第一話 有名な赤髪の少女

 屋敷の二階で懸命に窓を拭いているメイドがいる。


 少し難しい顔をしているのは、窓の汚れが上手く落ちないことに不満を持っているからだろうか。何度も手を動かしており、額には小さな汗がしずくとなっている。ぱっちりとした大きな瞳で何度も汚れを確認しながら、ようやく納得できたのか、ふうと息を吐く。見れば窓はピカピカになっていた。


 そのまま雑巾とバケツを持って移動しようとしたところ、下から誰かを呼ぶ声が聞こえてくる。


「ルベンダ! ルベンダはいるかい?」


 声の主は、メイドたちを取り仕切るジオ・キャメロンだ。

 この寄宿舎では総責任者であり、メイドたちのお母さん的存在。最近、栗色の髪に少し白髪が目立ちだしたことを密かに気にしているらしい。


 ルベンダと呼ばれた少女は道具をその場に置き、そして窓に手をかけた。


 ザッ。


 来ている黒のワンピースが窓に擦りれる音を聞きながら、そのまま一気に降りる。途端、地面が揺れるような音が響いたが、ルベンダは楽に立ち上がりにこやかに聞いた。


「どうしたんだ? ジオさん」

「…………」


 自分の背後に現れた姿を見て、ジオは少しの間ぽかんと口を開ける。

 そして眉を八の字にして言った。


「まったくあんたは。相変わらず男勝りだね、ルベンダ」


 するとルベンダ・ベガリニウスはきょとんとした顔になった。

 彼女からしたら、聞き慣れた言葉だからだろう。ジオは深い溜息をついた。


「ルベンダ、あんた今年でいくつになる?」

「え。……じゅ、十八」

「もう嫁いでもいい歳だね」


 するとルベンダはぎくっと体を硬直させた。

 さきほどはにこやかだったのが、一瞬で苦虫でも潰したような顔になっている。

何も言えないのか、とりあえず視線を逸らしていた。ジオはそれ以上何も言わず、とある本を渡してきた。


 それは赤い表紙の本だ。少し分厚く、それなりに重い。

 ルベンダは一瞬何の本かと思ったが、題名を見てすぐに判断した。そしてジオに顔を向ける。


「そう。あんたのお母さんの本だよ」

「…………」

「あんたが渋い顔をしたくなるのも分かるけどね」

「わ、私にはまだ遠い話だろ」


 ルベンダは冷や汗をかきながらそう答えた。

 今にも逃げ出したいという雰囲気を知ってか知らずか、ジオは大きく息を吐く。


「全く、見た目はリアダそっくりなのに、どうしてこうも性格が違うんだろうねぇ」


 そう、ルベンダの容姿は、亡き母親であるリアダとよく似ている。

 鮮やかな赤い髪と神秘的な紫の瞳は、人の目を引くほどの美しさを持っており、知らず知らずのうちに惹きつけている。ただ一点違うとすれば、リアダは可憐で女性らしかったが、娘のルベンダはかなり男勝りに育ってしまった。


 男勝りなのはまだいいとしても、ルベンダは年頃の娘がしそうな恋というものをしたがらない。父が今や騎士団長という立場なのでそれなりに男性と知り合うこともあるのだが、異性というよりはまるで良き同士のような関係になるのだ。知り合えば必ずと言ってほど、まるで男同士の固い絆が結ばれている場面に遭遇する。それを見た仲間のメイドやジオからすれば、毎回溜息が出るというものだ。


「私に母さんみたいな甘酸っぱい恋をしろとでも? 性格も違うのに、そんなの無理に決まってる」

「いや、大丈夫さ。リアダも美人で愛想は良かったが、変わり者だったからね。そんな変わり者が、この場所で一番最初に幸せになったんだ。それに、私は楽しみにしているんだよ。ルベンダが一体、どんな騎士様と結婚するのかが」


 するとルベンダはぎょっとする。


「待ってくれ、私は別に結婚したいとは」

「いずれはするつもりだろう?」

「それは……まぁ」


 いずれは家庭を持つべきであろうということは、ルベンダも薄々感じてはいた。

 するとジオが、さらに追い打ちをかける。


「だったら何のためにここのメイドになったんだい。ここのメイドになるには結婚する強い意志が必要だと言ったはずだ。ルベンダ、あんたちゃんと返事しただろ?」

「それは……あ、あー、そうだ! 私この後用事があったんだ! というわけでジオさん、悪いけどもう行くなー!」

「え、ちょっとルベンダ!」


 あまりにも露骨な逃げ方だったが、元々嘘が苦手なルベンダからすればこの方がいい。返答のしようもないため、そそくさとその場からいなくなることを選んだ。


 ルベンダは早足で屋敷の中を進んでいく。


 そうしている間にも、仲間のメイド達は忙しく仕事をしていた。

 ここにいるメイドはかなり多い。しかも歳もばらばらだ。基本的に少女と呼ばれる年齢から、お姉さんとして慕われている年上の女性もいる。


 そして、ここにはメイドと共に暮らしている者がいる。


「お、ルベンダ」


 急に話しかけられ、振り返る。

 そこには立派な黒の軍服に身を包んだ少年の姿があった。

 

