〈LAST・EPISODE:桃カレ★Scramble! ~現在を歩く未来へ~〉

第67話 息を吹き返したこの目に誓って

***


(ねえ、蓼丸、あたし、本当に貴方が好きなんだね)


(ねえ、マコ。あんた、本当に、あたしが好きなんだね――……)


 二つの気持ちを同じ量りに載せて、ゆらゆら。


 流れる時間を一緒に過ごした。


三人の優しい時間が、今、終わる――……。



〈LAST・EPISODE:桃カレ★Scramble! ~現在を歩く未来へ~〉



***


「何から話すか……」と涼風がフェンスを掴んで、腕を伸ばして夜空を見上げた。

後で、はっと萌美に向き直る。


「あの、俺、マジで桃は好きだから、そこ、勘違いすんなよ?」何度も何度も念を押す。


「わかってるよ」と萌美もフェンスを掴んで夜空を見上げた。


「あんたの言葉、全部覚えてるから。邪魔して邪魔して邪魔して……蓼丸へのあたしの気持ちまで否定して、織田会長って……あたし、殴っていいのかな」


「事情を聞いてから」と涼風は笑って萌美を見詰めた。萌美も見詰めて、初めて涼風の目の中の萌美と向き合う。


 ――マコの中の、あたし。やっぱりぼけっとしてるんだな。


「そうだね。……聞かせてよ」


 涼風は頷いて、萌美の小さな手に手を重ねた――。


***


「元々は、偶然だったんだ。俺がこの篠笹に来たのは、桃原と付き合いたいだけじゃない。この学校、文武両道だろ。んっと、進学コースと芸術コースと、普通・運動特待生が交じってる。その中に「海外留学制度」があるんだよ。ちなみに、俺、芸術コース落っこちたの」


「英語がボロ雑巾だからでしょ。うん? 海外留学?」


 聞き返すごとに涼風はちゃんと萌美に微笑んで何度もコミュニケーションを取ろうとしてくる。


「あたしが好きなのは判ってる……から」


 もじ、と俯いて話に集中しようとしたけれど、胸の不安は増すばかり。


「普通コースの俺に海外留学制度を使えるチャンスなんかないと思ってたけどな。入学アンケートに俺、書いたの。そうしたら、織田会長に……」


「苛められたの?! 殴ってくる!」


「話を聞けって。あんまりバタバタすっと、俺、桃をだっこしちゃうぞ?」


 言うと涼風は背中から萌美を覆うようにして、頭に顎を載せた。


 ――気付けばこんなに、身長違ってた。入学したときは、まだちょっと大きいくらいだったのに。


「織田会長、さっき……ちょっと恐かった」


「……教えようとしたんだろ。おまえの決断が出なければ、学校としても困る。約束は12月、クリスマスまでだったのにな――……」



(そうだ、クリスマスまでと言ったのは、蓼丸だ――……)



〝桃原は、……クリスマスまでにどっちを「桃カレ」にするか、決めること。オレたちは桃原の要望通り、喧嘩はしない。桃原を「享受」する。だから、桃原も涼風と喧嘩はしないこと。――平和が一番だろ〟



「冷たいんだけど、頭」


「お、わり」と涼風は萌美の耳元でずずっと洟を啜って、喉を震わせた。


「蓼丸と、桃原を争って勝つこと。それが、普通コースの俺が、特別に海外留学を許される唯一の条件だったんだ。でも、桃と離ればなれになるのは嫌だと思った。しかし、織田会長は言ったよ。学校としては、そのくらいの意気込みが欲しい。――俺、どうしても、どうしても……っ!」


