第66話 遠くに、行かないよね

*66*


 本館を訪れると、片付けに追われる生徒たちが、何度も往き来しては忙しそうに走り抜けて行った。


「織田会長! 格好良かったッス!」「見てみて、織田さん」


 男女共に人気の織田の後ろをひょこひょことついていった。


「桃原、生徒会フロア、来たことなかったね」

(いえ、あります! 合宿で夜這い……)言いかけた情景をぱっぱと手を振って頭上から追い払った。


(桃原って初めて呼ばれた……なんだろ)


「結構生徒会の権限は大きいからね。学校に置いての重要機関なんだよ」


「あ、はい」織田はカードキーを取り出すと、センサーに翳した。


(何の部屋だろう)と思って見て見ると、中には大きな机に、スチール棚。プリンタにガラスケースに入った数々のトロフィー。


 パチン、と電気がついた部屋は、綺麗に整頓されていて、左側には何故かスーツケースが置いてある。


「生徒会長の執務室だよ。引退するからと、仕事と部屋をまとめておいたんだ」


 ……蓼丸は織田が「仕事をやらない」と言っていたけれど……進学クラスで首席なのに、出来ないはずがない。


「あの……もしかして、蓼丸からかってました?」

「人聞きわるいなぁ。蓼丸の桃色飼い猫は」


 ははっと織田は軽く笑うと、ファイルを差し出した。そこにはすべての行事の計画書や予算書が収められていて、騎馬戦の目録や、委員会の構成表、健康診断のルートに配置図、どれもこれも蓼丸が必死で仕上げたものばかり。それどころか完成度が違う。


「文字通り、うつけを演じただけ。蓼丸の資料は甘いから、鍛える意味で。あと、資料なんかさっさと作ってしまえば、女の子と遊べるでしょ」


 ぽかんと口を開けたままの萌美の前で、織田は腕を伸ばす。


「『生徒会』。しかし、正式名称は「生徒会執行部」と言ってね、日本の制定では、『教育体系上においては、学習指導要領に基づき、特別活動の一つに分類される。生徒会活動を通して、望ましい人間関係を形成し、集団や社会の一員としてよりよい学校生活づくりに参画し、協力して諸問題を解決しようとする自主的、実践的な態度を育てることを目標としており全生徒を会員として、生徒の立場から自発的・自主的に行われる活動』としているんだ」


 織田は神妙な口調で告げると、椅子ではなく、机に腰をかけた。指で煙草を吸う真似をして、唇を何度も叩く。


「構成は、生徒会役員会・執行委員会・常任委員会・理事会の参加権利……仕事は主に生徒の統括と、監理。いわば、生徒の官吏と言っていいわけさ」


 きょろきょろと見回す萌美にククッと喉を鳴らして、「珍しい?」と優しく聞いてきた。


「あ、はい! ここに、蓼丸が座るのか……と。見せて貰えて嬉しくて」


「それは良かった。――で? どちらに決める?」


 織田は腕組みして、にこにこした。


(あ、えっと……)


「今、決めなきゃだめですか? マコも、蓼丸も良さが違うのに。決められない。でも」


 織田は凭れていた机から上半身を起こすと、ふっと腕を開いた。大股で近づいて来てあれよと言う間に髪が頬に触れた。


(あの――っ!)


 いとも簡単に萌美を腕の中に収めた織田は指の腹で萌美の首筋を擦った。


(ひっ)ぞわあっと背中の皮膚が逆立つような感覚だ。


「どっちかと、Hした? してないな、この感じ方は」


 つつーと、首筋をやって、ひとさし指をちゅ、と自ら舐める。


「なるほど。こんなにウブで小さくて可愛い王女さまなら、あの二人の王子たちが必死に馬鹿げた協定を飲んでまで守りたくなるわけだ。俺は、女の子は嫌がろうが手を出されたいと思っている生きものだと知ってるからね。そのうち蕩けてくる」