「ハイムか」


 無邪気にこちらに寄ってくるハイム・ロギソンに対し、ルベンダも微笑んだ。

 彼はルベンダと同い年で、よく話す友人の一人だ。


「今日また新しく騎士学校を卒業した騎士達が来るんだろう? 何かできることはあるか?」

「ありがたい申し出だが、大丈夫だ。それにこれは騎士に仕える私達の仕事だからな」


 そう、ここには「騎士」も暮らしているのだ。


 実はこの場所、王城で働く騎士たちが寝泊まりする寄宿舎である。

 そして雑用などをするのが彼女たちメイドの仕事。


 普通メイドは王城で働いたり、貴族のお屋敷に住み込みで働いていたりする。

 しかしこの屋敷もとい寄宿舎は、身寄りのない少女や働く場所を求める女性たちのために造られたのだ。そしてそれを指示したのはこの国の王女。女性の立場を考え、また騎士たちに少しでも癒しの時間を与えたい、という願いからきたらしい。そのためここは、「癒しの花園」と呼ばれている。


 貴族のお屋敷で働くメイドの中には、少しでもお金を稼ぐために身を売る者や、将来のために媚びを売る者もいる。そして貴族の中には、いいようにメイドをこき使う者もいる。世間の痛々しい出来事は王女の耳にも入っていた。そして王立騎士学校で鍛えられた騎士達は、普通の男性と違って心身ともに厳しく鍛えられ、紳士らしい態度で接してくれる。そして皆それなりにいいところの貴族生まれだ。男女の出会いを提供している場でもあり、ここで出会いを見つけ、そして子供が増えれば、国としても未来が明るい。


 そんなわけで、毎年王立騎士学校に卒業した騎士達は、この寄宿所で暮らす人がほとんどである。


「そっか。ならいいけど、男手が必要なら言ってくれよ?」

「ああ、ありがとう」

「ま、正直ルベンダほど頼りになる奴はいないけどな。だってメイド達の用心棒だし」


 少し含み笑いをしながらハイムが言う。


 そう、ここは幸せな結婚を目的として働くメイドが大勢いるが、ルベンダとしてはそれが一番ではない。元々軍から仕事を与えられている騎士ばかりに頼ってもいられないので、自らメイド達を守る役を買っているのだ。


「確かにルベンダは結婚目的でメイドになったって感じしないもんなぁ」

「うるさいな」


 いつもならここは軽く笑って同意するのだが、思わずジオと話したことを思い出し、むすっとした顔になる。反応が意外だったせいか、ハイムは慌てて弁解した。


「わ、悪かったって……あ、そういえば今年はすごい騎士が入るって聞いたぞ」

「すごい騎士?」

「そ、かなり優秀で美形なんだと。さすがのルベンダも見惚れるかもしれないなぁ」


 だがルベンタは、あまり興味なく聞いていた。


 外見云々など、多少好みはあれど関係ないものだろう。

 この国にも宗教なるものはあり、運命の出会いは天の巡り合わせなのだという。


「その人の持つ根本的なものに、人は惹かれるって言う。一番は内面だろう」


 だからこそ結婚は慎重に吟味する必要がある。また、全て神が責任を取ってくれるのではなく、その人自身の責任ももちろん必要になる。ちなみにここでは、規律を守るためにたくさんの規則があるのだ。


 ルベンダの言葉に対し、ハイムは意外そうに本音を漏らした。


「なんか、ルベンダが言うと変な感じだなぁ」

「わ、悪かったな……」


 実はルベンダ自身も、言った後で後悔した。

 一番模範的に歩んでるわけではないので、最もな感想だろう。


 と、急に窓の外から「きゃああ!」という叫び声が聞こえてきた。


 ルベンダはすぐに反応し、辺りを見渡した。

 近くにある窓から飛び降りようかとも思ったが、さすがに行儀が悪い気がしてその場から走り出す。足の速さなら自信があった。


「待ってろ、すぐ行くからな……!」


 無意識に呟いた言葉と共に、ルベンダは疾風の如く走った。


 その姿を見たハイムは、ぽつりと呟く。


「あいつほどかっこいい人、騎士の中にもいないかもしれないなぁ」


 その場には他のメイドや騎士もいたのだが、その言葉に同意するかのように皆が大きく頷いていた。

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