 萌美はばっと振り向いて、涼風の両肩を強く掴んだ。


「殴っていいよ」涼風は優しく告げた。「この小さな手で、俺の未来のために頑張らせた。桃には俺を殴る権利があるだろ」


「うん」頭がぼーっとして、拳を振り上げた。


涼風を殴るは慣れている。幼なじみで、いつもロクなことを言わないから、何度もボカっとやって、蹴っ飛ばした。


 でも、今は、もう、出来ない。


「ふえっ……」嗚咽が込み上げてきて、拳を下ろせない。


(おでこのぷっくりに怒っていたわたしじゃない。一緒に過ごして、何より知ってる。マコは、本当にわたしが好きで、いつだって一緒にいる時間を大切にしていた。蓼丸を選べば良かったとは思えない。――蓼丸だって、マコだって、苦しんでくれたんだ)


「殴りたいのは、織田! あのエロ会長、許さないんだからっ……」


「それは違う!」


「判ってるよ! でも、このお馬鹿なあたしが全部理解できると思うの?! あんたって昔からバカ過ぎる! まっしぐらで、バカで、まっすぐで……好きにさせといて、お別れって! 判ってるよ! 判ってるけど、分かんないっ!」


「蓼丸は、おまえのことがほんとうに可愛いみたいだよな」くす、と涼風は涙顔を夜に晒して呟いた。


「そして、俺のこともね。普通なら俺を殴るよ。だけど、蓼丸は言ったんだ。「なら、本気のScrambleやってみようか」――と。でもな、俺、俺は……っ」


 涼風は髪をかき上げて「どう言っても、俺は悪魔だよな」と言葉を押しとどめた。


「さっき、ショータイムの時に、決定権を持つ理事がいた。その理事が織田と会話していたんだ。織田は言った。「そろそろ王女か夢か、決めろ。出来ないなら、王女から答えを魅せて貰うことになる」……とことん恐いよ。まさか抱き竦めているとは思わなかったけど」


「お腹と胸、触られた」


「俺も触ったことねぇぞ! ……ごめん、恐い思いさせて」


 萌美は顔を上げた。お馬鹿の頭への情報が多すぎる。海外留学も初耳だし、でも、判るは一つだけだ。


 ――やっぱり、マコは萌美が大切なんだという、痛いほど伝わる気持ち。ろくでもないヤツなのに、そこだけは揺らがないから。


「……ちゃやだ……ねえ、あんた選ぶから、行かないでよ……っ!」


 涼風は目を潤ませて、拳を震わせて、フェンスを叩いた。


「俺、おまえを利用したんだぞっ……?!」


「違うよ! あんた、ほんっとーにバカなんだよ! あたしのことが好きなの! 酷いよぉ……あたしだって、ちっちゃいけど、頑張って決めたのに……!」


 わあわあ泣く背中を涼風はおずおずと叩いてくれた。手を振り払って、背中を向けると、また手を乗せてきたから、振り払って怯えるように涼風に振り返る。



 ――横顔は揺らがなかった。



(俺、ずっと一緒にいるし、緊張してんのはおまえだけじゃない)


 ――そう言ったくせに。


「一緒にいるって……あれも嘘?」


 涼風はふっと笑った。「笑うなぁっ!」と腕を振り回して、開いた腕に飛び込んだ。


「よしよしよしよし」

「よしよしじゃないっ!」


「違うと思うんだよな……」言葉の真意を隠して、涼風は「んー」と何やら考えている。


 ……こういうヤツだ。いつもずっこける。恋愛のように甘くはならないんだ。


「俺はおまえが好きだけど、おまえ、俺と一緒にいてやたらに安心してねぇか? 恋愛のトキメキ、持ってねえだろ……緊張感もねーし」


 涼風は萌美の頭を抱くと、「俺が抱きたいって言ったらどーすんだ? ドキドキすっか? あ、うん、とかっておまえ普通に服脱ぎそうだけど、そういうもんじゃねえだろ」


 思ってもいない言葉に、涼風は「もう、空気が落ち着き過ぎ」と萌美の前髪を持ち上げた。


「いくら頑張っても、俺は蓼丸には勝てねーの。ドキドキが本物だろ。いつだって逢うときに身なりとか、嫌われないようにとか。おまえ、俺には嫌われないと思って安心してて、俺はおまえを嫌わないって安心してる。恋愛なんかできっこねーの」


