの両親。
二人は運命の出会いとやらで結ばれた。
そんなもの、自分にも来るのだろうか。
そう思っているうちに、背中に衝撃が走った。
地面に落ちる音が辺りに鳴り、ルベンダも顔を顰める……が、すぐに目を開ける。
「痛く……ない」
全くというわけではないが、それでも怪我をするほどではない、ということだ。
「大丈夫ですか」
「?」
よく見れば、自分の顔の近くに、端整な顔立ちの少年がいた。
「え」
声をかけてきたのは、どうやら騎士のようだ。
ハイムと同じ、黒の軍服を着込んでいる。そして今、ルベンダは彼の上に覆いかぶさっていた。
慌ててその場から離れようとした時、その顔を見て思わずはっとした。
煌めく銀髪に、サファイヤのように輝く青い瞳。鼻筋が良く、切れ長のいい目は冷静にルベンダを見ていた。これぞ美少年、という単語がお似合いだ。しばらくそのまま顔を見ていると、騎士は口を開いた。
「俺の顔に何か」
「え? あ、いや……」
「そろそろどいていただけますか」
遠慮しがちではあるが、その言葉によってルベンダは慌てて離れた。
少年は気品あるしぐさで立ち上がる。おそらく貴族生まれだろう。
「あ、ありがとうございました」
とりあえずお礼を言うと、「いえ」と簡単に返答された。
互いに立ってこう見てみると、相手の方がルベンダより少し背が高い。でも顔はまだ幼く見える。もしかしたら歳が近いのかもしれない。少年は無愛想なのか、表情がまったく変わらなかった。少しは愛想があった方がいいのにな、とルベンダが勝手なことを思っていると、相手はこちらをじっと見る。……見られている? と思いつつそのままでいると、やはり少年は真っ直ぐルベンダを見ていた。
その時間があまりにも長かったので、思わず口ごもる。
「あの……?」
すると騎士は、やっぱり、とでも言うように口を開いた。
「俺のことを、覚えてらっしゃらないのですね、ルベンダ殿」
「……は? ていうかなんで名前……」
ルベンダが不審な顔をすると、大袈裟に溜息をつかれる。
なんだか動作がわざとらしい。思わずむっとすれば、思いもよらない言葉を言われる。
「相変わらず、記憶力が悪い方だ」
「なっ!?」
初対面で馬鹿にされる言われはない。
ルベンダが反撃しようと前に一歩出たが、ふと足が止まった。
――先程の言葉は、前にも言われたことがある。
ルベンダは目を見開く。
さっきまで忘れていた思い出が、昨日のように頭に思い浮かんだ。
「思い出しましたか?」
「……ティルズ」
すると相手はふっと笑う。
そう、昔と変わらない、目は笑わず口元だけで笑うという、嫌味な笑顔。
「久しぶりですね、ルベンダ殿」
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