第54話 神部雅人。わら人形に書いてやりたい名前

*54*


 さて、篠笹高校にはご存じ生徒総会があり、生徒総会は織田が一番好きな時間である。マイクを持つ織田はいきいきとしていて、もう誰も止められない勢いだ。


 午後の生徒総会に備えて、蓼丸諒介を始めとする生徒会の面々は昼を軽く済ませると、講堂に一足早く集合となった。


 糯月、杜野、涼風、蓼丸、真那、その他生徒会役員たちはステージに上がった織田会長を呆れて見詰めている。


「よくあの織田を説得したわね」


 糯月の言葉にどう返そうか悩んでいる蓼丸の前で、織田は水を得た魚のようにマイクテスト中。


「そこは、言いたくないですね」


 勘の良い糯月が端正な眉を上げて優雅に驚く。


「もしかして、頭を下げたの?」蓼丸は頷いた。


「桃原があれだけ走り廻ってなんとか手伝おうとしているのに、織田に意地を張り続けるは如何なものだろうか。俺は桃カレなんでね。期待に答えたいだけだから」

「私の気まぐれの呼び名。気に入っちゃって、まぁ。――気をつけなさいよ。桃カレさん。織田は男には甘くないから」


 蓼丸は再度しっかりと頷いた。


 三年のカリスマ生徒会長への憧れと焦燥が入り交じっている。織田を目にすると、色々な感情が堰の如く溢れ出て、眼球が破裂しそうになるのは何故だろう。


 右眼が痛む。オッドアイは虹彩異色症。蓼丸のようにクォーターやハーフに多い遺伝子の異常とされる。綺麗なだけではやっていけない世の中のようだと蓼丸は思う。


(それでも、綺麗だって桃原は笑ってくれる。歪んだ世界も、桃色に染まるんだ)


「開き直るなら、さっさとやればいいのに。杜野、涼風。生徒を誘導しなさい」


「はいっ」副会長補佐の杜野と涼風は女王に従順な返事をして、講堂のドアを開け放つべく、早足になった――。


***


(もう体育祭かぁ……はやい、はやい)


 萌美は雫の隣できょろきょろと蓼丸たちを目で追った。生徒会役員は、はたから見ているとどれだけ多忙なんだかである。


『生徒の代表』としての自治体の意味合いが強い篠笹の生徒会。教師は生徒の催しは「監督」に留まり、時には部活の采配までを行う実権集団と化している。


 ――二条を捕まえて聞いた話によると――……


***


 焼きそばパンにつられた二条は心底悔しそうだった。


『本当、好きなんだね……驚いた。聞きたいことがあるの』

『眼帯王子の話だろ。くそ、焼きそばパンには勝てねー』

『喋ったらね。ほーれほれほれ』


 ……二条ぬことじゃれている暇はなかった。萌美は焼きそばパンを手で弾ませると、二条の前に座り込む。


「遊んでる場合じゃなくって。執拗過ぎない? 最近。蓼丸の何を撮りたいの? オッドアイが嫌で隠してるのに、刺激して何が楽しいんだよ」


「率直に来るな。桃サルは」


(桃ザル?!)

 ――ウキ? と顔を上げると、「桃原の男子の間の仇名」と二条はくくっと笑った。後で、「今更蓼丸さんを撮るつもりはないんだ」と肩を竦める。


「じゃあ、なんで付け狙うの?」


 二条は吊り目を三白眼レベルまで座らせると、ぼそっと「三角関係Scramble」とぼやく。


(げ、それはまさしく……)


 ボールペンでひょい、と指されて、言葉を喪った。


「桃サルと、マコサルと、蓼丸さん。神部さんが目をつけたんだ。何しろ神部さんは生徒会に怨みがあるから、丁度いいと次期生徒会長の蓼丸のScandalを狙っているわけ。協力者がいるし、廃部から昇格させてやるって言われてんだって。それなら俺だって協力すんのが筋だろ? 報道部を復活させんのが願いなんだから」