「あ、あの、あのですねっ……ちょ」


 織田は構わず首筋に顔を埋めて来る。頭が真っ白になって、萌美は首を振る振るした。織田の触れ方は慣れているそれで、萌美なんか太刀打ちできる代物ではない。


 恐怖からか涙が溢れて頬を滑り降りた。それでも織田は手を緩めない。


「――蓼丸が好き? それとも涼風が好き?」


 萌美が硬直しても構わないと言った雰囲気で強引な指先を腹に忍び込ませてくる。


「やだ……っ!」


「言わないと、俺は止まらないよ? 言っただろう? きみの判断が生徒会と学校の名誉に関わるんだ……」


 織田がつんのめって萌美の胸に顔を突っ込んだ。

「これだから油断ならないんだよ」

「全くッスね! 桃、無事かっ!」


長い脚を下ろした蓼丸と腕を伸ばした涼風の姿に、涙が滲んだ。


「俺たちの王女に何すんですかっ!」


「うわああん」


縮こまった萌美は涼風の背中に逃げ込んだ。いち早く涼風は腕を引いて、背中に隠してくれようとしたから。


 蓼丸と目があった。蓼丸は小さく首を振り、視線を萌美から逸らせた。


(あ……)


 そういうこと、か……。ぎゅ、と涼風のボロボロの着物を掴む。


(判っちゃった。……なんでなんだろうとか、理由はまだ見つからないけど、もう、あたしの心は選んでる)


 蓼丸は織田の背中を蹴って後ろ頭を小突いたけれど、涼風は最初に萌美の腕を引いた。


 一番に、萌美を考えているのは――……。


 織田は蓼丸に蹴られた背中と、殴られた頭を交互に擦って、息を吐いた。


「ちょっと首筋キスしただけだろ。まだ下は触れてないし」


「尚更悪い! 俺、早くも、もう眼帯毟り取りたくなってんですが、織田会長! グラウンドでもう一度叩き伏せてやろうか!」


 織田は小指を片耳に突っ込んで、肩を揺すった。


「聞くまでもないな。ももっこちゃん、決めたんだな?」


 蓼丸の片眼が萌美を映した。「桃原……」と大好きな瞳が濡れて歪むが見える。


 ――ごめん、蓼丸――……勝手なオンナだって、嫌っていいから。

でも、逢いたかった! 一緒にいたかった! 今も、今も!


「へ?」と一人だけいつも思考に付いて来るが遅いサルが萌美を振り返る。返事の代わりに袖を掴んだ。


「……こっち、です」とやっとの想いで告げる。


目を瞑ると、涼風との努力の日々がいつしか心から溢れるほどになっていて。


 蓼丸はかっこいいけれど、言葉をくれないから。


(一度くらい、大好きって言って欲しかった……)


「言葉、足りないって言ったじゃん……蓼丸は……」


 萌美は両手で両眼を覆って、泣いた。


 好きだよ。好きだ、大好き。多分、ずっと好き。蓼丸諒介にずっと恋をしていくと思う。でも、それ以上に涼風真成の良さを否定できないんだよ――……。


 思いっきり好きだと伝えてくれたマコの気持ちのほうが、蓼丸を好きなあたしの気持ちに勝ったんだ……。


「桃原……」蓼丸は目を伏せて、「織田会長」と視線を織田に向ける。織田は「嫌な役だよ」と頭を掻いた。


 涼風がようやく事情を呑み込んで、ぐるんと萌美に向き、細い肩を鷲づかみにする。


「俺、選ぶの?」


 頷くと、涼風は「おかしーだろ!」とおかしな台詞を吐き出した。


「……蓼丸のことが好きだったんじゃないのかよっ! 蓼丸蓼丸きゅんきゅんきゅんきゅん……」


「うるっさい! あんたに決めるしかないの! だって、あんたの一生懸命さを捨てろって無理だから! バカみたいだよ! 諦めればいいのに! 諦めないで、どうしてそこまで一生懸命になれるのよ! あたしは蓼丸が好きって言った! でも……」