「でも、マコは一番に考えてくれてる」


「いや、俺より一番に考えてんのは――……」


 気付けば、制服に着替えた織田と蓼丸と、糯月の姿があった。



「ほら見なさい。ももっこちゃん、やっぱり泣いたじゃない。酷い男たちね。夢のほうを選ぶのよね。大丈夫?」



 言われた二人は完全に罰が悪い顔をした。ひくっと嗚咽を堪える萌美に糯月は静かに頭を下げた。


「でもね、判って欲しいの。涼風真成の願い。織田はいいわ。強いから。蓼丸もほっとけば勝手に育つ。でも、このお猿さんは一人で歩くには心細かったでしょう。でも、それが「俺の大切な桃のためなら」って出来た……織田、早急に涼風の書類をまとめなさい。会長の引退はその後よ」


「――譲るよ。俺の予定していた海外留学の枠。俺は、脳外科じゃなく、眼科にするから。涼風、理事に逢わせるから着替えて。行くぞ」


「――はい」


 ……酷いよ。なにそれ。……全然わかんないよっ! でも、これだけは判るよ。


「あんた、ほんっとバカだよ! あたし、許さないから! やだ、絶対許さないからっ!」


「桃……」


「判らない王女だな。さっき手を緩めるんじゃなかったよ」


 いらっとした織田が萌美に爪先を向けた。「織田」と副会長の声。


「ひっ」と肩を強ばらせる前で、蓼丸が一番に萌美の腕を引いて腕に引き込んだ。


「この困ったちゃんは、俺に任せてくれませんか。さっさと書類済ませて引退してください。いい加減、俺の……」


 蓼丸はとうとう堪忍袋の尾が切れた様子で、眼帯を毟り取って織田に投げつけた。


「俺の可愛い王女を泣かせてんじゃねえ! この悪魔ども! 覚悟があるなら、夢を追うなら追えばいい! 俺は、目に映る王女を守る! ……息を吹き返したこの目に誓って! 悪魔は消えろ!」


「たでま……」


 もうぼろぼろで、頬からキラキラが溢れ出て。声は掠れて心はクタクタで。ただ、遠くなったマコの背中が悔しくて、愛おしくて、未来に向かう道筋がしっかり見えたりして。


 みんなが進む道、あたしにも、見えたよ。


(あたしだって、いつまでもピンクのバカ鼠なんかじゃないんだから!)


 ――でも、駆け抜ける気持ちは涼しい風なんかじゃなく、桃色の暴風雨。


雨宿りがしたいと思った。蓼の葉の陰で。その気持ちは嘘じゃない。


「でも、俺……っ!」また涼風が振り返った。


「うるっさい! 判ってるよ……あんたなんか、バナナ好きで、オバケ苦手で、いつだってバカで、無理して格好つけて……幼稚園のようにあたしを好き好きって! なのに置いてっちゃうんだ。知らないからね! あたしが……」


〝いくら頑張っても、俺は蓼丸には勝てねーの。ドキドキが本物だろ〟


 自分で自分に一番残酷な結果を口にしてまで,進みたい未来があるのなら――……。


 蓼丸を見上げると、蓼丸は判ったように頷いてくれた。


「応援する! ……あたしを置いてっちゃって、そんでも頑張るって言うなら! でも、あたしは、涼風真成がちゃんと好き! その気持ち、ちゃんと持ってってよね!」


 涼風は両手で顔を覆っていて、織田に笑われながら頭を叩かれて背中を押されている。

糯月がくるっと振り向いた。蓼丸に右眼をとんとんとやって、「またね、ももっこちゃん」と校内に消えた。


「全く、よく泣くよな、お互い」


蓼丸の声が夜空に溶けて流れて行った――。

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