聖槍に響く絶体領域

ゼロ。アストール。オープンレブニカ。

ストレマージ起動──


「契約の意思表示をしてください」

わたしの目の前にそびえ立つ大きな白い柱から無機質な声色で、そう発せられる。

わたしはここに純血を捧げる。巫として、たったひとり選ばれた誉を胸に。

ここへ来る前に、国王から渡された銀の楔。『アヤソフィア』人々からはそう呼ばれている。この世すべての知を司る神器。世界に七つ存在するといわれる神器の中でも特異な性質を持つ。彼の聖人の身体に突き穿たれた槍の先から創られたと。そう伝説に記されている。いまはやはり白い柱に突き穿たれたアヤソフィアは、なんだかここにくるまでよりずっと穏やかそうに見える。全ての生在るものは、やがて自らを産み落とした母の子宮はらへと還るという。やはりこれもそうなのだろうか。すこしばかり羨ましい。わたしには、還るべき場所はないから。

『巫の儀』これを受けたということは即ち、その瞬間、世界のための生け贄となったということだ。世界のもつ性質。その環から外れて、この世界に在りながら、こことは違う世界に生きる。還元されることのないわたし。わたしは、しっていた。なぜわたしが選ばれるべき巫として選ばれたのかを。『罪深き生女』国の人たちから、わたし自身がそう呼ばれていたことはしっていた。わたしはひとつの身体にふたつの命をもって生まれた。ひとつは生の命。もうひとつは死の命。生と死。真逆の位置にあるそれらは、時を同じくして人の器に収まるにはとても大きすぎる。だから入りきらないものは誰かに委ねてしまおうと、身体の外側に貼り付けられた。生まれてから。死ぬまで。人が人らしくその生を全うしたならば、それと同等の死が待っている。それが本来あるべき人の姿だし、みんなそうだった。でもわたしは違った。死の命はわたしが生まれたと同時に死んだ。それがわたしの最初の罪だった。

「承認」と、たった一言誰に答えるわけでもないように虚空に告げる。この真っ白な部屋にはわたし以外の命はない。その痕跡すらもない。だってここは、生命未到の地だったから。生きたものの欠片も、生から吐きだされた息吹も、生命の意思すらも。それらすべてがこの場所には介在しえない。だからわたしは会話しない。これはひとりごと。

そのひとりごとに応えるように白い柱は青白く輝きを放つ。ゆっくりと、ひそやかに。そして精一杯の輝きを放つと、やがて消えてゆく。光。

まるで息をしているかのように光源の反復を続ける柱は、まるで無機質に思考を感じさせない一定の律動で、わたしの瞳孔を弄ぶ。

到底魂は感じられないこの無機質ですら、この空間では生きたもののように感じられる。命なきものに宿った偽りの魂。一度わたしの頭を侵した錯覚は、やがて拭いきれずに現実をも侵しはじめる。

小さい頃の記憶が甦る。もともと望まれなかった命としてこの世に生を堕としたわたしに居場所はなかった。物心ついたときには既に家族と呼べる人は居なくて、頭のなかには家族という言葉すらもなかった。真っ暗な部屋。音はなくて光もない。五感のなかで生きていたのは身体に伝わる冷たくて硬い床の感触だけ。わたしという意識が生まれてからもずっと。何年も暗闇で待ち続けた。個人としてのわたしはしらなかったけれど。集団としてのわたしがしっていた来るべき希望の日。至るべき至高の火を。わたしの頭のなかで懸命に存在を誇示する小さな、とても小さな火花。それはわたしの存在を保つための。わたしがわたしであるための大切な灯火。か細いそれらは今にも消え入りそうな過去の俤を求め続けて今もその火を絶やさぬようにただ只管と発火を繰り返す。過去を追い求め続ければの部分は疎かになって過去わたしわたしの境界は今よりずっと曖昧になる。このまま俤に身を窶せば、わたしの為の炎は、いつかわたしを殺すでしょう。

呼吸。それは生物にのみ許された権能である。だからこそ目の前の無機質が呼吸をすることはあり得ないし、あってはならないことなのだけど。屹立するそれは紛ごうことなく呼吸をしていた。それはわたしの目に明らかで、呼吸本来の役割としても十分に機能していた。呼吸の真似事などではなく本物。わたしの声に応答したそれは、今わたしの目の前で進化を遂げた。否、生物でない限りこれは成長と呼ぶのが相応しい。否、これはあらたな機能を獲得した。これは変化である。流動的な世界のなかで自己の同一性を保つための変質。不変であろうとするとするための変化。『ホメオタシス』狭義には生物に特有の性質。転じて広義には鉱物のもつ特性も内包する。しかし、いま目の前で活動する無機質の状態は生体恒常性に限りなく近い性質を帯びたものである。大地に屹立する白亜の柱。無機質結晶質物質は今しがた生体鉱物としての側面をも会得した。大地ガイアの一部。地球ガイアの一番深いところに根差すこの地球ほしの意思。それがこのガイアは生きていた──


魂をもった物質はやがて語り始める


──人よ

大地より芽生えた知恵の種子たちよ

おまえたちの誕生は祝福に満ちて

繁栄は尊びに充ちた

その燦々たる栄華を鋭利な雫に変えて

ひた走ることやむこともなく

ただひたすらに終点を目指し

ほんの一握りの罪を手にした

報酬は誰の目にもとまらず灰色の奔流だけが過ぎて行く

枯れた大地に降り注ぐ鉄の雨はおまえたちのこころを浄化してくれたか

人よ

失われた最果ての地にてなにを求めた

人よ

いまもなお覚えているか

連綿と列なす死の行軍を

あるいは悠久のときを捧げた生の行進を

それらの累はけっして朧に帰すことはない

我が身が応えよう

これが宣告

数多の犠牲はやがて再び大地に芽を宿す──


初めはほんのすこしの冗談のつもりだった。

表面と内面の乖離してゆく様をただ滑稽と笑い飛ばしてもらいたかった。きっかけはほんとうにただひとこと。中身を持たない蛻だった。その言葉から全ては始まった。だから今度は終わらせよう。始まりと終わりは生と死みたくいつもいっしょ。最後くらい綺麗に。

「うん。きっと世界の終末はこんなにも綺麗なんだね」

始まりよりも永く。すこしだけ贅沢な言葉で。


「この世界はまだ試作品。だから。また逢いましょう、完璧な世界で」


そして無機質は呼応する。わたしの呼び掛けに頷いてくれる。白色よりも真っ白な、優しい世界にくちづけを。


わたしが求めたのは楽園。人がまだ罪を知る前の。あなたとわたし、ふたりだけの楽園。還りましょう、世界。あの日、あの場所へもう一度。



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