「大迷惑!」


 二条は今度は叱られたネコのように丸くなって「あんたにゃ悪いけど」と付け足した。


「俺、報道やりてーの。だから、なんとしても……」


「……泣かないでよ。人に迷惑ばっかりのくせに」


(うー、ネコ苛めてる気分だ)


 それに、「三角関係じゃない」と大声を上げたい。当人の三人がどれだけ苦しいか、どれだけ幸せか、どれだけ必死で均衡を保っているか多分分からないに違いない。(ひっかき回されたくない)でも、事実上は三角関係で、神部はS中でも宮城先輩の三角関係を暴いたと、確か和泉が教えてくれた。


 神部雅人。わら人形に書いてやりたい名前だ。カメラなんか海に捨てちゃいたい。そうすれば追いかけて、海に流されてしまうでしょ。


 でも、二条が哀しむかな。


 つまらない妄想は引っ込めて、萌美は頬を膨らませた。


「あの人、余計なことしかしないから嫌い」


 二条はふ、と笑って眉を下げた。


「容赦ないとこあるけど、いい人だよ。写真すげーし。あ、まだ見せてねーか。俺のリスペクトしている相手を悪く言うな。あと、蓼丸には前々から噂があるからな……」


「蓼丸の噂?!」


(そこ、聞きたいとこ!)身を乗り出すと、二条は明かに「しまった!」というような顔をして、立ち去ろうとした。腕をひっ捕まえた。


「噂ってなに?! 言えないの?」


「寄るなっ!」「ううん、寄る! 噂って何?!」しつこく問い詰めると、二条は本気で困惑したらしく、無言になって崩れ落ちた。


「勘弁してくれ……言えねぇよ……」


「そんなに、深刻なの? あの眼帯、なんで外さないの?」


(きっちりと外れないように縛り付ける眼帯を想い出す。執拗に織田が狙う意味も知りたい。ただ、オッドアイを隠しているだけじゃない?)


 萌美が知っているは、眼帯を外すと、「海賊」に立ち戻る言動と、究極のフェミニストで大胆なエロい台詞を言ってくるくらい。


 害は萌美の心臓が一大オーケストラを奏で始めて、眩暈、動悸、「欲しい」なんてちょっとイケナイ思考に呑み込まれることくらいで。


 眼帯のない両眼は、右側がスウェーデンの空の色。左は綺麗な飴色。両眼で見られて囁かれると、腰砕けに……。


(腰砕け?!)ぽかー、と口を開けたままだったのに気付いて、唇をぱこんと閉めた。


「いい、蓼丸に聞く。目からビームが出なきゃいい」

「出るか。そんなもん」と二条は少しだけ笑って、調子を取り戻したようだった。


「桃原、俺らに気をつけろよ。こっちも、本気だぜ」とわけのわからない忠告を置いて立ち上がった。


「うん、ありがと」

「……ああ」と二条は何とも形容しがたい表情で軽く手を挙げて見せる。


(あ、焼きそばパン!)


「二条ぬこ!」思わず陰の仇名で呼んでしまった。「んあ?! ぬこ?!」と足を止めた前に、やきそばパンを投げてやった。


「教えてくれたから! 約束のブツ!」


「サンクス」受け止めたパンをすぐさま頬張りながら、二条は廊下を曲がって教室へ戻っていき。


 ――二条が告げた神部の協力者って誰なんだろう。


 ……騒動ばっかりだけど、もっと大きな騒動の予感がする。廊下の窓から外を見やると、講堂の手前の銀杏はほんのり色を染め始めた様子だった。


『生徒は講堂に集合してください』校内放送の声は、きゃぴきゃぴ騒ぐ女子高生たちにかき消される。


(あたしも、行こ。蓼丸、すごい勢いで走っていったけど、何か思いついたのかな)


 ――ねえ、神さま。あたし、ちゃんとお役に立ててますか? 大好きな人たちのお役に立ててるかな?

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