 萌美はぐしゃっと前髪を掴むと、紅潮した頬を膨らませた。


「見なさいよ、このおでこ! 責任取ってよ! あんたがかき回したの! 蓼丸を好きな気持ちを上回るほど、バカで、一生懸命なそのがむしゃらさで……っ!」


 瞼の裏には涙と一緒に涼風の行動が浮かんで来た。


『おー、あった! 桃原萌美(ももはらめぐみ)、涼風真成! おいおい、同じクラスか』

『えー、やだーっ!』『やだぁ? おいおい、そりゃねーだろ。な、席も近いかなっ。はは、うんざりしちゃうよなぁ』

(入学式で、誰より嬉しそうな表情をしてた)


 ――おまえ、俺と付き合えよ、桃!」

 ――俺が納得しないことが分かった。蓼丸は確かに同性から見てもカッコイイ。それは認める。けど、桃原のカレに相応しいかどうかは別だ。

 ――いいよ、嫌いで。たまには、俺にも笑顔見せろよ。おりゃ。

 ――一緒にいられるって貴重なんだぜ?

(そうなんだよ、一緒にいられて、バカやって笑えるだけでいい。あんたはそう言ったから。一緒なんだといつも伝えてくれる。伝えるための言葉の大切さを知っているんだ、マコ……ん、優しいの知ってるもん。蓼丸とは違って、ガンガン口に出す優しさ)

『夜の学校、恐いよな……桃、俺の傍から離れないでくれよな。笑ってんじゃねーよ。俺、あんときからオバケ駄目なんだぞ!――…………。


――…………――……。


(もう充分だ。こんなに溢れて来ちゃ、もうあたしはこいつに勝てない。マコの一生懸命さに、もう、勝てない!)


「ごめ……ごめん、蓼丸……ごめ……」


 蓼丸は顔を背け、指で眼帯を下ろして掴み取った。(まさか、マコを殴る?!)と身を強ばらせる前で、蓼丸は武士のように吼えた。


「織田! いつまで桃原を泣かせているんだ! さっさと説明しろっ! 我慢出来ない!」


 織田は「うるせーな」と髪をかき上げて、「さて」と萌美の前にしゃがみ込んだ。


「ももっこちゃん。涼風に決まり?」


 ――こくん、と頷くしかなかった。


 涼風を見上げると、目を大きく瞠って、ただ萌美を見下ろしていたが、思い切ったようにぎゅ、と萌美の手を掴んだ。


「来て!」と生徒会長室を走り抜けた。


「ま、マコ! ちょっと、どこへ……っ!」


 涼風は一目散に屋上を目指して、ドアを蹴り開けた。夜空が舞い散る屋上に飛び出すと、秋の風だ。


 涼風は張り巡らされたフェンスを掴んで、何度も揺すっては嗚咽を堪えている。


「ちょっと! あたしはあんたを選んだの! なに、その態度!」


 ぴた。


 フェンスのガシャガシャを辞めて、涼風は振り向いた。


「……桃……好きだよ」


「知ってる! しつっこいよ! でも……嬉しかったよ……いつだってあたしのために一生懸命……」


「違うんだ! 桃! い、今から説明すっから……っ 殴ってもいいから!」


 聞いた覚えのない涼風の咆吼だった。


***


「殴るって……違うって何よ」ぐすっと洟を啜った萌美の前で、涼風は「落ち着いて、聞けよ? 俺、本当に桃が好きなのは変わんねーから。嘘はないんだ」と安っぽい言葉で念を押した。


「全部全部、未来のため……織田の命令なんだ……」


 胸に不安が押し寄せる。涼風の横顔は知らない男の顔だったからだ。サルでもなく、殿でも無い。未来を、現在より先だけを見ている瞳だ。



(なんか、遠くに行きそうな――……一緒にいるよね、マコ……)


〝きみの返答は、僕個人だけじゃない。生徒会にも関わって来るし、学校の名誉にも関わる話だから。――全て話そうか。生徒会室までついておいで〟


 織田の言葉を甦らせた屋上に、冷えた秋の夜風が啼いた。体育祭もたけなわ。



でも、萌美の心の騒動はこれからだった――。




◇◆篠笹大炎上! 織田・蓼丸の乱★Scramble! 【了】

    ⇒LAST EPISODE 桃カレ★Scramble! To be continued・・・

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る